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第11話 断罪の舞台は、あまりにも綺麗に整いすぎている

 懇親会の当日、王立エーヴェルシュタイン学園は朝から異様なほど整っていた。


 もともとこの学園は、普段から十分すぎるほど整っている。

 石造りの回廊は磨かれ、花壇の色彩は計算され、制服の乱れすらどこか絵になる。何もかもが美しく、何もかもが過不足なく配置されている場所だ。


 だが、その日の整い方は少し違った。


 美しさのための整頓ではない。

 何かを迎え撃つための、冷たい準備のように見えた。


 白いクロスがかけられた長卓。

 金糸の縁取りが施されたカーテン。

 壁際に隙なく並ぶ椅子。

 中央に広く空けられた空間。

 そこへ落ちる燭台の光。


 それらすべてが、

 “誰かを立たせるため”

 にあるように見える。


 九十九院霊真は会場へ入った瞬間、その違和感をいっそう強くした。


 ここは懇親会の広間であるはずだった。

 交流を深め、歓談し、踊り、笑い、貴族も奨学生もひとまず同じ場に立つための華やかな夜会であるはずだった。


 だが空気が違う。


 表面だけ見れば華やかだ。

 音楽も流れている。

 談笑の声もある。

 料理も酒も、目に映るものはどれも上等で、若者たちは皆、それぞれに着飾っている。


 それなのに、底のほうに張りついた不穏さだけが妙に濃い。


 誰もが何かを待っているようだった。


 それも、楽しい余興ではない。

 もっとはっきりした、取り返しのつかぬ何かを。


    ◇


 王子アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインは、主催者として広間の中央近くに立っていた。


 正装に身を包んだその姿は、やはり文句なく美しい。

 金の髪も、凛とした横顔も、貴人としての在り方そのものだった。


 だが霊真には分かった。


 この王子もまた、落ち着いているように見えて落ち着いてはいない。


 視線がわずかに定まらない。

 人と言葉を交わしながらも、意識の半分は別の場所にある。

 責務と迷いを同時に抱えた人間の呼吸をしている。


 少し離れた位置にはリリアーナ・フェアミントがいた。


 いつもより上質なドレスをまとっているが、着慣れていないのが見て取れた。肩の力が抜けず、スカートの裾を何度も指先で確かめている。周囲から声をかけられれば笑顔で返すが、その笑みは少し硬い。


 彼女は戸惑っていた。


 自分がこの場にいること自体に。

 そして、この場で起こるかもしれないことに。


 一方、セレスティア・フォン・ローゼンベルクは、広間の反対側で毅然と立っていた。


 今日の彼女はひどく美しかった。


 白銀に近い金髪は丁寧に結い上げられ、紅い瞳は冷たく澄み、仕立てのよいドレスは彼女の細い輪郭をいっそう際立たせている。公爵令嬢として、王子の婚約者として、完璧にあるべき姿そのものだった。


 けれど、その完璧さはやはり防具だった。


 霊真には分かる。


 立ち方が少し硬い。

 呼吸が浅い。

 手袋越しの指先に力が入りすぎている。

 そして目の奥の張りつめ方が、もはや“気丈”の域を超えていた。


 限界に近い。


 それでも立っているのは、ここで崩れれば終わると知っているからだ。


 ガイゼルは壁際で腕を組み、露骨に居心地悪そうな顔をしていた。

 こういう場に向く男ではないのだろう。正装姿ですら妙に剣士の匂いが消えず、今にも「こういうの性に合わねえ」と口にしそうな雰囲気がある。


 ルシアンは逆に、壁際から全体を観察していた。

 会話には加わらず、けれど何一つ見逃さぬように視線を走らせている。研究者めいた目だが、それだけではない。何かの崩壊を見届けようとする者の目にも見えた。


 ミレーユは静かに手を組み、人知れず祈るような顔をしていた。

 彼女はこの空気を宗教的な善悪の問題としてではなく、“人の心が破れる前触れ”として感じ取っているのかもしれない。


 皆、それぞれの立場で見守っている。


 それだけで、この場がただの懇親会でないことは十分だった。


    ◇


 夜会の始まりそのものは、形式どおりに進んだ。


 アルフレッドが短い挨拶を述べる。

 教師陣が立ち会う。

 拍手が起こる。

 音楽が流れる。

 食事が勧められる。


 だが、会場の空気は最初から片側に傾いていた。


 談笑しているようで、皆どこか上滑りしている。

 視線は何度もセレスティアとリリアーナを往復し、誰かがどちらに声をかけたか、どちらがどんな顔をしたか、それだけで小さな波が広がる。


 霊真は思った。


 ――これでは、まるで前座です。


 本番は別にある。

 皆、それを知っている。

 あるいは無意識に、期待している。


 それが気味悪かった。


 しばらくして、最初の波が立った。


 ひとりの女子生徒が、リリアーナへ話しかけたのだ。

 慰めるような口調だった。

 声は決して大きくない。

 だがこの広間では、そういう声ほど妙に広がる。


「リリアーナさん……もう我慢なさらなくてもよろしいのでは?」


 その一言で、周囲の空気がぴんと張った。


 リリアーナが驚いて顔を上げる。


「え……?」


「今までずっと、おつらかったのでしょう?」

「そ、その……私は……」

「ローゼンベルク様から、いろいろと」


 セレスティアのまつげが、ぴくりと動いた。


 広間のあちこちで囁きが起こる。


「始まった……」

「やっぱり」

「いよいよかしら」


 霊真の背筋を、冷たいものが走った。


 始まった、という反応。

 まるで皆、これを待っていたようだ。


 リリアーナは明らかに戸惑っていた。


「ち、違います。私はそんな……」

「でも教材の件もありましたし」

「図書の貸出記録の件も」

「先日の中庭でも……」


 次々と“証言”が積み上がっていく。


 誰か一人が声を上げたわけではない。

 だが、誰かが一つ言えば、別の誰かが二つ目を重ね、さらに三つ目が続く。まるで乾いた薪へ火が移るように、糾弾の流れが広間全体へ広がっていった。


 そして気づけば、自然と中央に空間ができていた。


 リリアーナ。

 セレスティア。

 アルフレッド。


 その三人が視線の中心に立たされる形で。


 誰がそう誘導したのか、霊真には分からない。

 だが分からないこと自体が不気味だった。


 自然にそうなった、というにはあまりに綺麗すぎる。


    ◇


 やがて、セレスティアの“罪状”が読み上げられるような流れになった。


 正式な裁判でもない。

 教師の主導でもない。

 それなのに、場はまるで告発の儀式だった。


「リリアーナさんへの度重なる嫌がらせ」

「高圧的な言動による周囲への威圧」

「婚約者である殿下への不誠実」

「学園秩序の乱れの元凶」


 一つ一つの言葉は重い。


 だが、その重さに対して中身が薄いことを、霊真はすぐに感じ取った。


 証言は多い。

 噂も多い。

 目撃談らしきものもある。


 だが、そのどれもが曖昧だ。


 “誰かがそう言っていた”

 “そう見えた”

 “たぶんそうだと思う”

 “ローゼンベルク様ならありうる”


 その類のものばかりだった。


 決定的な事実ではなく、“そうであってほしい物語”が積み上げられている。


 霊真は周囲を見渡した。


 誰もがセレスティアを見ている。

 だが、本人の口から何が語られるかを聞こうとしている者はほとんどいない。


 最初から、悪役令嬢が悪いと決まっている空気。


 この令嬢が何を言うかではなく、

 この令嬢がどこで言葉を失うかを待っている空気。


 それはあまりに異様だった。


 芝居の台本どおりに進む舞台のように。

 観客も役者も、皆すでに結末を知っているかのように。


「……」


 霊真の中で、比叡山で祈祷の最中に見た断片が、今目の前の光景とぴたりと重なった。


 石造りの学舎。

 大勢の前で糾弾される誰か。

 泣きそうな目をした金髪の令嬢。


 これだ。


 あのとき見えたものは、これだ。


 胸の奥が静かに冷えた。


 自分はこの場のために呼ばれたのかもしれない、という感覚が、初めて“確信”に近いものへ変わる。


    ◇


 アルフレッドは、すぐには口を開かなかった。


 王子として軽率に断じるわけにはいかない、という理性がまだ残っているのだろう。

 だが周囲の空気は、その逡巡を許さない。


「殿下」

「これ以上黙っていては」

「リリアーナさんがおかわいそうです」

「学園の規律のためにも……」


 言葉が押し寄せる。


 それは忠言の形をしていた。

 だが霊真には、王子へ“正しい台詞”を言わせようとしている圧力にしか見えなかった。


 リリアーナは青ざめていた。


「ち、違います、そんなつもりじゃ――」


 止めようとしている。

 だが弱い。

 善人ゆえに、こういう場で流れを断ち切る力を持ちきれない。


 セレスティアは逆に、何も言わなかった。


 いや、言えないのだろう。


 ここで感情的に反論すれば“高慢で見苦しい悪役令嬢”になる。

 黙っていれば“罪を認めた悪役令嬢”になる。


 どちらへ転んでも、この舞台の脚本は彼女を悪役にしか使わない。


 それを本人も分かっているから、沈黙している。


 その沈黙が、胸を刺した。


 毅然として立ってはいる。

 姿勢も崩していない。

 視線も逸らしていない。


 なのに、その目の奥から、ついに余裕が消え始めていた。


 張りつめて保っていたものが、音もなく削られている。


 霊真には分かった。


 今この瞬間、彼女は本当に崩れかけている。


 そしてアルフレッドが、ついに口を開く。


「セレスティア・フォン・ローゼンベルク」


 その呼びかけに、広間全体が息を呑んだ。


 王子の声は震えていない。

 だが完全にも定まっていない。


「これまでの言動が事実であるならば、私は……」


 そこで一拍、言葉が止まる。


 婚約者として。

 王子として。

 この場の主催者として。


 言わされようとしている言葉の重さに、彼自身も抗おうとしているのが見えた。


 だが周囲は待っている。


 その次の一言を。

 婚約破棄に近い決定的な言葉を。


 セレスティアの目が、わずかに揺れた。


 初めてだった。


 あの令嬢の目から、明確に“余裕”が消えたのは。


 その瞬間、霊真の中で何かが決まった。


 考えるより先に、足が動く。


 石床を一歩、踏む。


 広間の空気が、その小さな音だけでわずかに変わる。


 誰かが振り向く。

 ルシアンが目を細める。

 ミレーユが息を止める。

 ガイゼルが「おい」と小さく呟く。


 そして、アルフレッドが言葉を継ごうとした、その寸前。


 九十九院霊真は、前へ出た。

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