選ばれし
「聞きなさい、子らよ」
その男は死にかけていた。妻に先立たれた男は、その妻を追わんと今まさに死にかけていた。
「私と妻は選ばれし人間だった」
男は妻が残してくれた沢山の子供に、最後の力を振り絞って話しかける。
息子も娘もいる。兄弟姉妹ともに健康だ。そして聡明でもある。
皆が父の最後を悟りその言葉に耳を傾けていた。
「その証拠に、あの未曾有の大災害を私と妻だけが生き残った」
男は感慨深げに呟いた。もはや大きな声は出せないのだろう。
だが男は子供達に全てを語ろうとしているようだ。手足をぴくりとも動かさず、口元だけ動かして子供達に語りかける。最後の命の灯火を、その話の為だけに燃えつかせようとしているかに見える。
「あれだけの厄災。私と妻が生き残ったのは奇跡だったのだ。私は初め、私達以外の人類も生き残っていると信じた。そしてありとあらゆる周波数の電波を使って、世界中に呼びかけた。だが何処からも返事はなかった。あの災厄で生き残ったのは、本当に私と妻だけだったのだ。私はその意味を考えた」
男は大きく息を吸った。そして何やら感謝の言葉を己の口中だけで呟いた。それは男が信じているものに対する祈りの言葉のようだった。
「私は信心深い人間だった。妻もそうだった。そう。それこそが、我々が選ばれし理由だと私は信じた」
男の言葉に子供達は真摯に頷く。誰もが父の言葉を己のものにせんと、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「あれだけの文明を誇った人類が滅んだのは、それは天罰だったのだ。その証拠に信心深かった私達だけが生き残り、自堕落で破戒的な人間は皆死んでしまった。私達だけが、夫婦となってお前達をもうけることができた。これは私達に課せられた使命だと思う。私達が新しい人類の祖になれという、大いなるものの意思なのだ。だからお前達も私達のように生きて欲しい。これから先、もう一度大災害が起こっても生き残れるようにだ」
子供達が頷いた。男の話に素直に聞き入っている。
男は如何に生きるべきかの戒めを、今際の際に子供達に語り始めた。
「盗むべからず。騙すべからず。偽るべからず――」
それは常日頃から男が子供達に言って聞かせていることだった。子供達は一つ一つ頷く。父の言葉に従う決意を固めているのだろう。
「殺すべからず。争うべからず――」
男の戒めは尚も続く。それは男が守ってきた全ての教えだ。男を新しい人類の祖にした、まさに信心の核となる教えだ。
だが最後の戒めに子供達は困惑する。
「近親相姦すべからず――」
困惑に互いの顔を見合う子供達を余所に、男はそう満足げに呟くと息を引き取った。