将来の布石
私、エルファ=ララフルは主が市民だった頃は主の身の回りの世話をしていましたが、最近はバルティア皇国の皇女であるシクラリス様の傍にいることが多いです。
まあ、やることといっても彼女の監視の他にお茶を汲んだりスケジュールを確認する程度なので、専門教育を受けていない私でもできることです。
が、私の今の職場はおそらく体力がないとキツイでしょう。
なぜなら……
「レア! ジグサールに移住を希望している集団の処置をお願い!」
「またですか! ああもう、どうして次から次に! ヒュエテルさん! すぐに担当の者に取り次いで!」
「ちょっと待ってください! 私を含めて官吏全員が一杯一杯なのです! これ以上は無理です! ティータさん! 何とか上手いこと話して引き下がらせて頂戴!」
「はあ? またぁ! なんで私はそういった損な役回りばっかりなのよ! この前も宥めるのに命の危険を感じたのよ!」
「大変ですね~」
私の黒いメイド服と対照的な純白のメイド服に身を包んだシクラリス様がのほほんと仰る通り、このジグサールの政の中枢はご覧のとおり戦争状態です。
シマール国、リーザリオ帝国そしてバルティア皇国を併呑したジグサリアス王国は領土が以前と比べ物にならないほど拡大したため、その処置にてんてこ舞いです。
何かもうシクラリス様を除いて下級官吏を含めた全員の眼が血走っています。
あまりの仕事の多さに逃亡する官吏が後を絶たないため、『林』が官吏を監視及び逃亡した者の捕縛を行っています。
……隠密部隊である『林』の使い方を間違っていると感じているのは私だけでしょうか。
「エルファさん、お茶をありがとうございます」
私が汲んだお茶を両手で受け取って上品に飲むシクラリス様。
もちろん他の者も一緒に汲んでいますが、全員飲む暇すら惜しいという状態ですのでお茶がすでに冷めきっています。
シクラリス様は何もしていないように見えますが、実はしっかりと仕事をしています。
彼女は何かを発信するというよりかは受信する方なので、全体を俯瞰することに向いていますので、各部署から送られてきた書類をチェックする役目を持っています。
それに参謀のベアトリクス様と主の名代のヴィヴィアン様はよく衝突しますので、それの仲介役としても一役買っています。
他人に指図されたくないベアトリクス様と主の妻であることを振りかざすヴィヴィアン様。
本来なら参謀であるベアトリクス様は主の名代であるのヴィヴィアン様の命令に逆らえないはずなのですが、ヴィヴィアン様が主の妻となった軌跡が複雑なため、素直に従いません。
私から見ればどちらも亡国の王女なのですから同じだと考えているのですが、当人同士だと違うようです。
そして、その果てない争いを止めるのがシクラリス様。
あまり自分から意見を発することが少ないシクラリス様は意見しか発しない2人の間に立って諌めてくれます。
水と油の関係である2人をなだめることのできるシクラリス様は洗剤のような方だと思います。
「フィーナさん。これだとレアさんの計画に支障が出るから書き直しね」
「またあ~!!」
提出した計画書を笑顔で突き返されて絶望の悲鳴を上げるフィーナ様。
何というか、判断を下す際のシクラリス様は容赦がありません。
どれだけ訴えても笑顔で切り捨てるのです。
ですので官吏からはシクラリス様を陰で閻魔大王様と呼んでいるそうです。
他の3人も心当たりがあるのか同情の視線をフィーナ様に向けていたのが印象的です。
「はいはい、みんな頑張って。これはご主人様の構想の礎になるのよ」
シクラリス様が笑顔でそう述べますが、それは嘘ではありません。
ある時、主はベアトリクス様とヴィヴィアン様を含んだ私達にある計画書を見せてもらいました。
「いつかは実行に移したいな」と笑いながら渡してきた内容は驚くべきものだったのです。
それは従来の統治法を覆す代物でした。
いくつかを思い出します。
まず一つが文官と武官の給料の待遇についてです。
両方とも基本的に担当している地域から入る租税の内から何%を給料として配布するのですが、ジグサールに勤めている官はそこからさらに各地から集めた税からも上乗せされます。
地方によっては3倍以上の差がつくのですが、この計画書によるとそう中央官吏の懐に入ることはありません。
何故ならば交通費や出張に伴うお金は全て自腹であり、基本接待は禁止、やむを得ず受けた場合でもいつ、どこで、誰とやったかの報告を義務付けています。
さらに中央官吏は主の方針で頻繁に地方へ査察に行かせるので、ほとんどの者が上乗せされた分を使い切ることになっています。
と、言っても専用馬車でなく共同馬車を使用したり、宿も高級なものでなく一般的な宿を利用すれば結構懐に残るのは事実ですから、要は使いようということです。
傍から見ると相当厳しいように見えますが、そうやって中央官吏が一般人と同じ視点に立つことによって組織の硬直や腐敗を防ぐことになるそうです。
主はよく「自分は特別だと錯覚した瞬間から堕落は始まるんだ」と仰っていました。
もしこの方法が上手くいけば官吏の腐敗は無くなると容易に想像が出来ます。
次が参勤交代
主が仰る参勤交代の意味がよくわかりませんが、領地を治める貴族の跡取りは必ずジグサールに過ごさせることを義務付け、領主は1年ごとに領地とジグサールを往復するということです。
そうなると領主がいない際に誰が領地を守るのかと問われると、そこは中央から派遣した武官が地方の武官と連携して指揮を執り、普段の管理は中央官吏を中心にして行います。
こうすることによって領主に大量のお金を消費させると同時に中央の威光を端から端まで行き渡らせることが出来るのです。
そして最後が楽市楽座。
これは大陸を斡旋している商業組合の干渉を受けないというのが目的で。彼らの独占を防ぐことにより経済を活性化させて物の流通を良くするそうです。
このご時世では、商人による組合が物流を管理していますから物の値段も私達が決められないのです。しかし、もしこの楽市楽座というものが成功すればその組合から解放されるでしょう。
他にもいくつかあったのですが、私が辛うじて理解できたのが以上の3つです。
そして、それらの構想は現在は残念ながら私達に従わない国があるので実現できません。
上に対して厳しすぎるので、優秀な人材が他国へ流れやすくなる弊害があるのです。
しかし、この大陸を全て統治下に置いた時、これらの方法が真価を発揮します。
その3つだけを実行するだけでも官吏の腐敗を防ぎ、領主から反乱の芽を削ぎ、商人から力を削ぐことができ、ますます国が精強になります。
この広大な大陸を治めるのだとすれば主が示した方法ほど有効な統治手段があるはずもありません。
そして、大陸全てを統一し、主が構想している内容を全て実行できたのならそれは千年国――
いえ、止めましょう。
私は一介のメイドなのです。
100年や1000年先の未来など考える必要はないのです。
これらの計画を聞いた時、私やレア様など大多数がそうやって心を閉ざしましたが、三国の王女は想像できたようです。
ベアトリクス様は狂ったように哄笑して主に跪き、ヴィヴィアン様は「さすが私の夫だ」と感激しながら抱きついてシクラリス様はその先に想いを馳せていました。
一体主は何者なのでしょう。
誰もが夢を見る大陸統一どころか、夢を見ることすら叶わないその先について現実的に考えることが出来るのはもはや狂人の域です。
出会った頃は主に対して主らしく振舞ってもらおうと考えていましたが、それは誤ちでした。
主は私如きの想像出来る範囲にいなかったのです。
私に理解できないものを理解できる範囲まで落とそうとしたのはなんて滑稽か。
今、振り返るとあの時の自分を殴ってやりたくなります。
周りを見渡すと、皆は怒鳴り叫びながらも決して投げ出そうとしていません。
それは主の構想を理解できないにしても、その先を見たいからなのでしょう。
「主よ、あなたは私達をどこへ連れて行くのですか?」
ふと、そんな呟きが私の口から洩れていきました。
これで間章は終わりです。
ありがとうございました。
そして、内政に関するアイディアを頂いたyuuma様に感謝を。