神の見えざる手
はい、ここからが最終章です。
未来が分かっているのはどこか滑稽だ。
後数日後には魔物大侵攻が始まるというのに、俺を含めた人間というのは目の先の出来事に精一杯なのだから。
少し冷静になってみれば魔物の様子がおかしいことに気づくだろう。
このジグサリアス王国では魔物を徹底的に刈っていたから少ないにしろ、他国でも魔物の被害が去年と比べて激減している。
津波が来る前に潮が引くというかいう兆候にいったい何人が気づいているのか。
「まあ、そんなことを考えても仕方ないな」
玉座に座って眼前に重臣を揃えている俺はそう溜息を吐いた。
「我が君。余裕ですね、各国が反ジグサリアス同盟を結成したというのに」
ベアトリクスが俺の溜息を見咎めて酷薄そうに言ってくる。
「いやな、人の愚かさについて少し考えていたところだ」
シマール国、リーザリオ帝国そしてバルティア皇国の三国を併呑させたジグサリアス王国はこのユーカリア大陸で最大の国となった。
そして、浮浪児から王にまで上り詰めた俺を脅威と捉えた各国は危機感を抱き、長年憎み争っていた国々でさえも一時休戦して同盟を結んだ。
その同盟の名を反ジグサリアス同盟。
卑賤な輩の侵略から守るための同盟だというのだ。
「そこまで俺を敵視する理由はなんだろうな」
謀略によって濡れ衣を着せられたものの、俺は変なことをしていないと断言できる。政治に対してもそんなに横暴な態度を取っていないのにどうしてここまで俺を嫌うのか。
「簡単だ、夫よ。各国の王は恐れているのだ」
「何にだ? ヴィヴィアン」
俺が振るとヴィヴィアンは唇をゆがめて。
「最底辺の者が最高にまで上り詰めたことによる自分達の常識では推し量ることの出来ない事実に皆は恐れているのだ。浮浪児が市民になるのはわかる、そして貴族が下剋上によって王にとって代わるのもまだ理解できる。しかし、浮浪児から王にまで上り詰めたのは夫ただ一人だ。つまり、各国の王は前人未到の域に立った夫に恐怖を持っているのだ」
「何て迷惑な」
俺は何もしていないのにも関わらず向こうが勝手に敵視してくるのはしんどい。
「なあ、こちらから不戦の使者を送れないか? 俺は各国を侵略する意思はないということを伝えれば少なくともこの包囲網を緩めることができるのでは」
その提案に首を振るのはシクラリス。
「無理でしょう。各国の王はご主人様の行動ではなく、その存在を恐れているのです。あの同盟は自分達の物差しで測れないご主人様を消し去るということによって一致団結しているので、向こうが包囲網を緩める時はご主人様の身命はおろかその功績も跡形もなく消し去った後でしょうね」
どうやら俺は存在自体許されないらしい。
その事実に溜息しか出てこない。
「で、どうするの? 我が君。このまま包囲網が完成するのを指を咥えて眺めているつもり?」
愉しそうに聞く様子からベアトリクスは先制攻撃を仕掛けたいのだろう。
が、俺はその進言に手を振って「もう少し待て」と答える。
「夫よ、相手の攻撃を待つというのは感心しないぞ」
ヴィヴィアンがそう口を尖らせるが俺は相手にしない。
「とにかく、後数日待て。そうすれば全てが分かる」
魔物大侵攻が起こると言っても誰も信じてくれないのであやふやな言葉で終わらせるのだが、意外に誰も文句を言ってこなかった。
「そうですか、ご主人様がそう仰るのであれば従いましょう。凡人である私達にはご主人様の考えなど理解できるはずもありませんから」
シクラリスの言葉に他の者も頷いていることからどうやら俺は神格化されていたらしい。
俺は神じゃないので否定しようと一瞬考えたが、こちらの言うことを聞いてくれるのならそれでいいと思い直して会議は終了した。
数日後
ここまで予想通りだと恐ろしくなるな。
俺が目論んだ通りにこのユーカリア大陸全土で魔物の大侵攻が始まり、すでに幾つかの国も陥落しているという報告が入ってきた。
どうして営々と築いてきた人の都市がここまであっさりと崩れ去るのか。
その理由は簡単で、人間よりも魔物の方が数も力量も多いからだ。
だが、そうにも拘らず人間が魔物を追いやって繁栄を築いてきたのは偏に団結し、組織立った行動を得意としていた点である。
魔物は数こそ多いもののその種類は膨大であり、それらが団結することなどありはしない。
が、もし魔物が団結したらどうなるのか。
その答えが今、現実に起こっている出来事だった。
「で、シクラリス。国内の被害状況は?」
この前代未聞の事態に眼前に揃った皆は心なしか緊張しているように見える。
「はい。先日発生した魔物による侵攻の件ですが、事前に国内の魔物を重点的に殲滅していたこともあり辺境にある村のいくつかは滅ぼされたものの、都市レベルだと被害は軽微です」
「ベアトリクス、軍の損耗率は」
「『風』と『火』の損害は皆無ね。ただ、『山』はそれなりの被害を受けているけど全体には影響がないわ」
「ヴィヴィアン、各国の状況は」
「突然の出来事に同盟は崩壊。各国とも魔物の処理に奔走しているのでこちらにまで手が回らないみたい」
それらの行動を聞いて俺は一安心する。
こういっては何だが、もし魔物大侵攻が起こらなければどうしようとビクビクしていたのだ。
さて、これで当面の危機は回避された。
後は勇者が魔王を倒すまで治安の維持を図ろうか。
「さて、フィーナ。キーツ王国はどうなっている?」
あそこは勇者が生まれた国。
魔物になど襲われていないだろうが一応聞いておこう。
が、フィーナの言葉は俺の予想と外れていた。
「キーツ王国は魔物によって存亡の危機よ。同盟国も手を差し出さない様子だから近いうちに滅びるんじゃないかしら」
「……は?」
俺は間抜けな声を上げてしまう。
おい、キーツ王国が滅びたら勇者はどうなるんだ。彼しか魔王を殺せないのだぞ。
「ラブレサック教国はどうなっている?」
勇者を影から支えた国で、世界宗教の宗教国家ラブレサックは何をしているのか。かの国の聖女は勇者のお供をしたのだぞ。
「あそこは聖女派と枢密派で内戦状態。各々の派閥がある国や都市に軍隊を送ろうと紛糾しているから関係ない他の国なんてどうでもいいみたい」
いったい何をしている。
今はそんなことなどどうでもいいだろう。
「他国はその2国を介入するそぶりはないのか」
「残念ながら他国に干渉できるほど余裕のある国はこのジグサリアス王国にしかないわよ」
魔物大侵攻を起こした魔王を倒すはずの国は亡国の危機やら内乱状態に陥っている。
そして、それを救えるのはこのジグサリアス王国だけ。
この2つから推測できることは。
……
……そうか
そういうことか。
ずっと疑問に感じつつも蓋をしていたが、どうして俺がここに飛ばされたのようやく納得がいった。
「すまない、少々席を外す。すぐに戻るから会議を続けていてくれ」
俺はそう断って一人自室へと向かい、鍵をかけた。
完全防音のこの部屋はここで大砲を鳴らしても外側では聞こえないほど完璧な作りとなっている。
そこで、俺は大きく息を吸い、怒鳴り始めた。
「神よ! 何故あなたは俺を選んだ!」
たった一人しかいないこの部屋で俺は呪詛を吐き続ける。
「俺は単なるゲーム好きの高校2年生だった! どこにでもいる普通の人間だ! 俺よりゲームにのめり込んでいる者はたくさんいる! 俺より賢い人間もそうだ! なのに! 何故! 俺をこの世界に飛ばした!」
力の限り叫ぶがもちろん返ってくる返事はなく、俺はただ虚空に向かって叫んでいた。
「神よ! 俺はあなたを恨む! 日本に帰せ! 人生を返せ! 時間! 友人! 趣味! 両親! 俺から奪っていったものを全てか……ごほっ!?」
これほど大声を出したからだろう俺の肺は空っぽになり、脳が酸欠状態に陥って視界が歪み、たまらず俺は両膝をつく。
「……分かっているよ」
両膝どころか両肘そして額を地面に擦り付けながら俺は呟く。
不思議なことに先ほどまで荒れ狂っていた理不尽からくる怒りの感情はどこかへと消えていた。
「俺にしかできなかったのだろう?」
俺でなければキッカ達4人を仲間に加えなかったし、冒険者ではなく、市民として根を生やすこともなかった。貴族として領地を富ませることも王として領土をここまで大きくするにはこの火桜優喜しか出来なかったのだろう。
腹立たしいがこれまでの軌跡を振り返ると、俺の目に見えない形で神が手を貸していた確信がますます深まる。
姿も影も、匂いすら感じられないが神は実在するという説を信じてしまう俺がここにいる。
「……分かったよ」
神の思い通りに動くのは癪に障るが、かといって俺についてきた皆――キッカやアイラ、ユキ、クロス、ティータさん、ヒュエテルさん、サラ、エルファ、レア、フィーナ、ククルス、オーラ、ミア、レオナ、エレナ子爵、キリング、ベアトリクス、ヴィヴィアン、シクラリスを見捨てるわけにはいかない。
彼女達のことを想うと神に対する反逆の意志など消えてしまう。
「まあ、いいか」
このままだとこの大陸は魔物に侵略されて終わる。
それを防ぐために神は俺をこの世界に呼び寄せたのだろう。
勇者が魔王を倒すための環境を整えさせたいのだろう。
「やってやるか」
俺は立ち上がり、頭を振って思考を切り替えてこれからやることについて計画を立てる。
少なくともキーツ王国に救援を送るのは必須。
ラブレサック教国も聖女派に味方しなければならない。
そして、現在から魔王が殺される8年後まで、これ以上の侵略を防ぐために大同盟の結成もしよう。
「ジグサリアス王国が盟主だと各国が躊躇するかもしれないから、ラブレサック教国を表に立てるか」
他にも勇者の仲間となった人物を確保し、成長させる手順を整える。
このままだと人間の歴史は終わる。
それを避け、これから先も人間の歴史を続けさせるために俺は歴史の欠片となろうじゃないか。
俺は上を向き、そう誓った。
ようやく神を登場させることができました。
このような類の神もいいかなと思っています。