第24話 騎士枠、護衛役のつもりが完全に身内になる
ガイゼル・ヴァン・ドレイクは、面倒事の匂いにやたら敏い男だった。
敏いというより、勘で嗅ぎ当てると言ったほうが近いかもしれない。理屈を一から積み上げるのはルシアンの役目だし、場の空気を静かに読むのはミレーユやセレスティアのほうが得意だ。だが、
「あ、これ近いうちに面倒になるな」
という直感だけなら、たぶんガイゼルが一番早い。
その日もそうだった。
朝の訓練を終えたあと、彼は水を飲みながら中庭を眺めていた。視線の先では、生徒たちがいつもどおり行き交っている。華やかな制服、整った姿勢、上品な笑い声。表面だけ見れば、王立学園らしい穏やかな昼前の風景だ。
だがガイゼルには見えた。
視線の流れが妙だ。
特に、セレスティア・フォン・ローゼンベルクが通ったあとに残るざわめきが前日より一段濁っている。あからさまな悪意を向ける者はいない。だが、皆が
「何か次が起こるのでは」
と待っている目をしていた。
嫌な感じだ、とガイゼルは思う。
しかもその流れの中心へ、九十九院霊真がまた無自覚に突っ込んでいきそうな気配まである。
「……あの野郎」
小さく舌打ちして、ガイゼルは訓練場を出た。
◇
霊真はそのころ、図書塔から出てきたところだった。
ルシアンとの夜の調査結果を頭の中で整理しながら、昼の学園を静かに歩いている。相変わらず視線は集まるが、本人はだいぶ慣れてしまっていた。慣れてよいものかどうかは分からないが、いちいち気にしていても話が進まない。
「おい」
横から声が飛んできて、霊真は足を止めた。
ガイゼルだった。
訓練着の上に軽く上着を羽織っただけの格好で、いかにも
「さっきまで剣振ってました」
みたいな空気をまとっている。
「ガイゼル殿」
「だから殿はいらねえっての」
「では、ガイゼル殿」
「残すなよそこ!」
いつものやりとりを挟んでから、ガイゼルはすぐに真顔になった。
「一人で動くな」
唐突だった。
だが霊真には、これは軽口ではないとすぐ分かった。
「何かございましたか」
「あるっていうか、起きそうなんだよ」
ガイゼルは周囲を一度見回し、人の少ない回廊脇へ霊真を引っ張るように移動させた。
「ローゼンベルクの件、まだ終わってねえだろ」
「はい」
「しかも前より露骨になってる。ってことは、向こうも焦ってるか、あるいは次を強引に通す気だ」
それはたしかに、ルシアンの見立てとも一致する。
「だから、おまえみてえな無自覚に首突っ込むやつは一人にしねえほうがいい」
「私はそれほど無自覚でしょうか」
「かなりだ」
即答だった。
霊真は少しだけ考えたが、否定しきれない。
ガイゼルは腕を組んだ。
「前にも言ったが、おまえは面倒なやつだ」
「よく言われます」
「でも、本物だとも思ってる」
その言い方は、飾りがなかった。
「だからこそ、一人で動かれると余計に面倒なんだよ。守る側の手間が増える」
「守る側」
「そこ反応すんのかよ」
ガイゼルは呆れたように笑った。
「護衛って意味だよ。あんた、自分で前に出るくせに後ろが薄すぎるんだ」
それはたぶん、ガイゼルなりの信頼表明だった。
彼はもう霊真を、ただの異物とも、ただの観察対象とも思っていない。
面倒なやつだが本物。
だから放っておけない。
そういう立ち位置まで来ている。
霊真は静かに頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます」
「気遣いじゃねえ。手間だ」
「そうでしたか」
「そういう素直な顔すんな!」
ガイゼルはまた少しだけ肩を震わせた。
だが、その笑いが出るうちはまだ大丈夫なのだろう。
◇
面倒は、その日のうちに来た。
場所は教室棟と中庭をつなぐ石の回廊。
人通りはあるが、昼食前で少しばかり流れが緩い時間だった。
霊真とガイゼルが並んで歩いていると、前方から三人組の男子生徒がやってきた。制服の質と立ち居振る舞いからして、上級貴族子弟であることは一目で分かる。笑顔ではあるが、その笑みは誰かを見下すときの形だった。
「これはこれは」
真ん中の男が、いかにも丁寧そうな声音で言った。
「最近話題の転移者殿ではありませんか」
ガイゼルが横で小さく舌打ちする。
霊真は一礼だけ返した。
「九十九院霊真と申します」
「ご丁寧にどうも。あなた、ずいぶん学園内でお顔が広くなりましたね」
「そうでしょうか」
「ええ。王子殿下の前で場を乱し、ローゼンベルク嬢の肩を持ち、今や学園の中心人物気取りとか」
最後の一言で、丁寧さの仮面が少し薄くなる。
霊真は静かに答えた。
「そのようなつもりはございません」
「つもりがあるかどうかは別でしょう」
別の一人が口を挟む。
「転移者のくせに、少々調子に乗っておられるのでは?」
「悪役令嬢の飼い犬ですか?」
「あるいは殿下の顔に泥を塗って悦に入る趣味でも?」
言葉は軽い。
だが意図は軽くない。
これは単なる挑発だ。
しかも、わざわざ人目のある場所を選んでいる。
霊真が怒れば面白いし、怒らなくても“言われて当然の立場”だという空気を補強できる。
露骨だな、と霊真は思った。
だからこそ、受け流すのがよい。
「飼い犬ではありません」
まずそこだけ訂正する。
「では何です?」
「協力者、でしょうか」
「は」
三人組の一人が鼻で笑う。
「都合よく言いますね。ローゼンベルク嬢に拾われたわけでもないのに」
「拾われてはおりません」
「では、何のためにあの女へ肩入れする」
「そこまでの罪があるとは思えなかったからです」
霊真は本当にそれしか言うことがなかった。
だが、その真正面からの返しが、かえって相手を苛立たせたらしい。
真ん中の男の目から、上品そうな笑みが少しだけ消えた。
「なるほど。ではあなたは、自分が何か正しいことをしていると本気で?」
「そうかもしれません」
「曖昧ですね」
「常に正しいとは限りませんので」
「では間違っているかもしれない」
「はい」
「それでも出しゃばると?」
そこまで言った瞬間だった。
ガイゼルが一歩前へ出た。
音は小さい。
だが空気は一瞬で変わる。
「あんたに手ぇ出すなら、まず俺にしろ」
低い声だった。
怒鳴ったわけではない。
それなのに、回廊の空気がぴしりと張る。
三人組がそろって一瞬止まる。
ガイゼルの目は、もう完全に騎士のそれだった。
普段の雑さも軽さもなく、
「ここから先は遊びじゃない」
と告げる目。
「ドレイク卿、これはあなたに関わる話では」
「関わるね」
ガイゼルは即答した。
「こいつにちょっかい出すってんなら、もう俺に関わってる」
「……」
「あと、さっきから聞いてりゃ好き放題だな。転移者のくせに? 飼い犬? 王子の顔に泥? てめえら、言い回しがいちいち安いんだよ」
その言葉に、周囲で様子を窺っていた生徒たちがぴくりと反応する。
人が集まり始めていた。
もちろん、見物のために。
挑発してきた側もそれを望んでいたはずだ。
だが、想定していたのは霊真が困る展開であって、ガイゼルが真正面から庇いに出る形ではなかったのだろう。
真ん中の男が一歩引く。
「我々はただ、少々忠告を」
「忠告?」
ガイゼルが鼻で笑う。
「なら言い方ってもんがあるだろ」
「……」
「聞こえねえように陰口叩けって言ってんじゃねえぞ。表で言うなら、表の覚悟持てって話だ」
霊真は横で静かに聞いていた。
ガイゼルは本気で怒っている。
だがそれ以上に、これはもう立場の表明だった。
彼は今この瞬間、完全に霊真側の人間になったのだ。
面倒なやつだが本物。
だから守る。
だから前に出る。
それが、あの一言に全部出ていた。
◇
周囲のざわめきは当然、別方向へ燃えた。
「見た?」
「今の、ドレイク様……」
「完全に庇ったよね」
「騎士枠まで落ちた……?」
「いや、攻略されたのあっちでは?」
「待って、誰が誰を?」
「分からないけど、とにかく濃い」
またしても誤解が飛び交う。
霊真は小さく首をかしげた。
「騎士枠、とは何でしょう」
「今そこ気にすんのかよ……」
とガイゼルが半ば呆れたように言う。
「落ちた、というのもよく分かりません」
「分かんなくていい」
そう返しながら、ガイゼルは三人組を睨んだままだ。
相手はもう、これ以上続ける気はなさそうだった。
「……失礼しました、ドレイク卿」
真ん中の男がそう言って半歩退く。
だが、その言い方には明らかに
「今は引くが終わっていない」
という色が残っていた。
三人は形だけの礼をして去っていく。
完全な勝ち負けではない。
だが、少なくとも今日この場では、霊真への露骨な挑発は止まった。
◇
「大丈夫か」
人の流れが戻り始めたあと、ガイゼルがぶっきらぼうに聞く。
「はい」
「はいじゃねえよ。こういうの、今後もっと来るぞ」
「でしょうか」
「でしょうよ」
ガイゼルは深く息を吐いた。
「分かっただろ。おまえ、もうただの部外者じゃねえんだよ」
それは事実だった。
学園の歪みへ介入し、
セレスティアの断罪を止め、
主要人物たちと共闘し、
そして今、上級貴族子弟からも目をつけられている。
霊真はもう、舞台の外から立っているだけの異物ではない。
舞台そのものをずらす存在になりつつある。
「先ほどの方々」
霊真が言う。
「見覚えはございますか」
「ああ」
ガイゼルの顔が引き締まる。
「あいつら、前からローゼンベルク絡みの噂の起点にちょこちょこいる連中だ」
「上級貴族グループ」
「そうだ。中心ってほどじゃねえが、少なくとも一員ではある」
それで十分だった。
単なる気の強い生徒ではない。
セレスティア失脚の流れへ明確に関わっている層だ。
「かなり意図的ですね」
と霊真。
「かなり、どころじゃねえ」
ガイゼルは肩を鳴らした。
「前から思ってたが、ローゼンベルク潰しの流れ、誰かが相当手ぇ入れてる」
その声には、確信が混じっていた。
そして、その確信はルシアンの理論やミレーユの調査とも繋がる。
セレスティア失脚の流れは、偶然の悪意ではない。
上級貴族子弟の一部を通しながら、かなり意図的に押されている。
ガイゼルは霊真を見た。
「だから言ったろ。一人で動くな」
「はい」
「素直だな今日は」
「先ほど、助けていただきましたので」
その返答に、ガイゼルは一瞬だけ黙った。
それから少し照れ隠しのように視線を逸らす。
「……護衛役のつもりだったんだけどな」
「はい」
「なんかもう、完全に身内みてえになってきてるのが面倒だ」
「そうでしたか」
「そこはもう少し感慨を持て!」
怒鳴られた。
だが、その怒鳴り声にはさっきの鋭さはない。
霊真は少しだけ笑った。
たぶん、こういう男同士のやりとりが“身内”というものなのだろうと、何となく思った。
そしてその日のうちに、上級貴族グループがセレスティア失脚の流れに明確に噛んでいることが、また一つ確かになった。




