第22話 悪役令嬢と本来ヒロイン、初めて同じ方向を見る
九十九院霊真が提案したとき、リリアーナは正直に言って心臓が縮むかと思った。
「噂の流れを確認するなら、リリアーナ殿とセレスティア殿がご一緒なさるのが自然かと」
自然。
どこが自然なのだろう、とリリアーナは内心で思った。
たしかに理屈は分かる。脅迫文がどう広がったのか、誰が最初に“セレスティアがやったらしい”と言い始めたのか、それを追うなら、実際に名前を使われた当人たちが動くのが一番早い。リリアーナは庶民側の空気に近いし、セレスティアは貴族側の視線の流れに敏感だ。役割分担としては正しい。
だが、理屈と気まずさは両立する。
部屋の中でその提案が出た瞬間、リリアーナは思わずセレスティアを見てしまった。
セレスティアも、ちょうどこちらを見ていた。
「……」
「……」
互いに、何とも言えぬ沈黙。
それを横から見ていたガイゼルが、露骨に面白そうな顔をした。
「お、修羅場か?」
「違います!」
とリリアーナ。
「違いますわ」
とセレスティア。
ぴたりと声が重なる。
そのことにまた二人とも少しだけ気まずくなる。
ミレーユがやんわり場を整えるように言った。
「でも、たしかにお二人が一緒に見たほうが分かることは多そうですわ」
ルシアンも資料を見ながら頷く。
「庶民側の噂だけ追っても、貴族側の意図が抜けます。逆も同じです。最短ならその組み合わせですね」
最短。
たしかにそうなのだろう。
リリアーナはそれを理解している。理解しているから、余計に断りづらい。
セレスティアが先に口を開いた。
「構いませんわ」
声音は冷静だった。
だが、ほんのわずかに肩へ力が入ったのを、霊真は見たし、たぶんミレーユも気づいていた。
「ただし、感情的なやり取りに時間を使うつもりはありません。目的はあくまで情報収集です」
「は、はい」
リリアーナも慌てて頷く。
「わ、私もそのつもりです」
そうして決まってしまった。
セレスティア・フォン・ローゼンベルクと、リリアーナ・フェアミント。
悪役令嬢ルートと本来ヒロインルートが、初めて同じ方向を向くことになったのである。
◇
翌日の午後。
二人は図書棟と教室棟をつなぐ長い回廊を並んで歩いていた。
ぎこちない。
非常にぎこちない。
会話がないわけではない。だが“何を言っても変な意味になりそう”という警戒が互いにあるせいで、自然な雑談が一切生まれない。足音だけが石床に響き、窓から入る風がやけに耳につく。
リリアーナは内心で何度もタイミングを探っていた。
謝りたい。
でも、ただ「ごめんなさい」と言えばいい話ではない。
懇親会の夜のこと。
今までセレスティアを怖いと思ってきたこと。
その怖さを理由に、“悪役令嬢”という見方へ無意識に流されていたこと。
そこには自分の未熟さがある。
だから軽々しく一言で済ませるのは違う気がする。
一方で、セレスティアのほうも明らかに話しづらそうだった。
彼女は彼女でプライドが高い。
高いというより、それを手放した瞬間に自分を保てなくなるタイプなのだと、リリアーナも最近少し分かってきた。だから素直に「あなたと協力できてよかった」などと言えるはずがない。
しばらくして、セレスティアが視線だけ前へ向けたまま言った。
「まず、脅迫文が最初に広まった場所を整理しますわ」
「は、はい」
「あなたの周囲で、最初に“見た”と騒いだ方はどなたでしたの」
仕事の話である。
それならまだ答えやすい。
「最初は、同じ奨学生の女の子たちでした。でも、その子たち自身が脅迫文を見つけたというより、上級生から聞いたって感じで……」
「上級生」
「はい。名前まではっきり出せる子は少ないんですけど、貴族科の方の話って言ってました」
セレスティアが小さく頷く。
「やはり、そこですわね」
「やっぱり、ですか?」
「庶民側の噂は広がるのが早いですが、最初からあれだけ“私がやった”と形が整っていたのは不自然ですもの」
その言い方は少し冷たく聞こえる。
だが前のように“庶民側の低俗さ”を嫌っている響きではない。
単に、構造を見ている。
リリアーナはその違いに少しだけほっとしながら、勇気を出した。
「……セレスティア様」
「何ですの」
「私……その……」
やはり難しい。
言葉がうまくつながらない。
セレスティアは立ち止まらなかったが、歩く速度を少しだけ落とした。
聞く気がないわけではないらしい。
「私、セレスティア様のことを怖いって思ってました」
言ってしまった。
空気が止まるかと思った。
けれどセレスティアは、横顔を少しも動かさなかった。
「でしょうね」
あまりにも即答だったので、リリアーナは逆に詰まる。
「え……」
「実際、私はあなたに優しくしていませんでしたもの」
セレスティアの声は冷静だった。
「怖いと思われても不思議ではありませんわ」
その返しは、想像していたよりずっと静かだった。
もっと刺々しく返されるか、あるいは完全に無視されるかと思っていたリリアーナは、かえってどう続けていいか分からなくなる。
それでも、ここで黙ってはだめだと思った。
「でも、それだけで決めつけていた気がします」
リリアーナは足を止めた。
セレスティアも数歩先で止まり、ゆっくり振り返る。
視線が合う。
「怖いから、きっと悪い人なんだって、どこかで思ってた気がするんです。ちゃんと見ないで、周りの空気に乗っかってた」
胸が痛い。
でも、今はその痛みをごまかしたくなかった。
「私、セレスティア様にちゃんと向き合ってなかったです」
セレスティアはすぐには答えなかった。
赤い瞳が静かにリリアーナを見る。
厳しい目だ。
だが前ほど冷たくはない。
「……今さらですわね」
最初の一言は、やはり少し刺があった。
「は、はい……」
リリアーナは小さく肩をすくめる。
だが、そのあとに続いた言葉は、以前よりずっとやわらかかった。
「あなたも、ずいぶん不用意なところがありますわ」
「え?」
「そうやって、考えたことをそのまま口に出してしまうあたりです」
完全な拒絶ではない。
むしろ、それを分かったうえで指摘している声音だった。
リリアーナは一瞬ぽかんとして、それから少しだけ笑ってしまった。
「すみません……」
「謝る必要はありませんわ。今のは、別に責めているわけではありませんもの」
その言い方に、また少しだけ空気が変わる。
以前なら、セレスティアがそう言っても皮肉にしか聞こえなかったかもしれない。
今は違う。
ちゃんと“そのつもりではない”と分かる。
そこに至るまで、いろいろありすぎたが。
「セレスティア様も」
リリアーナが恐る恐る言う。
「前より、少しだけ……その……」
「何ですの」
「怒り方が、ちょっとだけ優しいです」
「は?」
セレスティアの顔があからさまに険しくなる。
だが、前よりそれが“怒りやすい悪役令嬢”ではなく、“図星を突かれて困った人”に見えるのだから不思議だった。
「優しいなんて、何をどう見たらそうなるのです」
「え、だって今」
「今のはただ事実を」
「でも前だったらもっと冷たく――」
「比較対象がひどすぎるのではなくて?」
「それは……ちょっとあります」
「あるのですわね」
会話が成立している。
そのことに、二人とも少しだけ驚いていた。
◇
調査自体は、思っていたより順調だった。
リリアーナは庶民側の噂の広がり方を追うのがうまい。
誰に聞けば答えが得やすいか、誰が誇張して話しやすいか、誰の言葉なら他人が乗りやすいか。そういう空気の流れは、彼女のほうが自然に掴める。
一方でセレスティアは、貴族側の情報の澱みを読むのが鋭かった。
「この言い方は、単なる生徒の噂ではありませんわ」
「分かるんですか?」
「分かります。上級貴族の子弟が使う“距離の取り方”があるのです」
「距離の取り方……」
「直接は言わず、けれど誰を下へ置くかは明確にする言い回し、と申しましょうか」
そういう説明を聞くたび、リリアーナは自分が今まで見えていなかったものの多さに気づかされる。
同時にセレスティアもまた、リリアーナの聞き取りのうまさに気づき始めていた。
「あなた、ずいぶん自然に話を引き出しますのね」
「えっ、そうですか?」
「相手が勝手に喋りたくなるように相槌を打つのがお上手ですわ」
「そんなつもりは……」
「無自覚なのが一番厄介ですわね」
どこかで聞いたような評価だな、とリリアーナは思った。
それはたぶん、霊真にも向けられていた言い方だった。
二人で記録を突き合わせていくうちに、一つの輪郭が見え始める。
噂の出所は、単なる生徒間の自然発生ではない。
庶民側へ最初に流れてくる前に、
貴族科の一部の生徒たちがそれを“形の整った話”として持っている。
しかもその中心には、上級貴族子弟の小さな集まりが何度も浮かび上がる。
名前の出し方は慎重だ。
自分が主導したとは見えない位置にいる。
だが、噂の最初の押し出しだけは彼らが担っている。
「……ここですわね」
セレスティアが低く言う。
「やっぱり」
とリリアーナも頷く。
「単なる生徒間の陰口じゃない」
「ええ。起点はもっと上ですわ」
二人は同時に紙へ視線を落とした。
その瞬間だけ、完全に同じ方向を向いていた。
◇
帰り道、中庭の回廊を並んで歩いていると、少し離れた位置から女子生徒たちのざわめきが聞こえた。
「え、見て」
「うそ……」
「悪役令嬢ルートと正ヒロインルートがまさかの共闘……?」
「どういうこと?」
「普通そこ対立固定じゃないの?」
「でも並んで歩いてる……」
また、よく分からない言葉が飛び交っている。
リリアーナは恥ずかしくなって視線を逸らした。
セレスティアは露骨に眉を寄せた。
「……何を好き勝手に」
「でも、たしかにちょっと変ですよね」
「何がですの」
「私たちが、こうして一緒に歩いてるの」
セレスティアは少しだけ黙る。
たしかに、少し前までなら考えられなかった。
「調査のためですわ」
「はい」
「それ以上でもそれ以下でもありません」
「……はい」
そう返しながらも、リリアーナは少しだけ笑ってしまった。
セレスティアも、それ以上は言わない。
完全な和解ではない。
親友になるわけでもない。
まだ気まずくて、まだ難しくて、まだ互いに言えないことのほうが多い。
けれど、少なくとも今は同じ方向を見ている。
それだけで十分、大きな変化だった。
◇
その夜、調査結果を共有する場で、リリアーナとセレスティアは同じ結論を口にした。
「噂の出所は、単なる生徒間ではありません」
とリリアーナ。
「一部の上級貴族子弟グループが起点になっていますわ」
とセレスティア。
部屋にいた全員が、その一致を静かに受け止めた。
アルフレッドの表情が引き締まり、
ルシアンは紙へ新たな印をつけ、
ガイゼルは「やっぱりな」と低く呟く。
ミレーユは二人を見比べて、ほんの少しだけ微笑んだ。
霊真は二人を見て、自然に言った。
「お二人とも、よくお話しできたのですね」
その一言で、また部屋の空気が微妙になる。
「べ、別に普通です!」
とリリアーナ。
「必要な会話をしただけですわ」
とセレスティア。
「そうですか」
霊真は本当にそう思っている顔だった。
ガイゼルが肩を震わせ、
ルシアンが「そこは触れないでください」とでも言いたげに目を細め、
アルフレッドが苦笑を隠しきれず、
ミレーユは静かに視線を伏せた。
共闘は、まだ始まったばかりだ。
けれど悪役令嬢と本来ヒロインが、初めて同じ方向を見たこと。
それはこの学園の“筋書き”にとって、すでに十分すぎるほどの綻びだった。




