プロローグ
プロローグです。
いきなり陰陽師と言えばこの人!っていう大物が登場します笑
頬に触れた冷たさにはっとする。
春の訪れを友と語り合ったのは、つい先日のことだというのに。
「淡雪か・・・」
その友は、もはや私の独り言には応えてくれないようで、いつも以上の仏頂面で先を促す。
「それで、お前はどうするつもりだ」
そんなに早く結論を出してほしいのかと落胆し、自然と視線が落ちた。
彼の膝の上に乗った赤子が無邪気に手を振り回しているのが目に入る。
それぐらいのこと、放っておけばよいものを。
躍起になって止めさせようとしている姿に思わず苦笑した。
ああ、不機嫌なのはこれのせいかと、僅かばかり自身を慰めてみる。
彼に子供の相手は似合わない。
大陰陽師と謳われた彼には。
「白雪と言うたか。其の者と共に都を出ようと思う。吉野で二人静かに暮らすのも一興だろう」
意を決して、既にその道しかないであろう答えを口にした。
「遊び好きのお前が女一人と山籠りか」
「遊び好きとは随分な物言いよ。だが、確かに。都での日々は飽きんだな」
其方と出会ってからは。
「そうか。だが、仕方あるまい。此奴と会ってはならぬ星の宿命ならば」
赤子に目を落として彼は言う。
腕を振り回して疲れたのか、今はすやすやと眠っていた。
白鬼の宿敵。
神殺しの陰陽師。
その、生き残り。
「偶然会わぬよう気をつけることだな」
「はは、偶然に起こることに気をつけるなどできんだろうに。面白いことを言うな、其方は」
笑われたのが気に食わなかったのか、返事がない。
そういうところも面白い。
「偶然を避けることなどできんよ。一度は出会うかもしれんな。この赤子に」
もしくは、その子孫に。
「もし、会ったらどうするんだ」
「どうもせんよ。どうなることもない。一度出会うたところで、流れは変わらん。この子は人として生き、私は鬼として生きる。この赤子の負うた宿命は其方が断ち切るのだろう?生まれを隠して育てると、言ったではないか。ならば、何も問題はなかろうて」
またしても返事はない。これは、否定の意だ。
彼は、運命が確実ではないことを知っている。だから、安易な考えができないのだ。
星は動く。
千年に一度有るか無いかの出会いが二度起きた時、星が動いた。
一度は偶然。二度目は奇跡。
奇跡は星を動かし、流れを変える。
例えば、一介の貴族の息子で終わるはずだったある者は、朝廷に認められる大陰陽師となった。そしてある者は、いつ尽きても良いと思った命が惜しくなり、今も生きている。
その結果もたらされた変化を、今となっては推し量ることもできはしないという。星を読む力を持つ彼が把握できないほどとは、どれほどのものだろうかと、恐ろしくなる。
二度目の出会い――奇跡が起き、星が動いて流れが変われば、何が起こるか分からない。
何も問題はないなどと、言い切れはしないのだ。
だが、それは。
「稀な事よ、心配するな。意図せず二度も出会うことなど、有り得んよ。ましてや、それで星が動くなど・・・」
相変わらず友からの返事はない。
その心中は計り兼ねた。
「白鬼。憎んでいるか、俺を」
彼にしては、らしくない言葉だと思った。
その時、頬を伝う雫に気付いて、慌てて頭を振る。いつの間にか、雪で顔が濡れていたのだった。
心配させまいと、おどけた調子で否定しようとする。
「違うぞ?これは、雪で―――」
「ごまかすな。それから、無理に笑うな」
真摯な瞳に射抜かれ、私は動けなくなった。
ああ、敵わない。
そう、心の中で呟いて、暫く心の乱れが静まるのを待った。
彼より遥かに長く生きているというのに、情けない。
赤子を引き取ると言い出して、私の心は今までにないほど掻き乱
された。
そして、無残にも傷ついた。
だがそれは、彼には知られたくないこと。
「憎んでいるかと聞いたか、晴明」
いっそのこと、年相応に耄碌してくれていればいいものを。
目の前の友は自分より遥かに年老いて見えるのに、出会った頃と何も変わらない。
「私は・・・憎い。其方が」
一瞬、言い淀んで吐き出した。
自分で言っておきながら、傷つく。
彼から突き放されて、突き放して。
憎しみで、千は寿命が縮んだろうか。
「もう会うこともないか」
背を向けた瞬間、名残惜しそうに、そんなことを言うものだから、堪えていた涙腺が緩みかけて困った。
「ああ、二度と会えんだろうな」
二度と巡り合うことはない。
二度目の奇跡は既に起こった。
だから、もう会えない。
淡雪が降り積もっては、溶けていく。
とうとう流れ出した涙を雪のせいにして、私は彼のもとを去った。
春の雪は未練たらしくていけない。
はかなく消えてしまう運命ならば、それもいいと思わせる。
だが、それは本意ではない。
流れるままに生きてみようと、あの日決めたのだから。
二度目の再会を果たした、あの日に。
もともとは別々の流れを生きる宿命。
陰と陽は決して交わることはない。
ただ、共にあるのみ。
それが、私と彼であったことを嬉しく思う。
共に糺した陰陽の流れが、別れたことで無になったわけでもなし。
それに、今の自分には守るべき女がいる。
白雪をこれ以上悲しませるわけにはいかない。
これ以上悲嘆させては、彼女も只では済むまい。
だから―――
まだ、生きてみよう。
陰陽の流れ
「行ったか」
春になったと雖も、まだ冷える。冬の名残が降らす雪を恨めしく思いながら、女房を呼んで赤子を部屋に入れさせた。
「晴明様も部屋に入りなさいまし。お体に障りますゆえ」
もっともな忠告を軽くあしらって、その場に留まる。
女房は困った顔でそれに従った。
息子と孫達は参内しているので屋敷にはいない。
煩い奴等がいなくてちょうどいい。
自分はもう長くはない。奴には言わなかったが、星にそう出ているので確かだ。
恐らく、これが自分の見る最後の雪となるだろう。
白鬼。否、望月よ。
最期の白鬼となり、本来の名を捨てた友に胸中で呼び掛ける。結局、最後の最後まで「望月」と呼ぶことはなかったなどと、苦笑しながら。
お前にはいずれにせよ都を去ってもらわねばならなかったのだ。
これ以上生き恥を晒すのは御免被る。
死に顔を見せるなど、もっての外だ。
己の身は、この淡雪と同じ。
未練たらしくこの世に降りて、己が存在を主張する。
何と哀れで、みっともないことだろうか。
お前は白雪と共に歩んでいけばいい。
俺は、この淡雪と共に消えていくとしよう。
死がもたらす別れは自然なもの。
これで、陰陽の流れが歪むこともあるまい。
出自を隠し通す名目で道長が始末できなかった赤子を引き取った。
星を見る限り、白鬼が人に殺される未来はない。
人を愛す鬼とは、難儀なものだ。
年寄りに厄介な気遣いをかけさせる。
思い遺すことはない、と言えば嘘になるが。
先のない者が先のことを考えても仕様がない。
俺にできることはもう何も残ってはいないのだ。
それに、お前ももう傍にいない。
だから―――
やっと、死んでいける。
では、本編へどうぞ!