物語病 ~人間コンテスト編~
1
物語は病だ。人を死に至らしめる病だ。
ボク、何某モノカはそう教わった。
なので、今夜は人間コンテストの物語へ来ている。
人間コンテスト、いかに素晴らしい人間であるかを競うコンテストのようだ。
城下町の盛り場で耳にした話なので、本当のところは定かではない。とはいえ、寄せ集めた話から考えるに、表向きはそういうものだと捉えるのが妥当だろう。
雪の降り積もる夜だ。温もりを広げる灯りに人々は群れを成している。着飾った女や気取った男、恋人っぽい二人や友人らしき複数人、子供たちや旅人、様々な誰かが集う。
家族連れだろうが、一人だろうが、この場にいる者は何かを皆それぞれ期待しているように見える。
ボクは雑踏を避けるため、あえて灯りから遠ざかってゆく。それなのに、陰気さを陽気さで捻り潰してしまう笑い声がそこかしこから聞こえ続ける。
――うるさいな。
悪態を、しかし声音は乗せずに吐き出して、白い息の行方だけ目で追う。
満月がボクを見下ろしていた。
雪が降っているのに、空に雲は少ない。
この城下町にとって、人間コンテストはお祭りだ。
夜闇を照らす灯りが人々の心へ熱を与える。その熱が町全体に広がり、町そのものが焚き火を囲って踊り遊ぶような雰囲気に揺蕩う。
当然ながら、コンテスト開催を喜ぶ声ばかりが囁かれるわけではない。
実は生贄を選ぶためだとか、いかに愚劣な人でなしかを競い合うものだとか、そんな裏側を語る声も聞こえた。何を根拠にした話か尋ね回りたい気もするが、百聞は一見に如かず、という言葉がある。
――お城へ向かわないとね。
ようやく人のいない暗がりを見つけ出せた。
ボクは一張羅の外套を脱いで裸になる。
寒さに全身が縮み上がってしまう。ヒトの身体は皮膚が露わになり過ぎてて寂しい。
そもそもヒトの五感、そんなものをなくせば寒さなんて感じずに済むだろう。しかし、煩わしくて仕方ないとはいえ、人を知るには必要だ。
とりあえず手にした外套は口に入れて丸呑みにしておく。
おいしいものではないが、ヒトらしい装いとして纏ってきたものだ。身体の一部という感覚に近い。実際、無味無臭無音で視覚と触覚のみに影響することから着脱可能な皮膚だと思っている。
しかし、外套は無音ではあっても無味無臭ではなくなっていた。
苦みを甘さで覆ったような酒やタバコの匂いが嗅覚をくすぐり、味覚にまで影響を及ぼす。盛り場を巡った名残が夜霧のように外套へと纏わりついていたみたいだ。
外套と入れ替わりで紙切れだけ口の中から取り出しておくと、胸元に吊り下げたペンダントを握りしめ、唱える。
「模造現実・人物――毛皮のコートを纏った赤いドレスの女」
ボクは私となった。
毛皮のコート、赤いドレス、黒いポーチという出で立ち。コートを纏う姿は派手だけれど肌の露出は控えめだ。
念のため、ポーチに入った手鏡で顔を確認する。澄んだ青空みたいな瞳の片方がひび割れていること以外、我ながら完璧な模造だ。
肩まで伸びたウェーブの軽くかかった金髪と、右目近くの泣きボクロが特徴。目鼻立ちは上等とまでは言えないけれど、普通よりはそれなりに上などと本人は評していたか。
この姿は、盛り場で出会った女だ。
人間コンテストへの招待状を手にしながらも、ろくでもないコンテストだと声高に主張していた女だ。
本物は招待状のことなど忘れ、一緒にいた女友達と夜遊びを続けているのだろう。こんなものはいらない、記憶から消し去りたい、という彼女の望みを叶えてあげた。
口の中から出した紙切れ、招待状を手鏡と共にポーチへ収め、私は来た道を引き返す。
人間コンテストが実施されるのはお城だ。
路地をより明るい方へと歩む。
★
城門にはクマみたいにイカつい門番がいたけれど、招待状を見せたらすぐに通れた。赤いドレスの、名前も知らない誰かに感謝しつつ、お城の中へと入る。
中世ヨーロッパを彷彿させるレンガ造りのお城だ。クロークでコートとポーチを預け、やっとコンテスト会場の大広間へと着く。
着いた瞬間に思った。
――立食パーティーかな?
ドレスやタキシードなどに着飾った男女が話していて、その傍らには多種多様な食べ物の置かれた机が並んでいる。
どういうことなのか、近くにいた女にも男にも尋ねてみたが分からずじまい。ただ、誰も彼も見てくれに関係なく、人間コンテストの参加者だと語っていた。
「おひとつ、どうぞ」
男、仮面で顔を隠した給仕らしい。何かと思ったら、飲み物の入ったグラスを手渡される。どうやら会場にいる皆へ配っているようだ。
「どうぞ、お召し上がりください。ご希望のものがあったら、お伝えくださいね」
今度は女から声をかけられた。こちらも仮面で顔を隠している。渡しているのは、洋菓子のアラカルトらしい。一口サイズの様々なケーキが並んでいる。しかし、なぜかドーナツだけは一口サイズではなく、手のひらサイズで普通だ。
何があるのか尋ね、ティラミスに抹茶ババロア、ショートケーキに桃のタルト、中央に穴のあいたドーナツを頼む。
飲み干したグラスを傍にいた給仕へと渡し、洋菓子五種の盛り付けられた皿を女から受け取った。手づかみでも良かったが、ちゃんとフォークもついている。
「何が始まるんでしょうね?」
「人間性を試すことでは?」
周りの会話に耳を傾けつつ、私はティラミスを食べる。
マスカルポーネチーズの濃厚でありながら軽い口当たりに、スポンジへ染み込んだコーヒーの苦みがよく合う。
「私たちって何を競い合うの?」
「噂だと、容姿と所作と一芸らしいわよ」
それだと美しさとか呼ばれるものを競い合うコンテストと大差なさそうだね、なんて思いつつ抹茶ババロアを食べる。
甘さ控えめなババロアが舌先で弾んだと思ったら、薫風を封じたような抹茶の苦みも現れ、なかなかどうして美味ではないか。
「ようこそ、皆さん! お集まり頂きまして感謝申し上げます。これより人間コンテストのご案内をさせて頂きます。実は人間コンテストの方ですが、既に審査が始まっております」
どうやって審査してるんだろ、などと考えながらショートケーキを食べる。
イチゴの酸味に対し、生クリームが程よい甘さでおいしい。もう一つ貰っておけば良かった。
「皆さんがどのような人間なのか、何を成した人間なのか、それに応じて皆さんの容姿が変わっていくのです」
周囲の人間が人間ではないモノへと変わっていく。様々な動物だ。しかし、パッと見ではブタとカエルが多い。悲鳴のコーラスが響いてくる中、桃のタルトを口にする。
甘みが広がると同時に、桃の香りと柔らかな食感、カスタードの風味や舌触り、タルトのサクサク感。全てが一挙に押し寄せ、思わず飛び跳ねたくなってしまう。これは後でおかわりだ。
と、身体が膨らんでいく感覚があった。このままでは倒れて床にドーナツを落とす。
「模造現実・人物――赤いドレスの女」
何頭ものブタがブヒブヒと鳴けば、何匹ものカエルがゲコゲコ鳴いている会場だ。少しくらい変なことが起こっても見逃されるだろう。
「そこの麗しい方、あなたは誰ですか?」
「へ?」
かけられた声に振り返ると、なぜか白馬に乗った王子様がそこにいた。絵に描いたような王子様、金髪碧眼の美男子。たぶん流麗な顔立ちと言える。ところで白馬はどこから連れてきたのだろう。人から変身した奴なのか。
そういえば、動物の鳴き声は騒がしいけれど悲鳴は消えている。これではヒトの形をしていたら目立ってしまう。
「何某モノカだよ。私が何者か君はどうせ忘れるだろうけどね」
「あなた、なんなの?」
王子様へ返事をしたはずなのに、女の声が真後ろからした。
振り向くと、フォークを首筋へ突き立てられ――手にしていたお皿で防いだ。お皿は割れてしまったけれど、ドーナツは手中に守れた。
とりあえずドーナツをくわえて飛び跳ねておく。距離を取ったのだ。
ロングスカートなメイド服を着た女がいた。仮面で表情は分からない。
「君は……アラカルトおいしかったよ」
「どうして、食べて無事なの?」
食べたら無事で済まないものを配っていたのだろうかと思案しつつ、くわえていたドーナツをかじる。
飛び切りのおいしさだった。宇宙の神秘を詰め込んで穴でもあけたのかという食感と味だ。シンプルなのに意味不明なおいしさで、普通ではない。五口で食べ終える。
「ドーナツすごくおいしいね」
「その不気味な目はなんなの?」
「瞳のひび割れに言及できるなんて、君は何者なんだい?」
女にあえて尋ねた。いつのまにか仮面には角が生えている。
やっぱり何も答えてくれない。と、背中から何かを刺しこまれる違和感があった。
振り向くと王子様の冷淡な表情。
違和感は即座に激痛となった。自らのお腹を見ると何かの切っ先が突き出ており、赤い血に濡れていく。
剣だ。剣で背中から刺し貫かれたようだ。
「いきなり、な――」
抗議の声は、しかし、遮られた。首が痛い。
女が駆け寄ってくるのが見え、手に鋭いナイフっぽい何かを持ってるな、なんて思ってたら、そのまま首を刺されてしまったみたいだ。
後ろには王子様、前にはメイド姿の女。そういえば、女の仮面に見覚えがある。角が生えて鬼のような形相をした、なんだっけ。
――あぁ、般若の面だな。
ナイフが目を突き刺してくる。
鋭い痛みに溶けていく心地で私の意識は途絶えた。
2
「人間に優劣をつけようとする時点で、人間っぽい醜悪な趣味って感じよね?」
通りを行きかう人の中、毛皮のコートに赤いドレス姿の女が連れの女友達に語っている。口が大きめなせいか、唇の深紅が濃いせいか、華やかな印象だ。
「うんうん、分かるよ。人間コンテストってひどいよねぇ」
ボクは再び赤いドレスの女へと話しかけることにした。外套のフードを脱ぎ、彼女の瞳に映ってやる。
「え……と、どなた?」
「何某モノカだよ。ボクが何者か君はどうせ忘れるだろうけどね」
困惑の表情は、次第に逡巡となり、ほどなく好奇心へと変わってゆく。
ボクの風貌に何を見ているのか。フードなしで誰かと話す時、ボクの風貌はボクを最初に注目した誰かの期待が大きく反映されるらしい。外套にかけた物語最適化の効果だ。
「君とは話が合いそうだ。軽くお食事しながらでも、少しお話しできないかな?」
赤いドレスの女は隣の連れへ「どうする?」と問いかけた。
そうして、ボクは再び私となる。
★★
人間コンテストの会場は城内の大広間で、やはり立食パーティーとなっていた。
「どうぞ、お召し上がりください。ご希望のものがあったら――」
「テリーヌとレアチーズ、ショートケーキに桃のタルト、あと、このドーナツをお願いしても?」
仮面で顔を隠したメイド姿の女へと頼んで、一口サイズのケーキを四種類と中央に穴のあいたドーナツを手に入れる。
周囲の話は聞き覚えのある内容ばかりだ。
――うん、ループっぽい。
記憶の限りでは、物語を訪れた時からのやり直しとなっている。何度も同じ出来事を繰り返すのは物語病ではよくある症状だろう。外へ追い出されることがないのはいいが、入り込んだら抜け出しづらいのが要注意だ。
会場の様子をうかがいながら、皿の上にあるケーキを順にゆっくりと食べていく。どれもおいしい。身体が喜ぶかのように脈打つ――周りの人々が動物へと変わっていった。私の身体も膨らんでいってしまう。
私はブタとなった。赤いドレスを着たブタとなった。でも、破れてしまったし、ドレスは脱ぎ捨て、あの女がいた場所へと戻る。
メイド姿の女は会場の様子を見て立ち尽くしていた。どんな反応をするか試そうと足へとすり寄ってみる。
「なんなの、このブタ。よだれ垂らして汚らしい」
「ぶひっぶひっ」
「邪魔よ。ブタならブタらしく、ドーナツでも食べてなさい。おいしいはずだから」
目の前にドーナツがいくつも落とされる。迷わず食らいつく。ブタの姿になってもブヒだ。違う、美味だ。かぶりつく感覚が楽しくもある。
「そこの麗しい方、あなたは誰ですか?」
「え、私、でしょうか?」
何やら王子様と女が話しているけれど、優先すべきはドーナツだ。聞き耳だけ立てて食べ続ける。
「おぉ、あなたこそコンテストの優勝者です。どうか、この王子と結婚してください」
「あ、はい」
ドーナツを食べ終える時には、ひざまずく王子様に女は求婚されていた。
――ブタになっておいて正解だね。
ヒトの形をした誰かが他にいなければ、このメイド姿の女が人間コンテストで優勝して王子様と結婚できる流れなのだろう。
見事なご都合主義というか出来レースだけれど、結末に向けて展開するのが物語だ。
ブタとして二人がどうなるか見守ろう。
女は王子様の口づけを受けると、手を引かれて大広間から出て――なぜか大広間は教会へとつながっていて結婚式が始まった。さらには、城下町の人々に祝福されてのパレードまで行われた。
結婚式の参列者がクマとウサギのぬいぐるみたちで、パレードの護衛もそのぬいぐるみたちだったこと以外、際立った特殊性はなかったように思える。いや、女はキスをする時すら仮面をしたままだったか。
城へと戻って湯浴みを済ませた王子様と女は寝室へと入り、天蓋付きベッドでいちゃつき始め――――女が急にため息をつく。
「やっぱり、あなたもカエルなのね」
のぞいてみると王子様は、カエルとなっていた。月明かりに照らされてゲコッと鳴いた。
仮面を外した女と目が合う。ようやく拝めた仮面の下は、取り立ててどこをどうのと表現するところもなさそうで、仮面の方がよほど印象に残る。
「ブタがどうしてここに? まぁ、どうでもいっか」
見つかってしまったが、女は気にした様子もなく、バルコニーへと歩いていく。満月へと手を伸ばし、どのくらい雲が流れていったか。急に振り向いてきた。
「ブタさん、カエルさん、さようなら」
女は手を軽く振ると、そのままバルコニーの手すりへと座り、空を仰ぐような形で後ろへ倒れていく。
急いで駆け寄ろうとしたものの、ブタにできることなど何もなく、バルコニーの向こう側へと女は消えてしまった。
落下した音はいつまでも聞こえない。
やがて意識が遠のいてゆく。
3.
クマみたいな門番に招待状を見せる。これまで通り、赤いドレスの女から役割譲渡で頂いた〈招待状を持つ女〉という役割を演じておく。
クロークを通り過ぎ、化粧室へ入ると、私はボクに戻る。
そして、ボクはあの女の元へ向かう。
「どうぞ、お召し上がりください。ご希望のものがあったら、お伝えくださいね」
「あの……いいかな?」
「はい、どれになさいますか?」
ボクは外套のフードを脱ぎながら、ロングスカートなメイド姿の女へと告げる。
「君を希望させて頂けませんか? 君が幸せになれる物語をボクは味わいたい」
「はい? あなたは――えっと、その目はなんですか?」
「ボクの痛み、今に至るまでの記憶かな」
女は仮面の向こうでまばたきをする。
「あの、えっと、そうなんですね」
「こんな醜悪な場所なんて抜け出して、夜空の下を歩いてみない?」
「ちょっと、私は、その、役割があるので」
女へと手を差し出しても握ろうとはしてこない。
「そんな役割に縛られず、仮面も外して、遊びに行こうよ」
「仮面……あなたもやっぱり……そういうことですか」
「ん、どうしたのかな?」
「衛兵、捕えてください。不審者です!」
イカつい衛兵が次々と現れて取り囲まれてしまう。
「皆、待つのだ。ここはこの王子に任せよ」
「あっ、王子様……」
女の後ろから、王子様が現れた。白馬には乗っていない。
「そこの者、今すぐ立ち去れ。さもなくば斬る」
「逃がしてくれるんだ? そっか、優しいね。でも、お嬢さんをこの城から連れ出せないのならダメ、かな」
仮面の女を背後にかばうようにして、王子様が近づいてくる。
「そうか。ならば、斬り伏せるのみだ」
剣を鞘から抜き、かまえてきた。こちらは丸腰なのに、などとは言わない。
この時を待っていた。
「物語引用――衛兵はぬいぐるみとなり、王子様はカエルとなる」
ボクは以前に経験した物語の展開を引用した。
見る見るうちに衛兵も王子様も姿が変わって小さくなっていく。
好機だ。持ち主がカエルとなってしまった剣を手に取り、そのまま女へと近づく。
「え、何が起こっ――」
困惑の声をあげる女、その仮面を奪い去る。そして、仮面に剣を突き立てて砕いた
「あっ……あ、み、見ないで……」
驚きと怯えに歪んだ表情は、しかし、女の両手で隠されてしまう。
ひざから崩れて女はその場にうずくまり、幻だったかのように消えていった。
あとに残されたのは赤いカバンのみ。いや、違う。
――これはランドセル?
赤いのは血のようだ。鉄っぽい匂いがして、どこを触ってもべったり血が手につく。
ランドセルの中をのぞきこむが、真っ暗闇しか見えない。仕方なく、ひっくり返して中のものを出してみる。
軽い音を立てて出てきたのは、ぬいぐるみとお面だった。
ナイフの刺さったクマのぬいぐるみに、ウサギのぬいぐるみ、そして般若の面。どれも血に濡れており、血だまりができてしまう。いや、血の池か――などと思ってるうちに大広間の床へと血がどんどん広がっていく。
「浸食か……」
この場にいては、いずれ血に溺れるだろう。
城から出るか、あるいは――――もうランドセルの中からは血の一滴すら出てこない。
ボクはランドセルの中へと手を突っ込んだ。
引っ張られるような感覚があったので、全て委ねる意識で目をつむる。
★★★
浮上していく感覚の果て、まず見えたのは天井だった。明かりはついていない。
敷物か何かの上に寝転がっていたので起き上がる。
ベッドにぬいぐるみ、棚があり、勉強机もある――となれば、子供部屋か。
手についた血の感触や匂いは消えているし、この部屋にも血なまぐささはない。
部屋の状況がわずかばかり分かるのは、月明かりに照らされているためだ。
窓の外に満月が見える。
立ち上がって見渡そうとして、物音に気付く。
いや、人の声だ。
「あなたは――!」
「お前っ――!」
扉の向こうから誰かの声が聴こえる。男と女の声だ。けれど、確かに聞こえるはずなのに、頭の中で意味を成してくれない。ただ分かるのは言い争っていることだけ。
扉を開こうとした手を誰かがつかんできた。
「だめっ……!」
声がした方を向くと、女の子が何かを抱きしめて立っていた。
ボクの肩よりも少し低い背丈で、おそらくは子供だ。
――ん?
女の子は、しかし、トレーナーやシャツなどではなく、メイド服を着ていそうだ。
あのメイド服の女にしては背丈が違うけど、と考えて気づく。女の子が抱えているのはランドセルみたいだ。
「ここが君のお城、なのかな?」
「お城? 私はお姫様じゃないよ?」
「それなら、君は誰なの?」
「え、私は――私は、分かんない。誰なんだろ」
月明かりだけでは表情までは見て取れない。しかし、声音は沈んでいた。
「えっと、あなたは、だぁれ?」
「何某モノカだよ。ボクが何者か君はどうせ忘れるだろうけどね」
「んと、忘れてほしいの?」
「あーっと、どうだろうね?」
はぐらかすと、女の子に手を引かれた。
「ねぇ、モノカは私をどこへ連れ出してくれるの?」
「ん? んー、夜空の下かな」
「ふーん、月しか見えないのに」
女の子は満月を見上げる。
「窓から外に出られるかな?」
「だめ、気づかれちゃう。こっちだよ」
手を引かれるままにベッドの上へと移動した。
「お布団をかぶって、目を閉じるの」
「あぁ、うん」
「手、離さないでね」
布団に包まれる感触が消えてゆく。
「夜空の下ってどういう場所?」
「お祭りで賑わう夜の街、かな」
「そっか、着いた、かも」
目を開けると、温かみのある電灯に飾られた露店がいくつも立ち並んでいた。どうやら城下町の盛り場にあった広場だ。けれども酒やタバコの匂いはしない。ひたすら甘いだけで苦みのない香りが漂っている。
中央には大木があって、おそらくはモミの木だろう。様々な飾りや灯りに彩られている。
「クリスマスマーケットか」
「うん、そうだよ」
「ケーキとドーナツが食べたくなるな」
「え……やめた方がいいよ」
女の子は、少し背が伸びたようだ。けれども、あどけなさの残る顔つきは化粧をなされておらず、何より水色のランドセルを抱きかかえていて、やはり子供に見える。
「なぜ食べるのをやめた方がいいの?」
「お砂糖も油もいっぱいで、ブタさんになっちゃうってママが言ってたから」
「ブタになったらダメなの?」
「オオカミやクマに虐められて、おしまいなんだよ?」
ランドセルを強く抱きしめたらしく、軋む音がする。
「おしまいになると、どうなるの?」
「分かんない」
「新しい話が始まって面白いかもよ?」
「そんなのあるわけない」
ふっ、と鼻で笑われた。
「分かんないよ。例えば、カエルのいびきが聞こえて目が覚めるとか」
「夢オチってこと?」
「むしろ現実の始まり?」
「何それ、ふふっ」
笑い声に混じって、お腹の鳴る音がした。女の子がわずかにうつむく。
「ほら、何かおいしいものを食べようよ」
「ブタさんになったらどうするの?」
「カエルになってあげようか」
「ふふっ、カエルさんなんて嫌いよ」
女の子は軽く飛び跳ねた。
「どうして?」
「だって、私のこと全く分かってくれないんだもの」
甘い匂いが一段と強くなる。
「食べてもいいのかな?」
「時間と量さえ注意すれば、きっと大丈夫だよ」
お店で注文しようとすると、山盛りのケーキとドーナツを渡された。何番目かの来店客とかになれたサービスらしい。
「夜なのに、すごい量……これはダメじゃ?」
「だね。でも、クリスマスなんだよ? ボクと分ければいいさ」
「そっか。うん、たまには、いいのかも」
「うん、ほどよいところを見つけていくのが大事だよ」
食べ終えると、様々な店を見て回り、モミの木を触りに行き、ホットチョコレートを飲んだ。
「プレゼント交換しようか」
人気のない場所で話を切り出した。
「え?」
「君のランドセルと交換してほしいんだ――ちょっと向こう向いてて」
「うん」
外套を脱ぐと同時、ペンダントを握りしめて唱える。
「模造現実・人物――旅人」
急いで服を脱いで、再び外套を纏う。
「あの、何やってるの? 誰? 女の人?」
「何某モノカだよ。私が何者か君はどうせ――」
「知ってるよ。サンタさんでしょ? 変装?」
いたずらっぽい笑顔を見せてくる。
「あー、うん、それかも」
旅人の服を差し出す。
「君に必要なのは王子様より旅だと思う」
「旅人になるの?」
「合わない物語を無理に着るのはやめなよ。合う物語を探せばいい」
「かも、ね。うん、プレゼント交換しよ」
ランドセルと旅人の服を交換してくれた。
女の子が服を抱きしめると、メイド服が光って旅人の装いをした女になった。もう仮面はしていない。
「私……ごめんなさい」
「ううん、君の物語、楽しめたよ。ありがとね」
「う、うん、ありがとう」
女の吐息が白くなって空へと馴染む。
「旅に、出ないとかな」
「そうだね。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
背を向けて歩み始めた女の姿が淡い光へと消えてゆく。
拒絶反応がなかったということは、それなりに物語適合率が高かったのだろう。
この物語に登場した全ての人物が彼女から生まれたのだとすれば、当然か。
――どこへ行き着くだろう。
何か願いながら、私はボクへ戻り、ランドセルを開く。
中から飛び出してきた王子様のぬいぐるみを捕まえる。
ペンダントから変形させた万年筆でおわりを刻む。
終焉明記だ。
万年筆を端末へと変え、声を吹き込む。
「物語報告――人間コンテストの物語。作者はランドセルを抱きかかえる少女であった誰か。物語の核と思しき目標、王子様のぬいぐるみへとおわりを刻んだ。まもなく物語は消失するだろう。何某モノカ記録」
ボクの今夜はどう評価されるのか。
星を多く貰えるほど良い役目を果たせたという意味らしい。
「折角なら、星がたくさん欲しいな。星だけに。なんてね」
人間コンテストと同じでこれも何かの物語病なのだろう。
ふっと溜め息が出る。
こういう時は地面を見つめるのではなく、空を見上げるものだと言われたっけ。
「月が綺麗ですね」
語る相手なんていないけれど、言葉をこぼしてみた。
月がさやかに輝くほど、星影は空の明るさへと沈んでしまう。天体を眺める者にとって月の美しさは光害だ。もっとも、この場所は街明かりが強すぎて話にならないけれど。
こんな夜は、我が身を闇に溶かしてしまいたくなる。
いや、溶かしてしまおう。
星のまたたけない夜空へ口づけするような感覚で、冷たい夜風にふわりと舞い上がっていく。
ボク、何某モノカの身体は誰かの物語を読み込むことでしか実体化できない。
そろそろ今宵の思考は終わる。
満月の下で幻想の世界と共に儚く消えていく美少女。
そんな風に見えたなら、絵になるのだろうか。
けれど、実際も実感も違う。
闇の暗さに狂う妄執の間へ溶けていく何か。
ボクはそういう何かだと自負している。
きっと次も愉快で奇怪な物語に呼ばれるだろうから、それまでは眠っていよう。
(了)




