第48話 如月由芽と柊彩香 2
残暑に文句を言いながら、わたしは学校に足を踏み入れた。
《双翼》の舞台初日まであと半月になった、土曜日の10時過ぎ。
部活中のクラスメイトの子達や先生に挨拶をしながら、彩香に指定された場所に向かう。
「わたし達が、初めて会った場所……」
〖わたしは、長浜高校の演劇同好会の如月由芽です。わたしは、柊先輩と一緒に演技をしたくなりました〗
ほんの少し前のはずなのに、今ではわたしと彩香の関係はすっかり変わってしまった。もちろん、いい意味なんだけどね?
彩香がわたしの弟子になって、仮の恋人になって、愛してると言ってくれて。
本当に、中身の濃い時間を過ごした気がする。
ようやく着いたのは、わたし達が初めて出会った演劇同好会の部室前。中に人の気配がするから、もう彩香は中にいるのかな。
何を言われるんだろう。もうこんな関係はおしまいとか、わたしなんて嫌いとか。それならきっと、わたしはまだ耐えられる。
耐えられないのは、彩香が役者を辞めると言い出すこと。わたしと凛の演技を見て、もうどうでもいいと思ってしまう事。
分かってる。わたしのこれはただの自意識過剰で、そんな風に思う人なんかいない。
【だって、貴女は天才なんだから!】
妬ましそうに、羨ましそうに、悲しそうに、諦めているように。わたしを縛るのは、そんな黒い言葉。
あーなるほど。これ、トラウマになっちゃってるのか。今更ながら、自分の弱点の一つを見つけてしまった。
ふー、まずは深呼吸。大きく息を吸ってー、吐いて―。
よし、これで大丈夫。日常生活で演技はしないと決めたから、ここからはわたしの素で頑張るんだ。せなお姉ちゃんに、胸を張って生きられるように。
「おはようございます」
「あっ!おはよう由芽ちゃん!」
教室の中にいた彩香は、椅子に座りながら笑顔で挨拶を返してくれた。学校に私服の彩香は違和感凄いけど、それは私もだしね。
「彩香の私服。見慣れましたけど、学校で見るのは新鮮ですね。凄くかわいいです」
「っ!!……もー、これを普通にしてくるんだもん」
「彩香?」
「なんでもない!……そういう由芽ちゃんは、なんだかいつもと違うね?」
「……そうですね。そう感じてくれているなら、とても嬉しいです」
本当に、彩香は言われて嬉しい言葉ばかりくれるなぁ。
わたしがこれまでと少し変わって見えているなら、あの夢がわたしを変えてくれたという事だから。それに気づいてくれるのは、とても嬉しいや。
「それで、今日はどうしたんですか?今日の稽古の前に、何かお話があるんでしょう?」
「う、うん。そのことなんだけどね……」
そこから数瞬の後、彩香はわたしに問いかけた。
「由芽ちゃんにとって、お芝居って何?」
……ええっと、これはちょっと想定の斜め上だね?
わたしの考えてたことが何一つ当たってなくて、すごく恥ずかしいんですけど!
それでも、彩香の表情は真剣な表情だったから。
彩香の座る机の横の席に座って、目線を合わせて話し始めた。
「そうですね……。強いて言うなら、わたしの手でしょうか?」
「手?」
「はい。足でも頭でもなくて、手です」
我ながら、この例えがかなりしっくりとくる。
今までだったら足とか全てとか言ったかもだけど、今では手という例えが正解な気がするなぁ。
「どうして手なの?」
「とても大事で生きていくうえで必要ですけど、それがなくても歩けるし考えられる。でも、それがあれば出来ることの幅が広がる。だから、お芝居はわたしの手なんです!」
「な、なるほど……」
もう、前を向く理由は散々貰っていて。もう、背中を押してくれる人は沢山いて。
だったら、今度は恩返しをしていく番だから。
わたしの小さな手のひらは零してしまうことも多くあるけど、いつまでも零したものばかりに執着するわけにもいかない。
大切な物は心に抱えて、零してしまった原因を次に活かせるようにする。
この小さな手のひらで、今度はもっと多くの物を零さないようにする為に。
って、あれ?彩香ってば、もしかして緊張してる?
まぁ、これで終わりなわけないだろうし。それなら、少しでも緊張をほぐしてあげないと。
「それにお芝居をしていたからこそ、こうして彩香の手を握れるわけですから♪」
「ひょえっ!?そ、そそそそうだね!?」
うーん、もう両手の指では数えられないくらい手を握ってるんだけどなぁ。
驚くのはともかくとして、未だに茹蛸みたいに顔が真っ赤になるのはどうしてなんだろ……?
「彩香が聞きたかったのはこれだけなんですか?」
だけじゃないとは思ってるんだけど、まぁ一応聞いておかないとね。
「えっと、うん。聞きたいことはこれだけ、です……」
「…………え?本当にこれだけ?」
「ほ、本当にこれだけ……」
うーん、最近のわたしの勘外れすぎじゃない?
声に出してなくてよかったけど、もう色々と邪推するのやめよ!
「そ、そうなんですね!……えーっと」
「ほ、本当はもっと聞きたいことあったんだよ!?……でも、由芽ちゃんの顔を見たらいいかなって思っちゃった」
そう言いながら、彩香は私の手を握り返してくる。どこか安心したような表情で。
「何か、いいことでもあった?」
とても優しい表情で、とてもきれいな笑顔でそう言うから。
わたしの事が大切だというのが、ダイレクトに伝わってくる声音だったから。
少しだけ、心が揺れる音がした。
「…………はい」
「ふふっ、良かった!」
あーもう、彩香はホントずるいなぁ。かなみちゃんもだけど、わたしの心揺らすの上手すぎでは?
「き、聞きたかったのはそれだけなんだけどね!実は、言いたいことがあるというか……」
「言いたいこと?」
「……私ね、追いつけないかもって思ったの。一昨日の、由芽ちゃんと高崎ちゃんの演技を見て」
一瞬、自分でもわかるくらいに体が硬直する。
でも、彩香はわたしの手をもう一段強く握った後に話を続けた。
「由芽ちゃんは、まだ役者の私に期待してくれる?それとも、もう見限っちゃった?」
微笑んでいるのに、彩香の手は震えている。
きっと、私の返事を聞くのが怖いんだろう。自分の存在意義の話にもなってくるし、それは誰だって怖いに決まってる。
……きっと、見限ったと言えば彩香は悲しい顔をして受け入れてくれる。
そしていつかの未来に、わたしの横に彩香はいない。
彩香が役者を続けていたとしても、わたしはその場には居ない。
だけど同時に、それは彩香に負担を強いらない道でもあって。
わたしの芝居なんかに彩香を付き合わせない、最善の逃げでもある。
そう、きっと可能性としては最善。だけど──
「……わたし、凄く寂しがり屋なんです」
「ふふっ、知ってる♪」
確かに、現状ではわたしや凛に及ばないかもしれない。
でも、彩香の才能なら。せなお姉ちゃんと同種の、憑依演技の天才なら。
「──いつか、わたしを越えてください」
きっと、その可能性だって十二分にあるはずだから。
「うん!えへへ、由芽ちゃんの最高の甘えを頂きました♪」
「んふふっ、はい。誰よりも期待してますよ、彩香♪」
自分でも、こんなことが言えるのに驚いてはいるんだけどね。
今までだったら絶対言えてないし、今でもちょっと甘えすぎたかなとは思ってるけど。
でも、彩香はそれを受け止めてくれる人だから。
「そう言えば、本心から言ったことはなかったかもですね」
「へ?」
わたしをこの世界に繋ぎとめてくれた人、わたしを愛していると言ってくれた人。
そんな人が二人もいるなんて、わたしは本当に贅沢者だ。
「大好きだよ、彩香!」
「っ!?」
いつの日か、きっとまだまだ先かもしれないけれど。
そんな彼女たちに、わたしは恋をしたいと思った。




