第二話「完璧なる復讐へ」
エリシア・フォン・ルヴァンは、再びこの時間に戻ってきた。
ベッドの上で、震える指先を見つめる。鼓動は速く、息が詰まるような感覚があった。
「……どういうこと?」
前回、すべてを終わらせたはずだった。
王太子エドワードは滅び、リリィも葬った。裏切った貴族たちは破滅し、王国そのものが崩れ去るほどの復讐を果たした。
それなのに。
「また……やり直し?」
震える声が零れる。だが、すぐにエリシアは唇を噛みしめ、ゆっくりと深呼吸した。
冷静になれ。これは絶望ではない。むしろ、好機なのだ。
「……いいえ。これはチャンスよ」
前回よりも、もっと徹底的に。より確実に、彼らを破滅へと導くための。
今度こそ、完璧に復讐を遂げる。
エリシアは立ち上がり、鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。美しい金髪に、深紅の瞳。その中に宿る光は、以前とはまるで違う。
(私は知っている。この先に何が起こるのか。彼らがどんな言葉を吐き、どんな行動をとるのか……すべて)
ならば、それを利用すればいい。
前回は、彼らが罠を仕掛ける前に叩き潰した。だが、それではまだ甘かったのだろう。ならば今回は、じっくりと彼らに罠を張らせ、その先にある地獄へと導いてやればいい。
——さあ、ゲームを始めましょう。
エリシアは微笑むと、まず最初の駒を動かすべく、執事を呼んだ。
「カイ、準備を」
扉が開き、黒衣の青年が静かに現れる。執事のカイ・リンドベルク。彼はエリシアに忠誠を誓う数少ない存在のひとりだ。
「お嬢様、ご命令を」
「舞踏会の準備を進めてちょうだい」
「……舞踏会、でございますか?」
「ええ。次の王太子妃を決める、大事な舞踏会よ」
エリシアは冷たい微笑を浮かべる。
この舞踏会は、前回のループではリリィが「聖女」として華々しく称えられ、エドワードが彼女に心を捧げるきっかけとなった場所だった。
ならば、今回はその場を 「王太子の破滅の始まり」 に変えてしまえばいい。
エリシアは、ゆっくりと胸の前で指を組む。
「すべては、完璧な復讐のために」
彼女の計画が、静かに動き出した。
***
舞踏会の夜——。
煌びやかなシャンデリアが光を放ち、貴族たちは優雅なドレスに身を包みながら談笑している。甘い香りのするワインが振る舞われ、絢爛な音楽が空間を満たしていた。
この夜は、王太子エドワードが次期王妃候補を正式に選ぶ場でもある。前回のループでは、ここでリリィが「聖女の涙」と称される奇跡を見せつけ、彼女の地位は決定的なものとなった。
——だが、今回は違う。
エリシアはホールの中心に立ち、ゆったりと微笑んだ。
「この舞踏会こそ、エドワードを破滅へと導く舞台」
彼女はそのための準備を抜かりなく進めていた。
(まずは、エドワードとリリィを踊らせる)
リリィは清純な微笑みを浮かべながら、王太子の腕を取る。王太子は満足げに彼女をエスコートし、二人はダンスの輪へと加わった。
その瞬間、エリシアは小さく指を鳴らす。
合図を受けた楽団が、演奏のテンポをわずかに速めた。
——ほんの少しだけ、普通のワルツよりも速い旋律。
それだけで、リリィはリズムを崩し、ステップを誤った。
「——っ!」
不慣れな貴族の舞踏。加えて、貴族としての教育をまともに受けていない彼女にとって、微妙なテンポの変化は致命的だった。
しかも、周囲の貴族たちはその異変に気づき、冷笑を漏らし始める。
「まあ……王太子殿下のパートナーが、こんなに踊れないなんて」
「庶民にはやはり、優雅な舞踏は無理なのでは?」
「聖女とはいえ、みっともないわね」
次第に、リリィの頬が紅潮し、焦りが表情に滲み出る。
エドワードは周囲の視線に気づき、苛立ちを募らせていた。
「リリィ、しっかりしろ!」
「す、すみません……」
必死に取り繕おうとするが、彼女の足は絡まり、ついに——
ドンッ!!
「きゃっ……!」
リリィはバランスを崩し、床に倒れ込んだ。
それだけならまだよかった。だが、彼女は王太子の腕をつかんでいたため、エドワードまでが体勢を崩し——
バシャアアッ!!
すぐそばに置かれていたワインのテーブルに突っ込み、豪奢な衣装が真紅の液体に染まる。
その光景に、貴族たちは息を呑み、次いで——
「……ふっ」
「ふふっ、あはははは!」
ホールに笑いが広がった。
「まあ! 王太子殿下が!」
「聖女様の優雅な舞踏、拝見させていただきましたわ!」
皮肉混じりの嘲笑が飛び交う中、エリシアは優雅に微笑む。
(さあ、ここからが本番よ)
王太子は顔を真っ赤にして立ち上がり、リリィを睨みつけた。
「なにをしているんだ、リリィ!」
「で、でも……」
リリィの瞳が潤む。これまではこの涙が彼を虜にしてきた。
だが、今回ばかりは違う。
エドワードは周囲の貴族たちの視線に気圧され、彼女を庇うどころか、苛立ちを露わにする。
「……少しは恥を知れ!」
「え……?」
リリィの瞳が揺れる。
その光景を、エリシアはワインを片手に眺めながら、静かに呟いた。
「少しずつ、綻び始めたわね」
この夜が、王太子エドワードと聖女リリィの転落の始まりとなる。
エリシアは、ただ静かにグラスを傾けた。