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第9話 攻略対象たち、史上最年少阿闍梨に調子を狂わされる

王立エーヴェルシュタイン学園には、どうやら人が人を観察するのを好む気風があるらしい。


 九十九院霊真がそう感じたのは、気のせいではなかった。


 朝に食堂へ行けば、遠巻きに視線を向けられる。

 廊下を歩けば、前を通り過ぎたあとで小声が追ってくる。

 図書塔の前で立ち止まれば、近くの窓際で本を読んでいた生徒が、ページをめくるふりをしながらこちらの様子を窺っている。


 しかもその視線の中身が、微妙に変わってきているのが分かった。


 当初は、

 「中庭に現れた謎の転移者」

 を見る目だった。


 次に、

 「リリアーナを抱きとめた妙に礼儀正しい男」

 を見る目になった。


 さらに、

 「悪役令嬢と夜の回廊で何やらあったらしい危険人物」

 を見る目も加わった。


 情報の増え方があまりに忙しい。


 比叡山でなら、これほど短期間に肩書きが三つも増えることはなかっただろう。たぶん増えても「よく歩く人」くらいである。


 だが学園は違う。


 しかもこの学園では、人間関係の流れそのものが何かの筋書きのように動いている。誰が誰と話した、誰が誰を見た、その一つ一つに意味を見出したがる空気が濃いのだ。


 そのせいか、懇親会を前にして学園全体が落ち着かない。


 王子主催の大規模な場である。

 貴族子弟にとっても、庶民出身の奨学生にとっても、立場がはっきり出る。

 そして今は、その空気にセレスティア・フォン・ローゼンベルクをめぐる不穏さまで混じっていた。


 そんな中、霊真のもとへは、それぞれ違う匂いを持った者たちが順番に現れた。


 まるで待ち構えていたかのように。


    ◇


 最初に来たのは、第一王子アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインだった。


 昼下がり、学園の庭園に面した回廊である。

 霊真は中庭に比べれば静かなその場所を好んで歩いていた。石畳が涼しく、風も通るし、何より人の密度が少し低い。


 その前方に、金色の髪が見えた。


 王子は、いかにも王子らしい姿で立っていた。

 背筋は真っ直ぐで、仕立てのよい制服も不思議なほど似合う。絵物語に出てくる高貴な青年そのものだ。しかも本人にその自覚があるらしく、立ち姿にまで“人の上に立つ者の正しさ”が染みついている。


「レイシン」


 名を呼ばれ、霊真は足を止めた。


「アルフレッド殿下」


 一礼する。

 礼はするが、平伏するわけではない。


 その絶妙な距離感に、アルフレッドは一瞬だけ目を細めた。


「少し、話がしたい」


「はい」


 王子は遠回しな前置きをせず、まっすぐ本題へ入った。


「君は何者だ」


 率直だった。


 霊真は少しだけ考える。


「阿闍梨です」


「それは聞いた」


「遠い地より参りました」


「それも聞いた」


「……では、何をお答えすれば」


 アルフレッドが小さく息をつく。

 苛立っているわけではない。むしろ、妙に調子が狂っているようだった。


「中庭で見せた力、そしてその後の行動。君はあまりにも……」


 言葉を探しているらしい。


 霊真は待った。


「あまりにも、この学園の常識の外にいる」


「そうかもしれません」


「否定はしないのだな」


「こちらの常識をまだよく存じませんので」


 その返しに、アルフレッドは数秒黙った。


 たぶん、こういう相手に慣れていないのだろう。

 王子という立場にいる者の周りには、たいてい二種類の人間しかいない。媚びる者か、反発する者だ。だが霊真は、そのどちらでもない。礼儀は尽くす。だが、相手が王子だからといって態度を変えたりはしない。


 それがアルフレッドには、少しばかり扱いづらいらしかった。


「君は、私が王子だからといって緊張しないのか」


「緊張はしております」


「そうは見えない」


「女性よりは」


「何?」


「いえ」


 霊真は口をつぐんだ。

 これは余計だったかもしれない。


 だがアルフレッドは、そこで初めて少しだけ笑った。


「……本当に妙な男だ」


「よく言われます」


「その言葉、便利に使っているだろう」


「最近そうかもしれません」


 王子の口元がごくわずかに緩む。


 その表情を見て、霊真は少し意外に思った。彼はもっと張りつめた人かと思っていたが、調子を崩されると年相応の青年の顔も見せるらしい。


 アルフレッドはすぐに表情を戻した。


「君が何者であれ、この学園にいる以上は無関係ではいられない。特に、懇親会では」


「何か起こるのでしょうか」


「……起こらないなら、それに越したことはない」


 答えになっているようでなっていない。

 だがそれだけ、この王子自身も今の空気に確信を持てていないのだろう。


「一つ、聞いてよいだろうか」

 と霊真が言う。


「何だ」


「殿下は、セレスティア殿をどのようなお方と思っておられますか」


 その問いに、アルフレッドの目がわずかに揺れた。


「……難しい質問だ」


「そうでしょうか」


「君は簡単に聞くな」


 苦い声音だった。


 そこに、単純な愛憎だけではない複雑さがあると霊真には分かった。

 婚約者。

 王子。

 悪役令嬢。

 その役割が、本人たちの本音より先に積み上がってしまっているのだろう。


 アルフレッドは最後に言った。


「君は、身分で動じないな」


「動じております」


「だから、そうは見えないと言っている」


 その一言を残し、王子は去っていった。


 背中は堂々としている。

 だが、その歩みにほんのわずかな迷いが混じっているように、霊真には見えた。


    ◇


 次に来たのはガイゼル・ヴァン・ドレイクだった。


 場所は訓練場の脇である。

 霊真は別に鍛錬を見物しに来たわけではなかったのだが、広くて人の気配が分散しているので、落ち着く場所として歩いていた。すると、訓練用の木剣を肩に担いだ長身の青年が、真正面からやってきた。


「よう」


「ガイゼル殿」


「殿はいらねえよ」


「では、ガイゼル殿」


「残るじゃねえか!」


 なぜかそこで怒られた。


 ガイゼルは額を押さえ、それから霊真を頭の先から足元までじろじろ見た。


「なあ、おまえさ」


「はい」


「中庭で派手なことやったらしいけど、見た感じだとそこまで強そうには見えねえんだよな」


 率直である。


 だが悪意は薄い。

 純粋に、確かめたいのだろう。


「強そう、とは」


「だから、こう……もっとあるだろ。圧とか、筋肉とか、いかにも達人っぽい隙のなさとか」


「ございますか?」


「いや、おまえの場合、隙がないっていうより、力んでねえ感じなんだよ」


 それはたぶん、褒めているのだろう。


 ガイゼルは木剣をくるりと回し、軽く顎をしゃくった。


「ちょっとだけ付き合えよ。模擬戦ってほどじゃねえ。軽くだ」


 霊真は一瞬だけ考えた。

 断る理由もある。別に勝ち負けに興味があるわけではないし、騒ぎを起こしたくもない。

 だが、この青年が力でしか納得しないタイプであることも分かる。


「お怪我は避けたいのですが」


「避けろよ、そこは」


「善処します」


「その言い方、怖えんだよ」


 結局、訓練場の端で、本当に軽いやりとりだけすることになった。


 ガイゼルが木剣を構える。

 霊真は素手のままだ。


「いや、おまえも何か持てよ」

「必要でしょうか」

「必要だろ!」


 またしても怒られる。

 そこで訓練用の短い棒を渡され、霊真はそれを受け取った。重さを確かめ、軽く握る。


 開始の声もなく、ガイゼルが動いた。


 速い。


 それは分かった。

 素人の踏み込みではない。実戦を意識した、無駄の少ない前進だ。だが、それでもまだ若い。力があるぶん、最初の一歩に少しだけ意志が乗りすぎる。


 霊真はその“乗り”を見た。


 一歩ずらす。


 棒を当てるでもなく、相手の軸へ軽く触れる。


 それだけだった。


「――は?」


 ガイゼルの体勢が、ぐらりと崩れた。


 転ばせたわけではない。

 ただ、踏み込みの芯を外された。

 次の瞬間には、木剣の切っ先が明後日の方向を向き、本人は思わず二歩たたらを踏んでいた。


「……今の、何だよ」


「踏み込みがやや前へ出すぎておられましたので」


「いや、意味が分かんねえ」


 ガイゼルは唖然としている。


 周囲で見ていた何人かの訓練生たちも、同じ顔をしていた。


 霊真は少し申し訳なく思った。


「強引すぎましたでしょうか」


「強いとかじゃねえよ……」


 ガイゼルは木剣を下ろし、額に手を当てる。


「何つーか、力で負けた感じがしねえ」

「はい」

「なのに、勝てる気もしねえ」

「それはよかったです」

「よかねえよ!」


 霊真は叱られているのか喜ばれているのか、やはりよく分からなかった。


 だがガイゼルの目つきは、最初と変わっていた。

 胡散臭い優男を見る目ではない。

 得体の知れない“本物”を見た者の目だ。


「……あんた、強いっていうより、無駄がねえんだな」


 最後にそう言って、ガイゼルは妙にすっきりした顔で去っていった。


    ◇


 ルシアン・エーデル=クロイツは、予想どおり面倒だった。


 図書塔の一角である。

 霊真が静かな場所を求めて本棚のあいだを歩いていると、銀髪の少年はまるで前からそこに配置されていたかのように現れた。


「探しました」


「私を、でしょうか」


「ええ」


 目が据わっている。

 研究対象を見つけた学者の目だと、霊真は前回から思っていたが、その認識は正しかったようだ。


 ルシアンは開口一番、言った。


「あなたのあの力、どういう原理ですか」


「分かりません」


「分からない、で済ませないでください」


「本当に分からないのです」


「そんなはずがないでしょう」


「ございました」


 会話が噛み合わない。


 だがルシアンは諦めなかった。


「結界でしたか」

「近いかもしれません」

「浄化?」

「それも近いかと」

「詠唱なし、魔法陣なし、媒体なし」

「はい」

「理論が存在しません」

「そうかもしれません」


 ルシアンは本気で頭を抱えた。


「あなた、自分がどれだけ無茶なことを言っているか分かっていますか」


「こちらの常識をまだ」


「それを差し引いてもおかしいんですよ!」


 図書塔で声を荒げるあたり、彼もだいぶ調子を狂わされている。


 霊真は少し考えたあと、自分なりに説明を試みた。


「乱れたものがあれば、静めます」

「抽象的すぎます」

「穢れたものがあれば、祓います」

「宗教概念ですか?」

「近いかもしれません」

「魔法ではなく?」

「私には区別がつきません」


 ルシアンは本当に困っていた。


 だが、その困惑の奥で明らかに興奮しているのが見て取れる。

 この少年は、理解できないものに出会うと苛立つと同時に喜ぶ性質なのだろう。


「……既存の理論から完全に外れているのに、結果だけは高位術式を凌駕している」


 ぶつぶつと独り言のように言う。


「興味深いどころではありません。反則です。ずるい。こんなもの、研究者として見過ごせるわけがない」


「見過ごしては」


「見過ごしません」


 即答だった。


 霊真は内心で、やはり面倒だと思った。


 だがルシアンはそこでふと、別の角度から霊真を見た。


「あなた、ローゼンベルク嬢にも同じ目を向けていましたね」


「同じ目、でしょうか」


「役割ではなく、人を見る目で」


 図書塔の静けさの中で、その言葉は妙に重く響いた。


 霊真は少しだけ考えた。


「そのほうが、誤りが少ないかと」


「そうでしょうね」


 ルシアンは本棚に寄りかかり、口元をわずかに上げた。


「本当に厄介な人だ」


「そうでしょうか」


「ええ。理論を壊し、人間関係まで壊しそうです」


 それは褒められているのか分からなかった。


    ◇


 最後に現れたのは、ミレーユ・セラフィナだった。


 夕方の礼拝堂。

 学園の一角に設けられた小さな祈りの場だ。


 霊真は、異世界へ来てからもこういう場所へ自然と足が向く。石の床、静かな空気、少し冷えた匂い。完全に同じではないが、祈りのために整えられた空間には共通するものがある。


 そこで、ミレーユは待っていた。


「やはり、いらっしゃいましたね」


「ミレーユ殿」


「殿はいりません」

「では、ミレーユ殿」

「……残りますね」


 また同じことを言われた。


 どうやらこの世界では、敬称の扱いが難しい。


 ミレーユは微笑んだまま、しかし真っ直ぐに霊真を見つめていた。その目には警戒もある。柔らかいだけの少女ではない。聖女候補という肩書きにふさわしく、見極めようとする強さがある。


「お聞きしたいことがあります」


「はい」


「あなたの力は、聖なるものですか。それとも異端ですか」


 率直だった。


 霊真は少し考えた。

 だが、答えは簡単には出ない。


「私には分かりません」


「分からない?」


「はい。私は、困っている方があれば力を貸したいと思っております。そこに善悪の名をつけるのは、私ではないかと」


 ミレーユはしばらく黙った。


 やがて、静かに一歩近づく。


「では、祈ってみてください」


「ここで」


「はい。見せてください。あなたが、どこへ向けて祈るのか」


 試されているのだと分かった。

 霊真は頷き、礼拝堂の中央へ進んだ。


 特別なことはしない。

 ただ、いつもどおり呼吸を整え、目を閉じる。


 祈りは技術でも演技でもない。

 だから見せようとして見せるものでもないのだが、今ここで必要なのは、言葉ではなく在り方なのだろう。


 静かに、息を吐く。


 吸う。


 胸の奥を整える。


 比叡山でそうしてきたように。

 御岩の山で自然にそうなったように。


 礼拝堂の空気が、わずかに澄んだ。


 霊真自身には、それが当たり前すぎて分からない。

 だがミレーユには違ったらしい。


 彼女は息を呑み、目を見開いていた。


 そこにあったのは、派手な光ではない。

 奇跡めいた現象でもない。

 ただ、祈りが祈りとして成立している、あまりにも静かな深さだった。


 ミレーユはぽつりと言った。


「……こんな祈り方、初めて見ました」


「そうでしょうか」


「ええ。もっと、こう……言葉や形式や、神への問いかけが前に出るものです。でもあなたのそれは違う」


 彼女は胸に手を当てる。


「まるで、祈ること自体がもう呼吸みたい」


 その言葉に、霊真は少しだけ首をかしげた。


 自分では特別なことをしたつもりはない。

 だが、それでいいのかもしれないとも思う。


 ミレーユは静かに目を伏せた。


「異端か聖者か、見極めようと思っていました」


「はい」


「でも、逆にこちらが揺さぶられてしまいました」


「それは申し訳なく」


「謝らないでください」


 少し強い口調で言ってから、彼女はやわらかく笑った。


「ただ……あなたを簡単には断じられないと分かりました」


 その表情は、最初よりずっと本音に近いものだった。


    ◇


 夕暮れどき、霊真はひとり中庭を歩いていた。


 石畳は橙色の光を受け、噴水の水面も柔らかく揺れている。昼よりも人の数は少ない。遠くで話し声がする。学園は相変わらず美しく、少しだけ不自然なほど整っていた。


 今日一日で、四人と話した。


 第一王子アルフレッド。

 騎士枠のガイゼル。

 天才魔術師ルシアン。

 聖女候補ミレーユ。


 どの人も、良い人たちなのだろうと霊真は思った。

 少なくとも、それぞれに誠実さはある。

 ただ、その誠実さが皆、どこか張りつめている。


 王子は立場に。

 騎士は強さに。

 魔術師は理論に。

 聖女候補は信仰に。


 そしておそらく、セレスティアは“悪役令嬢”という役に。


 皆、それぞれの役割へ、少しずつ自分を押し込められているように見える。


「……皆よい方々ですが、どこか張りつめておられる」


 自然と独り言が漏れた。


 そのとき、ちょうど近くを通りかかった生徒たちが、その言葉の後半だけを拾ったらしい。


「え、今の誰のこと?」

「“皆よい方々”って……王子殿下たち?」

「なにそれ、もう攻略済みみたいな言い方じゃない?」

「何をどうしたらそうなるのよ」


 また妙な誤解の種が撒かれた気がした。


 だが霊真は気づかない。


 彼にとってはただ、ひどく整いすぎたこの学園で、皆が少しずつ疲れているように見える、それだけのことだった。

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