第70話 天才役者と次の舞台
「それでさぁ~、お勉強会だっていうのに、わたし寝ちゃったみたいで……」
「ええ……。貴女、もう少し柊さんの師匠としての自覚持ちなさい?」
「返す言葉もございません……」
真っ当な凛の指摘から逃れるように、机の紅茶へ手を伸ばす。
うう、紅茶美味しい……。凛の呆れ顔が染み入る……。
11月17日。週初めの今日、わたしと凛は祥子さんに放課後呼ばれていた。
祥子さんの仕事の整理がつくまでの間、凛の淹れた紅茶に舌鼓をうっているのが今というわけだ。
もうすっかり冬の装いの凛は、その名の通り相変わらず綺麗で。
クールな雰囲気は変わらないけど、それでもすっかり安心しきってしまう。
わたしと同じくらいの実力の、ライバルであり大親友。
そんな高崎凛の隣は、いつだって居心地がいいもので。
彩香やかなみやせなお姉ちゃんの隣とは違う、わたしにとっての大切な居場所だ。
「う~ん、やっぱり大好きだなぁ……」
「は?急に何の話?」
「え?凛の話」
「はあ!?」
瞬間湯沸かし器かと思うほどに、凛の顔は真っ赤に染まった。
んふふ、やっぱり凛は揶揄いがいがあるね!
「貴女、ほんっと人が悪いわよね……」
「えー、ほんとの事なのに~」
「……だからこそ、尚更たちが悪いのよ」
そう言いながら、凛はわたしの方へもたれかかる。
熱を帯びたちょうどいい重みは、凛がわたしを完全に信頼してくれてる証。
彩香とかなみはあまり距離が近いのはダメって言ってたけど、凛なら大丈夫だよね?
凛って、わたしにそういう恋愛感情とかはないだろうし!
……一応、大丈夫かどうか帰ったら聞いておこうかな。
そんな状態で数分すれば、コンコンとドアがノックされる音が聞こえてきた。
その音が聞こえた瞬間に元の体勢に戻れるんだから、人体ってのは凄いね!
「ごめんなさい、凛、如月さん。貴重な時間を使って待たせてしまって……」
「だ、大丈夫よ!」
「わたしもです!気にしないでください!」
「……ふふっ、ありがとう」
そうやって挨拶を交わしたのは、劇団シラユキのオーナー兼社長兼演出監督の高崎祥子さん。
ふと微笑んだ顔は、娘の凛とそっくりだ。
「次の舞台、”ガールズ・バンド”。その舞台の説明を、貴女達には先にしておきたかったの」
何故わたしと凛に?ひなのと彩香の主演2人の方が先では?
そんな疑問が湧いたけど、手渡された資料を一通り見てその意図を朧気に理解する。
ちらと横目で見れば、凛もどこか納得した様子だった。
「読み終えたかしら?それじゃあ、ざっくりと追っていくわね」
わたしと凛を真っすぐ見ながら、祥子さんは微笑みながら話し始めた。
「今回の脚本はオリジナル。王道主人公の麻生リコと、音楽にトラウマを持つ東スミ。その二人を中心にした、再会系ガールミーツガール。ここまでは、貴女達も分かってるわよね」
「ええ。脚本も、ある程度は頭に入っているわ」
「それで、今回はダブルキャスト制でわたしと凛が東スミ役。ですよね」
「その通り。そして私が伝えたいのは、貴女達が主演じゃない理由ね」
そう言いながら、祥子さんはわたし達の前でPCを操作し始める。
そして向けられた画面に映し出されていたのは、二つのデータだった。
「私の主観と世間の評価を交えながら、貴女達の現在の能力値をグラフにしてみたの。見てほしいところは、この主演適正の項目ね」
な、なんか、こうして自分の能力を可視化されるのはむず痒いところがある……!
他にも体力とか演技力とか項目はあるけど、今は後回し。
なになに?わたしは10段階評価で9、凛は8なんだね?
「この項目に含まれるのは、主演らしい華のある演技が出来るかどうか。主演として、舞台を成功させる能力があるかどうか。この二つが主ね」
「なるほど。由芽に負けているのがそれなら、納得のいく数字ね」
「そこは伸びしろね。で、貴女達と比較対象にするのが、今回の舞台で主演を務める笹森さんと柊さん」
次にお出しされたデータは、わたしの妹弟子のひなのと、わたしの弟子の彩香のもの。
「祥子さん、いつの間にひなのの事まで……」
「私の舞台に呼ぶ役者は例外なく、こうして能力を可視化してるの。勿論稽古中に変動することもざらだから、一つの目安みたいなものだけれど」
膨大なデータ量と、自身の経験則や知識から算出される能力値。
これを作るのが祥子さんだっていうから、信頼度や正確性も桁違いに高いはず。
なんというか、本当に理論派の人だよねぇ祥子さん。
演出家って理論派が多いけど、その極みみたいな感じ。
だからこそ、そのデータや言葉は信用できるものや納得いくものが多いんだけど。
「……彩香は4で、ひなのは3ですか」
それはそれとして、このデータは少しおかしい気がする。
彩香の演技力は4で、ひなのは7。主演適正は4と3。
対して、わたしと凛は演技力が9で主演適正は9と8。
わたしの大切な愛弟子で、伸びしろの塊の彩香は多分これくらいなのかな。
本格的に役者を始めて、まだ1年経ってないもんね。
それでもこんなに高評価なんだから、流石はわたしの彩香!!
だからこそ、わたしが気になったのはひなのの事。
わたしや凛と同じくらいの実力を持ってるはずなのに、わたしと凛を基準にすれば過小評価では?
「あの、ひなのの事を低く見積もりすぎでは?主演適正もですけど、演技力に関しても、わたしと凛が9ならひなのも9だと思うんです」
事実、以前に祥子さんは言っていた。
わたしと凛とひなのが、今の日本ではトップの役者だと。
だというのに、ひなのだけ数値が低いのは納得がいかない。
ひなのが7ならわたしと凛も7だし、わたしと凛が9ならひなのも9なはず。
「そうね。ただ前提として、私は能力を最大値で見てるわけじゃないの。私の評価は、あくまで[現時点での最低値]で考えていると覚えていて」
「最大値じゃなくて最低値?」
「ええ。具体的に言い換えれば、当人の能力の下限と言えるかしら」
つまりは、ベストコンディションではなくバッドコンディションでの比較。
だとしても、あまり納得はいってないんだけども。
「ただ、現状では凛と如月さんが頭2つ抜けているのは変わらない。時間が押しているから省くけれど、これは実際に芝居合わせをしてみればよくわかると思うわ」
「……はい。すみません、お話を遮ってしまって」
「ふふっ、構わないわ。如月さんのそういう部分、私は嫌いではないもの。ね、凛」
「私!?そ、そこで私に振らないでくれない!?」
自分のこういう子供っぽいところは嫌いだから反論できないけど、今回は祥子さんの話を遮ったわたしが悪いし……。
もっと合理的に物事を判断しなきゃいけないのは分かるけど、それはやっぱり難しくて。
別に自分が友達思いなんて驕る気はないけど、それでも反論したくなってしまう。
今の自分を受け入れたんだから、次は成長していかなきゃなのになぁ。
「……もう。ほら由芽、手を握ってなさい」
「え?」
「貴女、そうしてれば色々と落ち着くんでしょう?」
少し呆れた顔をしながら、薄く微笑んだ凛が手を差し伸べてくれる。
わたし、いくら何でもそこまで幼くないよ?とか。
もう一旦区切りはついたから、心配しなくても大丈夫だよ!とか。
色々と言いたいことはあるけど、凛のその行動と心遣いはとても嬉しかったから。
「……えへへ、ありがと凛。だいすき」
「づ……っ!…………そ、そう」
対等なライバル兼大親友に、こうやって甘えるくらいはいいよね。
「とても、仲がいいのね……」
「お母さん!?とてもの部分を強調しないでくれる!?」
「さて、今回の舞台で貴女達が主演じゃない理由だけれど」
「スルーした!?」
おお……!いつの間にか、母娘で漫才が出来るほど仲良くなってる……!
すれ違っていたのも、とっくに過去の話になってるんだ!
んふふ、嬉しいなぁ♪
「まずはスケジュールの問題。凛も如月さんも、もうじき映画の撮影が始まるでしょう?柊さんも笹森さんも、ちょうどスケジュールで空きが出たところを抑えられたから。主演だからには、多く時間を取れる方がいいしね」
確かに、スケジュールを考えたらわたしと凛はダメなんだ。
次の映画は主演じゃないけど準主役みたいだし、凛もそんなこと言ってたっけ。
うう、彩香の傍にずっとは居られないかぁ……。
かなみは多分舞台の方に行くから、かなみがいれば安心ではあるけども……。
「そして、この舞台においての役割の話。貴女達には今回、主演じゃない役回りで舞台の完成を手伝ってほしいの」
「私と由芽のサポート能力を育てようって話?」
「概ねその通り。まだ主演に不慣れな柊さんと笹森さんを、貴女達が支えてあげてほしいの」
そう言えば、ひなのってまだ主演の経験がないって言ってたっけ。
彩香もそうだし、せんせが言ってたことは大体当たってたんだ。
「それじゃあ、彼女たちをサポートするメリットは?」
めりっと!?
「凛ってそんなに打算的だった!?感情薄くない!?」
「ちょっ、うるさい!由芽は物事を知らなさすぎよ!!」
「だ、だって……」
「プロの役者なんだから、他人の心配の前にまず自分の立ち位置と見返りの担保をしなさい!交渉術だって、私達には大事なものの1つでしょうが!」
ぐぬぬ、凛の言ってる事はその通りだし大正論なんだけどさぁ……!
「ひなのは親友だし、彩香も凛のちょっとした弟子みたいなものでしょ……」
「だとしても……って、もう!私も言い過ぎたわよ!別に、二人を蔑ろにしてるわけじゃないから!」
勿論、凛がそんな薄情な人間だなんて微塵も思ったことなんてないし。
これもまた、わたしのプロの役者としての心構えが弱かっただけだもん。
それでも心の弱いわたしを、凛は慰めてくれてる。
ほんとに、凛に甘えっぱなしだよわたし……。
「ふふっ、でも凛のいう事は正しいわ。如月さんは、もう少し自分を高く見積もるように」
「はい……」
「貴女はこの私のライバルなの。もっと自分に自信を持ちなさい……」
「……ごめんね凛」
「もー…………。私だって、あの二人の事は好きよ。でも、由芽の事も大好きなの。心配度合いで言ったら、2人よりも貴女の方が上なんだからね」
「わたしも、凛の事大好きだよ……」
「~~っ!わ、私だって貴女に負けないくらい由芽の事が好きなんだから!だから、いつまでも落ち込んでないの!」
「……うん、ありがと」
心を凍らせて贖罪だけを考えて生きてた時は、こんなに打たれ弱くなかったのに。
前に進んで自分の素を曝け出してる今が、一番弱いわたしな気がする。
「……それじゃあ、凛の質問に答えましょうか。彼女たちをサポートするメリットについて、だったわね」
わたし達を見て心底嬉しそうに微笑みながら、祥子さんは紅茶で唇を湿らせる。
そうして一息ついて、穏やかな口調で話し出した。
「《双翼》の舞台以降、貴女達の芝居は緩やかに主役の演技に寄りつつある。私の主観だけれど、このままだともっと主役の演技に寄ってしまう可能性がある」
「はい」
「今すぐに、というわけではないわ。ただ、この先何十年と役者を続けるうちに、主演以外の役の方が多くなるものなの。だから早いうちに、主役ではない役の演技法を経験してほしいの。出来る限り沢山ね」
祥子さんが語ってくれた意図は、やっぱり概ねわたしの考えと似通っていた。
主役に抜擢され続けるなんて、まだ若い間だけの特権。
例外の人はいるけど、わたし達が必ずそうなれるとは限らない。
だからこそ、色々な立場での芝居の経験は必要不可欠。
わたしなんか、中学生の頃から主演しか演じてないわけだしね。
そういう経験値を上げるために、祥子さんは今回の配役にしてくれたんだ。
「貴女達をサブにするなら、生半可な主演ではダメ。だから、吸収力と憑依演技の天才の柊さんと、理論派の極で貴女達に近しい実力を持つ笹森さんを主演にした。理由としては、これで全部ね」
これが、高崎祥子の采配。
わたしと凛を裏側の軸にした、前回よりも挑戦的な舞台。
わたし達に委ねながらも、全ては自分が思い描く道へ誘導している。
わたしと凛が前回その思惑を越えられたのは、きっと偶然のおかげ。
わたし達が引っ張るのではなく支える側に回る以上、どんな舞台になるかは彩香とひなのにかかっている。
……うん、彩香は勿論、ひなのにも荷が重過ぎる気がする。
凛っていう最強カードを使えたわたしとは、全く勝手が違うよこれ。
でも。
彩香はあの時、確かに言ってくれた。
わたしを越えるって、誓ってくれた。
勿論全力で支えるよ?
師匠として、恋人として。何時だって傍で居たいって思ってるよ?
だからこそ、見てみたい。
わたしの愛しい弟子が、この最高の演出家の思惑を越えるところを。
わたし達と、同じレベルで演じる姿を。
ああ、とても嬉しいなぁ。
わたしと同じくらいのレベルで競い合える人がこんなに居るだなんて。
本当に──
「楽しくなりそうですね!!」




