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クロとシロと真実の愛

「これで三人目、か……」

 そうつぶやいて、カウンターに座る青年は手に持ったコーヒーカップを傾けた。

 ここは大通りから一本外れた路地、その奥にある道をさらに一本入ったところにある喫茶店「ルメール」である。

 とても奥まったところにあり、隠れた名店、とでも言うか、非常に美味なコーヒーやケーキを提供してくれる店である。しかし、表に看板を出しているわけでもなく、宣伝をしているというともないため何も知らない人が訪れることは基本的にはない、と言っても差し支えはない。店主は無表情で物静かな老人であり、彼が一人で経営しているためにあまり人が来ても困るのかもしれない。おそらく店主が趣味で開いたようなものなのだろう。

 店内にはカウンターに四席と、二人がけのテーブルが三つ。こじんまりとしているが、テーブルや椅子はもちろん、置いてある小物やプレートやコーヒーカップなど、雰囲気のある物が並んでおり、居心地のいい空間である。基本的に店内には三人以上いることがないため、その雰囲気を存分に味わうことができ、それもいい空間の演出に一役買っているのかもしれない。

 この青年も、そうした理由からこの「ルメール」を憩いの空間としている。

 心を休める場所として。

 今、店の中には青年と店主、それにもう一人の女性が窓際の席に腰かけている。

 青年のつぶやきは独り言であったが、もう一人の客である女にも届いていたようだ。


「君も、三人目なのかい?」

 とても綺麗で静かな、けれど存在感のある男らしい口調でそう言った。

 青年はスッと目を彼女へ向けた。

 店内にいるにも関わらず黒くつばの広い帽子をかぶり、纏う服は黒のワンピース。それに反するように雪の様に白い肌が見え隠れしていた。

「……僕、ですか?」

 ルメールにいるのは青年と店主とその女性のみ。店主に話しかけているとは到底思えないし、内容的にも青年に話しかけているのは明白であったが、突然のことだったので確認する。

「あぁ、すまないね。いきなり」

 帽子の下で微笑み、テーブルに置かれたコーヒーカップを持って青年の横の席に座る。

「私も三人目なんだよ」

 一口コーヒーを口に含んでから、そう言った。

「なにが、ですか?」

 青年は怯えるように、だがどこか好奇心を持って問う。


「自分と関わって不幸になった人数」


 ピクッと反応する。たしかに女性が“君も”と伝えたように、それは青年と同じことであった。しかし青年は彼女に見覚えはなかった。

「……あなたは?」

 ――恐怖ではなく、興味。

「そうだね……クロ、とでも呼んでもらおうか」

 そのままだった。見た目の印象通り。しかしそれが本名かどうかもわからない。けれど違和感はない。

「クロさん、ですか」

 ぽつり、とつぶやく。どこか納得しながらその名前を心に刻む。

「君は?」

 青年は自分が名乗るのを忘れていたことに気づく。ここで本名を答えるべきか、否か。彼女のクロという名前がどうなのかわからないため、青年も少しふざけて、ニヤリとしながら答える。

「そうですね。……では、シロと」

「ははっ、なかなか面白いね。シロくんは」

 彼女、クロが声を上げて笑う。どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる青年、シロ。

「それで……なんで、僕も同じだとわかったんですか?」

 クロは、見た目で言えばシロと同い年程度であると想定されるが、シロはクロの雰囲気にのまれて思わず敬語になってしまう。

「確証はなかったけどね。私の友人に、趣味で占いをやっている人がいるんだ。そこで占ってもらったら、同じ境遇の人と出会うだろう、って言われてね。さっきのシロくんの言葉を聞いて、もしかしたらってね」

 もっともらしいと言えばもっともらしい理由であるが、なにか引っかかる。けれど、それがわからないシロは、とりあえず素直に受け入れた。

「そうでしたか……」

 少し顔を暗くさせる。クロも自分と同じなのだとしたら。友人はきっと離れてしまったのだろう、と思って。

 シロの場合、一人目は自宅アパートの階段で足を滑らせて骨折。二人目は自転車を放火され、それが自宅にまで燃え移った。幸いすぐに消防が駆けつけ大きな被害は出ていなかったが。三人目はつい昨日、通り魔に脇腹を刺されて短期間の入院。みな夜に起きたことである。全員、命に別状がないだけが救いだった。

 その三人はみな、シロと仲の良かった友人たち。シロは現在大学に在学中で、そこで同じ講義を取る、など仲良くしていた友人たち。しかし立て続けに三人が何かしら不幸な出来事にあってしまった。共通点は――シロ。

 だから人はシロを避けた。「彼と仲良くするとけがをする」それは大学内でも微かな噂とされており、シロの周りからはおのずと人がいなくなっていき、孤立することとなった。

 シロ自身それを受け入れた。自分が原因だと思っていた。何をしたわけでもないが、それが事実として起こっているのならば認めるしかなかった。一人でいることを、決意した。しかし周りから向けられる目を無視することはできない。だから、ある種のストレス発散、気持ちを落ち着かせるためにこのルメールへときていた。

「シロくんが気に病むことではないよ」

 そんな気持ちを察したのか、クロはそう言って微笑む。

 ドキリとするも、彼女まで不幸にさせてはならない、と思い気持ちを抑える。

 何も言わずにコーヒーを飲み干し、席を立ってからクロへと一礼して店主を呼び、代金を支払う。

 クロが笑みを浮かべてこちらを見つめているのが気になるが、その視線を意識の外へ追いやってから店を出る。

 帰り道、またクロの姿が思い出されたが、頭を振って意識しないようにした。


 翌日。シロは憂鬱な気分で大学へと向かう。大学近くに一人暮らしをしているため、家を出るのは講義開始ギリギリ。誰かと会う必要などないし、会ってくれる人も今となってはいない。

 いつも通り、誰と会話するわけでもなく、神経をすり減らすだけの大学を終えて帰ろうという時。少し前まで共に講義を受けていた女友達を見つける。周りには誰もいない。そして、目が合う。

「あっ……」

「……」

 無視するべきだと思った。だが、完全に無視することは叶わず、微かに会釈する。それでもきっと彼女は自分を無視すると思っていた。

 ――しかし

「えと、お疲れ、様……」

「! ……うん、おつかれ」

 すれ違う時に声をかけられた。信じ難いことで一瞬顔を強張らせてしまうが、少し頬を緩めて答えることができた。

 大学内で誰かと話をしたのはいつ振りか。話と言えるかすらわからないほどのことではあるが、どこか嬉しかった。それと同時に、彼女に何もないことを祈っていた。

 ――だが、それは叶わない。

 それから三日後。講堂の後ろの方で女子生徒たちの噂話が聞こえた。

「智子、バイクに轢かれたらしいね……」

「私も聞いた。あんまり大きなけがはしなかったみたいだけど、可哀想だよね……」

 聞こえた瞬間。シロは立ち上がり講堂から出て行く。後ろから突き刺さる視線は、無視できるものではなかった。

 結局その日、それ以降の講義には出ず、足は自然とルメールへと向かっていた。


「いらっしゃい」

 ドアが開いたことを知らせる鈴の音と、店主の無味な声を右から左へと流しながら、いつもの定位置となった席に着く。

 何も言わずに出てくるコーヒーに、スプーン一杯の砂糖と、ミルクを多めに入れてコーヒーを飲む。

 そうすることで、いくらか気持ちは落ち着いた。そこで彼女の存在に気付く。クロは、今日もまた窓際の席にいた。黒い服に包まれて。

「四人目かい?」

 顔をシロへと向けずにそう言う。

「……クロさんもですか?」

 シロも同様に。

「まぁ、そんなところだよ」

 表情を変えることなくコーヒーカップを傾ける。

「クロさんも、あんまり僕と話さないほうがいいかもしれませんよ」

 顔を静かにクロへと向ける。

「それを言ったら、シロくんもではないのかい?」

 もっともだ。クロがシロと同じであるならば、彼女と関わっているシロもいつ不幸が訪れてもおかしくはない。

「そうですね……。でも僕は、不幸な目にあったほうがいいのかもしれません」

「君の友人たちの分かい?」

 クロは帽子の脱ぎ、テーブルの上に置いた。綺麗な黒髪があらわになる。

「まぁ、そうですね」

 そしてまたコーヒーカップを傾ける。

「……じゃあ、私も不幸になるべきなのだろうか」

 静かに、窓を見つめながらクロは語る。

「……どうなんでしょうね」

 なんと言うべきか迷い、曖昧な答えを返す。

「ふふっ、私は不幸になるつもりはないよ。やるべきことがあるからね」

 やるべきこと。それがなんなのかはわからないが、それを詮索できるほどの仲ではない。

「それに……シロくんといたら、逆に不幸にならなそうな気がするよ」

 微笑むクロ。シロは照れ隠しのため顔を前に向け、コーヒーを飲む。

「クロさんに限って反対に働く、なんてこと、あるんですかね」

 クロと顔を合わせずに苦笑いで答える。

「もしかしたら、シロくんも私といれば不幸にならないかもしれないよ?」

 彼女は僕に好意を抱いているのか? と考えてしまうようなセリフ。まるで、一緒にいてくれ、と聞こえた。

「それでクロさんを不幸にしてたら、ざまないですよ」

 どこか嬉しい気持ちを持っているのを隠しながら答える。

「ふふふっ、やはりシロくんは面白いな」

 笑いながら立ち上がり、店主に声をかけてお金を払う。

「じゃあ、せいぜい不幸にならずにまた会えることを祈っているよ」

 扉を開きながら、後ろを向きながら片手を上げてそういう姿を、シロは目に焼き付けた。

「……僕も、祈ってますよ」

 小さくつぶやいて残ったコーヒーを飲み干した。


 それから一週間、シロが話をしたのはクロだけであった。そして、そうするとやはり、誰も周りでけがをする人はいなかった。

 楽しみな気持ちと心配な気持ち、半々で憩いの場所へと歩みを進める。

 以前来た時と違い、今日は真っ先に店内を見渡す。そこに黒い服を着た人の姿は――ない。

 もしかして、と思うも、それは違うとどこかで思えた。だから普通にいつもと同じようにコーヒーに口を付ける。

 コーヒーを二口飲んだとき、鈴の音が聞こえる。顔をそちらへ向けると、いつも通り黒い服で彼女は現れた。

「やぁ、シロくん。無事だったみたいだね」

 片手を上げて微笑む。

「クロさんもですね」

 彼女はいつもの窓際の席ではなく、シロの隣へと腰かける。シロは驚くも、抵抗することはない。

 すると、シロの隣に今飲んでいるコーヒーと同じものが出される。それにクロは、スプーン一杯の砂糖と少し多めのミルクを注ぐ。

「シロくん、人数は?」

 クロの手元を見ていたシロは一瞬反応が遅れる。

「……あ、あぁ、四人のままですよ」

「そうか、私もだよ」

 嬉しそうに笑いかけるクロ。シロはそれを冷静に受け止める。

「クロさん……」

「うん? なにかな?」

 ニヤリと笑うクロを見て、何を言おうとしていたのかわからなくなる。

「いえ、なんでもないです」

「そうか……」

 表情を崩さずに正面を向いてコーヒーを飲む。

「そういえばクロさん、この前言ってたやるべきこと、って調子はいかがですか?」

 シロが必死に話を作ろうとして出たのは、詮索しないと決めていたこと。思わず出てしまい後悔しかけるが、クロの表情を見て、後悔は必要ないと感じる。

「順調だよ。そうだね……あとはシロくん次第だ」

 その言葉が意味することとは――。

「僕次第、ですか?」

「ああ、君がどんな選択をするか次第だよ」

 そう言って、満面の笑みを浮かべる。

「それは、どういうことでしょうか?」

 僅かに恐怖を抱きながら問う。

「そのままの意味さ。君が不幸を願うか、幸せを願うか」

 クロは、いつもふざけているような物言いであるが、すべてを真面目に話している。それは、今も同様に……。


「君の不幸も幸せも、私の不幸も幸せも、私が握っているよ」


 寒気がして、身体が震える。鳥肌が立つ。

「クロさん、あなたは一体……」

「一つ言えることは、シロくんを愛する者だよ」

 変わらぬ笑顔。

 想いを告げられても、今は何も考えられない。

「私が握ってるって……」

「コーヒーでも飲んで考えるといい。自分の分がなくなったら私の分を飲んでくれて構わない。君のとまったく同じ味にしてある」

 手が震えてカップを持つことができない。何か、嫌な感じがした。

「よく考えて。時間はたっぷりある。私は、考えている君の姿も大好きだから退屈はしないさ」

 きっとどこかで理解していた。考えたくない思いの方が強かったのかもしれない。人と関われる喜びが大きかったのかもしれない。クロという女性に何か特別な想いがあったから、理解するのを拒んだのかもしれない。

「クロさんの、不幸の理由って……」

「うん、わかったかな?」

「僕の、周りの人達の、不幸の理由って……」

 信じたくない憶測。しかしそれは確信に近いもの。そして真実を告げられる。

「もうわかったみたいだね」

 フッと微笑む。憶測がほとんど確信へと変わり、恐怖を抱いているにも関わらず、その笑みに心が揺れる。そんな自分が嫌になる。

「そうだよ。君の周りの人達の不幸は私が引き起こしたもの。そして私の不幸は……まぁ強いて言うなら罪悪感かな。もっとも私に罪悪感はなかったのだけれど」

 やはりそうだった。すべては彼女が引き起こしたことだったのだ。

「私のシロくん……いや、良弘くんと話をしていいのは、関わっていいのは私だけ。それ以外の人が話をするなんて、認められないよ」

 クロの想いは強すぎた。故にこのような行動に出ていた。

「良弘くん、君と私の幸せのために、一緒にならないか?」

 きっと彼女は、シロが、良弘が別の人を選べばまたその人に同じことをするのだろう。良弘に選択肢はないと言えた。

 落ち着くために、震える手でカップを持つ。中のコーヒーは揺られ、とても飲める状況にはならない。

 しかしその揺れは止まる。彼女の手に支えられて。

「良弘くん、危ないよ」

 彼女の手は、冷たい心に反するように暖かく、良弘の心を落ち着かせる。

「なんで、僕なんですか……?」

 話をそらすように質問する。

「なんで、か。良弘くんを愛しているから、では理由にならないかな?」

 先と同じこと。その言葉に躊躇いはなく、良弘も照れる余裕はないため、甘い雰囲気になどなるわけがなかった。

「なんで僕を愛していると言えるんですか……? ここで会った時が初対面ですよね?」

 質問を続ける。重ねられた彼女の手に力が入る。

「たしかに、良弘くんと正面から話をしたのはその時が初めてだね。だけど私は良弘くんを見ていたよ。大学一年の後期が始まった時。九月十三日の二限の時から」

 頬を染めて微笑みながら告げる。あまりにも正確な時を。

 それは一年以上も前のことだった。

「ずっと良弘くんを見ていたよ。そしたらね、いつの日か……耐えられなくなった。良弘くんが他の人間と話をしているのを」

 良弘は何も言えずに彼女の話を黙って聞く。

「良弘くんと一緒にいていいのは私だけ。良弘くんの全ては私のもの、私の全ては良弘くんのためなんだよ?」

 そう告げる彼女は笑顔。嬉しそうに語る。

「僕はあなたのものじゃない……!」

 絞り出した抵抗の言葉も意味を成さない。

「うん、良弘くんは私と良弘くんのものだったね。一緒になるのだから」

 断定の言葉。

「僕はあなたの名前すら知らないんですよ?」

 たしかに良弘はクロの本当の名前を知らない。けれど今の言葉は、クロの問いに応えているようにも聞こえた。

「そういえばそうか。クロと呼ばれるのも、良弘くんにあだ名で呼んでもらえているようで嬉しかったが、やはり名前がいいね。私は、黛 真愛。真実の愛と書いて、まいだよ」

「まゆずみ、まい……」

 静かに繰り返す。

「あぁ、ぜひとも真愛と呼んで欲しいね。その真実の愛は、良弘くんとのものだから」

 歯が浮くようなセリフを臆面もなく言うクロ、真愛の言葉に、良弘は声を出せない。

「……良弘くんは、私のことが嫌いかい?」

 静かに、寂しそうな顔を浮かべる真愛。

 彼女のことが嫌いか。良弘にとっては非常に難しい問題だった。真愛に特別な想いを抱いていたのは事実だ。けれど、その想いを抱くきっかけを作ったのは真愛。それも、自分の友人を傷つけて。果たしてそれは許されることか。しかしそれでも、触れる真愛の手に心臓は激しく鼓動し、寂しそうな真愛の顔に自分も悲しみ、愛してると言われて胸が暖かくなったのも、事実。

 結局うまい言葉が出てこず、当たり障りのない言葉になる。

「嫌いではないです、けど……」

「嫌われてはなかったか。よかったよ……。欲を言えば、良弘くんに愛していると言ってもらいたいものだけれど、まだ、わがままかな」

 嫌になる。自分の友人を傷つけたのに平然としているこの人が嫌になる。それ以上に、嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女の姿に胸が高鳴る自分が嫌になる。

「……こんなの、卑怯だ」

 俯いてつぶやく。

「なにがかな?」

「だってあなたは……自分のために僕の友達を傷つけて、付け入るように僕の心を弄んで……」

「そうだね」

 真愛は冷静だった。悪びれる様子もない。

「僕の、想いは……僕は……ずっと、あなたの手のひらで踊らされてたってことじゃないですか……!」

 苦しそうに、呻くように。

「間違ってはいない。私は、そこまでしてでも良弘くんを手に入れたかった。一緒にいたかった。二人だけでいたかった。それだけだよ」

 良弘の手を両手で強く握りしめる。離さないように。

「また僕が誰かと関われば、ひどいことをするんですよね……?」

 真愛を見つめる。

「それを選ぶのは、良弘くんだよ。私を選んでくれれば私はもう誰かに危害を加えることはないだろう。だけど、そうでなかった時は、何度でも良弘くんを私のものにしようとするよ」

 真愛の瞳が微かに潤む。きっと彼女は良弘を純粋に愛していた。愛しすぎていた。

 だから良弘は――。

「そうですね……。原因もなにもかも、全部あなたのせいです。全部、あなたのせいで……僕は真愛さんを」

 自身の気持ちに素直に従うことにした。

「――好きになっている」

 友人を傷つけられたことよりも、全部仕組まれたことだとわかった上でも、良弘は彼女に恋心を抱いていた。

 真愛は、目を細めて笑い、まぶたの横から一筋の雫をたらす。

「最初から、そう言ってもらうためだったけれど……やっぱり、嬉しいものだね。言葉にならないよ」

 良弘は、そんな真愛の涙を握られていない手で拭う。

「でも、もうあんなことはしないでください。僕の友達が傷つけられるのは嫌だし、僕の恋人が誰かを傷つけるのも嫌です」

「あぁ、大丈夫。約束は、守るよ……」

 良弘の片手では拭えないほどの涙をあふれさせる。

 汚い手を使っても、愛する人と結ばれたのは、それほどに嬉しいことだったのかもしれない。

「でも、良弘くん。私は嫉妬深いから……良弘くんが私以外と話しているのを黙って見ていることはできないかもしれない。だから、ずっと一緒に。ずっと隣にいてくれるかい?」

「……はい」

 良弘はうなずきで返す。

「じゃあ、良弘くんは私のものだ」

 スッと手を離し、両腕を良弘の首の後ろに回し、そのまま身を乗り出す。

「!?」


 気が付いたときには、目の前に真愛がいた。

 呼吸が止まる。

 唇は、柔らかいものが塞いでいて息をすることができない。

 鼻で呼吸をすると、女性特有の甘く、いい香りが漂う。

 五秒程度だろうか。二人にとっては永遠に感じられる時が終わる。


「ぷはっ」

 真愛は顔を赤くさせて良弘から離れる。

 しかし腕はそのままなので、良弘の目の前にいることに変わりはない。

 良弘が赤い顔で呆けていると

「これで、良弘くんは私のものだ」

 目の前でウインクをする彼女。相変わらず良弘は心ここに非ず、といった感じではあるが。

「ふふっ、君のために残しておいた“初めて”だよ。感謝してくれ」

 良弘は、自分もだ、と思うがそれを口にすることはなく、隠すようにコーヒーを飲み干す。

 いつかのようにニヤリと笑う真愛も、良弘と同じようにコーヒーを飲み干した。

「良弘くんも、初めてなのかい?」

 コーヒーを吹き出しそうになるのを抑え、照れを隠すように空になったコーヒーカップを傾け続けていた。

「ふふっ、嬉しいよ」

 真愛にはすべて見透かされているようだった。



「さて、良弘くん。確認だが、これからは一緒にいてくれるんだよね?」

「ええ、まぁ……」

「じゃあ、結婚しよう」


 空になったコーヒーカップが二つ並んでいる。

 そこに、笑顔の店主がサービスのコーヒーを注ぎ、寄り添うようにそのカップを並べた。


 ――END


今回初投稿になります。

拙い文章でしたがご覧いただきありがとうございました。

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