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零れた氷  作者: 哀ノ愛カ
3/10

第二片

百花ちゃんの喋り方って普通は有り得ないけど、目をつぶって下さい・・・

「流兄様、本当に大丈夫なんですか?」

 心配そうに顔を覗きこむ百花の頭を撫でる。

「大丈夫だ」

 そう言うと、百花はそれ以上何も言わずに隣を歩いた。

 宮古学園は中等部と高等部が隣接し、同じ敷地内にあるので、登校は自然と二人一緒になる。

 初めは流も照れから居心地が悪かったが、今は慣れたものだ。

 百花と歩くとほんのり心が温かくなる。どんなに疲れていても、どんなに落ち込んでいても、傍に百花がいるだけで、流は救われた。

 百花が流を好きだと言ったあの日から。

 しかし、それは犠牲であって、到底容認できるものではない。

 流も頭では理解している。

 この子に救いを求めてはいけないと。

 だが、求めずにはいられないのが現実で。

神咲家のことを知っている以上、理性で「誰とも一緒にならない」と言うことは容易いが、それは寂しいことだと本能が訴える。だから、流は百花の申し出をきっぱりと断れないでいた。誰かのように「百花には百花の人生がある」などと言えるほど大人ではないのだ。

隆世が縁を切れと言うか、百花が流と歩む人生を嫌がらない限り、祖父の残した約束に甘えてしまうことは明らか。

その罪悪感に耐えられるかは分からないが、今だけは百花と歩きたい。

 それが、今の流の日常。


街路樹を通り抜けていく。

銀杏の青葉が光に揺らめくのを横目に、流は百花といつもの通学路を歩いていった。


あと少しで学校に到着するという時だった。

「も、も、か、ちゃーん」

 背後から、百花に飛び付く少女の姿が目に入った。

「びっくりした~。もう、驚かさないでよ、零ちゃん」

「おはよう!」

 少女は悪びれずににこっと微笑む。それに釣られたのか、百花も「おはよう」と笑った。

 白木零と名乗る少女と、否、白鬼・玉零と協定を結んだのは昨日のことである。

 それを嫌でも思い出させられて、流の気分は沈んだ。

「あ、お兄さんも、おはようございます。お体の具合はもうよろしいのですか?」

百花には分からないようにして玉零は不敵に笑う。今すぐに化けの皮を剥がしてやりたいという衝動に駆られながら、流は「ああ」と短く応えた。

玉零はそれを聞くと百花に向き直って「百花ちゃんの看病が良かったのかな」と言うものだから、百花の顔はみるみるうちに赤くなっていった。

流も居た堪れなくなり、二人から少し距離を取るようにして後ろへと下がる。

 すると、自然と先ほどから後ろに控えていた隼と並んで歩く羽目になった。

「おい、人間。昨日から玉零様に対して馴れ馴れしいぞ」

 会話をするつもりなどなかった流だが、さすがに反論の言葉が出る。

「心外だ。馴れ馴れしいのはシロオニの方だろ」

 隼はむすっとした表情で流を一瞥した。

「何だよ」

 隼は黙ったまま歩き続ける。当然反論には反論で応えてくるだろうと思っていたので、無言なのは不気味だった。


 中等部の校門は西に、高等部の校門は東に設置されているので、二股の道で百花達とは別れることになる。

 玉零が別れ際に「じゃ、後で」と口パクで言うのを尻目に、流は反対側の道を進んだ。

「おい、人間」

しばらくして、口を閉ざしていた隼が流に声を掛けた。

「何だよ、妖怪」

主人が近くにいないのだから、離れて歩けと思っていた時だった。「勘違いするなよ」

「何を?」

脈絡のない言葉に流は首を傾げる。

隼は怒った風でもなく、淡々と言葉を続けた。

「玉零様が貴様に親しげに接するのは、貴様だからではない。貴様が人間だからだ」

流の歩が止まる。

「意味が分からない」

正直な感想だった。

だが、隼はそれ以上何も言わなかった。否、言えなくなってしまった。隼を見つけた同級生達が群がってきたからだ。

隼は見るからに迷惑そうな顔をして、その群れに呑まれていった。

教室に着いても、隼の取り巻きが消えることはなく、流がその中に入れるはずもないので、結局先ほどの意味は分からず仕舞いとなった。


「何で隼が来てないの」

 二時間目。高等部北校舎の屋上にて。

「俺より先に教室は出たけど」

流は不機嫌な玉零と二人きりで会話をしていた。

「じゃあ、何で貴方より先に着いてないわけ?」

 宮古学園の神隠し事件を調査すべく、授業を抜け出すという計画は昨日玉零から提案されたことだった。事件の詳しい話もそこで聞くことになっている。

「クラスメイトに絡まれて身動き取れなくなってるんじゃないか?」

「どうして?」

「どうしてって・・・あいつはクラスの人気者だから。仮病使って抜け出そうとした時に、随分と人に心配されて。結局保健委員以外にも数人の付き添いのもと、保健室に連行されていったぞ」

 玉零はきょとんとした表情で流の話を聞いていた。

「俺には何であそこまで人気があるのか分からないが」

 流の呟きに我に帰った玉零が「そうね」と何ともバツの悪い顔をして言う。

直後、屋上の扉が開いて隼が姿を現した。

「玉零様、申し訳ありません」

「人を巻くのが大変だったの?」

 玉零が上目遣いで隼を窺う。

「いえ、その・・・私が至らなかっただけです」

 従者の歯切れの悪い物言いに玉零は何かを確信したようだった。

印を結び、横一文字に切って、「解」と唱える。

「申し訳ありません・・・」

 隼は恐縮しきった様子で玉零に頭を下げた。

「どういうことだよ」

 流が問い詰めると、玉零は観念したように説明した。

「隼に術を施していたのよ。この通り、人間に化けても目立つから。人の中でも馴染めるように、ね。ちょっと行き過ぎちゃったみたいだけど。私は完全な白鬼じゃないから、陰陽術を使いこなせないのよ」

 黙って聞いていた流だが、さすがに意義を唱えずにはいられなかった。

「陰陽術だって!?」

「そうよ」

 しれっとした顔で玉零は応える。

「有り得ない。あんたは妖怪なんだろ」

 妖怪の持つ力は妖力。人の持つ力は霊力。陰陽術は霊力を使って成し得る技だ。それも並大抵の霊力ではできない。

 玉零は溜息を吐いて、呆れた顔をした。

「貴方、白鬼について調べたんじゃなかったの?白鬼は人間になれるって自分でも言っていたのに・・・それがただの人間なわけないじゃない。当然、並外れた霊力を備えているに決まってるでしょう。陰陽術ぐらい使えるわよ。私の場合、完璧とはいかないけどね。やっぱり土御門以外の陰陽家は大したことないわね」

 つくづくと言った感じで言われ、むかっときた流だったが何とか堪える。

「それより、さっさと打ち合わせ始めろよ」

 流が気を悪くしていることに気づいているのか気づいていないのか、玉零は少女らしく笑って「そうね」と応えた。


 宮古学園の神隠し事件は三月に始まったという。

 卒業式の前の日、卒業生代表だった女子生徒が姿を消した。しかし、何事もなく式は進められ、違う者があたかも初めからそうだったかのように答辞を読んだそうだ。

 二人目は四月の始業式の日に消えた。水瀬柚葉という名の、新三年生の女子生徒だった。そして昨日、三人目の犠牲者が出た。二年生の女子生徒で、名前は新庄莉子。流のクラスの学級委員長のことだった。


「貴方、本当に何も気づかなかったわけ?」

 玉零に詰られても、言い返せない。

「貴方の目の前で消えたのよ?」

「目の前かどうかは分からないだろ」

 言い訳めいた言葉は自然と小さくなった。

 玉零が「それでも陰陽師?」といった風情で流を見ている。その居心地の悪さに、また言い訳が募った。

「それに、記憶が改ざんされるなら手の施しようがない。大体あんた等はどうやって犠牲者を把握しているんだよ」

 消えた生徒の存在は過去からも抹消される。人々の記憶に残ることはない、ということだ。だから、もう三人も生徒が行方不明になっているというのに明るみにも出ない。

「それは、私にも分からない」

「はい?」

「私達は依頼を受けてここにいるの。被害の状況や被害者については依頼者がメールで伝えてくる。どうしてそれが分かるのかは聞いてみたけど、企業秘密だって言って教えてくれなかったわ」

 それは怪しい。

「そんなのおかしいだろ!」

「別に。彼は秘密主義なところがあるから」

「そんなんで納得できるのか?」

「失礼ね。私のパートナーを侮辱しないでくれる?私が把握できないぐらいの情報網を持ってるから、それで分かっただけのことよ」

 玉零は全くもってそのパートナーとやらを信用し切っている様子だった。従者はそれでいいのかと、ちらりと見てみたが、隼の表情は依然無表情のままだった。

「それより、昨日は本当に何も感じなかったの?」

 この件はかなり重要なことのように流は思ったが、話は強制的に打ち切られた。

「だから、何もなかったって」

「朝のホームルームから順番に思い出してみなさいよ」

 面倒だと思いつつも一応は記憶を辿ってみる。

 朝のホームルーム、一時間目の数学、二時間目の国語、三時間目の音楽、昼休み、五時間目のホームルーム・・・。

 そういえば、五時間目のホームルームで学級委員長が修学旅行についての話し合いを進めていた。居眠りをしていた流に文句を言える度胸のある女子生徒。しかし、あれは新庄莉子ではないのだろう。なぜなら、今日の朝も彼女はいた。それに、美人ではない。

 昨日の五時間目の記憶が鮮明に蘇る。あの時、自分は何を考えていたのか。

「五時間目のホームルームの時に・・・陰と陽の、流れが変わった・・・」

無意識に出た言葉に、玉零の目が瞠った。

 そして、片手で額を押さえながらクツクツと笑い出す。

「なぁんだ。貴方、流れが分かるんじゃないのよ」

「え?いや」

「陰と陽の流れが変わった時、それは何かが起きている証拠」

 その言葉を、何故。

「陰陽師なら当たり前よね。基本中の基本なんだから。どうして無才なフリなんてしていたの?」

 きらきらと輝く玉零の瞳に流はたじろいだ。何かを勘違いされている。

「別に流れなんて分からない。良い天気だったのに急に曇り出して不吉だと感じただけで。それに、俺の記憶にある学級委員長は美人だったのに、五時間目に見た奴はそうでもなかったから」

「上等よ」

 誤解を解こうと説明していた口を一言で塞がれる。

「何が?」

「貴方は曇った空を見て不吉だと感じた。そして、学級委員長は美人だったという記憶がある。正直、私にだって陰陽の流れなんて分からない。ある人の受け売りだからね。だけど、貴方はきっと知らず知らずのうちに感じているのよ、陰陽の流れを。予想以上だわ。人としてだけではなく、陰陽師としてもなんて、ね?」

 そういえば、玉零は昨日も同じ言葉を言っていた。

己の種族を絶滅に追い遣った陰陽師の子孫と協力できるのかと聞いた時のことだ。

『上等よ』

 これは、俗に言う喧嘩上等といった意味合いではなかったらしい。

 流を人として『上等』だと評価したのだ。

 心底、侮れない。

「それで、次の目星は付いているのかよ」

 流の口調がぶっきら棒になったのも無理はなかった。

「貴方なら流れが見えているんじゃないの?」

「・・・上から下。でもそんなことはあんたも分かってるんだろ」

「まぁね。あとは、美少女ってこと」

 玉零の言葉に思わず首を傾げる。

「それは、俺がさっき三番目の犠牲者について美人だと言ったからか?」

しかし、それだけでは美少女が狙われているという確証にはならない。

「三番目だけじゃないの。残り二人の犠牲者も美人だったらしいわ」

「らしいって」

「犠牲者の特徴もメールで送信されてくるから」

 流は玉零の依頼者を疑わずにはいられなかったが、とりあえずは妥協しておく。

「分かった?」

「何が?」

 唐突な質問に怪訝な顔を向けると、玉零は「百花ちゃんに近づいた理由」と付け足した。

「まさか・・・」

「中等部にも魔の手がかからないとは限らないもの」

 だから、百花を囮にしていると、玉零は言っている。

「よくもっ!」

 胸倉を掴もうとした瞬間、隼に身体を倒される。同時に隼は懐から短刀を取り出した。

 喉元に刃が掛かるかと思われたその時。

「やめなさい、隼」

「玉零、様!?・・・どうして」

「何故と問うか?私に。人を守るが役目の白鬼に!」

 胸の部分のカッターシャツに赤の染みが広がっていく。

 痛くはない。どこも傷ついてはいないのだから。

「あんた、何で」

「貴方も聞くの?言ったでしょう。怨霊に喘ぐ人を嘆いて神が地上に降り立ったのが白鬼の始まりだって。白鬼は人の盾として生まれてきたのよ」

 今までの笑みとは違う、柔らかな微笑みで玉零は言った。

 勘違いするなと、今朝隼に言われたことを思い出す。


『玉零様が貴様に親しげに接するのは、貴様だからではない。貴様が人間だからだ』


 流だからではない。流が、『上等』の陰陽師だからでもない。

 『人』だから。

 ただ、それだけの理由で己を盾とする種族―――白鬼。

 それを、平安の陰陽師達は討ったという。

 七年前に育ての親を殺され、凍てたはずの心が動きそうになった。

「そうか」

 しかし、謝罪の言葉は出てこなかった。

 流が謝っても、意味はない。意味のない謝罪は玉零を余計に傷つけることだと思った。

「さ、これからも犠牲者は増える。何としても犯人を見つけて、これ以上犠牲者を出さないようにしないと。陰陽師、共に陰陽の流れを糺しましょう。大丈夫。百花にまで手が伸びる前に解決するわよ」

 血の滴る右掌を包帯で捲きながら、玉零は立ち上がった。

 流はそれに力強く頷いた。


 しかし、二人の意気込みに反して、犠牲者は増えていくばかりだった。

 三月に一人、四月に一人、五月に一人・・・と考えていた予想は大きく外れ、五月に入ってからの行方不明者は三人になっていた。

学校に生徒がいる間は、常に見回り。

 四人目の犠牲者が出てからは、いつ何時誰が消されるか分からないということで、打ち合わせは夜になった。

 隼や玉零はともかく、もう二週間も流は欠席扱いだ。

「とうとう、中等部にも来たようね」

 苦々しい表情で玉零は呟く。

 新庄莉子に引き続き犠牲となったのは、高等部一年、小村春。そして、中等部三年の堀北朋も先日消えた。

「こうなったら中二の女子生徒で美人なのを片っ端から監視するか?」

「三人では無理よ」

「玉無家にも協力してもらったらできるだろ」

 玉零は難しい顔をして、うんとは言わない。

 他の陰陽師達への協力の要請は当初から流が提案していたことだった。

 しかし、『できるだけ少数で動くようにって言われてるから』と言って聞かなかったのだ。例の如く、あの依頼者の命令である。

 現実問題として、昼間の学校に関係者以外が入り込むには無理がある。玉無家にいる三人に隠形はできない。

 だから、仕方なく流は身を引いた。

 が、

「そんなこと言ってる場合か!?これだけ学園内を調べても、手掛かり一つ見つからない。もう、連れて行かれる瞬間を押さえるしか方法はないって、あんたも分かってるんじゃないのか?」

 中等部にまで被害が出た今、流は平静ではいられなかった。

「落ち着きなさい。騒げば気づかれる」

「気づかれるって誰にだよ」

「神隠しを起こしている者によ。貴方はどうして五月になってから、犠牲者の数が増えたか考えたことはあるの?今までは月に一人だったのに。それに徐々にではあるけど、次の犠牲者が出るまでの間隔が短くなっている」

「それは・・・」

「向こうも警戒しているってこと。だから、あまり大人数で動くのは得策ではないわ。これ以上警戒されては、掴める足も掴めなくなる。約束、破ることになるけど、許してちょうだい」

 そう言われては、ぐうの音も出ない。

 約束・・・百花を囮にするまでもなく、解決すると玉零は言った。

 しかし、その期限は過ぎてしまったのだ。

「これからは、二手に分かれて行動しましょう。私は、百花の監視。貴方達は二学年全体を監視して」

「全体って、そんなの無理だろ」

「陰陽師、的を絞っていては見える物も見えないわよ」

 最初から百花だけに的を絞っていたあんたに言われたくないと、流は思った。

「分かったよ。できる限りのことはする」

 全体を見る。把握する。

 玉零が流の陰陽の流れを捉える能力に期待していることは嫌でも理解させられた。

 陰陽師なら、ここで引くことはできない。

「大丈夫よ。百花のことは私が命に代えても守るから。この約束だけは、絶対に違えない」

 一瞬、隼の眉が動いたのは気のせいではないだろう。

 妖怪殺しの白鬼は、自らの命を盾に人を守るという。

 従者にしてみれば堪ったものじゃない。

だが、主人に意見することはできないらしく、隼は黙ったままである。あるいは、もう何度も言ってきたのに聞き入れてもらえなかったか。

「その決意には感謝するけど、あんたの命も大事だろ。絶対に無理はするな」

 従者の代弁のつもりだったので疎まれるかと思ったが、予想に反して玉零の表情は明るかった。

「ありがとう」

 その笑顔にふいを付かれ、流は内心戸惑った。

「い、いや。ほら、狙われるのが百花とは限らないし。あんただって」

 あんただって可愛いからと言いかけて、慌てて口籠る。余計なことを言うところだった。そんなことは本人がきちんと理解していることであって、流がわざわざ言うことではない。

自分も狙われる可能性があることなど。

しかし次の瞬間、「いいえ、絶対に百花よ」と、玉零は言いきった。

「百花以外には考えられないわ。あの美しさは一学年の中でも断トツよ?一学年に限らず学園内でも一番じゃないかしら?貴方、毎日あの子と登校してて、何も感じなかったの?」

「何も感じなかったけど」

「既に手中にあるものに目がいかないのは男の悪い癖ね。いい?百花は『宮古学園の花』とまで言われているのよ?」

 そんなことは初めて聞いた。

「でも、一緒に登校してて、百花に声掛ける奴なんか今まで一人もいなかったぞ?」

 玉零は盛大な溜息を吐いて、流に諭した。

「飛び抜けた美しさは人を寄せ付けない。話しかけることすら躊躇われる・・・そういう花もあるのよ。もしかしたら、貴方が怖くて近寄れなかっただけかもしれないけど」

 そういうものか、と流は無理やり納得する。

 そういえば隼も。

玉零が隼に掛けた術を解いてから、周りは彼に近寄ることはない。ただ、遠くから眺めて満足している風だった。

「じゃ、明日からさっき言った作戦で行くわよ」

 玉零の言葉で、今日の会議は終了した。

 しかし流は何かが引っかかっているように思えてならなかった。


 次の日、学校に着くや否や、流は中等部校舎の屋上に向かった。生徒が廊下を歩く時間帯は目立つので、授業が始まった頃を見計らって、各教室を巡回する予定だ。

「あんたは『人』に認識されないんだろ。見回りにいったらどうなんだ」

 呼んでもいないのに、隼も屋上にやって来ている。

「人の姿を解けば、向こうに警戒されると玉零様はおっしゃった。妖怪になれぬ故に、今の俺は『人』に認識される存在だ」

堅物を絵にかいたような奴だと思いながら、「あ、そう」と言って隼から目を離す。

 隼に群がる者はいなくなったとはいえ、目立つ存在であることに変わりはない。噂によると、ファンクラブが作ったサイトまであるという。

 そんな奴が中等部にいけばどうなることか。

「分かったよ。じゃあ、授業のチャイムが鳴ったら降りるぞ」

 流も隼も学園内の見回りはいつも単独行動である。だが、昨日玉零に二人で二学年を監視しろと言われた。恐らくはお互いに不本意ではあるが、共に行動を共にする必要がありそうだ。

 それが素顔なのかどうか分からないが、相変わらずの仏頂面で隼は「ああ」と返事をする。

 きっと頭の中は主人のことでいっぱいなのだろう。

 隼にしては落ち着きのない様子でちらちらとフェンス越しに下を見下ろしていた。

 本来なら流も百花についていたい。

「無事だといいけど」

 思わず漏れた心の声を隼は目敏く拾ったようだった。

「百花という娘のことが心配なのか」

 妖怪に心配かなどと聞かれたくはなかったが、呟いてしまったものは仕方がない。「当たり前だろ」と素直に応えておく。興味本位で「お前もご主人様が心配だろ?」と聞いてみた。が、返事はない。代わりに思いもよらぬ質問が返ってきた。

「貴様はあの娘が好きなのか」

「っ!」

「貴様は、嫌いな者にも、心配するのは当たり前だと、無駄な意地など見せずに即答した。それほどに惚れこんでいる・・・と俺は受け取ったが?」

「何でそう受け取るんだ!?」

 妖怪とは、人の心を解さない獣だと思っていた流にとって、この事態は意外だった。

「違うのか?」

「それはっ」

 咄嗟に違うとは言い切れない。しかし、それと同じくらいに認めることもできない。

 流にとっての百花は犠牲なのだから。

「まあ、俺には興味のないことだが。しかし、あれはまだ子供だろうに」

 そう言って隼は鼻で笑った。

 ついさっきまで、意外性を感じていた自分自身を呪いたくなった。

 やはり、妖怪は妖怪でしかない。

「あんたに言われたくないよ」

百花は大人しい性格で、あまり子供っぽいところがない。それに、身体も中学一年生にしては発育が良い方だ。

それに比べ、玉零はまるで子供だ。百花に対する言動は演技だとしても、見た目は二年前と変わっていない。東京で出会った少女を小学生だと思ったあの時のままである。

「どういう意味だ」

 怪訝な表情で隼が問う。

「あんただって本当は心配で堪らないんじゃないか?」

「当然だ。だがそれは―――」

「従者が主人を気に掛けるのは当然だって言いたいんだろ?」

 本当はその真偽に興味はない。

 大事な人を子供だと馬鹿にされた腹いせのつもりだった。

「あんただって、『玉零様』の―――」

 その時、隼が流の胸倉を掴んだ。

 二人の距離はだいぶ開いていたというのに、一瞬の出来事だった。

「玉零様は(しら)()家の現当主であられるお方。貴様ごときがその真名を口にすることなど許されない」

 緑の瞳が流を睨みつけている。

 玉零の変化(へんげ)するなとの言いつけを破るほどの怒りが、単に隼が今言った理由だけのはずがない。

 人間に化けている時には微塵も感じ取れなかった妖気を薄っすら感じながら、流は睨み返した。

「言い訳するなよ。あんたは――」

「それ以上言えば殺すぞ」

 刃物が首元に宛がわれる。体を張ってそれを玉零が阻止したのはついこの間のことだと言うのに。

「殺せば、シロオニがあんたを許さない」

「・・・それでも構わない。玉零様の目に貴様が二度と映らなくなるのなら」

 主人を想う感情の域を超えていることは明らかだった。

 流は黙ったまま隼を見つめる。

 殺すと脅している者の顔ではない。

 縋るような。

懇願するような。

「俺は、主として玉零様をお慕いしているに過ぎない」

 そういうことにしておいてくれと、祈るような眼差しで、振り絞るようにして隼は言葉を紡ぐ。

「あんたは・・・そうなんだろうな。通常人が持ち合わせているような心を妖怪が持っているはずはない。そんなことは、考えてもいないよ」

 チャイムが鳴る。

 一時間目の授業が始まった。


 結局、流と隼は別行動を取った。

 隼は二学年の教室がある階を見回り、流は屋上に残った。

 決してさぼっているわけではない。できるかどうかも分からない流れを読むためだ。

 だが、いくら集中しても陰陽の流れなど感じない。晴れた空は雲一つなく、陰る気配もない。

「ダメか・・・」

 そう独りごちて、フェンスから学園を眺める。

 初夏の風が頬を擽っていく。その柔らかい風に中等部の中庭にある木々の葉も揺れていた。

「あれは」

 その時、庭の片隅で数人の男子生徒が屯しているのが目に入った。 

「サボりかよ」

 溜息を吐いて、フェンスにもたれ掛かる。

 が、妙に気になって仕方なかった。気づけば階段を下りて、その男子生徒達に近づいている自分がいた。

「何やってんだ」

 流が声を掛けると、男子生徒達は驚いたように振り返ったあと、「何や、お仲間やないですか~驚かさないで下さいよぉ」と不愉快極まりない台詞を口にした。

 学年章を見るに、中学二年生だ。

 一応は年上と見て敬語で話してきたことに免じてサボりの件に関しては咎めないでおく。

「で、何してんだよ」

「あ、先輩も興味あります?ランキング」

「ランキング?」

 一人の男子生徒が「これですよ」と言って、スマホを見せた。

「これは・・・」

「ランキングアプリ、知らないんですか?いろんなランキング投票とかできて・・・宮古学園の生徒限定のランキングとかもあるんですよ?パスワード必要ですけど」

「まあ、いろんなの作ってるよな?ブスのランキングとか」

 そう言って、下卑た笑い声を上げる男子生徒に舌打ちしたいのを堪えて、流は問うた。

「ってことは、美人のランキングとかもあんのか?」

 心臓が早鐘を打っていることが自分でも分かる。

「え?ああ、ありますけど、ちょっとおかしいんですよね~何か、探してもおらんような人が一位にいてたりとかして」

 恐らく、これはビンゴだ。

「ちょっと見せてくれないか」

「ええですけど」

 スマホの画面に映し出されたのは、宮古学園可愛い女子ランキングというものだった。

「高等部の方とか、知り合いの先輩に聞いてもそんな奴おらんていうのが、一位なってますからね。先輩は二年ですか?やったら、これ。一位の新庄莉子って知ってます?」

 一位という文字の横には確かに新庄莉子の名が書かれている。

「改ざんされていない」

「え?」

「いや、何でもない。高等部の他の学年は?」

 高等部三年、水瀬柚葉。高等部一年、小村春。

 消えた生徒の名と同じだ。

「中等部は?」

「中等部はまだ信頼できますよ。三年の堀北朋・・・ってのは先輩に聞かないといるんかわかりませんけど。ほら、二年の井森千夏って子は本間にいますよ。めっちゃ可愛いんですから~一位なのも頷けるってもんですよ~」

 中等部三年の名前も一致。

 ということは、このアプリのランキングに基づいて犠牲者は決められているということになる。

 次の犠牲者は井森千夏だ。何としても防がなければならない。

 そう、流が思った時だった。

(風向きが変わった?)

「ああ、先輩。二年のも嘘ですね」

 突然、さっきまで井森千夏を絶賛していた奴が表情を暗くした。

「二年の一位になってる井森千夏。そんな子、うちの学年にはいませんもん」

「な、んだって」

 井森千夏が消えた。アプリのランキング表に記された名だけを残して。

「おい、貸せ!」

「何するんですか、先輩!」

 男子学生からスマホをひったくる。他の生徒も立ち上がって取り返そうとしたのを、睨んで牽制した。

「うう・・・」

 不良とは程遠い、ただのサボりに流の威圧感は耐えられなかったようで、大人しくなる。

そんな男子生徒にはお構いなしに、流は急いで中等部一学年のランキングへとページを飛ばした。

 中等部一年・一位―――隅田百花。

(ちくしょう!やっぱりか)

 このままでは百花が危ないと、走り出そうとした足が止まった。

同列して、一位―――白木零という文字が目に入ったからである。

と、同時に、昨日の作戦会議が終わった後、頭に引っかかっていたものの正体が分かった。

玉零は、自分が狙われる可能性を考えていない。

「っ!」

 百花と玉零のいる教室へと走る。

 一年B組は一階。すぐに辿りついたが、教室には鍵が掛かっていた。音楽か、体育か・・・。

その時、校舎の三階に漂う異様な気配を流は感じ取った。

「音楽室か!」

 急いで、階段を駆け上がる。

 三階の廊下に足を付けた瞬間、全てが遅かったことに気がついた。



*        *         *



 一時間目の音楽の授業。皆が校歌の練習をしている時に、玉零は百花を注視しながら、携帯を盗み見ていた。

 新着メールが来たからだ。

『まだ退治できてないのか?らしくねぇな。お前さんなら速攻で片付くと思っていたが?やっぱり子供(・・)には無理なのかもな』

 初めの文面は嫌味の羅列だった。

 差出人は宮古学園の神隠し事件を解決するよう玉零に頼んだ張本人。

 玉零とはもう何百年という付き合いになる。名は千歳。普段玉零は千と呼んでいる。それこそ子供の頃からの馴染みで、気心の知れた、そして信頼に値する妖怪だ。

『仕方ねぇから、もうちっと被害者について情報を集めてやったぜ?そしたら、面白いことが分かってよ。この情報はお前さんの役に立つと思うぜ。感謝しろよ』

 画面越しに千の意地の悪い笑みが見えそうだ。

 スクロールすると、そこには一人目の犠牲者、佐々木美香についての詳細な資料が添付されていた。卒業生代表だったという美人で有名だった女子生徒。彼女の生育環境、病歴、習い事まで記されている。

 そこで、目に入った記事。

「これは・・・」

 思わず呟いた言葉は、合唱の声に掻き消えた。

 が、その時。

「すみません、気分が悪いので保健室に行ってもいいですか?」

 ピアノを弾く教師の前に進み出て、百花が突然そう言った。

「大丈夫?一人で行ける?」

「はい。大丈夫です」

 そんなやり取りの後、百花は教室を出て行った。

「先生、トイレ!」

 女性としてどうだとか、そんなことを思っている暇はなかった。

 玉零にとっての最後の砦を逃すことはできない。

 百花に続いて音楽室を出る。

 数歩先に足取りの覚束ない百花がふらふらと歩いていた。

(まだ大丈夫。まだ・・・)

玉零は自身にそう言い聞かし、百花の後をつけようとした。

しかし、足が思うように動かない。

「っ!」

しまったと思った時にはもう遅く、目の前で百花も闇に呑まれていた。絡みつく重い影は変化を阻む。脳裏に『子供には無理』という千歳の言葉が過った。

「百花!」

 叫んでも届かない。

 玉零は彼女(・・)の作りだした世界に来てしまったのだ。

 『人』の体には酷な、闇の世界に。

 薄れゆく意識の中で、手を伸ばし続ける。

 命に代えても守ると誓った、誰かの大事な人を助けるために。  



*        *         *



「どうした!?」

 二階で二学年の教室を見回っていた隼が流を追いかけて来たようだった。

「ここと、それからあそこ。流れていったのが分かる」

 何故分かるのかは流自身にも分からないが。

「何が?まさか二年生の生徒か?しかし、全てのクラスは今、教室で授業を行っているようだったが」

「違う。それはさっき井森千夏って子が消えたから」

 だから。

 今、消えたのは一年生の生徒なんだよ。

「あの娘か?玉零様からは何の知らせも――」

 流は無言で手元のスマホを見せた。

 隼の表情は見なくても分かる。

 失意に満ちた、流と同じ顔だ。

 だが、このままではいられない。

 何とかして、二人を助けなければ。

「二人とも引きずり込まれた。この状況で打つ手ってあるか?」

「玉零様の意識があれば、向こうから空間をこじ開けようとするはず。罅さえ入れば俺でも道は作れる」

「で、その気配はあるか?」

 隼は無言だ。

「つまり、シロオニが俺達の応援なしで妖怪か怨霊かと戦えるって判断したってこと?」

 またも隼からの返事はない。

「分かってるよ。意識がないってことだろ」

 百花だけに意識を集中していれば、自分のことに気が回らなくなるのは必然。隙を突かれて、向こうに連れ去られたのならば、意識を失っていてもおかしくはない。

「玉零様っ!」

 悲嘆する従者を置いといて、流は音楽室前の廊下を行ったり来たりした。

 音楽室の扉から数歩先の廊下と、階段の手前にわずかな気配が残っている。

 歪み、といってもいい。

 陰陽の流れが歪んで流れていった気配だ。

どちらかが百花で、どちらかが玉零の消えた場所。

一時間目が始まってかなりの時間が経っている。何らかの事情で、恐らくは百花が教室を出た。それを追いかけるようにして玉零も出たのだとしたら、音楽室に近い方が玉零だろう。

流はそっとそこへ近づいて、床に手をついてみる。

「陰陽師、何とかできそうなのか?」

妖怪が陰陽師に頼る。白鬼という特殊な種族以外で、それはどういう意味を持つのだろうか。

屈辱。

「・・・だろうな」

「どうした?空間を開けられそうなのか!?」

「いや、さすがにそれはできない」

「では、このまま玉零様を見捨てろというのか!?貴様、陰陽の流れとやらを捉えられていたのだろう?何故、もっと早くに掛けつけられなかった!?」

 主人のためなら、どんな屈辱をも受け入れてみせる。

 その忠犬ぶりには感心するが、あまりにも身勝手な発言だ。

「ふざけるなっ。俺だって百花の命が掛かってるんだ!あんたは自分の都合でしか物事を考えられないのか!?そんなんだから、ご主人様に愛想尽かされるんだよ!」

 言った瞬間、隼の顔が苦渋に歪む。

最後のは言わなくていい言葉だった。

「とにかく、開けることはできない。だが、開けさせることはできる」

「開けさせるだと?」

「そうだ。俺が考えるに、犠牲者はアプリのランキングによって決められている。各学年の一位が上学年から順番に消されていたんだ」

「しかし、もう一番下の学年までいっただろう?」

「じゃ、新しくランキングを作ればいい」

 隼は怪訝な表情で流を見た。

「今度は学年別じゃなくて、宮古学園全体のランキングを作るんだよ」

「それで上手くいくのか?」

「いく」

 そう言い切れる確信が流にはあった。

 犯人の目星は大体付いている。

「食いつかないわけがないさ。学園で一番美人って言われてる奴を、見逃すはずはない」

 『新しいランキングを作る』というところから、スマホを操作すると簡単にそれはできた。

 ランキング名は宮古学園で一番綺麗で美しい人ランキングである。

「あんた、次の休み時間に中等部回れ」

「・・・どういう意味だ」

「そのまんまの意味だよ。主人を助けたいんだろ」

 そう言うと、隼は渋々頷いた。

 チャイムが鳴る。

 一時間目の授業が終了した。


「おい、さっきのは何なんだ!?」

 隼の怒声が響く。

 二時間目、二人は屋上にいた。

「あんたを見せびらかした」

 しれっとした流の物言いに隼の眉間に皺が寄る。

 休み時間、隼は中等部の校舎内を歩いた。

 宮古学園は高等部と中等部の行き来が自由なので、誰も咎めはしない。

 が、目立つ。誰もが振り返ってしまう、その存在感。「めっちゃキレイな人や」と、皆が騒ぐ。

 しかし、誰も近づかない。

まさしく『飛び抜けた美しさは人を寄せ付けない』だ。

 「あの人、誰やろ?高等部の人やんな?」という声にそっと「高等部二年の白木隼」と伝えておく。

 一人だけで十分。後は、噂で名など知れ渡っていく。もしかすると、高等部に繋がりのある生徒なら、その名前を既に知っているかもしれない。「あの、高等部で噂の白木隼が中等部に来た」なんてツイートしようものなら、ほぼ中等部は制覇したと言っていい。

「見せびらかすだと!?それに何の意味がある!貴様、一体何を企んでいるんだ?」

 何も聞かされず歩き回されて、隼は大層立腹しているようだった。

「そう、怒るなよ。これもご主人様のためだろ。これぐらいの屈辱、甘んじて受け入れろ。それよりも、後ろ」

「後ろ?」

 隼が振り返った瞬間、流の手が伸びた。

「貴様っ!」

「あんた、本当に綺麗だよな」

 流の手には隼の髪紐が握られている。

「髪下ろしたら、もっといい。魅入られる」

 そう言って、スマホで写真を撮った。

「何の、つもりだ?」

 訝しげに、そして僅かな怖れを以て隼は問う。

「この写真をネットにばら撒けば、もっと票が集まると思う」

「まさか、俺のことか?」

「他に誰がいるんだよ。主従揃って自覚なしか?」

「だが、俺は男だぞ!?」

「そんなのは関係ない。飛び抜けて美しい花は誰が見たって美しいんだ。あんた、女も嫉妬するほどの美人だよ」

「貴様!」

隼が『人』の姿を解いて、流に短刀を向ける。

別に今のは愚弄したわけでも何でもなかったが、都合はいい。

「おいおい、そんなことしたら気づかれるだろ?」

 流が作ったランキングは思惑通り、白木隼が一位となっていた。

 後は、白木隼を消そうとする奴の登場を待つだけだ。

 今朝、隼が変化した。それで警戒して、続け様に生徒を襲ったのだとすれば。

 きっと、直に来る。

「『人』に戻っとけよ。妖怪のままだと来ないかもしれないだろうが」

 その言葉でやっと隼は全てを理解したようだった。

 隼が人の姿に戻る。すると、しばらく待つ必要もなくそれは現れた。

「行こうか」

 流の言葉に隼も息を飲むのが分かった。

 黒い影が隼を包み込んだ瞬間、流はその黒の靄へと飛び込んだ。

 歪んだ気は重くて湿っていて気持ちが悪い。

 吐き気を堪えて、長い道を潜っていく。

 糺さなくてはならない。

 そう思った。

 正しい流れに導きなおす、それが陰陽師の務めなのだから。



妖気が漂っている。

陰湿で、陰鬱な。

そして、悲嘆に満ちた、哀れな流れが。

「おい、陰陽師!」

影に呑まれたはずの隼は思いのほかピンピンしている。ここに流される直前に変化したのだろう。

「ここは一体・・・」

「宮古学園の体育館だ」

 隼の問いに答えると、流は中央へと歩み出た。

「そこか!」

 常備している札を出し、投げつける。

 瞬間、音を立てて結界が破れた。

 現れたのは、体育館の天井までありそうなほどの巨大な黒の塊。

 恐らくは、()か(・)の(・)怨霊。

 その怨霊に四人の少女達が埋まっている。

「玉零様!」

 隼が叫んだ。

 百花も確認できる。あとの二人は、昨日消えた小村春と、男子生徒との会話の最中に消えた井森千夏だろうか。

「玉零様を離せ!」

 隼が短刀を二本持って塊に飛びかかる。

 が、

「ちっ!」

 斬れない。

 黒い塊は気体か液体であるかのように、ぐにゃっと形を変えるだけで、傷一つつかなかった。

「だめだ。物理的な攻撃は効かない。術で何とかするしかないんだ」

「ならば、早く術を撃て!」

 隼は陰陽師と共闘するのは初めてらしかった。

 陰陽術のことを何も分かってはいない。

「悪いがそうなったら、百花達にまで危害が加わる。まずは、怨霊と引き離さないと、術は使えない」

 それを聞いた隼は「この役立たずが」という言葉を残して、怨霊に突進していった。

 しかし、飲み込まれた少女達に安易に近づくことはできなかった。黒い塊の傍へ寄ると、大きく身体をうねらせて、ますます少女達を内側へと引き込もうとしたのだ。

「おい、このままでは埒があかんぞ!?」

 もはや、少女達の身体の半分以上が見えなくなっている。

「玉零様だけでもお助けできればっ」

 隼は従者として自分本位なことを言ったわけではない。流自身も優先順位は玉零だと思っていた。

 二年前の東京で起こった怨霊事件。

 それを解決したのは流ということになっているが、本当は違う。

 玉零は共に倒したと言っていた。が、それも正しくはない。

 あれは、ほとんど玉零一人が片付けたようなものだった。それもあっさりと、軽快に、美しいと言っていいほどの太刀捌きを以てして、怨霊だけを見事に斬ってのけたのだ。

「考えがある。あんた、協力できるか?」

 静かに流は言った。

「内容次第だ」

「じゃ、聞け。俺が囮になる。軽い術で怨霊を挑発するから、あんたはその隙にシロオニを救出しろ」

 意外だというような面持ちで隼が目を丸くした。

「あの娘はいいのか?」

 気遣っているつもりか、単なる疑問か。隼はそんなことを聞く。

「勘違いするな、全員を助けるためだ。三人もいるんだぞ?こっちに気を引けるのは一度きりだと思え。時間を掛ければ完全に飲み込まれてしまうからな」

「それならなおさら―――」

「あとは、シロオニに託す。あいつならできるだろ。人がいても、怨霊だけを倒すことが」

 反論の声はなかった。それを合図と受け取って、流は札を取り出し一線を引く。

「水気!」

水の玉が現れ、怨霊に目掛けて飛んだ。

「水気・水霊・水精!」

続けて札を三枚取り出し投げつける。

「ウガアアアアアア」

 多少は効いているのだろうか、怨霊がうめき声を上げて流に向かってきた。

 その隙に隼が玉零の方へと飛ぶ。流の視界の端に、隼が玉零の腕を掴むのが見えた。

 直後、

「ウガ、ガガガガガガアアアア」

「何っ!」

 無数の手が怨霊の身体から出てきて、流は捉えられてしまった。

 咄嗟に切ろうとした印は間に合わず、流の身体は黒の塊の中に埋もれてしまう。

「くそっ。妖怪!シロオニは―――」

 言って、無駄だったのが分かった。

 隼が救出するはずだった玉零の顔が目の前に見えたからだ。

 もう、顔の半分と伸ばされた手以外は飲み込まれてしまっている。

 固く閉じられた目はピクリとも動かない。

「玉零様っ、玉零様!!」

 隼の叫び声が聞こえた。ひどく動揺しているようで声が裏返っている。一度掴んだはずの手を放してしまい、後悔しているのだろうが、耳触りだ。

「主人の名前を呼ぶことしかできないのか、あんたは。少し落ち着け」

 絡め取られた身体を見下ろしながら、流は慌てふためく隼に返した。

「落ち着いてられるかっ!貴様の方こそ何故そこまで冷静でいられる!?」

 隼は怨霊の手から逃れたようだ。体育館の端に移動し、数メートル距離を取って佇んでいる。

「職業病だと思ってくれればいい」

 陰陽師は、いつ何時も冷静でいなくてはならない。

 心に波があれば術は成功しないし、正しい判断も下せない。

「そんなことを言ってる場合か!?貴様の女はもう見えないぞ」

 だが、あまりにも感情が無いというのもいかがなものか。

「陰陽師!どうするんだ!」

 ああ、煩い。

「百花なら、ここにいるよ。手が出てるだろ」

 流の右隣に誰かの手。

 毎日見ていたから百花のものだと分かる。

 色がやけに白い。もしかすると、もう死んでいるのかもしれない。

「・・・貴様、それでもあの娘を愛しているのか」

 隼の問いに時間が止まったような感覚がした。でも実際は一秒の半分にも満たない時間だったと思う。

 流の答えは即答だったと言ってもいい。

「いいや」

 以前隼に聞かれた時のような躊躇は微塵もなかった。

 流にとって百花は大切な人に他ならないが、愛する者ではない。自分の犠牲である百花に対して申し訳なく思い、同時に感謝もしていたが、それは愛情とは程遠い。

 それ以前に、

「例え、心から愛している人だったとしても、俺はこんなものだよ」

 死の瀬戸際で喚いても仕方ない。

それは一種の教訓。

「玉零様に無礼を働くほどにあの娘を案じていたではないか」

 百花を囮にすると言い出して、玉零の胸倉を掴もうとした時のことだ。確かに、あの時は本気で怒っていた。

「助けられる命は助けたいと思うけど、助けられない命を思っても意味なんかないだろ」

あの頃は無事の範囲にいた百花も、もう危険なゾーンに入ってしまっている。

「助からないと思っているのか?」

かなり怒っていると思わせる、静かな声音が響いた。

「ああ。あんたのご主人様も早くしないとだめかもな。おい、そんな目で睨むなよ。心配しなくてもシロオニぐらいは助けてやれそうだ。普通の人間なら無理かもしれないが、元々妖怪なら大丈夫だろ。シロオニの手を掴んで術を発動させる。ゼロ距離だから、俺も五体満足じゃいられないかもしれないけど、死ぬよりマシだ」

隼は体を硬直させてそこから一歩も動かない。ただ、何も言わず流を睨みつけていた。その瞳の中に僅かな怖れの色が見えたのは気のせいだろうか。妖怪が人間を恐れるなど、有りはしないと思って、ふと考える。

あの目に睨まれたら凍死しそうだと、クラスメイトが言っていた。睨んでいるのは隼であって流は別段普通であるというのに。もしかすると、そんなにも冷たい目をしているのだろうか。

確か七年前の、あの雪山でも同じことを思ったことがある。

「冷たい、か」

思わず零れた言葉は隼の耳には聞こえてはいないようだった。

流は自分が立てた作戦通り、玉零の手へと腕を伸ばす。

 玉零の右手には包帯が巻かれていた。

 流を庇って負った傷だ。妖怪だというのに、まだ治っていないのかと、どうでもいいことが脳裏を掠めた。

 そして、手を握る。

 まだ温かいそれに安堵して、自分の判断が間違いではなかったことを確信した。

 一瞬、百花の笑顔が頭を過ったが、振り払う。

「助けられない命だって、あるんだよ」

 誰に聞かせるわけでもなくそう呟いて、玉零の手をなおのこときつく握りしめた。

 その時、僅かに、でも確かに玉零の手が握り返してきたのを流は掌で感じ取った。

「助けられないのと、助けないのは違う」

 凛とした声が流の耳に届く。

「シロオニ・・・意識が戻ったのか」

「ええ、お陰様で」

 見ると、包帯に血が滲んできていた。傷口が開いたらしい。

 それでも、流は手を解きはしなかった。

 助けられる命だけでも助けたかったからだ。

 しかし、玉零は諭すような口調で流を跳ね除けた。

「貴方、握る手を間違ってるわよ?」

―――助けられないのと、助けないのは違う。

玉零はそう言うが、もう百花の顔は見えない。

「間違ってない」

 流は断言すると、札を取り出した。すぐさま呪文を唱えようとしたが、「いいえ」と玉零に否定されて踏み止まる。

「貴方が掴まなきゃいけない手は貴方のすぐ横にある、百花の手よ」

 真摯な瞳が流を射る。だが、それでも流の心は変わらなかった。

「・・・百花は助からない」

 助からないなら、助けない。

 それは当たり前のことだ。

 それでも、玉零は引き下がらなかった。

「一度でも百花の手を握ったの?まだ温かいかもしれないじゃない。それに、例えその手が冷たくなっていたとしても、貴方にとってその手は、離すべきものじゃない」

随分と勝手なことを言ってくれる。「じゃあ、」と、流は玉零を見返した。

「意味があるって言うのか、あんたは。助からない命を救う意味が。言っとくけど、それは『否』だよ。死んだ者を守る意味なんてない」

 玉零の目が見開かれる。そして、とても悲しい顔をした。

「冷たいのね」

「何とでも言え。これが俺な―――」

「・・・どうして貴方は、そうまでして無理に心を凍らせているの?」

 罵られるのかと思った。

 憐れまれるのかと思った。


 いっそ、その方が良かった。


「なんで・・・」

 玉零は、ただ純粋に流を案じているようだった。

 心が冷たいのではなく、心を冷たくしていることを、瞬時に見抜いたのだ。

「愛しい子・・・」

 玉零が目を閉じて、流の手を自分の頬へと持っていく。

触れた肌は温かく、いかに自分の手が冷たくなっていたのかを悟った。

 もう片方で手にしていた札が滑り落ちていく。その開いた手で、百花の手を掴むと、懐かしい名を呼んだ。

「氷雨」

 玉零がこちらに顔を向けたようだったが、表情は分からない。視界がぼやけて鮮明に映らないのだ。

溢れた雫が迸る。

「氷雨!!」

 もう一度名を呼ぶと、途端に冷気が身体を包み込んだ。

 怨霊の雄叫びが鼓膜を振るわせる。

 黒の塊から放り出され、身体は自由になっていた。

「玉零様!御無事でっ」

 隼が駆け寄り、宙に浮いた玉零の身体をキャッチする。

 見誤ってはいない。流は掴んだ百花の手を引き寄せると、衝撃に備えてその身体を強く抱きしめた。

 床に叩きつけられ、数メートルは転がっただろうか。それでも、目立った外傷はなかった。ひんやりとした空気の膜が身体を覆っている。それに助けられたようだった。

「陰陽師、今のは・・・」

 鬼の姿に変化した玉零が驚いた様子で駆け寄ってくる。傍らの隼はもう一人の少女を抱えて立っていた。

「その子、大丈夫なのか?」

 玉零の問いには応えずに流は聞く。

「ええ、意識を失ってるだけよ」

「そっか・・・百花も無事だ」

 流の腕の中で、百花は穏やかな顔をして眠っていた。

 助かる命を助けないままになるところだったと思うと、胸が締め付けられる。それは、とてつもない大きな痛みとなり、流の全身を駆け抜けて行った。

「ずっと痛いでしょ?体についた傷なんて比べ物にならない。でも、今回のことで貴方が心を痛める必要なんてないのよ。全部私が悪いんだから。命に代えても守るって言ったのにね。ごめんなさい。百花を、そして貴方をこんな目に合わせてしまって」

 どうしてそんなにも傷ついた顔をするのか、流には分からなかった。

玉零は何も間違ってはいないというのに。むしろ間違えそうになったのは流の方だ。

その負い目までも背負ったような顔をして、玉零は敵を見据えた。

「さあ、どうしましょうか。陰陽師さん。できるなら、私に任せてほしいのだけど」

 これ以上流を危険な目に合わせないためか、そんなことを言う。

「いや、これぐらいの怨霊は俺でも―――」

「簡単に倒せる?でも、それじゃ、意味がないのよ」

 どういうことかと聞こうとして止める。

 玉零の目は、敵を見ていなかった。

「私の声が、貴女に届くと信じて話すわ」

 突然前に進み出て、怨霊に話しかけ始めた玉零を見送る。

 その瞳が物語る。怨霊を敵として見ていないと。

「佐々木美香さん。ねぇ、私の声が聞こえる?」

 怨霊の『人』の部分。それが、これほど膨れ上がった怨霊に残っているのかは疑問だが、玉零は声を掛けた。

 無駄なことはよせと割って入ろうかとも考えたが、あの隼すら黙って成り行きを見守っているのを目にして、止めることにしたのだった。

「貴女は今年の卒業式で答辞を読むはずだった宮古学園の女子生徒・・・そうよね?」

 そんなことをどこで知ったのか。玉零は怨霊の正体を一人目の犠牲者だと言う。

美人を妬む者の犯行だとは予想していた。しかし、それが一人目の犠牲者だというのか。

だって、犠牲者は皆―――

その疑問は玉零の話の続きで明らかになった。

「卒業式の二カ月前、貴女は交通事故で重傷を負った。命は取り留めたものの、顔は酷く損傷し、かつて美人だと持て囃された時の面影はなかった・・・。でも、体の方は順調に回復して、一か月後学校に行った。誰もが貴女を心配し、気遣ってくれたけど、貴女は見ちゃったのよね。アプリのランキングを」

 懐からスマートフォンを取り出し、画面を見せる。

 流の位置からは見えなかったが、玉零の説明でそれが何のランキングかは分かる。

――――宮古学園のブスランキング―――。

「酷いものよね。歪んでしまった貴女の顔を見た人達が、こんなランキングに貴女を祀り上げたんだから。今でも貴女の名前は殿堂入りのところに載っている」

 瞬間、怨霊から手が伸びた。

 それは、玉零の言葉に反応しているということを示していた。

()けろ!シロオニ!」

 咄嗟に叫んだ声に「避けない!」という強い声が返ってくる。

「私は、貴女を避けたりしない。貴女の苦痛に耳を閉ざしたりしない。貴女を助けることを、諦めたりしない!!」

 黒い手が無数に玉零を捉える。それをあろうことか、優しく握りしめて自身の頬に当てた。

「生き霊となって人を襲うのは辛いでしょ。もう、やめにしましょうよ。貴女がこれ以上心を痛める必要はない」

 はっとして、流はその言葉を聞いた。

 『生き霊』という言葉への驚きもあったが、そうじゃない。

 玉零にとって、『人』とは、それほどに大切な、愛すべきものなのだと察して・・・。

 百花を切り捨てようとした流も、怨霊となって人を襲う佐々木美香も、愛おしい子なのだろう。

 その罪を許してしまうほどに。

「あんたのご主人様って、何なんだ・・・」

 隣にいる従者への問い掛けは随分と弱々しい。

「貴様も知っていることだろう。・・・玉零様は、(はっ)()だ」

 これが、白鬼。

 人の盾となる、妖怪殺しの妖怪。

「佐々木美香!お願いだから、未来を生きて!」

 玉零の悲痛な叫びに苦悩しているのか、怨霊は攻撃を増して襲いかかってきた。

「まずい。このままじゃ、崩れ落ちるぞ」

 体育館が壊れ始める。否、彼女の作った闇の世界が壊れ始めているのか。

 どちらにしろ、早く脱出しなければならない。

「玉零様、もう限界です!」

 とうとう隼も口を出した。

 もう、潮時だろう。

「冬・北・羽・壬・癸・辰星に奉り、彼の悪鬼、怨霊を打ち祓わん!急々如律令!」

 呪文と共に懐から出した札を投げつける。

 寸でのところで隼が玉零を抱き抱えて、怨霊から遠ざかった。

「美香――!!」

 玉零は最後まで佐々木美香を案じていた。



 黒の塊は砕け散り、跡形も残ってはいない。

 代わりに三人の少女の死体が横たわっていた。

「高等部の被害者だな。どうする?」

「生まれた場所へと帰してあげましょう」

 その言葉を聞いて隼が三体の死体を担ぎ上げる。流は百花を抱え、玉零はもう一人の生存者、井森千夏を背負って、佐々木美香の作り出した世界を後にした。



実際、学校で男子達が美人とブスのランキング作っていたので、それを参考に笑

女としては嫌だけど、こっちはこっちで「あの人かっこいいー!」とか言ってたのでおあいこですね。

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