第八話「婚約破棄」
「どうするつもり?」
エリシアはクロードを見上げた。彼の琥珀色の瞳には、微かな愉悦が浮かんでいる。
「単純なことです」
クロードは薄く笑い、ワインを一口飲んだ。
「彼女は、これまでの“流れが変わることはない”と思っている。ならば、我々がそれを否定するだけでいい」
「……つまり?」
「君が今までと違う動きを見せれば、彼女の余裕は崩れるはずです」
エリシアは考え込んだ。
確かに、リリィは何らかの方法で未来を“予測”している。だが、それが本当に“完璧な記憶の継承”ではないのなら——彼女の想定外の動きをすれば、動揺を引き出せるかもしれない。
「面白いわね」
エリシアはゆっくりと微笑んだ。
「ならば、今度は私が“予定外”のことをしてあげる」
クロードは満足そうに頷いた。
「では、最初の一手を打ちましょうか」
翌日、エリシアは大胆な行動に出た。
王宮の舞踏会——貴族たちが集う中、彼女は王太子エドワードの前で堂々と宣言した。
「エドワード殿下」
「……なんだ?」
エドワードが不機嫌そうに眉をひそめる。エリシアは優雅に微笑みながら、一歩前へ出た。
「私は、あなたとの婚約を破棄させていただきます」
——ざわめきが広がった。
エドワードは驚いた顔をしたが、すぐに怒りを滲ませる。
「……何を言っている?」
「言葉のままの意味ですわ。私は、あなたとの婚約にもう興味はございません」
その瞬間——リリィの表情が、一瞬だけ崩れた。
(やはり……)
リリィは“この展開”を予測していなかった。
彼女の祝福がどのようなものかはまだ不明だが、少なくとも“未来を完全に知っている”わけではない。
「……お姉様」
リリィはすぐに笑顔を取り戻し、エリシアの手を取った。
「なぜ……そんなことを?」
(その焦り、隠しきれないようね)
エリシアは優雅に微笑んだ。
「もう興味がないの。あなたに差し上げるわ」
そう言って、リリィの耳元で囁く。
「でも、あなたの計画——すべてを潰してあげる」
リリィの指が、一瞬だけ震えた。
エリシアはそれを見逃さなかった。
(ようやく……動揺を引き出した)
王太子エドワードは理解が追いつかないようで、顔を紅潮させながらエリシアを睨みつける。
「貴様……何を言っているのか分かっているのか?!」
「ええ、もちろんですわ。ですから、繰り返します——私はあなたとの婚約を破棄いたします」
エドワードは拳を握りしめるが、エリシアは全く動じなかった。
その様子を見ていたリリィの顔に、一瞬だけ翳りが走る。
「お姉様……どうして急にそんなことを……?」
リリィは心配そうな顔を作っているが、エリシアは冷静に彼女を観察した。
(この展開は、あなたの想定外……そうでしょう?)
「リリィ、あなたが気にすることではありませんわ」
優雅に微笑みながら、エリシアは彼女の手をそっと握る。
「ただ……あなたの思い通りにはならない、ということだけは覚えておいて」
囁くように告げると、リリィの瞳がわずかに揺れた。
——確信した。
リリィは完全に未来を見通しているわけではない。
何かしらの“指針”があるだけで、それが変化することは想定外なのだ。
(ならば、この世界のループを終わらせる鍵は……リリィの祝福そのものかもしれない)
リリィは微かに笑いながら言った。
「お姉様が決めたことなら……仕方ありませんわね。でも……私はお姉様に幸せになってほしいだけなのです」
その言葉に、エリシアは僅かに眉を寄せる。
(……幸せ?)
それが本心ならば、この世界は何のために繰り返されているの?
(彼女の祝福……もしかすると、本人ですらすべてを理解していない可能性があるわね)
「エリシア」
その時、クロードが静かに近づいてきた。
「そろそろ失礼するとしよう」
彼の一言で、エリシアは軽く頷く。
「ええ、殿下——では、これで失礼しますわ」
エドワードはまだ怒りを滲ませていたが、何も言い返せなかった。
リリィは静かに微笑んでいたが、その目の奥には確かな警戒が宿っていた。
(この一手で……彼女の余裕は崩れたはず)
——次は、彼女の“祝福”の正体を暴く。
エリシアはクロードとともに、舞踏会の会場を後にした。
***
王宮の廊下を歩きながら、クロードが静かに口を開く。
「リリィが動揺してたな」
「ええ。やはり、彼女はすべてを把握しているわけではない……けれど、それでもある程度の未来を“予測”しているようだった」
「となると、彼女の“祝福”は——」
エリシアは立ち止まり、ゆっくりと息を吐く。
「おそらく……この世界の“流れ”に影響を与えるもの」
クロードは眉をひそめた。
「つまり、運命の操作……か?」
「あるいは、それに近い力ね。未来そのものを見ているわけではなく、何かしらの“導き”を受けている可能性があるわ」
エリシアは考え込む。
リリィがループの中でどこまで認識しているのか、それがまだ掴みきれない。
しかし、ひとつだけ確実なのは——
(彼女の祝福が、この世界の“繰り返し”の鍵になっていること)
クロードは静かに呟いた。
「……ならば、次の一手は“祝福”の正体を暴くことになるな」
エリシアはゆっくりと頷く。
「ええ。このループを終わらせるために——リリィの秘密を暴くわ」
クロードは口元に微かな笑みを浮かべた。
「ならば、その手伝いをさせてもらおう」
——すべての輪廻を終わらせるために、次なる策が始まる。




