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第20話 次の舞台は、もっと露骨に仕掛けてくる

 翌朝、学園の空気は、前回よりも露骨に悪かった。


 前回――懇親会の断罪未遂のあとに広がったざわめきは、まだ“人の噂”の匂いがしていた。悪意も偏見も多分にあったが、それでも表面上は誰かの囁きと視線が育てたものに見えた。


 だが今回は違う。


 もっと手つきが荒く、

 もっと分かりやすく、

 もっと「ほら、これで悪役令嬢でしょう」と言わんばかりだった。


 だからこそ、九十九院霊真は朝の時点で嫌な予感を覚えた。


 客室から出て回廊へ入った瞬間、ざわめきの質で分かる。

 ただの噂ではない。

 事件として共有されている空気だ。


「聞いた? ローゼンベルク様の私物から……」

「うそ、ほんとに?」

「リリアーナさん宛ての脅迫文まで……」

「しかも筆跡が……」

「やっぱり、あの方……?」


 また始まった、ではない。


 今度は、

 仕掛けられた

 という匂いがあまりに強かった。


    ◇


 最初に広まったのは、セレスティアの私物から禁制品が見つかった、という話だった。


 禁制品といっても、王国法で即座に重罪となるような劇物ではない。だが学園規則では明確に持ち込みが禁じられている、精神を刺激し判断力を乱す類の香料だったらしい。


 らしい、というのは、霊真自身はまだ現物を見ていないからだ。


 だが周囲の反応は十分すぎるほど激しかった。


「ローゼンベルク様の机から見つかったんですって」

「じゃあ本当に……」

「リリアーナさんを陥れるつもりだったのかしら」

「前回止められたから、今度はもっと露骨に?」


 そして、その話が広がるのとほぼ同時に、別の火種まで投げ込まれた。


 リリアーナ宛ての脅迫文。


 内容は単純だ。

 身の程を知れ。

 王子へ近づくな。

 次は許さない。


 およそ悪役令嬢が出す脅迫文として、あまりに教科書どおりすぎる文章だった。

 しかも筆跡が、セレスティアのものに似せてあるらしい。


 さらに追い打ちのように、王子アルフレッドの元へも密告文が届いた。


 そこには、

 「ローゼンベルク嬢の本性を甘く見るな」

 だの、

 「前回の場で真相は隠された」

 だの、

 実に都合のよい言葉が並んでいたという。


 こうなるともう、偶然の悪意ではない。

 誰かが舞台装置をまとめて押し込んできたような雑さと執拗さがある。


    ◇


 セレスティア本人は、その朝、いつも以上に冷えきっていた。


 教室でも、廊下でも、彼女の周囲だけ空気が薄くなったように見える。取り巻きたちは動揺しているが、支えるというより、自分が巻き込まれぬよう立ち位置を探している顔だ。


 霊真が遠くから見た限りでも、セレスティアの顔色はよくなかった。


 だが彼女は立っている。

 背筋を伸ばし、紅い瞳の温度を落とし、誰にも揺らぎを見せまいとしている。


 その姿は美しい。


 そして、ひどく危うかった。


    ◇


 アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインの元へ報告が上がったのは、午前の早い段階だった。


 王子の執務用小部屋には教師と側近が集まり、机の上には禁制品とされた小瓶、それから脅迫文と密告文が並べられている。


「殿下、状況的には……」

「状況的には、何だ」

「ローゼンベルク嬢への疑いはさらに」


 教師の言葉を、アルフレッドは最後まで聞かなかった。


 前回とは違う。


 彼は書簡を見下ろし、長い沈黙のあと、低く言った。


「だからといって、今すぐ断ずる理由にはならない」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ変わる。


「ですが、筆跡も」

「似せられた可能性は?」

「……ございます」

「机から見つかった禁制品は、誰が最初に確認した」

「それは……」

「確認の流れを、一から出せ」


 前回なら、ここで空気に押されていたかもしれない。


 だが今回は違った。

 アルフレッドは明らかに即断を避けている。

 王子としての面子や周囲の期待より先に、“また同じことを繰り返してはならない”という意識が立っていた。


 それはまだ完全な成長ではない。

 だが確かに、前回の彼とは違っていた。


    ◇


 リリアーナ・フェアミントは、その報を聞いたとき、胸がひどく冷えた。


 怖い、と思った。

 だが、その怖さの質が前とは違う。


 以前なら、

 「やっぱりセレスティア様が?」

 と揺れたかもしれない。


 今は違う。

 むしろ、

 「こんなに分かりやすく?」

 という違和感のほうが先に来る。


 脅迫文を見せられたとき、彼女は震える指で紙を受け取った。

 たしかに、似ている。

 セレスティアの筆跡に。

 だが、似すぎているのだ。


 まるで、見せたい結論へ真っ直ぐ誘導するために作られた証拠のように。


「私……」


 リリアーナは小さく呟く。


「もう、疑いきれない」


 それはセレスティアを無条件に信じるという意味ではない。

 けれど、何かが作られている気配が強すぎる。


 だから彼女は、今度は自分で動こうと決めた。


 誰かの空気に乗るのではなく、

 誰かの物語へ押し込められるのでもなく、

 自分で見る。


 自分で確かめる。


 その決意は、霊真と話して以降、彼女の中で確かに育っていた。


    ◇


「これはさすがに、露骨すぎるだろ」


 ガイゼル・ヴァン・ドレイクは、訓練場の端でそう吐き捨てた。


 相変わらず物言いは雑だが、今の彼はもう完全に霊真側へ寄っていた。


 前回までは、得体の知れぬ転移者を面白がりつつ警戒していた。

 今は違う。


「ローゼンベルクが嫌われてんのは分かる。あいつの性格もまあ、柔らかくはねえ。けどよ」


 木剣を肩に担いだまま、霊真を見る。


「だからって、机から禁制品、脅迫文、密告文って。悪役にしたがりすぎなんだよ」


「同感です」


 霊真が頷くと、ガイゼルは少しだけ鼻で笑った。


「だろ。あんたはそう言うと思った」


「何か、できることはございますか」


「あるならやる」


 即答だった。


「前みてえに、空気だけで押し切らせるのは気に食わねえ」


 その言葉は、彼なりの信頼表明でもあった。


    ◇


 ルシアン・エーデル=クロイツは、逆に静かだった。


 だが、その静けさはいつも以上に危険だった。


 図書塔の一角で、彼は禁制品とされた香料の成分表、それに脅迫文の紙質とインクの分析結果を並べていた。霊真が近づくと、銀の瞳だけがこちらを向く。


「やはり、来ましたね」


「何か分かりましたか」


「分かりすぎて、むしろ腹が立っています」


 珍しく感情が言葉に出ている。


「禁制品の小瓶には、持ち主の魔力残滓がほとんど付着していません」


「それは不自然なのですか」


「かなり」


 ルシアンは紙を叩く。


「日常使いしていれば、もっと残る。誰かが短時間だけ置いた可能性が高い」


「脅迫文は」


「筆跡は似せてあります。ですが、癖が均一すぎる。模倣した者が、うまく寄せたつもりで“寄せすぎた”感じです」


「では」


「ええ。かなりの高確率で作られています」


 彼はさらに声を落とした。


「加えて、学園内の感情の偏りが昨夜からまた強まっている。前回と同じ匂いです」


「同じ、というのは」


「人の悪感情を、流れやすい方向へ押している何か」


 ルシアンは霊真をまっすぐ見た。


「これはもう、偶然の悪意ではありません」


 その目は、研究者というより共犯者に近い熱を帯び始めていた。


    ◇


 ミレーユ・セラフィナもまた、今回は見ているだけではいられなかった。


 彼女は祈る人だ。

 だが祈るだけでよい局面ではないと、もう分かっている。


 礼拝堂で霊真と短く言葉を交わしたあと、彼女は自ら動いた。


 セレスティアの机周辺で働いていた使用人たちへの聞き取り。

 朝一番で脅迫文を見つけた生徒の確認。

 筆跡を知る教師への接触。


 聖女候補という立場は、柔らかく人へ近づくには便利だった。

 相手も警戒を少し下げる。


 その中でミレーユは、一つの違和感を拾う。


 禁制品が“見つかる前”、なぜかその近辺の人の流れだけが不自然に偏っていた時間があるのだ。


 偶然とも言える。

 だが、この学園では偶然があまりに都合よく積み重なりすぎている。


 ミレーユは夕方、霊真へ静かに報告した。


「祈るだけでは足りない時も、あるようです」


 そう言う彼女の声には、以前よりはっきりした意思があった。


    ◇


 そしてセレスティアは、ついに一度だけ、人目のない場所で崩れた。


 完全にではない。

 だが霊真の前でだけは、肩の力を落とした。


 場所は校舎裏手の石の回廊。

 日の沈みかけた時間帯で、人通りは少ない。


「……また、ですわ」


 セレスティアが壁へ手をつき、小さくそう吐いた。


 声音には怒りがある。

 だが、その奥に疲れも滲む。


「ここまで露骨だと、いっそ笑えてきますわね」


「笑えてはおられません」


「ええ、まったく」


 彼女は自嘲するように息を吐く。


「わたくしを落としたいなら、もう少し上手にやればいいものを」


「おつらいですか」


 霊真が静かに問う。


 セレスティアは少しだけ目を閉じた。


「……疲れましたわ」


 それは弱音だった。

 けれど、今の彼女にはその一言を霊真へだけは許せた。


「誰も彼も、わたくしを何かの役としてしか見ない」

「はい」

「家も、学園も、噂も、全部」

「はい」

「あなたまで同じだったら、本当にどうしようかと思いましたわ」


 その言葉に、霊真は少しだけ目を瞬かせた。


「私は違います」


「でしょうね」


 セレスティアは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 それだけで、彼女がどれほど今この言葉に救われているか分かる気がした。


    ◇


 その日のクライマックスは、学園長オルバス・グランディールの執務室で起きた。


 集まったのは主要な面々だけだ。


 アルフレッド。

 リリアーナ。

 ガイゼル。

 ルシアン。

 ミレーユ。

 セレスティア。

 そして霊真。


 机の上には禁制品、小瓶、脅迫文、密告文、調査メモ。

 前回よりもずっと、形になった証拠が並んでいる。


 オルバスが低く言った。


「今のところ、確定はない。だが、偶然にしては出来すぎている」


「出来すぎています」


 ルシアンがすぐに続ける。


「誰かが流れを作っていると考えたほうが自然です」


 アルフレッドは頷き、リリアーナも唇を引き結んだ。

 ガイゼルは不機嫌そうに腕を組み、ミレーユは静かに目を伏せている。

 セレスティアは黙ったまま、だが前回のように一人で立たされてはいない。


 そこで霊真が口を開いた。


「これは、前回よりも“作られている”気がします」


 その言葉は、理論ではない。

 だが、この場にいる誰もがそれを軽くは扱わなかった。


 ルシアンが補足するように言う。


「私も同意見です。前回は空気の偏りでした。今回はそこに“証拠らしきもの”まで足している。露骨すぎる」


「わたくしを悪役として使うにしても、少し雑すぎますわね」


 セレスティアの声音には冷たさが戻っていた。

 だがそれは、立ち直ったからではない。

 この場では戦う顔をしているだけだと、霊真には分かる。


「ならば、次は」


 アルフレッドが言いかけたところで、オルバスが手を上げて制した。


「次の前に、知っておいてもらうことがある」


 老人の目が、静かに霊真へ向く。


「レイシン君、少し残りなさい」


 その一言で、他の者たちはいったん下がることになった。


 アルフレッドは不満そうではあったが、王子としてそれ以上は言わなかった。

 リリアーナは少し心配そうに振り返り、

 ミレーユは何かを悟ったように目を伏せ、

 ルシアンだけが露骨に「自分も聞きたい」という顔をしたが、結局は出ていった。


 扉が閉まる。


 執務室には、オルバスと霊真だけが残された。


    ◇


 しばらく沈黙があった。


 オルバスは書棚の一つへ歩み寄り、古びた革表紙の本を取り出す。

 その動作には、昔から使われてきた秘密の引き出しを開けるような重さがあった。


「これは学園の表の記録には載っていない」


 そう前置きして、老人は低く告げる。


「この学園には、昔から“人の役割”を操るような歪みがある」


 霊真は黙って聞く。


「最初は小さな違和感だ。誰かが都合よく主役になり、誰かが悪役になり、誰かが傍観者へ押し込まれる。偶然に見える。だが長く見れば、同じようなことが繰り返されている」


「それは、魔法でしょうか」


「魔法だけではない。人の欲、立場、噂、思い込み、そこへ何者かが手を加える。そうして“物語の流れ”のようなものが作られる」


 オルバスは本を開いた。

 そこには、過去の学園事件の断片が記されているらしい。


「ローゼンベルク嬢の件だけではない。これは学園そのものに根づいた歪みだ」


 老人の声は重かった。


「そして君は、その歪みにとって明らかに異物だ。だから流れを乱す。だから狙われる」


 霊真はようやく、静かに息を吐いた。


 自分が呼ばれた理由。

 セレスティアを救うこと。

 学園の歪み。

 人の役割を操る流れ。


 すべてが一つの糸で繋がり始めていた。


「ここから先は、もうただの学園騒動では済まない」


 オルバスがそう言う。

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