満身創痍
「……はあ」
王宮の庭をトボトボと歩きながら俺はため息を吐く。
軽業師の靴を装備しているから体は軽いのだが、心労によって足取りが重い。
「もう今日は寝よう」
こんな状態では仕事などできやしない。少なくとも今日一日はベッドに入って横になりたい。
「ここを曲がれば俺の部屋だな」
最後の廊下を渡る際にそう呟く俺。
いかんな。
疲れてしまって独り言が止まらない。
そう思いながら俺はその廊下を渡り切ると。
「あら、ボクじゃない?」
「ひっ!」
何故か計ったようにティータさんと鉢合わせしてしまった。
ティータさんは栗色の髪の毛をポニーテルにしており、いつも気さくな笑みを浮かべている。昔は薬屋さんの店主だったが、俺の要請によってフィーナの補佐役を頼んでいた。
「ちょうど良かったわ、ボクの判断を仰がなければならない案件があってね。尋ねようとしていたところなのよ」
ティータさんはそう言いながら俺に歩み寄ってくるが、今までの経験から俺は拒否反応を示し、体が後ろへと下がってしまう。
「ボク? 何で逃げるの?」
「よ、寄らないでくれ」
ティータさんが近づく度に俺は逃げるので、その様子を燻しかんだティータさんが片眉を上げる。
「何があったか知らないけど、私の要件は至極真面目よ。だから――」
「俺に近づくなー!」
俺は背を向けて脱兎のごとく逃げだす。
後ろから「ちょ、ちょっとボク!?」とティータさんの戸惑い声が聞こえた気もするが、今の俺には判断できる能力がなかった。
「……やってしまった」
しばらく逃げた後、俺は自分の行いに猛烈な自今嫌悪に陥る。
見る限りティータさんはまともで俺が勝手に疑心暗鬼を膨らませて逃げてしまった。
「後でティータさんに謝っておかないと」
疲れて判断力が鈍っていたとはいえ失礼なことを働いたのは事実。
後に謝罪する必要があるだろう。
「ユウキ王ですか?」
涼やかな声をかけられたので俺は視線を横に向けるとそこには深い青色をした腰まで長い髪と深い色の瞳を持ち、全体的にスリムな体の持ち主である双子の片割れのレアがそこに立っていた。ちなみにまったく同じ容姿をしている姉のフィーナもいるのだが、彼女はレアと違って活発的である。
「ああ、そうだが。どうした? レア」
一瞬逃げようかと思ったが、先ほどの失態もあるためすぐに動くことができなかった。
逃げるかどうかはもう少し判断材料が必要だと考える。
「ええ、少しユウキ王に相談したい事柄がありまして」
ふむ、ティータさんと同じ類のものか。
それなら応じる必要があるな。
「分かった。いったい何の案件か聞かせてもらっても良いかな?」
「はい、伝えますのでもう少し近くに寄ってください」
ん? 何かおかしいな。
心なしかレアの雰囲気がおかしい気がするのだが、ああ言った手前、対応しないとまずいだろう。
だから俺はレアの言葉に従って足を進める。
「で、どういった内容だ?」
「はい、それはですね」
俺はレアの前に立って続きを促すとレアはまるで獲物を罠にかけたような笑みを浮かべる。
「双子丼ってどう思いますか?」
「っ!!」
気付いた時にはもう遅い。
俺は身を翻して逃げようとしたのだがいつの間にかレアと全く同じ顔をした姉のフィーナが反対方向に立ち塞がっていた。
「俺が一体何をしたー!」
あまりの状況に俺は力の限り叫ぶ。
「何もしていないから問題なのよ」
するとフィーナが呆れ調子で答える。
「そうです、その通りです」
レアもそれに便乗した。
「どういうことだ?」
「ユウキ王、私達は自分達の容姿に自信を持っています」
「そうね、昔はよく告白されたものだわ」
まあ、双生美姫と呼ばれていたから貴族達からの人気も相当あったのだろう。
事実、エルファが手を回してくれたとはいえこの双子を引き取るのにけっこう金がかかったし。
「ユウキ王に引き取られた際、私達は覚悟をしていました」
「エルファ様はああ言ったけど、やはりある時期になると求められるのかなって思っていたわ」
と、ここで2人は息を吸って同時に。
「「なのに! いつまで経っても手を出さないってどういうこと!?」」
「どうもこうもせんわ!」
一卵性双生児のためか声の調子も全く同じなのでステレオで聞かされている気分になる。
「むしろ喜ぶべきだろう! 強制しないのだから!」
俺は両腕を広げてそう力説する。
本来なら彼女は奴隷として貶められるはずだったのに、それを救った俺に対してどうしてそんなに怒るのか理解できない。
「そうだとしても限度があります!」
「私達は女を否定されているように感じられるのよ」
「否定していない! むしろ魅力的だ!」
仕事がなければとうの昔に抱いていた自信がある。
「それなら今すぐ抱いて下さい!」
「その証拠を見せてよ!」
「だから何でそんな結論に達する!?」
「私達はこの2年間戦々恐々でした!」
「いつ求められるのかと毎日ビクビクしていたわ!」
「そんなの知らん! 俺は始めから手を出さんと言ってあったはずだ!」
確かに初対面の頃、緊張に固まる2人を前に俺が示した仕事をやってくれるのであれば俺はお前達を拘束しないとして首輪を外させた覚えがある。
「そんな口約束なんて意味はないです!」
「性欲の前には理性も約束も紙切れ同然よ!」
「お前らは俺をどんな風に見てたんだ!?」
本能のままに生きる獣と同列視されてショックを受ける俺。
「とにかく! 私達を安心させて下さい!」
「私達は焦らされて喜ぶ性癖を持ち合わせていないのよ!」
「俺もそんなことなどしたくはないわ!」
そう叫んだ俺はまたも窓から外へ飛び出す。
ここは最上階付近なので落下するには危険だが、幸いにもこの下にはバルコニーがある。
案の定俺はそこへ無事に着地することが出来た。
「「ユウキ王! また逃げるのですか!?」」
「今! お前らに捕まれば全てを絞り尽されそうだからだ!」
双子の悲鳴に俺はそう返して部屋に入った。
「おお、王でございますか」
部屋に入るとエレナ子爵が俺の出現に驚いたようだ。
目を白黒させている。
エレナ子爵は女性でありながらクロスに次ぐ長身の持ち主で、その真っ赤でボリュームのある髪や豊かに突き出た胸、そして堀の深い顔立ちから激しい気性を感じさせる雰囲気がある。しかし、中身は潔白で、常に清貧を貫いている。常時は優しく非常時は勇敢として巷では貴族の鏡と呼ばれている。
「どうして外から参ったのですか?」
側近のキリングがそう聞いてきたので俺は顔を引き攣らせながら「聞かないでくれ」と答えておいた。
キリングはエレナの足りない部分を全て補っていると言っても過言ではない。ボブカットの亜麻色の髪や片眼鏡、そしてローブを羽織り、口調も丁寧で礼儀を備えていることから知性を感じさせるので。副官というより教授と呼んだ方がしっくりくるだろう。
「あー、喉が乾いた」
先ほどツバイク姉妹と口論したせいか喉がヒリヒリする。
思えばあれだけ大声を出したのは久しぶりなのかもしれないな。
「喉が渇きましたか。少々お待ち下さい、水を用意させましょう」
エレナ子爵に命令されて水を持ってきたキリングが笑みを浮かべていたので訝しんだが、俺はそこまで注意を払わず「変だな」と思う程度に留めて杯を呷る。
冷たい感触が喉を通る――そこまでは良かったのだが、続く粉上の苦い感触に俺は咄嗟に水を吐き出した。
「ゲホッ、ゲホ……おい!? これはまさか?」
俺の頭の中に警鐘が鳴り響き、すぐにこの場から逃げろと命令するのだが体は徐々に言うことを聞かなくなってくる。
「エレナ子爵! お前もか!?」
体に力が抜け、床に崩れ落ちる直前に某皇帝のセリフを叫ぶのだが。
「お、王よ。一体どうなされましたか? いや、キリング! これは何の真似だ!」
エレナ子爵も想定外だったらしい、血相を変えてキリングに詰め寄る。
するとキリングはクツクツと笑いながら。
「エレナ様の恋心を叶えてあげようと思いまして」
と、言った。
「んなあ!?」
その台詞に形勢逆転され、エレナ子爵の顔が赤くなる。
「前々からエレナ様の様子を傍で拝見していましたが、王と出会ってからエレナ様は変わりましたよ。王のことを話す時はまるで夢見る乙女の様に顔を上気させて」
「言うな言うな言うなー!」
エレナ子爵は顔をブンブンと振って否定することからおそらく図星なのだろう。
「もし機会があれば王にこの痺れ薬を飲ませてエレナ様の希望を叶えて差し上げましょうと思っていましたが、こんなに早く来るとは予想外でした」
満足そうにキリングが頷くが、当事者の俺にとっては笑いごとでない。
「おい、分かっているのか! 王に対してこんな無礼を働けば大変なことになるぞ! 今ならまだ間に合う、考え直すんだ!」
とりあえず建前を述べてみる。
キリングの行いは見方を変えれば王を害する意思があったと取られても仕方がない。
「だからエレナ子爵! キリングの言うことに耳を貸すな! ここで全てを失いたくないだろう」
エレナ子爵に対してはこのような言葉が一番効くだろう。事実、エレナ子爵は途端に視線を宙に彷徨わせ始めた。
「……やはり止めないか? このような形は王の望みでなさそうだ」
さすがエレナ子爵。
ちゃんと現実を見ているな。
俺は何とか窮地を脱することが出来たと安堵したのだが。
「しかし、この機会を逃しますとエレナ様は二度と王と結ばれませんよ?」
「う……」
「上手くいけば王の寵愛を受けることが出来て傍にいることが出来るかもしれません」
「うう……」
「そこを迷うなエレナ子爵! 失敗した際に失うものの方が大きいことを自覚しろ!」
俺はそうエレナ子爵を止めようと言葉を放つのだが、最後に言ったキリングの言葉が致命的だった。
「この痺れ薬もベアトリクス王女によるものです。『これなら我が君に飲ませて何をしても構わないわ』との言質も頂いていますから何の心配もいりません」
「ベアトリクスーー!!」
俺は断末魔の様な悲鳴を上げてしまう。
エレナ子爵も「そ、そうか。それなら大丈夫だな」と頷いているが、俺はそれよりもキリングの方が憎い。
「キリング! お前はわざと隠していたな!?」
ベアトリクスからのお墨付きと最初に言えばここまでの喜劇を演ずることはなかったと断言できる。
さすがあの騙されやすいエレナ子爵をサポートしてきた者。
その腹黒さは他の者と一線を画している。
ベアトリクスと良い勝負をするのではと勘繰ってしまった。
「まあ、どちらでもいいではありませんか。今はエレナ様の体を愉しんで下さい。こう見えてもエレナ様はとても良い肢体の持ち主で――」
「そんなことを言う必要はないだろう!」
キリングの評価にエレナ子爵はそう叫んだ。
キリングは両手を肩の位置にまで上げて首を振りながら。
「しかし、王は反応していましたよ?」
「っ!」
俺の無意識による僅かな動きを見逃さなかったとは。
恥辱心で歯を食いしばってしまう。
「さあさあ、エレナ様。まずは王をベッドに運びましょう。脱がせること以降は私も手伝いますから」
何かとてつもなく不吉な言葉が聞こえた様な気がする。
そしてそのままベッドに横にさせられ、これで終わりかと覚悟を決めた瞬間。
コンコン
「ねえ、エレナ子爵? ちょっと良いかしら」
絶妙とも言えるタイミングでティータさんのノックが入った。
「な!? どうしようキリング? この場面を見られたら私は終わりだぞ」
案の定、エレナ子爵は激しく取り乱す。
「落ち着いて下さいエレナ様。こういう時は落ち着いて対応すればよろしいのです」
が、残念ながらキリングは瞳の揺れすら見せずに対処案を提示した。
その後、俺を手短なシーツに隠して2人はティータさんを出迎えたのだが、2人はその場で済ませられる内容でなくティータさんの後についていった。
俺は痺れ薬を服用した量が僅かだったことが幸いしたのか2人が帰ってくる前に何とか体の自由を取り戻し、壁に手を付けながらその部屋を後にする。
「……しばらく誰にも会いたくない」
この2、3日は部屋に引き籠っておこう。
俺は自室へ向かいながらそんな決心をした。
次が最後です。
いやあ、楽しかったな。