番外編 エルファの追憶
第3章へ移る前にちょっとした小噺を用意しました。
読まなかったことで本編に影響はありませんので無理に読む必要はありません。
殺せない暗殺者は不必要。
確かにその通りだと私――エルファ=ララフルは首肯します。
暗殺者は人を殺すから存在意義があります。
汚れ仕事を行うために生きています。
では、人を殺せなくなったら。
殺す瞬間に突然ナイフを持つ手が震え、胃の中のものを戻してしまう錯覚に囚われてしまった暗殺者はどうなるのでしょうか。
答えは簡単。
ただこの舞台から消え去るのみ。
私は私を終わらせるために街の外へ出ようとしました。
「あら、エルファじゃない? どうしたの?」
懐かしい声がした方向を振り返るとそこには昔の面影を残した薬売りが立っています。
「……ティータ」
辛うじて私はそれだけを呟きました。
「ふーん、お仕事を首になったのね」
私はティータとすぐに別れようとしたのだが、ティータは私が尋常ならざる雰囲気を放っていることに気づき、半ば無理矢理に近くの店へ連れて行かれて今に至ります。
そこで根掘り葉掘り聞かれましたが、肝心な個所はぼかして答えました。ティータを危険に晒していい道理はありません。
「でもまあ、それで死ぬことはないんじゃない? ほら、人生って仕事だけが取り柄じゃないし」
一般の職業はそうかもしれませんが、生憎と私の仕事は闇の領域に入る部類です。職業上の秘密を守る必要があるため墓場に行かなければなりません。
「もういいでしょう。これは私の問題です」
そう言って私は席を立ち上がろうとしますが、ティータは袖を引っ張り離してくれません。
「私の問題は私の問題、エルファの問題も私の問題よ」
真顔でハッキリと言い切るティータを見て私は「ああ、昔と一緒ですね」と苦笑します。
思えば幼少時代もそうでした。
私とティータは記憶がある頃から一緒で、私にその道の才能があると判断される8歳まで一緒にいました。
寡黙だった私にいつも目をかけ、他の友達よりも私と共にいることを望んでくれました。
明るく、面倒見の良いティータが私の傍にいることを鬱陶しいと感じたことも良い思い出です。
「じゃあエルファはお仕事が見つかればいいのね」
しばらくの押し問答の後ティータが疲れた様子でそう聞いてきましたので私は首肯します。
しかし、私はその質問に意味はないと考えています。
どこの世界に重大な秘密を抱えた人物を野放しにする阿呆がいるでしょう。
この都市に留まっていると早くて数日後には私は屍を晒しています。
街を出ようにも私はこの生き方しか知りません。
つまり私は死ぬしかないのです。
「失礼していいですか」
これ以上話す必要はないと判断して私は再度席を立ちます。
今度は袖も引っ張られませんでしたので私は踵を返しました。
「ユウキ=カザクラって知ってる?」
その質問を聞いた私は足を止めました。
最近現れた正体不明の浮浪児が市民権を手に入れて一角の人物になったので、念のために監視を付けるという話を聞いたことがあります。
私が振り向くとティータはしめたとばかりにニコーッと笑って。
「興味を持った? あの子ってただの浮浪児には過ぎたる技能を持っているから不安なのよね。そういえばエルファって昔から強かったからあの子のボディーガード兼メイドになってみない?」
特段私は生きることに興味がないわけではなく、死ぬしかないから死のうと考えていたのです。
生きることができるのなら私は垂れ下がった蜘蛛の糸も掴みましょう。
後日
ユウキ=カザクラのメイドとして侵入に成功できたことで、私は死から免れることができました。数日に一度報告書を書かされますがそれは仕方のないことでしょう。
さて、メイド服に袖を通すのは初めてですが中々着心地がよろしいですね。下手すれば前に着ていた黒装束よりも動きやすいかもしれません。
「これはあの子が作った代物なんだけどね」
そう言ってティータは苦笑しますが私には笑えません。これだけの逸品を作れるユウキは何者なのでしょうか。このメイド服は王宮の備品と嘯かれても大多数の人が信じる出来栄えです。
ティータに付き添われ、私は扉の前に立ちます。
呼び鈴を押されて中の主がこちらへ向かい、そして扉を開けました。
「ああ。ティータさんか、こんにちは。で、隣の女性は誰かな?」
私はティータにせっつかれたので一歩前に進み出て頭を下げました。
「お初にお目にかかります主。私の名はエルファ=ララフル。横のティータ=エルマライの紹介により主のメイドとして参上いたしました」
「へえ、エルファさんってバイオリンも弾けるのか」
ある日、朝食を作り終えて手持ち無沙汰だった私は何気なくバイオリンを手に取って弾きました。
こう見えても私の趣味はバイオリンです。
仕事を始める前と終わった後に自分を切り替えるためにバイオリンを弾いていました。
喜んでもらえて何よりです。
一曲弾き終わった私はバイオリンを元の位置へ戻しているところ、主がしみじみと呟きます。
「料理も掃除も大分マシになってきたことだし良かったな」
恥ずかしながら私は料理や掃除などメイドとして必要な技量を身に付けていませんでしたが、主はそのことに文句一つ言いませんでした。
しかし、主は許しても私のプライドが許さないのです。
仕事は完璧に。
それが私のポリシーですから、しばらくの間メイドとして技量を身に付けるために努力しました。
そのために犠牲となった食材と装飾品には合掌を送るしかありませんが。
このところ、私は主に対してイラつきがあります。
他の家の従者から見れば贅沢だと非難されると思いますが言いたいことがあります。
主は怒らないのです。
いえ、怒らないというより全ての出来事に対して無頓着と言うべきでしょうか。
無礼な客が訪れて弾劾されようとも、柄の悪い冒険者に脅されても主は何の関心も払いません。形だけとはいえ仕えている者にとっては主が私以外に馬鹿にされるというのは酷く屈辱的な光景です。
しかも主はそのことをどうでもいいとしか感じていません。
これは少し喝を入れるべきでしょうか。
手始めに来客室に豪華な品を並ばせましょう。
それで怒ってくれれば私としては喜ばしいことです。
……まあ、主を苛めることに若干の悦びがあったことを否定しませんが。
「師匠、今日も来ました」
そう言ってニッコリと微笑みかけるのは最近出入りするようになったサラ=キュリアスです。
主と接触しに来ましたので、念のため裏を探ってみましたが何も出てきません。これは正直に主の鍛冶の腕前に惚れたというところでしょうか。
このメイド服もそうですが、主は物を作るということにかけては常軌を逸していますから気持ちもわかります。
「師匠、今日も見学しますね」
そう馴れ馴れしく主に近づくサラ様。私が言うのもなんですが、仮にも師匠と崇め奉っているのですからもう少し敬意を払うべきでしょう。
と、主のメイドである私は思います。
私は人を殺せません。
いや、殺せなくなったと言いましょうか。
そのために私の能力は大幅に低下しています。
しかし、そうは言っても「はい、そうですか」とやられるわけにはいきませんが。
「ば、化け物め……」
大広間で現在立っているのはそう発したリーダー格の男と私だけです、他は全員眠ってもらいました。
主は闇の世界でも有名らしく、どうにかして主を手に入れようと画策している輩がいますが、その中に今回の様な乱暴な手段に出る者の後が絶ちません。
「さすが『氷の死神』と呼ばれただけはあるな」
懐かしい名を出してきた相手を私はジロリと睥睨します。
よくわかりませんが、私はやるべきことをやっているとそんな2つ名で呼ばれ始めました。
老若男女問わず人を殺す時は顔色一つ変えないからだそうです。
まあ、今となっては興味などありませんが。
リーダー格の男はこの場から脱しようと背を向けましたが、それを見逃す私ではありません。
得意のスローイングで彼の背中にダガーを投げつけました。
主特製のダガーですから当たると確実に眠ります。
やれやれ、こんな代物を作るから狙われるのですよ。
侵入してきた輩を縛りながらそんなことを考えます。
「お疲れ様」
全てが終わった頃に主が地下室から戻ってきました。
襲撃があった場合、身の安全を確保できるまで主は地下室で過ごしてもらうことにしています。
「ふわー、エルファさんって凄いんだね」
一緒に避難していたサラ様もそんな感嘆の声を上げます。
「ありがとうございます」
このような場合は謙遜するのが一番だろうと考え、私は一礼しました。
どうでもいいことかもしれませんが、サラ様に身の危険が迫ると主が困るため他の『草』が常に張り付いています。
ヒュエテル様と主が孤児達をどうするかで話し合っています。
本人達は良かれと思ってやっているかもしれませんが、警護するこちらの身にもなってほしいものです。
主が行っている孤児しかりスラムの解体を行って一番困るのは闇の人間です。
彼らは汚れ仕事をそういった使い捨ての人間に行わせるのですが、主達の行動のおかげで人間が集まりにくくなり、結果として彼らの行動を制限しています。
闇の人間は国にとっても害悪でしかないので国は主の行動を好意的な目で見ていますが、主達に対する報復活動が行われているのは事実。最近になって襲撃回数が増えてきました。
襲撃を行うファミリーはすでに見当を付けているのですから、国は早いところ解体させてほしいものです。
主も人の子だということが分かった出来事でした。
サラ様の態度に主もとうとう堪忍袋の緒が切れたようで、無謀な課題を出しました。
普通ならそこで終わりなのでしたが、サラ様は私と同じで己の身よりも課題をこなすことのほうが重要なようです。
その姿勢は仕事を完璧にこなす私は共感ができますが、主はそうではなかったようです。サラ様をどう止めようか狼狽して苦しんでいます。
仕方ありません。
私はそっとため息を吐いた後、サラ様の父親へ会いに行きました。
主に汚れ役を押し付けるわけにはいきませんから。
サラ様の父親は子煩悩なようです。
まさか話し合いに来た主を問答無用で投げ飛ばすなど想像できませんでした。
今の事態は私の責でもあります。
それを償うために今回は主を手助けいたしましょうか。
私はキュリアス家の行動パターンを整理して主に手渡しました。
主の笑顔が若干引きつり気味だったのは気のせいだということにしましょう。
サラ様の件で私はようやく主の人間らしい面を知ることができました。
ですので私はサラ様を慰めた主に対して賞賛させていただこうと口を開きました。
最近王宮がきな臭いです。
現国王の容体が悪化し、次の国王を誰にするか迷っているようです。
世襲的に見れば第1王子のフォルター宰相。
能力的に見れば第2皇子のキルマーク騎士団長。
現在王宮はこの2派閥に分かれて争っているようです。
王宮闘争に興味などありませんが、このままですと近いうちに権力とは違った力を持つ主が巻き込まれるのは必至。
せっかく得た安住の地を手放すわけにはいきません。
天が与えた機会とでも言いましょうか、目の前には義賊が奪った金銀財宝があります。
これと少しの主の財産を使えば王宮闘争の及ばない地へ逃げることができるかもしれません。
「主、提案があります」
私は前々から思索していた考えを披露しました。
主は単身ジグサールヘ向かいました。
本来なら私も同行したかったのですが、そこは王宮からストップがかかりました。
大方私まで連れて行くと王国にとって主が脅威になると考えたのでしょう。
まあ、その通りでしょう。
主は大きな力を持つ反面、隙が多すぎます。
どこかの刺客に狙われたら高確率で命を失うでしょう。
しかし、それは主が一人の場合です。
私は密かにヒュエテル様と相談し、主の身辺を守るための教育を受けた孤児を何人か主の傍に置くことにしました。
私が太鼓判を押した孤児達です。
そこら辺りの刺客では相手にならないでしょう。
さて、私は主の代わりにサラ様の警護を行うことになりました。
サラ様は主ほどではないにしろ脅威ともいえる力を付け始めています。
上が上なら下も下と言いましょうか、隙の多さは主と勝るとも劣りません。
主は落ち着いたら全員をこちらに呼ぶと仰っていますから、その時までサラ様の身の安全を守りましょうか。
鍛冶場工房は主特製の施設ですので、使用中なら誰も入ることはできません。ですので今の時間帯は自由に行動できます。
「あら? エルファじゃない」
街中を進んでいるとそんな声が聞こえました。
「ティータですか、どうしました?」
私がそう尋ねるとティータは何が嬉しいのか笑いながら頷いていました。
「良かったわと一安心している最中よ」
「何を訳の分からないことを」
「アハハ。いいじゃない、別に。ところでエルファ、なんでメイド服を着ているの?」
「これですか?」
私は服の裾を摘み上げます。
色々理由はありますが、やはり安心するからでしょう。
さすがは主と言いますかこのメイド服はとても肌に馴染み、動きやすいので同じのを何着も持っています。
「エルファ、注目の的よ」
確かに言われると多くの視線が私に集まっています。おかしいですね、私の他にもメイド服を着て歩いている人がいるのにどうして私だけ。
「エルファは少し自分の容姿を気にするべきね」
ティータが呆れ気味にそんなことを呟きました。
「ところでエルファ、今暇? 時間があるなら少しお茶しない?」
そうティータが誘ってきましたので私は頷くことにします。
帰りは多少遅くなるでしょうがサラ様は気にしないでしょう。
「もう3年か、月日が経つのは早いものね」
3年前と同じ店の同じ席に座ったティータはしみじみとそんなことを呟きます。
確かにこの3年は殺し一色の日々と違い、充実していました。
「ティータ、ありがとう」
感謝の意味を込めて私は頭を下げます。
「ティータがいなければ私はここにいなかった」
私は自然と旧友に頭を下げます。
で、それを見たティータの反応は。
「どSのエルファが頭を下げるなんて、今日は雨でも降りそうだわ」
……失礼なことを言いますね、ティータは。
私は無言で目を細めました。
追記 エルファが暗殺者として活躍していたのは8歳から15歳までで、主人公のメイドとなったのは16歳からです。
……かなり早熟ですがエルファは17歳という設定に合わせるために見逃してください。