第60話 演目《双翼》 中 / 師匠と弟子
元々、真琴さんの演技力は私と由芽を除けば一番高かった。
そのルックスと演技力、色々な現場での経験値も相まって、どこでも重宝されるような人だし。
だけど、この舞台の初めごろは伸び悩んでいる期間だったみたいで。
この3か月の稽古で、唯一技術的な面でしか伸びていない人でもあった。
『復讐なんかに、アリアの心は耐えられないよ!!』
それが、どうして本番でここまで演技力を向上できるのかしら……!
『心配なんて、される謂れはないわ』
『友達なんだよ!アリアの事、心配してもいいでしょう!?』
熱くアリアを説得する感情と並行して、次のセリフの為の足運び。
観客に見せるための芝居を、没入演技の中でこなせている。
それのお陰で、私も受けの演技を凄くやりやすい。
私の体の動きをよく観察してくれているから、私の立ち位置の意図もすぐに伝わってくれる。
修正が容易だから、より演技に集中できる。
……やっぱり、上手な役者と芝居をするのは楽しいわね。
『……好きにすれば。だけど、私の邪魔だけは絶対にしないで』
『うん、好きにする。アリアの事、1人にさせてあげないから!』
『…………そう』
舞台が暗転して、アリアの導入パートは終了。
由芽ほど視野が広くない私でも、観客の反応が上々だという事は理解できた。
「流石は凛と真琴さん!一昨日の最終調整よりも、数段良かったよ!!」
舞台袖に入れば、由芽がキラキラとした目でそう言ってくる。
あいっかわらずバカみたいに可愛いけど、抱きしめたい衝動は抑えなきゃよね。
「はいはい、そんなの当り前よ」
「もー、凛さんはクールだなぁ。ありがと由芽さん♪」
「わふっ……!んふふ、真琴さんってハグ魔だったんですね!」
「えー、由芽さんと千奈にだけだよ~」
…………いや、まぁね?
私は現段階では由芽の親友だもの。由芽が誰とハグをしようと、それを引きはがす権利は私にはないわよ?
ただ、私は忠告したはずよね?その距離感は、誰かれ構わずしていいものじゃないって。
その天真爛漫な笑顔も、犬みたいに人懐っこい性格も、愛くるしい仕草も。
それらは全て、無意識に相手を勘違いさせてしまう物だって言ったわよね?
「む?なんか険しい顔してるから、凛にもハグ~!」
「なっ、はぁっ!?」
ダ、ダメだわ!
昨日の出来事で由芽に対する自分の気持ちを自覚してから、自分がおかしくなってる気がする!!
ああ、もうっ!!これも全部、由芽が悪いのよ!!
私は親友で妥協できたのに、あんな愛の告白みたいな事ばっかり……!!
「……してほしいなんて、言ってないわよ」
「知ってるよ?わたしがしてあげたかっただけだから!」
「づぅっ……!!」
「うわー、今のは反則だよ由芽さん……」
こ、こいつこいつこいつ……!
自分はその気なんてないくせに、こんな……!こんな……っ!!
「すぅ…………、はぁ………………。ほら、もう出番でしょう?行きなさい、由芽」
「うん!行ってくるね!!」
次の場面はレイア側の掘り下げの部分だけど、今日の調子を見る限りは大丈夫そうね。
それに由芽がいるんだから、ある程度の失敗はむしろプラスになるだろうし。
「……凛さん?」
「どうかしましたか、真琴さん?」
「えっと……。化粧を貫通するレベルで顔真っ赤だから、少し涼しいとこ行こっか……」
「はい………!」
あの子、この公演が終わったら説教してやるんだから!!
▽
『誰も、いないの……?だれ、か……』
ヨロヨロと、縋り付くように、迷子のように。
観客席の後ろ側の扉から、真っ暗になった道を歩き続ける。
『わたしが悪いの……。だから、誰も、もう…………』
施設の外に出て歩き彷徨う道には、少しばかりの燃えきった建物の残骸だけ。
自分がした事を、罪を、目の前の現実はまざまざとレイアに見せつける。
少しだけ、そんなレイアの胸中を理解してしまう。
自分のとった行動が、大切な人を殺した。
そんな現実、耐えられるわけがないもんね。目を逸らして、何かをせずにはいられないんだよね。
わたしを照らすスポットライトは極限まで絞られて、その光こそが現状のレイアを表している。
この演出方法、かなみの提案だったはず。
お客さんたちの反応は良い感じだし、流石はせんせの演出家としての一番弟子!
『レイア……?レイアなの……!?』
パッと明るくなった舞台上には、なつさんの演じるレイアの親友のリナが居た。
不安そうに揺れる瞳と佇まいからは、友人を見つけられた喜び、その友人が今にも死にそうな顔をしている困惑、そして大切な人たちを失った悲しみが伝わってくる。
そのなつさんの表現力に、観客たちの目線が向いてくれた。
レイアの悲しみと虚無の感情を上手く反射してくれることで、わたしを見づらいお客さんたちにも伝わってくれている。
この3ヶ月でものにして、わたしとの数日間のマンツーマン稽古で開花したなつさんの才能。
受けの演技の一つである、感情の反射。
比較的に難易度の高いそれを、なつさんは完璧にこなしてくれている。
紛れもないその才能と努力の結晶は、わたしも高い出力で調整しないと逆に喰べられちゃうね!
『りな……。よ、かったぁ……。生きてて、くれた……』
『レイア!ど、どうしてそんな……!具合悪いの!?どこか痛む!?』
『ううん、大丈夫……。大丈夫だよ……』
そんなリナの心配を受けながら、ゆっくりと舞台上へ。
リナと再会して少しだけ明るくなったスポットライトは、それでも一瞬でまた元に戻る。
【救われるな、救われるな】
【お前のせいだ、お前のせいだ】
【人殺しのお前が、救われるなんてあってはならない】
事前に録音していた、レイアの頭の中の怨嗟の声達。
調整と編集を重ねたその声は、レイアの希望を決して許さない不協和音。
おどろおどろしい程のその声達に、お客さんたちは酷く苦々しい顔をしている。
そりゃそうだよね。こんな怨嗟に塗れた声、普通は聞く機会ないもんね。
わたしは今でも日常生活で聞こえるから、少しだけ慣れちゃったけど。
『ごめんなさい。わたし、行かなきゃ』
『は!?行くってどこに…………っ!?』
『…………わたしがしてしまったこの世界に対しての、贖罪に』
リナの手を振り払って、レイアは背を向ける。
そんなレイアの背中をリナはすぐに捕まえて、無理やり正面を向かせる。
む?これじゃお客さんは分かりづらいから、ちょっと位置調整して……。よし、これでおっけい!
『どういう事!?もしかして、前に言ってたレイアの能力って事!?』
『……うん、そうだよ。わたしが殺したんだよ』
『そんなっ……!…………何が、あったの?』
『……リナちゃん、に、嘘つきたくない。だから、離して……っ』
涙を流し始めたレイアを見て、並々ならない事情があることをリナは察知する。
やっぱり、感情を上手く反射してくれる人が居れば凄く演じやすい。
『そんな苦しそうな顔してっ!レイアが行く必要なんて、絶対ないよ!』
うん、最初の台本読みの頃とは次元が違う。
感情もしっかり入っていて、言葉の一つ一つが息をしていて。
『………ううん、違うよ』
わたしも、全力で応えなきゃ。
わたしと凛を信じてくれた皆に、なつさんに。
そんな彼女たちに向き合わないなんて、そんな失礼なことしちゃいけないよね。
さぁ、頑張って笑顔でいようよレイア。
リナに心配をかけないために、どんなに不器用でも、どんなに酷いものでも。
『わたしがしなきゃいけないの。だから、心配しないで』
なつさんの手を握れば、その冷たさに少し驚く。
でもすぐに暖かくなってくれたから、これで完全に緊張はとんでくれたかな!
『…………だったら、私も行く!レイアの事、絶対に1人にはさせないから!!』
────
『ふざけないで!!人殺しのアンタが、なんでのうのうと生きてるの!?』
『わたし、は……』
『世界を滅茶苦茶にして、沢山の人を殺しておいて!贖罪だか何だか知らないけど、もうこれ以上アタシ達に関わらないでよ!!』
『違う!レイアだって、好きで世界をこんな風にしたわけじゃないんだよ!!』
うん、京子さんの演技も凄く良い。
決してヒステリックになっているのでなく、レイアとの過ごした時間や悲しみも抱えて非難する糾弾者。
その繊細で深い感情を、分かり易くお客さんに伝えることが出来ている。
『わざとじゃないから何!?目の前に広がる光景が事実だよ!!』
『だからって……っ!』
そしてその演技を受けたなつさんも、感情の反射という演技の軸によって相乗効果のように芝居の質が上がっていく。
わたしの表現力を吸収して、わたしを喰らおうとする勢いで。
「やっぱり芝居をするなら、演技力はある程度近くなきゃお互い気持ちよくなれないよね!」
わたしの横で、楽しそうに小さなわたしは言ってくる。
あはは、今回だけはキミに同意かも。
わたしが見出して成長した役者が、わたしの存在感を喰らおうと芝居してくれる。
中学の演劇部もそうだったけど、こういうバチバチも嫌いじゃなかったんだなぁ。
「なつも京子も、きっと折れないよ!どれだけ全力でわたし達が芝居しても、喰らいついてくれるよ!!」
……そうだね。
でもそれは、わたしが嫌う〚実力以上を引き出すような、無茶を強要する舞台〛になりかねない。
上手く立ち回って、でも自分は埋もれないように。
そうしないと、またわたしは人を殺してしまうかもしれない。
「…………つまらないね。でも、2人はそうは思ってなさそうだよ」
2人?それって、どういう──
『レイア、もういいよこんな場所!早く違う場所に行こう!』
『元凶のそんなヤツ、今からでも殺せばいいんだ!!』
ふと、その声達に引きずられて俯瞰視点が途切れた。
俯瞰で見ないなつさんと京子さんの芝居は、迫力が段違いで。
その演技は、視線は、わたしに必死に訴えかけてくる。
「全力で来い、だってさ。いくら馬鹿なわたしでも、どうすべきかなんて分かってるよね♪」
……あーもう、舞台で泣きそうになったの久しぶりだなぁ。
最初に凛と描いたものとは少し違っているけど、それでもこの舞台は成功してくれていたんだ。
改めてその結果を目の当りにしたら、本当に泣いちゃいそう。
沢山の人に助けられて、恵まれて、わたしをどこまで幸せにしようとしてるんだろう。
『…………ごめんなさい。わたしは、まだ死ねない』
全力で、かつ2人を支えながらの芝居。
難易度は途轍もなく高いけど、でもやりがいしかないお芝居。
〖ゆーちゃんは、凄くお芝居が上手だね!私とゆーちゃんなら、きっといつか──〗
わたしのお芝居の原点は、きっとせなお姉ちゃんとのその会話だったから。
わたしは如月由芽。
せなお姉ちゃんに憧れて、沢山の人に大切なものを貰って来た役者。
「……おかえりなさい、わたし。やっと、戻ってこられたね」
遠回りをして、色々な人に迷惑をかけて、自分の全てを受け入れて。
ようやく如月由芽として、役者になる覚悟が出来たよ。
だから、頑張れわたし!
胸を張って、天国のせなお姉ちゃんに届くくらいに!!
『まだやらなきゃいけない事が、残っているから』
▽
声の質が、技術の多彩さが、動きのキレが。
一瞬で見違えるほどに変化したのが、舞台袖にいた私でも分かった。
「由芽ちゃん…………」
月の光に照らされた教室でのエチュードの時から、ずっと追いかけている芝居。
世界に愛されているようにすら錯覚する程の、完璧な位置取りと足運び。
指先の軌跡が残るほどに綺麗な所作に、他者を望む場所へ誘導するカリスマ。
視線を一身に集めているのに、自分だけが視線を奪わないようにする俯瞰を絡めた深層の技術。
世界が彼女の芝居を祝福する為に、彼女を中心に回り続ける。
そんな認識に陥ってしまうほど、由芽ちゃんから、舞台から目を離せなくなってしまう。
私の師匠で、憧れで、誰よりも愛おしい恋人。
「なんて、綺麗…………」
きっと、形容する為の言葉はいくつもあるはずなのに。
私の口から漏れ出た本音は、たったそれだけだった。
「……凄いですよね、あたし達の彼女」
「かなみちゃん……」
私に小さな声で話しかけてきたかなみちゃんは、とても誇らしげに由芽ちゃんを見ていて。
その言葉に、小さく首肯した。
「天城先生が言ってた意味が、少しだけ分かっちゃった。あの由芽ちゃんを見たら、確かに心が折られちゃうかもだよね」
「でも、彩香先輩は違うんでしょ?」
「え?」
何のことかとかなみちゃんを見れば、かなみちゃんは拳を突き出していて。
同時に、とても綺麗な笑顔をしてくれていた。
「あたしは裏方だから、由芽の望むライバルにはなってあげられない。でも彩香先輩は、由芽から沢山の期待を寄せられている」
「…………うん」
「だったら、彩香先輩は折れませんよ。由芽の事大好きな彩香先輩なら、由芽をいつか超えられる。今日は、その通過点ですしね!」
こつんと拳を合わせれば、かなみちゃんの暖かな心が伝わって来てくれた。
そしてレイアのパートが終わって、舞台が暗転する。
真っ暗な舞台袖で、それでもかなみちゃんの表情は私の目に焼き付いていた。
「……行ってくるね!かなみちゃんの応援も、私の一部にして!」
「はい、行ってらっしゃい!」
由芽ちゃんの恋人で、私にとっては親友で。
あれ?由芽ちゃんの恋人なら、私にとっても恋人なのかな?
ふふっ、それを考えるのは舞台が幕を閉じた後かな♪
今はただ、自分の持つ全身全霊で。
「すぅ……、はぁ…………。よし!」
この舞台に、挑戦するだけだ。
────
『そうか、君がアリアか……!』
声が聞こえる。
その声はとても明るいのに、邪念しか持っていないようなちぐはぐな物で。
芝居をしているのに、時々その声の方が大きくなる瞬間がある。
知っている。
この声の主は、私が今演じている《名もなき司祭》のもの。
『……誰?もしかして、アンタが──』
『いやいや、私はただの通りすがりさ。この悲劇を肴にしている、名もなき司祭だよ』
憑依演技の4段階目に進めば、それはより顕著になった。
気を抜けば、すぐに体がふわふわと浮いていきそうになる。
〖演劇、ひいては能の歴史については諸説ありますが、その中で語られるものは限られます。彩香先輩の演技の軸にも関係するものもあるので、少しだけ耳を傾けてください〗
演劇同好会の教室で、由芽ちゃんがそうやって話していたのを覚えている。
曰く、能の原点はイタコの憑霊の儀式。
創作物のキャラクターに、歴史上の人物になるという今のお芝居の本流は、その儀式を見た人が広めたものであるという事だと。
〖…………彩香先輩のその才能は、とても貴重で危ういものです。他のどの演技技法にも属さない、諸刃の特別。だからこそ、きちんと制御が出来るようにしなきゃいけません〗
由芽ちゃんはきっと、せなさんを通してよく知っていたんだね。
憑依演技を突き詰めれば、それは憑霊の儀式をする事と重なる部分が多いという事を。
だから最初は、私のこの演技技法を辞めさせたがっていた。
でも、今は違う。
半端な初心者の私に、沢山の人が教えてくれた。
お芝居は楽しいものだと、苦しいものだと、辛いものだと、かけがえのないものだと。
『ふざっ、けないでっ!!』
『ふざけてなど!ああ、貴女のその激情の物語!!もっともっと、愉快な方向へ誘わなければ勿体ない!!』
制御が出来ても4段階目の深さじゃ、演技の幅でもキレでも皆には敵わない。
凛ちゃんも真琴さんも、私のフォローをしてくれているのが分かってしまう。
あんなに時間をかけてくれたのに、こんな演技力でごめんなさい。
皆を越えられるほどのお芝居が出来なくて、本当にごめんなさい。
〖──いつか、わたしを越えてください〗
その眩しい程の笑顔に、絶対に報いるから。
大切な恋人の初めての期待に、必ず応えるから。
「──おかえり、彩香。やっぱり、彩香は凄いね」
「由芽ちゃん……。えへへ、ありがと!」
だから今だけは、自分の制御できる全力で、愛おしい貴女の傍にいさせてください。




