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零れた氷  作者: 哀ノ愛カ
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第一片

『氷』にちなんで、第一章ではなく第一片としています笑



第一片



 日が陰った。

さっきまで燦々と陽光が降り注いでいたというのに。


五月上旬、動けば汗ばむ季節となったとはいえ、まだまだ春だ。教室の片隅で座ったままだと少し肌寒い。窓から差し込む日の光を心地よいと思うのは、何も自分だけではなかろうと、神咲流(ながれ)は思った。

昼過ぎ、五時間目のホームルームで話し合われていたのは、来月に差し迫った修学旅行の案件だ。

流は今年高校二年生だが、流の通う宮古学園はそこそこの進学校なので、二年次の一学期に修学旅行を済ませてしまう。

修学旅行感ゼロだななどと思いながら、流はそれをどこ吹く風で聞き流していた。

日の光に包まれ、ポカポカと気持ちよくなってうたた寝をするほどに。

微睡みながら、窓の外を眺める。窓際後方の席だから、気にかける奴などいない。ただ、眼前には暖かな光があるだけだ。

しかし、それは突然に起こった。

どこからともなく雲が湧いて、光が遮られたのだ。

(日が、陰った)

そう意識すると、みるみる内に現実に引き戻され、流の耳には人の声がはっきりと届くまでになっていた。

「神咲君、なぁ、ちょっと聞いてるん?」

「え?」

目の前には学級委員長の女子生徒が立っている。

名前は知らない。

というより、クラス全員の名前と顔など覚えていない。流にとってさして記憶するほどのものではないからだ。

「だ、か、ら。修学旅行で何したいんか聞いてんの。町観光、登山、リンゴジャム作りとアウトドア体験の中から選んでって」

だが、全く記憶に残らないわけでもない。多少はクラスメイトのことを分かっているつもりだ。例えば、学級委員長が美人であることとか。

「な、何なん!?」

流がずっと顔を見つめていたのに動揺したようで、学級委員長はふいと目線を反らした。照れながら「早く!どれよ!」と言って回答を促す。

黒板を見ると、町観光が十五、登山が十六、林檎ジャム作り&アウトドア体験が八だった。

「町観光」

流は迷いなく答えた。

登山を支持する生徒達が「えー」と言って騒ぎ出す。

「じゃぁ、町観光と登山の二択でもう一回採決取ろか」

学級委員長は騒ぐ皆を宥めながら、壇上へと戻っていった。

「気のせいか」

前で再度採決を取り始めた学級委員長を見つめながら呟く。

美人だと思っていた学級委員長は、よく見るとそれほどでもなかった。


結果は、二票差で町観光になった。流は心の中だけでほっと息をつく。

「信州いえば登山やろ!」と、一人の男子生徒がごて出したが、後の祭りだ。結果はもう出てしまっている。

ざわつく教室から逃避するように、流はまた窓の外に目をやった。

曇り具合は先ほどよりかは和らいでいた。雲の隙間から僅かに光が漏れている。


『流、よう聞け。この世はな、光と闇で出来とる。両者は交わることはない。だが、離れることもない。お前は暗闇が怖いというが、何も恐れる必要はないんじゃ。光と闇は表裏一体。闇だけであることなど有り得んのじゃから』

昔、夜中にトイレに行くのが怖いと言って義理の祖父に泣きついたことがある。

外の景色を眺めながら、その時祖父に言われた言葉を唐突に思い出した。

『だがな、注意はせねばならんぞ。いつも光と闇が同じ動きをするとは限らん。表裏一体とは言え、あくまでも光は光、闇は闇なのじゃから。陰と陽の流れに常に気を配れ。流れが変われば、それは、何かが起こっておる証拠じゃ。正しい流れに導き直す、それがわしらの務めぞ』

どうして今、そんなことを思い出したのか。

流は不思議な気持ちで、思考を巡らした。

陰と陽の流れが変わる時、何かが起こるだなんて。

それをどうにかするのが俺達の務めだなんて。

夜中にトイレに行けない子供への説法が、いつの間に家業に対する説教になってんだと、今なら憤れる流だが、その時はまだ幼く、祖父の言葉の意味は全くと言っていいほど分かってはいなかった。

そして、今も半分も理解はできていない。

陰陽師。

ただ悪霊を退治する生業に、流れがどう関係するというのだろうか。

確かに陰陽五行説に則った術で滅するのだが、今まで陰と陽の流れを感じ取ったことはない。

祖父は何を言いたかったのか。悪霊が闇=陰で陰陽師が光=陽だと、悪霊を退治することが正しい流れに導いていることなのだと、ただそれだけを言いたかったのだろうか。

分からない。

今となっては、直接本人に聞くこともできない。

故人となってしまった今では。


流の祖父、正確には義理の祖父、隅田隆剴(りゅうがい)が他界したのは今から八年前のことだ。流は当時九歳で、初めて人の死というものを体験した。

そして、その一年後にあのおぞましい事件が起こったのだ。


信州。北アルプス。燕岳の麓にて。

凍てついた身体が、ただの肉の塊だと気づくのに、時間はかからなかった。

育ての親である隅田隆馬(りゅうま)と妻の()()は変わり果てた姿で発見された。

義兄の怒号が頭に響く。

お前が殺したんだと罵られ、流は辺りの妖怪を根こそぎ滅した。

その時、無意識に使った術式は、神咲の者にしか使えないものだったそうで。

何処からともなく、それが陰陽京総会の知るところとなり、気づけば隅田流は神咲流になっていた。


神咲家前当主、神咲龍子。

流の母である彼女は余命幾何もない男と駆け落ちし、消息を絶った。

どういう経緯でそうなったのかは不明だが、隅田家当主、隅田隆剴は龍子の子、すなわち流を引き取ったのだ。

もちろん、神咲家の子と知って。

だが、それを隆剴は隠していた。流も京都に連れてこられて初めて自分の出自を知らされた。

呪われ穢れ、周りから忌み嫌われた血筋の者であるということを。

隆剴が隠したかったのも、無理はない。

神咲の者がどうやってその血を繋いできたかを考えれば。

神咲家は鎌倉時代から続く由緒ある陰陽家だ。二代陰陽家として名高い賀茂家に弟子入りした神咲光流(みつる)が開祖だったと伝えられている。

それが室町中期、応仁の世に呪いを受けた。

子を残せぬ呪いを。

そして、呪いを受けた張本人、神咲光宣(みつのぶ)はその命を以て種を残す術を編み出した。

代々男は子を成す役目を終えれば死ぬ宿命。

世継ぎが女だった時には相手の男の命を元手に子を産んだ。

男の当主である時は一人しか子を残せないが、女ならば男に代えがきく。いくらでも神咲の血を継いだ子を産めると、昔はこれ幸いに女当主は何人もの男と関係を持たされたそうだ。

しかし、そんな方法で家の繁栄は望めない。

龍子の大分前の代からいつ断絶してもおかしくない状態だったらしい。

そして龍子は余命のない男と恋に落ちた。

本来ならここで血筋は絶えるところだが、あろうことか龍子は愛した男の僅かな命を糧に子を身籠り、そして自分の命を息子に与えて死んだのだ。

隅田隆剴は、神咲家は滅ぶべきだと考えていたに違いないと流は思う。

自分を手元に置き、神咲家の者であることを隠すことで、呪われた血筋を絶とうとしたのだろうと。

それが何の因果か、流は神咲家当主となってしまった。

今の流に子を残すつもりはない。が、この先どうなるかは分からない。確実な未来などないのだから。


「じゃ、これでみんないいよな?って…なぁ、ちょっと聞いてる?神咲君!!あんたのことやで!」

思考が途切れる。いきなり名指しで呼ばれ、流の身体が跳ねた。先ほども思ったが、学級委員長は流に対して遠慮がない。そんな

物言いをされるのは家以外ではあまりないことで、驚きを隠せなかった。

「あのさ、話聞いてた?これで二回目やねんけど」

「ごめん、聞いてなかった」

学級委員長は大きな溜息を吐いて、馬鹿丁寧に説明を始めた。

「町観光と登山が僅差だったので、荒井くんから提案がありました。一日目に町観光をして二日目に登山にしたらどうでしょう、ということです。他のみんなはそれでいいということになっていますが、神咲君はどうですか?」

荒井・・・あの、お生際悪くごててた奴のことかと、心の中で舌打ちした。折衷案を出せるような頭の持ち主には見えなかったが。

だったらと、流は素朴な疑問をぶつけた。

「修学旅行は三日間だろ?じゃあ、三日目は何すんだよ。林檎ジャム作りとアウトドア体験か?これ、初めから多数決取る必要性あったのかよ」

 流の言葉に教室がざわつく。

「ひっどー」

「文句あんなら修学旅行行かんかったらええやろ」

「宮根さんかわいそー」

「せっかくみんなの意見まとめてくれやったのに」

 小さい声。されど、流の耳には確かに聞こえる非難の声。

「まあまあ、みんな静かに。これじゃ、三日目どうするって話になるのは確かやし。神咲君の意見にも一理あるで」

 学級委員長はみんなを宥め、流の肩を持った。

 それを、流は意外に思い、まじまじと学級委員長の顔を見る。

 美人ではないが、きりっとした顔立ち。いかにも責任感が強そうで、ついでに気もきつそうだった。

他の生徒とは違い、流に物怖じせず話してくる理由も分かる気がする。

「あ、じゃあさ!」

 その時、陽気な声が教室に響いた。

 荒井だ。

「この際、本格的な登山にしたらええやん!一日目は町観光にするとして、二日目と三日目を登山にすんねん。大雪山から白馬三山の一泊二日コースってどうよ?な?な!」

 ふざけるなと叫びたい気持ちをぐっと堪えながら、是が非でも登山推進者の荒井を睨んだ。

修学旅行というだけで気が滅入る。しかもその行き先が信州など嫌がらせの何物でもないというのに。

「白馬岳は日本最大の雪渓やし、絶対テンション上がるって!なあ、どうや?」

 荒井は満面の笑みでみんなに問い掛ける。

どうしてそんなにも楽しそうなのか不思議でならない。皆が自分の意見に賛同してくれるとでも思っているのか。

修学旅行の大半を登山に費やすなど正気の沙汰じゃない。きっと、誰もが嫌がるはずだ。

しかし、そう思っていた流の予想は大きく外れた。

「いいやん!」

「山で泊るとか面白そう!」

「他のクラスとは違っていいんちゃうん?なかなかないで、こんな修学旅行。宮古学園やからできることやしな」

 『自由』・・・たったそれだけの校訓を持つ学校も珍しい。

 私立宮古学園は何よりも生徒の自由を尊重し、修学旅行もクラスごとに内容を決めるのが通例となっている。

 まず、四月の段階で大まかな行き先を決定し、五月上旬に詳細な旅行計画を立てる。

 春先、家のことで手がいっぱいだった流は、始業式が終わってからほとんど学校に行っていなかった。修学旅行の行き先を決める日も休んでおり、知らない間に信州に決定していたのである。

 例えその日、学校に行っていたとしても結果は同じだったと諦めて、今日まできた。

 集団の大きな流れを自分一人でどうにかできるとは思わない。

 だが、たった一人の言葉で状況が変わる。

 そんな事態を目の当たりにして、流の心は穏やかではなかった。


授業終わりのチャイムが鳴る。

本当に何の因果かと、流は舌打ちした。

隣の席のクラスメイトが怯えたように席を離れる。

「やっぱ、あいつヤバいわ。修学旅行の班一緒やなくて良かったー」

「そんなん言うたんなや。でもまぁ、確かにな。目つきが恐いわな」

「そうそう、あの目に睨まれたら凍死しそうや」

「ちょ、お前、言い過ぎ。でもウけるわそれ」

「おい、アホ!声でかい。聞こえるやろが。報復とかされたらどないしてくれんねん」

「あっと・・・ごめん」

ひそひそと耳障りな、心ない言葉が流の耳を射抜く。

でもそんなことは慣れっこで、構いはしなかった。ただ、気掛かりなのは、あのおぞましい事件が起こった場所へまた足を運ばなければならないという、その一点に尽きる。


いつの間にだろうか。空には暗雲が立ち込め、降り出した雨が窓ガラスを打ち付けていた。

祖父の言葉を思い返す。

陰と陽の流れが変わるとは、もしかすると、こういうことを言うのかもしれない。

流は胸中苦い思いをしながら、祖父の忠告を反芻した。

「何かが起こっている証拠、か」

 その時、

「おい」

 突然声を掛けられ身体が跳ねる。

 独り言を聞かれたかもしれないという恥ずかしさ以前に、目の前にいる長身の男の迫力に圧倒されて、咄嗟の言葉が出てこなかった。

「今日、当番だろうが。女共が困っている」

 何事かと思ったが、今日自分が日直であったことを思い出す。

 視線を向けると、黒板の前で掃除当番の女子生徒がびくびくした面持ちでこちらを見ていた。

 これが、当たり前の反応だ。

 怯え、嘲笑、嫌悪、拒絶。流に対してそれ以外の態度を取る人間は少ない。学校では、ほぼ皆無だ。たったさっき、学級委員長は例外中の例外だと判明したが。

 しかし、読めないのが一人いる。

「早く行け」

掃除当番の女子生徒たちに頼まれて催促してきたらしいそいつは、臆することなく言い放った。

 黒板を消す時にチョークの粉が落ちる。だから、黒板を消した後でないと、掃除ができないのだ。

 流は立ち上がると、黒板を消しに行った。

 後ろで「ありがとう、白木君」という女子の黄色い声が聞こえる。

白木隼。

流がクラスメイトで唯一フルネームで覚えている生徒。

そして、何を考えているのか分からない、読めない人間。


白木は珍しくも二年からの編入生である。そして、始業式から目立っていた。

まずは、とにかく背が高い。といってもスポーツ選手のような大柄な体型ではなく、どちらかと言えば細身だ。それでいて、肩まではあるだろう茶色の髪を後ろでまとめているものだから、遠目からだと女のようにも見える。その中性的な感じがいいらしい。顔も役者のように綺麗で、女子に限らず男子からの人気も高い。

だから、白木は始業式から一カ月足らずで校内一噂される時の人になっていた。そういう理由で、流が白木隼を『白木隼』として覚えたのは不可抗力と言える。モデルみたいだと持て囃され、その名前を聞かない日はない。本人はどう思っているかは知らないが、友達を語る者も多い。普段遠巻きに見ている大人しい女子ですら、頼み事ができるほどに、人付き合いができている。

だが、流はそれに対して違和感を覚えずにはいられなかった。

普通なら、一九〇近い男にそうそう親しみを感じはしない。寄って来られれば多少は恐怖する。性格が丸いならまだしも、白木の言葉遣いと仏頂面は酷いもので、容姿がどうあれ敬遠されるのが落ちだ。威圧感の塊のような男だというのに、怖がられているのは白木隼ではなく、神咲流だった。

隼が自分と同じくクラスで浮いた存在になっていないのが不思議でならない。そんなことを思いつつ、流は黒板を消していく。


 ふと、窓の外を見ると、青い空が顔を覗かせていた。しかし、通り雨が過ぎても、流の心は晴れそうになかった。


疎外感と、退屈な高校生活。

それでいいなどと、強がってみせているわけではないが。

ただ、許されないのだと言い聞かす。


 不毛な日々に飲み込まれそうになる自分を叱咤して、黒板を消し終わった流はカバンを背負い、教室を出た。



修学旅行が北アルプスの登山に決定したなんて、どう報告すれば良いのだろう。

 下校途中、流の頭はそのことでいっぱいだった。

 できれば言いたくないが、家に帰ればそうもいかない。

困り果て、もう何度も通りを往復している。

しかし、こんなところを知っている奴に見られでもしたら事だ。でなくても、流は嫌われ者だというのに、どんな噂を流されるか分からない。

とりあえず、腰を落ち着ける場所がないかと辺りを見渡す。

そして、京都の景観に合わすには無理のあるロゴを発見した。世界的に有名なファストフード店だ。

同じ高校の生徒もいそうだが、他に良さそうなところもないので、そこに決めた。

交差点の向かい側にあるので、信号を待つ。

青になったのを確認し、歩き出そうとした時、ポケットに入っていたスマートフォンのバイブが鳴り、足が止まった。

表示を見た瞬間、流の身体が固まる。

出るか、放っておくか。その二択が頭を覆い、逡巡しているうち

に、信号が赤に変わるのが見えた。

逃げられない。

そう思った。

「よお。元気にしてるか」

 出ると、人をからかったような、見下したような、冷やかな声が聞こえてきた。

「別に」

 短くそう答えると、電話の相手は何がおかしいのか喉の奥で笑いながら「エリカ様かよ」と言う。

 冗談を言い交わす仲でもないというのに。

 不機嫌さを殺して、流は用件を促した。

「何の用?」

「おいおい、何の用ってことはねぇだろ。兄に向って」

 兄・・・それこそ冗談だ。

 隅田隆世(りゅうせい)

 隅田家現当主にして、かつて流の兄だった人物だ。

 あの雪山での事件以来、ほとんど会ってはいない。修復不可能なほどに(こじ)れてしまっているから、お互い会いたくもない、というのが本音だろう。

 当時、隆世は中学一年生だった。祖父も父もいない家を守るために、若干十三歳で家督を継いだ。

 昔は優しかった・・・ように思う。歪んでしまったのは、自分も同じだが、隆世ほどではない。

「兄と呼んでいいのかよ、俺が」

「はっ。調子に乗るなよ。法がなけりゃ、殺してる」

 一転して、声音が変わった。さすがに慣れたと思っていた流も、臓が冷える。

「分かってるよ。で、隅田家の当主様が、何用だ」

 何とかやり過ごし、平静を装った。

「それより、お前。もうすぐ修学旅行だってな。中学の時は散々だったみてぇだから、今度は楽しめよ」

 中学三年の春。

東京方面の修学旅行。

怨霊と白い鬼。

嫌なことを思い出して、気分が悪くなった。

 はぐらかすな、それを言うためにわざわざ電話を寄こしたんじゃないだろと、苛立ちのあまり喉まで出かかった言葉を何とか飲み下す。

 無言を貫くと、やっと本題に入る気になってくれたようだった。

「ちぃと、ひろおみが気になることを言ってたからな。忠告だ」

 正確には明臣と書いて『ひろみ』と読む。女のような名前だと言って隆世は嫌い、『ひろおみ』と呼んでいる。

姓は土御門。かの有名な安倍晴明の子孫の家系である。

しかし、昭和の大戦で晴明の血を引くとされる者はいなくなった。今の土御門家は紛いものだ。陰陽術を使える者などいはしない。実質の業務は全て隅田家が担当している。

だが、権力は未だ健在だ。大昔から変わらず政財界と癒着しているのだから。

隅田家が食われずに済んだのは一重に隆世のおかげだろう。そして、その後見人となった土御門明臣の賜物と言える。

「気になることって?何か不吉な相でも出たか?」

 明臣の占いはよく当たる。噂によると、占いでかなり稼いでいるらしい。

「はあ?あいつの占いはインチキだ。信じる方が馬鹿じゃねぇか」

 そんなことは流も知っている。明臣の優れている点は、陰陽術ではなく話術だ。

随分とはぐらかされた仕返しのつもりだったが、相変わらずこちらの冗談は通じない。元来真面目な人だったからと、少し胸が痛んだ。

「北の方に良い噂を聞かない。注意しろ」

 明臣が何らかの情報を掴んだのだろう。陰陽師でもないのに、どこから仕入れてくるのかは分からないが、この手の情報は早い。

 気配で、隆世が電話を切ろうとしているのが分かった。詳細な情報を教える気はないらしい。いつものことなので気にはしないが、まだ用は終わっていない。

 こちらの用が。

「待て」

 自分でも珍しく、考える前に口が動いていた

「どうせ、百花にはバレるから、今言っておく」

隆世はまだ電話を切っていない。こちらの言葉を待っているようだった。

「修学旅行、信州の登山に決まった」

 言い終わるや否や、電話は切れた。

 高校の修学旅行も散々なものになりそうだな、と言ってくれればどんなに心が晴れたか。

 だが、そんな冗談を隆世が言うはずない。

親を失ったあの山に。

親を奪った流に。

何の感情も抱かないほど、隆世はまだ吹っ切れてはいないのだ。

 そしてそれは、流も同じだった。



 家に帰ると、賑やかな面々が居間を占拠していた。

「あ、流君帰って来た!」

「流、今日遅くなかったか?」

「流君かて、寄り道することもあるよ」

 玉無(たまな)六姉妹の長女、扇、四女、楓、五女、優衣がテレビを見ながら寛いでいる。

流の母、龍子が家を出てから、神咲家の屋敷は同じく陰陽京総会所属の玉無家のものとなった。隣近所だった両家を隔てる塀を壊し、新たに平屋を建てたらしい。蔵や離れは昔のままだが、随分と古く、正直住みようがないので、流は玉無の人達と一つ屋根の下で暮らしているのだ。

玉無家は母と六人の娘がいるらしいが、現在の同居人は六姉妹のうちの長女、四女、五女だけである。

 長女扇は現在二十七歳。長年各地で怨霊退治をしていたが、次期当主ということから、二年前、婚活のため実家に帰ってきた。それまでも週に一回のペースで帰省していたので、流が京都に移り住んだ頃からの顔なじみである。

 四女楓は十九歳。枕が変わると寝られないという理由で、実家に居座っているが、彼女ほど無頓着な人もいないだろう。一度流は楓の部屋を見たことがあるが、ベッドが見当たらないほどの惨状だった。

五女優衣は流の一つ上で、京都市内の公立高校に通う高校三年生である。おっちょこちょいでドジ。明らかに陰陽師には向いていないが、卒業後の進路は家業を継ぐことに決めているそうだ。


 七年前に京都に来てからというものの、本当によくしてもらった。

 本物の家族のように流を受け入れてくれた玉無家の人達には感謝している。

 が、流にも一人になりたい時がある。


隆世とのやり取りで精神的に消耗しきっていた流は何も言わずに三人を素通りしようとした。

「おい、流。お前、何しかとしてんねん」

「扇さん・・・俺、今疲れてて」

「ああ!?ただいまも言えんほど、疲れるて、どういうこっちゃ。どうせ学校行ったって寝とっただけのくせに!」

 扇は肩を掴んで捲し立てた。至近距離で責められ、さすがにたじろぐ。扇の勢いもそうだが、人より大きいであろう胸が身体に当たって何とも居心地が悪い。

「ごめん、流君。兄貴、今日ちょっとあって」

 見かねて仲裁に入ったのは楓だ。優衣はその後ろでわたわたとしている。

 扇がいつも以上に絡んでくる理由に心当たりがないわけではない。本来なら気遣うべきなのだろうが、今の流にそんな余裕はなかった。

「いや、あの、すみません・・・ただいま、です」

早く解放されたくて、とりあえず謝る。すると、「堂々とせぇや!それでも男か!」と殴られた。

理不尽だと思う。

だが、扇の事情を知っている流には何も言えない。

「ごめんやで、流君。扇兄ちゃん。またお見合いあかんかってん」

 いつの間にか救急箱を取って戻ってきた優衣が手当てをしながら流の耳元で事情を説明した。

(やっぱりか)

「扇兄貴!流君にあたるやなんて、みっともないで!それこそ男とちゃうんとちゃうか」

 楓にきつく諌められ、扇は力が抜けたようにどかっとその場に座り込んだ。

「せやかって・・・俺、女やんか」

 俯くと長い髪で顔が覆われて表情は見えない。だが、泣いているのだろうとその場の誰もが思ったに違いなかった。


 玉無家の事情は複雑を極めている。

 扇は本来男だ。

 だから、妹達に兄と呼ばれる。


 神咲家に限らず、京都の陰陽家は少なからず呪いを受けている。玉無家もその一つだ。江戸時代までは王無を名乗っていたこの家も、江戸末期に呪いを受け、男が生まれなくなった。

『だから玉無に変えたんやて。生まれてきた子供が皆玉無しやから』

京都に来た当初、扇はそう言って笑っていた。が、その心中はいかほどのものだっただろうか。

女しか生まれなくなったわけではない。

男が、女で生まれてくるようになったところに、この呪いの本質はある。

扇の心は男そのもの。体との矛盾を受け入れろと言われても無理がある。だが、それを玉無の歴代当主は強いられてきた。

当主は性別関係なく通常長子が継ぎ、『扇』の名を拝命する。戦後からは最初に生まれた子供を『扇』と名付けるのが通例となっているらしい。そうして、当主は世継ぎを産む。当主が本来男か女かという考慮を一切せずに。

運よく玉無家現当主『扇』は女だった。だから、六人もの子を産んでいる。が、次期当主『扇』は男だ。


「俺、やっぱ無理や。男と結婚なんて・・・俺にそんな趣味ないっちゅうねん!!」

 泣き言を言いながら、楓にしがみつく扇を見て、流も同情せざるを得ない。

「やから、兄貴は何もせんでええって言ってるやんか。うちが結婚するから、もうちょっと待ってて」

 楓も泣きそうな声でそう言った。


 楓が実家に居座る理由は他でもなく扇のためだ。


 現当主扇は京だけを守る陰陽師というものに反発し、各地を飛び回っている。娘達にも高校卒業と同時に京都を出るように言いつけているそうだ。

二年前、後継ぎとして半強制的に扇が家に戻された時、楓はその年に高校を卒業し、家を出ることになっていたが、母に頼んで家に留まれるようにした。

 全ては、姉・・・否、兄の扇のためである。自分が結婚して子を産めば、世継ぎを産むという当主の役目から扇を解放する約束を母親と取り交わしたらしい。

 だが、楓の男運は凄まじく悪かった。元来の性格も災いして、未だに彼氏の一人もできやしない。長いと邪魔だと言って髪は男のように短いし、化粧っ気もない。無理しておしゃれをしたところで、無頓着な性格ではぼろが出るので、周りは仕方ないと諦めている。

 見かねた扇が婚活を始めるのも時間の問題だった。


「せやかて、お前一向に男できひんやんか。まだ、優衣の方が見込みあるわ!」

 三十歳になるまでに世継ぎを産めという現当主からの御達しがある。扇に残された期限はあと三年。優衣は今年十八歳なので二十一までに結婚しようと思えば可能だろうが。

「ごめん。扇お兄ちゃん」

 ぽそりと、優衣は呟いた。

「いいや。俺が悪かった。優衣には優衣の人生があるもんな」

 優衣に思い人がいるらしいことは流にも薄々分かっていた。それが、叶いそうにない恋であるということも。

 傷心の妹に結婚を促すのは兄としても気が引けるのだろう。扇は無理に笑って立ち上がった。

「よっしゃ、次の見合いや!」

「せやから、うちが―――」

「楓はもういい。お前あかんわ。たぶん一生独身やと思う」

「そんなことあらへんよ!」

「はいはい」

 二人が言い争い、優衣が笑う。

 そして三人で笑い出した。

 一人になりたいと思っていた流の気分も少し晴れた。


「ただいま戻りました」

 軽やかで、涼やかな、少女の声が耳に届く。

 てっきり自室にいるのだろうと思っていた人物は、流よりも遅い帰宅だった。

「おかえり、百花ちゃん」

「百花も今日は遅かったな」

「すみません。今日はお友達とおしゃべりしてて。私も、ということは流兄様も遅かったのですか?」

 流の方を向いて百花は問いかけた。

「そうそう、流君も寄り道してたみたいで、ついさっき帰って来たところなんよ」

 何故か代わりに優衣が答え「ね!」と言って、流に微笑む。

「まあ、そうですの。流兄様もお友達とお話してたのかしら?」

 これは嫌味ではない。

 百花は流の交友関係を知らないのである。七年も離れて暮らしていたのだから、当然と言えば当然だ。


 百花は流と同じ宮古学園の中等部に通う、中学一年生である。入学に伴い今年から京都の玉無・神咲家邸に引っ越してきた。

姓は隅田。隅田隆世の実の妹であり、流の婚約者でもある。

生まれた時から祖父隆凱にその役目を任じられ、流自身小さい時から百花と結婚するよう言い聞かされてきた。

しかし、あんなことが起こっては。

当然破棄されたものと思っていた流だったが、二年前の修学旅行で東京を訪れた時に、未だに二人が婚約関係にあることを隆世から告げられた。「祖父の遺言だからな」と言われて納得できるものではない。が、隆世は一歩たりとも引かなかった。

そして、今年の春に妹を京都に寄こしてきた。四月の始め、流が学校にほとんど行けなかった理由はそこにある。

まず、勝手に事を進めようとした隆世との間で一悶着あった。結局、百花の京都行きは決行されることになったのだが、それが正式に決まったのは四月に入ってからのことで、学校の入学の準備やら陰陽京総会への承諾やらで忙しく、学校に行ける状態ではなかったのだ。

ともあれ、来てしまったものは仕方ない。

百花とは実に七年ぶりの再会だった。

七年前と言えば、百花は五歳。流のことなど記憶にあるか無いかのレベルだ。にも拘わらず、百花はほとんど初対面の男に対して顔を綻ばせ、こう言ったのだ。

『やっと私の婚約者様にお会いできましたわ。これからずっと、貴方だけをお慕いします』

 泣いて喜んでいた。それが演技だと疑うほど流の心は汚れていなかったので、余計に心が傷んだ。「俺と結婚したら君は母親にはなれない」と言った時、百花は「貴方と共にあるだけでいい」と応えた。

一瞬の躊躇もなかった。

恥ずかしげもなく、大好きだと百花は言う。でもそれは、自分だけではダメだから、好きになってもらえるように頑張るとも。

会ってすぐに何故そこまで言えるのかは分からない。だが、百花の心は本物だった。

 神咲家を終わらせるために生まれてきた女の子。

言わばそれは犠牲。

隆凱のしたことは決して賛美できることではないが、必ずしも悲劇で終わるとは限らないのかもしれない。少なくとも百花は流を心から慕っているのだから。


「百花、流のアホのことはどうでもええから、はよ中に入り」

 扇に促された百花が、一瞬黙る。

 そして、遠慮がちに口を開いた。

「あ、あの。今、さっき言ってたお友達連れて来てて。もし、迷惑でなければ、お家に入れてもいいですか?」

 明日、修学旅行の内容を決めるらしいと、うっかり百花に漏らしてしまったのは昨日の晩のことだ。「帰ったら、お話聞かせてくださいね」と言われていた流は正直面食らった。

 懸念事項が引き延ばされたのは果たして良いことなのか、悪いことなのか。

 何にせよ、百花が友達と上手くやっていることは、喜ばしいことだった。

不安そうに皆の顔を窺う百花の肩を扇がバンバンと叩く。

「ええに決まってるやろ」

 居候の身なので、何かにつけて百花はお伺いを立てる。ここに来て一カ月。もう慣れてもいい頃だとは思うが、それが百花の性分なのだろう。

扇の言葉に百花の顔がぱっと晴れやかになった。

 流にとって百花の笑顔は何よりも嬉しい。自然と口元が緩む。

「良かった。じゃあ、私のお友達紹介しますね。ほら、零ちゃん。こっちに来て」

 百花に呼ばれて、小柄な女の子が玄関へと歩み寄ってきた。皆の前まで来ると「こんにちは」と小さく会釈し、にこっと微笑む。

 その姿に流はデジャブを覚えた。

「白木零ちゃんです。同じクラスなの」

「へえ~同じクラスに。B組やっけ?豊富やなあ」

「確かに・・・優衣のとこは優衣も含めてさっぱりやもんな」

「それ、どういう意味。楓お姉ちゃん」

 百花は小首を傾げながら、同居人の紹介を始める。

「こちらから玉無扇さん、楓さん、優衣さん。そして彼が先ほどお話した神咲流さんよ」

紹介されて、百花の友達だという少女と目が合った。

瞬間、流の記憶が二年前の春にフラッシュバックする。

「どうかされましたか」

 百花の友達として紹介された少女が問う。

「い、いや」 

 どんなに否定しても、その容姿、その声には覚えがあり過ぎて、動悸が治まらない。

「そうですか?では、はじめまして。お兄さん。白木零です」

差し出された手を握り返そうとしたが、寸でのところでピタッと止まった。

「流兄様?」

「おい、どうしたんや、流」

「流君?」

 自分を気遣う皆の声が遠い。

 鼓動の音ばかりが耳につく。

 とうとう立っていられなくなり、流は床にしゃがみ込んだ。

「流兄様!」

「流!」

「流君!」

 騒ぎ出すみんなを手で制す。

 何でもないと言いたいが、声は出なかった。

「今日のところは、失礼させてもらった方がいいみたいですね。百花ちゃん、お兄さんをお大事に」

 そんな中、一人だけ妙に落ち着いた声で『白木零』と名乗る少女はそう言った。

「え、ああ・・・うん。ごめんなさい」

「いいよいいよ。じゃ、またね・・・お兄さん、本当にお大事になさってくださいね」

 中腰になった零が、流の顔を覗く。

 耳元で囁いた後、にこっと微笑んで立ち上がった。

「それでは失礼します」

百花が連れて来た客は深くお辞儀をして帰っていった。


「なあ、本間にどうしたんや流。疲れた言うてたけど、熱でもあるんとちゃうか?」

「ちょっと横になった方がいいんやない?」

「もしかして兄貴が殴った時に・・・」

 楓の言葉に、百花の表情が変わる。

「それ、どういうことですか!?」

 百花が珍しく大きな声を出した。

「大丈夫。ちょっと立ち眩みしただけ」

騒ぎが大事になりそうだったので、流は慌てて弁明した。何事もなかったかのように立ち上がって、「ごめん、百花」と謝る。

「何で謝るんですか?」

「友達、帰しちゃって」

「そんなの・・・」

 泣きそうになる百花の頭を撫でて、流は小さく笑った。

「友達も大切だろ?あの子、こっちで初めてできた友達か?」

「はい・・・クラスで一番の親友です」

 目元を赤くしながら、百花は言った。

「そっか」

 それを聞いて心中穏やかではなかった。


 流は扇達に百花のことを頼むと、しばらく休みたいと言って自室に籠った。

 部屋に結界を張って、外に音が漏れないようにする。

 準備は整った。

 意を決して、流はスマホを取り出すと電話を掛けた。

「何だよ」

 何度目かのコールで出た相手は不機嫌極まりないようだった。

「白い鬼のことについて教えてほしい」

「何でだよ」

 今にも電話を切りそうな気配に、流は捲し立てる。

「百花に関わることだ。教えてくれ。さっき、百花が学校の友達を家に連れて来た。白木零と名乗っているみたいだが、あれは妖怪だ。二年前に東京で見た、あの白い鬼だよ。間違いない。あの時の鬼だ」

 一気に話して、相手の出方を窺う。

「分かった。話す。そっちに行くから、人払いしとけ」

 妹に関わることだと知って、さすがの隆世も折れたらしい。

 流は電話を切ると、懐にしまっていた人型の札を取り出した。自分の目の前に置いて、しばらく待つ。

 すると、式神の形が変わった。いや、式神を置いたところに突如として現れた(・・・)と言うべきか。

『こうやって、話すのは久しぶりか』

 流にしてみれば何ともいたたまれない。

 眼前には隆世がいる。

「式神を通して話すのは初めてだろ」

『生身で対峙しているのと大差はねぇよ』

 自身の能力にケチをつけられたとでも思ったのか、隆世の眉間に皺が寄る。

 そんなところまでがリアルだ。

 式神使いの天才。

 隅田隆世の二つ名である。

 自身さえも式神化する。こんな真似ができるのは、業界では隆世以外にはいない。交信手段として式神を使うのはよくあるが、隆世はこの状態で実戦もできる。

 だから今、隆世は流を殺すことだってできるのだ。

「で、白い鬼って一体何なんだよ」

 緊張感から、冷や汗が出る。こめかみを伝う雫を拭いながら流は聞いた。

 二年前に東京で遭遇した白い鬼について。

 隆世は「暇だったら調べておいてやる」と言っていた。その後、それに関して何の音沙汰もなかったが、真面目な隆世のことだから、一応は調べてあると流は踏んでいる。

『ハッキ』

 ややあって、隆世はそう言った。

『白い鬼と書いて(はっ)()。そのまんまだが。これは種族を指す場合と、ある鬼を指す場合がある』

 想像以上に細かく調べていたようで、流は驚いた。

『種族としては、平安時代以前に京を中心に生息していた鬼だ。平安前期に絶滅している。特徴は白い髪に、白い角、黄色の瞳。それ以外は人間とほぼ変わらない容姿をしている。で、最大の特徴は人になれること。妖怪が人に化けるとかいうレベルではなく、本物の人になれる。百花の友達とかいうそいつは、屋敷に入れたんだろ?』

「ああ」

『なら、そいつが白鬼である可能性は高い』

 屋敷には結界が張ってある。玉無の先祖が大昔に張ったもので、やや特殊ではあるらしいが、妖怪が入り込んだなら何らかの異変が起こるはずだ。しかし、そんな兆候すらなかった。

第一、傍にいて陰陽師に気づかれなかったのだ。どんなに微弱でも、どんなに上手く気配を消していても、流達が妖気を察せられないはずはない。

だが、

「でも、白鬼は絶滅したんだろ?」

 最初に、隆世はそう言っていた。

『まあ、聞け。まだ、『白鬼』という鬼について言ってねぇだろが』

 流の疑問を余所に隆世は話を続ける。

『平安中期、『白鬼』と名乗る鬼が京に現れたらしい。白い髪に、白い角、黄色の瞳を持つ鬼だ』

「それって」

『ああ、どう考えても白鬼の生き残りだろ。そいつは、ある年の春に京を出た後、行方不明になっている』

「じゃ、つまり、その鬼があいつか?」

『さあ、鬼の寿命など知らねぇが、そうとも考えられるな。もしくは、その子孫だろ。生き残りは他にもいたかも知れねぇし』

 どちらにしろ、流の前に再び現れた妖怪は白鬼という妖怪で間違いはないだろう。

「殺すか?」

 静かに、流は聞いた。

 隆世は難しい顔をしている。

「強いのか、白鬼ってのは。それでも―――」

『待て。言っとくが、弱点とかそんな情報は持ち合わせていないぜ』

 当然、そういった情報も掴んでいると思っていた流は不意を突かれた。

「はあ?何でだよ!それぐらいのこと・・・ていうか、今までの話どっからの情報だ?まさか」

『ひろおみだ』

 少し、いや、かなり。

 隆世は明臣に頼り過ぎている。

「ま、いいけど。できる限り穏便に済ませるから」

『おい、どこ行くんだ』

 流は立ち上がって、支度を始めた。

「さっき、白鬼に言われたんだよ。近くの公園で待ってるってな」

 流を心配するふりをしながら、耳元でそう囁いて去っていった。

『一人でやれんのかよ』

「心配なら来いよ。来れるもんならな」

『どういう意味だ』

「この部屋には特殊結界も張ってある。霊気は通れない。所詮生身じゃないあんたは、ここを出られないんだよ。じゃあ、な」

 恐らく、隆世の力なら十分もあれば突破できるだろう。

 だが、そうすれば百花達に見つかってしまう。大事になれば隠しきれない。嘘が吐けない性分だから、なおさらだ。

隆世は百花に真実を告げられるだろうか。お前の友達は妖怪だと。それで、これからそいつを殺しに行くんだと。

否。

流が穏便に済ませると言った以上、隆世はそれを大人しく待つしかない。



 日が暮れた。

 もはや、公園に人の姿はない。

「やっと来たわね」

一人の少女を残しては。

「白鬼、あんたの正体は分かってる」

 真ん丸な瞳が少し見開かれた。

「すごい。私達のこと知ってるのね」

「達ってことは他にもいるのか?とうに絶滅したはずの妖怪が」

 整った少女の眉がぴくりと動く。だが、挑発に動じることなく少女は言った。

「いいえ。厳密には、もう、白鬼はいない。私も純粋な白鬼じゃないのだから」

「それは、どういう・・・」

「そのままの意味よ。私は白鬼と他の妖怪との合いの子なの。母親が最後の純粋な白鬼だった」

「それが『白鬼』か」

ほとんど独り事に近かったが、少女は「すごい!」と言って手を叩く。どれがどの白鬼を指すか分かっているようだった。

「まあ、ちょっと違うんだけど。貴方が今言った『白鬼』は祖父のことよ。もう、自分しか白鬼が残っていなかったから、自らの名を『白鬼』としたの。実はもう一人残ってて、それが祖母なんだけど。二人の間にできたのが私の母よ」

そう言って、何がおかしいのかくつくつと笑い出す。

「まさか、土御門以外でここまで白鬼に詳しい者がいるなんて思わなかったわ」

 ソース元が土御門であることは言わないでおくことにした。

「それで?貴方は私を殺しに来たの?」

 いきなり本題に触れられ、流は固まった。

「でも、残念。私は貴方に協力を申し出に来たの」

 既に懐に忍ばせた札を手にしていた流はふいを突かれた。

「な、んだって」

 少女が流に歩み寄る。

「宮古学園で起こっている、怪奇事件について知っていることは?」

 何のことかさっぱり分からず黙っていると、少女は溜息を吐いた。

「やっぱり。隼!」

 少女が誰かを呼んだ。瞬間、流は妖気を察知した。見渡すと、こちらに向かってくる人影がある。

公園の電灯で露わになったその人物を見て、流は息を飲んだ。

「白木、隼」

「そうよ、貴方のクラスメイト。四月からずっと貴方の近くにいたはずなんだけど」

 白木は流を素通りすると、少女の傍に控えた。振り返った瞬間、服装が制服から和装に変わる。茶色の髪はそのままだが、瞳の色は緑になっていた。そして、妖気が格段に上がったのが分かる。

「ああ、だめよ、隼。近くにまだ陰陽師が三人もいるのだから」

 直後、妖気は驚くくらい巧妙に隠された。

 それでも、

「こんなに近くにいれば、貴方には分かるでしょうけど」

 妖気は感じる。

「これが、何を意味するか分かる?宮古学園は今、妖怪がいても陰陽師にすら気づかれない」

「そんなことって・・・」

「有り得ないわけじゃないけど、異常ね。それに貴方知ってた?宮古学園で神隠しが起こってること」

 初耳だった。

 今日、隆世に北に注意しろとは言われたが、まさか自分の通う学校でそんなことが起こっているなど。

「考えもしなかった?」

 心を読まれたかのような発言に、どきりとする。

「まあ、妖気を完全に消されちゃしょうがないかもしれないけど。貴方、それでも陰陽師?」

「そんなこと、」

「妖怪の私に言われたくないって?」

「っ!でもあんたは、」

「百花ちゃんに近づいたのには理由があるのよ」

 先回りした回答に流は完全に参ってしまった。妖怪だから成し得る技なのか、それとも単に心の機微を読むのが上手いのか。

「まあ、そんなことより。私達が宮古学園に来たのは、この問題を解決するためなの」

「妖怪殺しの妖怪か」

ふと、二年前のことを思い出し、ついそんな言葉が口に出た。

「ええ。人を喰らう鬼ならば、私は容赦しない。紛いなりにも私は白鬼だから」

「どういう意味だよ、それ・・・」

「かつて白鬼は陰陽師達と共闘し京を守った。都が山背に移る前のことよ。平安の陰陽師は白鬼を討ったけど。初めは歪み合ってなどいなかった。共に闘い陰陽の流れを糺していた。もともと白鬼は神だから。怨霊に喘ぐ人を嘆いて神が地上に降り立ったのが白鬼の始まり・・・って、まあ普通意味分かんないか。いいわよ、別に理解してくれなくても。私を、白鬼を、ただの妖怪と罵ってくれたって構わない。だけど、」

 自分達を神だと言う。

 正直ついていけないと思ったが。

「人が消えてるのよ。放ってはおけない。下手(したて)に出て協力を申し込むって言ってんの。貴方のメンツなんて本当はどうでもいいけど、ここまで折れてやってるのだから、黙って協力されなさい」

 少女の人への思いは本物だ。

 そんなことは二年前の事件で既に知っていた。

 ここで引き受けるも断るも流次第だが、どうせどちらの答えでも変わらない。

 一人のたった一言で状況が変わるなど、本当は有りはしないのだ。

「俺は平安の陰陽師の子孫だ」

 厳密に言うと違うが、流はあえて言う。

 神咲家ができたのは鎌倉時代のことなので、神咲の者が直接白鬼と関わることはなかっただろう。しかし、神咲の祖が弟子入りしたのは平安時代から続く『賀茂家』である。そして、今ある陰陽家のほとんどが白鬼を討ったという平安の陰陽師の子孫だ。

 だから、『平安の陰陽師の意思を継ぐ』という意味において言えば、流も平安の陰陽師の子孫なのだ。

「前にも言ったが、妖怪はこの世から一切消えた方がいいと思っている。必要ならあんたも殺す」

 隼が一歩踏み出そうとしたのを、少女が止める。

「それでも、あんたは俺に協力できるのか」

 憎しみを捨て切ることができるのか。

 己の種族を絶滅に追い込んだ陰陽師と。

 真剣な表情で流の言葉を聞いていた少女は身を翻して左後ろにあったベンチに飛び乗った。

「上等よ」

 白い髪に白い角。黄色の瞳が流を見つめる。

 間違いなく二年前に出会った白の鬼が目の前にいた。

「再びがあれば、何度だって貴方の手を取りましょう。白鬼・玉零、その言葉に偽りはないつもりよ」

 再びなど、ないと思っていた。恐らくはお互いに。

「シロオニ、手を貸してくれ」

 始めて会った時の呼び名で呼ぶと、玉零はにこっと微笑んで手を差し出した。

「また、共に糺しましょう。陰陽師」

 流はその差し出された手を握り返した。

この選択で何が変わるわけでもない、そう思いながら。

理解しなくてもいいと玉零が言った通り、人と妖怪は分かり合えない。


 この世を取り巻く俺達の状況は、変わることはない。


白鬼と陰陽師の共闘の始まりです!

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