第27話 黒幕の手、ついに霊真本人へ届き始める
脅し文句というものは、もう少し工夫して書くものではないのだろうか。
九十九院霊真は、自室の机へ置かれていた紙を見下ろしながら、まずそんなことを思った。
朝の光はまだやわらかく、窓の外では中庭の木々が風に揺れている。学園の一日は始まったばかりで、本来ならもっと穏やかな気配が流れていてよい時間帯のはずだった。
だが、今朝の客室には明らかにその穏やかさがなかった。
扉の下から差し込まれたらしい一枚の紙。
折り目も雑で、封もされていない。
筆跡はわざと崩してあるのか、整っているようで品がない。
書かれている文面は、さらに品がなかった。
――余計な介入をやめろ。
――学園の問題に首を突っ込むな。
――次は無事では済まない。
「……」
率直だ。
率直すぎる。
霊真はしばらくその紙を見つめていた。
怖くないわけではない。
だが、怯えより先に思うのは、
「ついに私本人へ来たのですね」
という事実のほうだった。
今までの流れは、あくまでセレスティア・フォン・ローゼンベルクを“悪役”へ押し込めるためのものだった。霊真はそれへ割って入り、少しずつ歯車をずらしてきたにすぎない。
その自分へ、こうして明確な言葉が届いた。
それはつまり、向こうから見ても、自分がもはやただの異物では済まなくなったということだろう。
そう考えたところで、扉が叩かれた。
「レイシン、いるか?」
ガイゼルだった。
「はい」
霊真が返事をすると、返事を待ちきれぬように扉が開く。
そして部屋へ入ってきたガイゼルは、霊真の顔より先に机の上の紙へ目をやった。
「……やっぱりか」
その一言で、ガイゼルの勘が働いていたことが分かった。
「ご存じでしたか」
「知ってたわけじゃねえ。でも来そうな空気してた」
彼は紙を手に取り、ざっと読んだあと、露骨に顔をしかめた。
「雑だな、おい」
「私も少しそう思いました」
「そこ同意すんなよ。いや、同意するけど」
ガイゼルは深く息を吐いた。
そして次の瞬間には、かなり本気で怒っていた。
「……ふざけやがって」
低い声だった。
こういうときのガイゼルは分かりやすい。
体格のよい若者が怒っている、以上のものがある。騎士というより“身内へ手を出された男”の怒りだと、霊真には見えた。
「大丈夫か」
ぶっきらぼうに問う。
「はい。今のところは」
「今のところ、で済ませてるあたりが気に食わねえ」
「申し訳ありません」
「謝るな」
またしても理不尽に怒られた。
だが、その理不尽さも今はありがたかった。
「とにかく、一人で動くな。昨日言ったばっかだぞ」
「はい」
「返事だけはいいんだよな、ほんとに」
ガイゼルはもう一度紙を見てから、霊真へ突き返した。
「これ、すぐ共有する。殿下とルシアンと……いや、全員だな」
そこまで言ってから、彼は少しだけ声を落とした。
「ローゼンベルクにも」
セレスティアの名を、今は呼ばなくても意味が通じる。
霊真は静かに頷いた。
◇
その日のうちに、例の即席共闘体制は再び顔をそろえることになった。
場所は前回と同じく、図書塔奥の閲覧準備室。
ただし今回は、部屋へ入ってくる面々の表情が前より明らかに重い。
最初に来たルシアンは、脅迫文を見るなり机へ手をつき、紙へ顔を寄せた。
「触りましたか」
「少しだけ」
「……まあ、仕方ありませんね。最初に読むなとは言えませんし」
彼は懐から手袋を出し、文面を丁寧に持ち上げる。
銀の瞳が、研究対象ではなく“犯人へ近づく手がかり”を見る目になっていた。
次にアルフレッドが来る。
王子は紙を見るなり、顔色を変えた。
「これは……君を脅したのか」
「そのようです」
霊真が答えると、アルフレッドは一瞬だけ言葉を失った。
それから、ごく低い声で言う。
「私の学園で」
それは王子としての怒りだった。
前回までの迷いとは違う。
今度ははっきりと、“自分の管理下にある場で一線を越えられた”ことに対する怒りがある。
リリアーナが来たのは、そのすぐあとだった。
部屋へ入るなり、彼女は霊真の顔を見た。
次に机の上の紙を見て、はっきり青ざめる。
「えっ……」
声が小さく裏返る。
「これ、レイシンさんに……?」
「はい」
リリアーナの指先がかすかに震えた。
「そんな……」
その顔を見て、霊真は少しだけ胸が痛んだ。
自分が脅されること自体より、それでこういう顔をさせてしまうことのほうが、今は気になる。
ミレーユは入室した時点でただならぬ空気を感じ取ったらしく、脅迫文を見る前から表情が引き締まっていた。
そして文面を読み終えると、真っ先に霊真のほうへ向き直る。
「お怪我はありませんか」
「ございません」
「本当に?」
「はい」
その問いには、聖女候補というより、純粋な心配の色が濃かった。
そして最後に現れたセレスティアは、部屋へ入る前から何かを察していたのだろう。
机の上の紙を一目見て、目の色だけが変わった。
「……」
彼女は一瞬、何も言わなかった。
だが霊真には分かる。
怒りと、焦りと、それから自分でも認めたくない種類の動揺が、一度に胸を打っているのだと。
「どういうことですの」
ようやく出た声は、低く冷えていた。
「見てのとおりだ」
とガイゼルが答える。
「今度はこいつ本人に来た」
セレスティアの視線が霊真へ向く。
責めているのではない。
確かめている。
傷ついていないか、平気な顔をしていても無理していないか、そこを見てしまっている目だった。
だがその優しさは、部屋の中では出さない。
出せない。
「……愚かな真似を」
代わりに、そう言う。
声は冷たいが、手の甲に薄く浮いた力みが本音を裏切っていた。
◇
「警備を強める」
最初に明確な対処を口にしたのはアルフレッドだった。
「少なくとも、レイシンが単独で動く時間を減らす。必要なら寮区画への見回りも増やす」
「賛成です」
とミレーユ。
「当然です」
とルシアン。
「当たり前だろ」
とガイゼル。
リリアーナも強く頷く。
こうして見ると、霊真を守る方向では、もう誰も迷っていなかった。
「そこまで大げさにせずとも」
霊真が言いかけると、全員の視線が一斉に向いた。
「今のは無しですわ」
とセレスティア。
「無しですね」
とミレーユ。
「無しだな」
とガイゼル。
「無しです」
とリリアーナ。
「無しです」
とルシアン。
「……はい」
霊真は素直に引き下がった。
ここは従ったほうがよいらしい。
ルシアンはすでに脅迫文の解析に入っている。
小さな測定具を紙の上へかざし、光の揺れを確認しながら眉を寄せた。
「……やはり」
「何か分かりましたか」
アルフレッドが問う。
ルシアンは顔を上げた。
その目に、研究者特有の冷えた興奮がある。
「前と同じです」
「前、というのは」
とリリアーナ。
「感情誘導術式の痕跡です」
部屋の空気が一段重くなる。
「脅迫文そのものに、ですの?」
セレスティアが問う。
「ええ。強くはない。ですが、受け取った相手の心へ微細な不安と圧迫感を残しやすい調整がされている」
「つまり」
とミレーユ。
「単に脅すだけでなく、読む者の心も少し押す、と」
「そうです」
ルシアンは紙を指先で叩いた。
「犯人は、今や明確にレイシンさん本人へ敵意を向けています」
その言い方に、リリアーナが小さく息を呑む。
「そんな……」
「当然ですわね」
セレスティアが低く言った。
「この方が前へ出るたび、筋書きが狂うのですもの」
その“この方”という言い方は妙に距離がある。
だが、それは部屋の中だからだろう。
少なくとも霊真にはそう思えた。
「黒幕はもう、ローゼンベルク嬢だけを排除すればよい段階ではないと判断した」
とルシアン。
「ええ」
アルフレッドも頷く。
「レイシンがこの件の障害として認識された」
障害。
言葉にすると、だいぶはっきりする。
だが霊真は、それを悪くないとも思った。
自分が何かの妨げになっているなら、それはたぶん、妨げるべき流れだからだ。
◇
会議がいったん終わったあと、部屋を出た霊真を、セレスティアが回廊の先で呼び止めた。
「少し、よろしいかしら」
「はい」
人目の少ない角へ移る。
夕方の光が石壁を薄く染めていて、廊下の影は長い。
セレスティアは数秒、何も言わなかった。
言葉を選んでいるのだと分かる。
こういうときの彼女は、勢いで喋らないぶん、余計に本音が重い。
「……あなたが狙われるのは」
ようやく口を開く。
「わたくしのせいでもありますわ」
その声は、小さかった。
自責と、怒りと、少しの悔しさ。
それらを無理に押し込めた声だ。
霊真は少し考え、それから静かに首を横へ振った。
「私が自分で前へ出たことですので」
セレスティアが顔を上げる。
「ですが」
「ローゼンベルク殿の件へ関わると決めたのは、私です」
「それでも、もともと狙われていたのはわたくしですのよ」
「はい」
「では」
「それでも、私が自分で前へ出ました」
真っ直ぐだった。
責任をなすりつけない。
恩義に変えない。
あなたのせいでこうなった、とは一切言わない。
その答え方が、セレスティアにはたまらなく刺さる。
「……本当に、あなたは」
「はい」
「そういうところですわ」
言いながら、セレスティアは少しだけ目を伏せた。
それから、ほんのわずかに続ける。
「ですが、無茶はなさらないで」
霊真はすぐに頷いた。
「承知しました」
「本当に?」
「努力します」
「その答えは信用できませんわね」
そこでようやく、少しだけいつもの調子が戻る。
セレスティアは小さく息を吐いた。
だが、その息は最初よりだいぶ軽い。
「……とにかく、あなたにまで被害が及ぶのは困りますの」
「ご心配いただいておりますか」
「そこは聞かないでくださいまし」
即答だった。
それだけで十分に答えになっていた。
◇
その夜、ルシアンから改めて共有された解析結果で、黒幕の意図はさらに明確になった。
脅迫文には、前と同じ感情誘導術式の微弱な痕跡がある。
つまりこれは、ただの手紙ではない。
霊真本人へ不安を刻み、周囲の者へも“彼は狙われる立場にいる”という空気を植えつけるためのものだ。
黒幕は明らかに、次の段階へ入っていた。
セレスティア失脚の筋書きを狂わせるだけでなく、
その狂いの中心にいる霊真自身を、舞台から排除しようとしている。
そしてそれは、霊真たちにとっても次の局面が近いことを意味していた。




