第46話 柊彩香は、そうして覚悟を決めた
「すみません、天城先生。お忙しいのにお時間を頂いて……」
「ふふっ、気にしなくていいのよ。彩香ちゃんは私の弟子なんだし」
由芽ちゃんと高崎ちゃんの本気の芝居合わせから一夜明けて、私は天城先生の家まで足を運んだ。
昨晩は興奮が冷めないほどに二人のお芝居を思い返していたけど、その一方でもやもやとしたものが胸中に渦巻いていて。
何時間も悩んだ末に、ようやく一つの推論が出来上がった。
「それで彩香ちゃん、聞きたいことって何かしら?」
「…………はい。天城先生は、由芽ちゃんの全力の演技を知っていますよね」
「ええ、知ってるわ。あの子の芝居を、誰よりも間近で見続けてきたんだもの」
「……私の実力は、由芽ちゃんの実力の何%ですか?」
私のその発言に、一瞬だけ天城先生の眼が細くなる。
でもそれは一瞬で、いつもの柔和な表情にころりと変わった。
「どうしてそんな質問を?」
「……私は、由芽ちゃんの期待に応えたいんです」
きっと、私の胸中は見透かされる。
高い洞察力と演技力、そして巧みな話術。由芽ちゃんの師匠だというのに納得するに十分なほどに、天城先生は優れた眼を持っている人だから。
「……何かあったの?」
それから、昨日の由芽ちゃんと高崎ちゃんの全力の芝居合わせの話をした。
憑依演技に頼らず、己の技術と理性で計算された演技。なのに芝居途中で柔軟に表情や芝居を変化させ続けて、憑依演技よりもより深く役に潜っている印象で。
私じゃ、きっとこの2人には追い付けない。
そんな弱音が自然と口から出てしまうほどには、由芽ちゃんと高崎ちゃんの芝居は雲の上の存在だった。
【由芽さんは、本物の天才。私も、天才と持て囃されて生きてきた。それでもあの舞台で由芽さんを前にして、はっきり分かったの。彼女こそ、天に選ばれた才能の持ち主なんだって】
以前、細川さんがそう言っていたのを思い出した。
天才なんて生半可な存在とは一線を画す、神様みたいな演技力。
その実力を由芽ちゃんと高崎ちゃんは、私たちに遠慮をして隠していた。
「私は、由芽ちゃんの足を引っ張りたくありません。由芽ちゃんのファンとして、弟子として、由芽ちゃんには伸び伸びと演技をしてほしいんです」
「彩香ちゃん……」
死にたいとまで言っていた由芽ちゃんが前向きに生きようとしてる。そしてその核は、間違いなくお芝居なんだ。
私が、その邪魔をするわけにはいかない。足を引っ張るわけにはいかない。
そんな、由芽ちゃんを思う理由だって勿論強い。
だけど、それ以上に──
「…………大切な由芽ちゃんの隣に立てるように。対等に、なりたいんです」
その言葉が、結局は私の一番したいことだった。
「………………もしかしてだけど」
「は、はいっ!」
「彩香ちゃんは、由芽の事が好きなの?その、恋愛感情的な意味で」
その質問を投げかけた意味に、私は少しだけ察しがついてしまう。
天城先生の一番弟子で、由芽ちゃんを愛していて。由芽ちゃんにとっては、今でも心の一番大切な席に座っている彼女。
私とのお話は、きっと天城先生が彼女と過去にしたことがあるんだろう。
「……はい。由芽ちゃんの事を、愛しています」
言葉に出せば、心が弾んで嬉しくなる。
大切な人を愛しているというだけなのに、どうしてこんなになるんだろう。
「なんとなく、そう思っていたけれど……。そう、ふふっ。あの子ったら、本当に人たらしなんだから」
机の上の紅茶を少し飲みながら、天城先生は嬉しそうに笑う。大切な我が子を思うように、見惚れるほどの微笑みで。
「私の読みだと、かなみも由芽の事を好きよね」
「えっ!?」
「その反応は正解かしら。という事は、3人の中で関係は落ち着いているのね」
ど、どういう事!?由芽ちゃんとかなみちゃんが喋るはずもないし、私も誰にも言ってないよ!?
え、エスパー!?エスパーなの!?
「あぅ、えっと……、その……」
「あらあら、顔が真っ赤よ彩香ちゃん。心配しないで、誰にも言わないから」
「あ、ありがとうございます……」
いくらなんでも私の事を見透かしすぎでは!?表情豊かだって言われることは多いけど、そこまで分かり易くはないと思うんだけど!!
「……私は、こんな話を一度したことがあるわ。今から3年前くらいかしら」
そう言いつつ、天城先生は懐かしむように机を触る。
「それは……」
「……さて、話を戻しましょうか」
きっとその話し相手はせなさんなのかな。天城先生は、せなさんと由芽ちゃんの関係を知っていたんだ。
そんな私の思考をよそに、天城先生は真剣な目で話し始めた。
「彩香ちゃんの経歴は由芽から聞いてる。由芽の芝居に憧れて芝居の勉強をし始めて、由芽が教え始めてもうじき半年。そうよね?」
「えっと、そうです」
「正直、私は驚いてるのよ。たった半年でここまで伸びた役者は、私は由芽しか知らないから」
そ、そうなのかな?私の認識としては、由芽ちゃんを筆頭に周りに恵まれているだけなんだけど。
でも、由芽ちゃんくらいって言われると嬉しいかも!
「その点を踏まえて、由芽が100なら彩香ちゃんは30くらいね」
「さ、さんじゅう……」
というと、私は由芽ちゃんの約三分の一かぁ。お、思ったよりも開きがありすぎるなぁ……。
「あまり数値にするのは好きじゃないけどね。本番で一気に60や70まで上がる人もいれば、逆に下がる人だっている。彩香ちゃんのそういう本番の強さはまだ分からないから、これは暫定ね」
「そ、そうなんですね……」
確かに、まだ私は稽古でしか芝居をした事が無い。
うぅ、せめて本番に強いタイプであってほしい。30をせめて50か60くらいまで上げないと、舞台でも足を引っ張ってしまう……!
「私も何度かあなた達の稽古には足を運んで見学したけど、由芽は一度も本気で演技をしていなかったものね。凛さんと由芽の間で、何かしら思惑があるとは聞いていたけど……」
「私たちは偶然、昨日の自主稽古を見ちゃっただけなんです。だから、2人はまだ隠すつもりだったのかもで……。となれば、いつ頃お披露目してくれるつもりだったんだろう?」
前も感じたけど、由芽ちゃんの全力の演技は凄すぎる。
勝つとか負けるとかの次元じゃなく、まず尊敬してしまうほど。薄っすらでも、あの芝居と対等に渡り合える自分が思い描けない。
「多分、本番でのお披露目じゃないかしら?」
「本番ですか?」
「同タイプの役者の由芽と凛さん。2人の天才たる所以は、その視野の広さだと思うのよ」
「視野の広さ……」
確か、由芽ちゃんは俯瞰で客席まで見渡せるって言ってたっけ。
「何事もそうだけど、その道の一流の人間ほどどんな状況でも視野が広いわ。ハリウッドに行こうがどんな舞台に行こうが、由芽程の視野の広さを持つ人間は見た事が無いの」
「そ、それって、実質由芽ちゃんが……」
「まぁ、あの子にもまだまだ甘い部分はあるけどね。それでも、やっぱりあの子は別格よ」
言外に、由芽ちゃんは現在世界中で活躍する役者の中でもトップクラスだと天城先生は言い切る。
つまり、その由芽ちゃんと同格だと聞いている高崎ちゃんやひなのちゃんも……。
さては私、そんな子たちの横に立ちたいって言ってた……?
「私、めちゃくちゃ生意気言ってましたかね……?」
「そんなことないわよ?彩香ちゃんだって、成長性や憑依演技は天才そのもの。もっと時間をかければ、きっと凄い役者になる」
「え、えへへ……!それならいつかは、由芽ちゃんとも対等に──」
「でも、凄い役者であればあるほど、実力を正確に測れるようになればなるほど。由芽との間の実力差に絶望することになる」
「え?」
そう言った天城先生は、ひどく悲しそうな顔をしていて。同時に意を決したように言葉を紡ぐ。
「彩香ちゃんは聞いているかしら。笹森せな。私の一番弟子で、ひなのの姉で……。由芽の、一番大切だった子の事」
「…………はい」
天城先生の声が震えている。当たり前だけど、先生にとってもせなさんは特別な人なんだ。
「あの子も彩香ちゃんや私と同じ、憑依演技の天才だった。そして同時に、由芽にとっては大好きな憧れの存在。……だからこそ、せなは行き過ぎた」
「行き過ぎた、ですか?」
「何度も何度も、私たちは言い合ったの。それ以上深く演技に潜れば戻ってこられなくなる、日常生活すら満足に送れなくなるって」
それはきっと、以前由芽ちゃんが私に話してくれた危険性の話だ。
【特に、役から帰ってこられなくなる可能性。………世界的に見ても、そのせいで自殺までしてしまった役者は沢山います】
その負担を和らげるべく開発したのが、今の由芽ちゃんとのおまじない。
自己暗示を心に深く刻み込むことで、私が深く潜りすぎないようにする役割。あれも、由芽ちゃんが考えてくれたもの。
せなさんに対してのそれを、由芽ちゃんは自分との恋人としての日々にしたかったんだ。でも、それだけじゃ楔にはなり切れていなくって。
その後悔が、今の私に向けられている。
「由芽は元々他者を過剰評価する子だから、せなもそれに応えようとした。ある意味、由芽に依存してしまっていたのね。自分の存在意義は、由芽より前を歩くことだと思っていた。一時は落ち着いたと思っていたけど、その思いを結局は捨てられなかった」
そして、その結末が自殺めいた事故。
私の歩いていく役者人生の先にある結末。その一つをはっきりと明示されたことで、由芽ちゃんが私にあそこまで過保護になる理由が分かってしまった。
「如月由芽という、役者としてのトップの存在にあの子は挑もうとした。でも、その壁は人間の範囲の天才が挑むには、あまりにも分厚く高すぎた。……そして、せなは絶望した」
それだけで、由芽ちゃんの隣に立ちたいと言った自分の言葉の軽さを自覚した。
天城先生に見いだされた特級の天才さえ、由芽ちゃんに及ばない。
それほどに、由芽ちゃんと普通の天才の間には隔たりがあるんだ。
「由芽もせなも、どちらが悪いという話でもない。悪いのは、せなを説得しきれなかった私の不甲斐なさと能力不足だけ」
「天城先生……」
目を閉じて、天城先生はそう結論付ける。
再び目を開ければ、さっきよりもより真剣な眼で私を見始める。
「彩香ちゃんが目指しているのはそういう場所。覚悟なんて崩れて、自分の客観視すら難しくなる。そんな、演技という能力の終着点」
「……」
「貴方は由芽の弟子であると同時に、私にとっても大事な弟子なの。だから、話を踏まえて今一度よく考えて」
「彩香ちゃんに、その壁を登る覚悟はある?」
きっと、これが最後通告。
天城先生も、私とせなさんを重ねている。同じ才能を持って、同じ壁に挑もうとしているから。
そんな私をせなさんの二の舞にはさせまいと、色々な道を模索してくれて。
多分、私の正解はその壁に挑む事じゃない。
このまま天城先生のご指導で演技を上達させて、そうしたらゆくゆくはお芝居でご飯を食べて行けるようになる。
自分の才能を限界まで磨いて、色々な舞台に参加して。
それなりに、幸せに夢を叶える未来。
でも──
「──私、由芽ちゃんの事を愛してるんです」
きっとその夢の先に、由芽ちゃんは隣に居ない。
「とっても優しくて、強くて、誰よりもお芝居が上手で」
凄い子だから、一番星みたいな輝きだから。
「だけど、本当は泣き虫で寂しがり屋で。誰よりも孤独を恐れている、弱い子だから」
彼女の傍にいる為に、妥協なんてしちゃいけない。星を掴むためには、もっと私が強くならなきゃいけない。
「だから、私は由芽ちゃんの隣に立ちます。もう二度と、由芽ちゃんに寂しい思いをさせたくないから」
口に出してようやく、本当に覚悟が決まった。
由芽ちゃんの事が好きなだけ。でもその想いは、他の誰にだって負けはしない。
「…………そう、なのね。彩香ちゃんが、由芽を」
それ以上の言葉は、数分待っても天城先生から出てくる事はなくって。
でも、次第にいつもの柔和な表情の天城先生に戻っていった。
「それなら、私が彩香を鍛えあげなきゃね。とりあえずは、安全に《双翼》の初日までに由芽を驚かせるところから!」
そう言ってくれた天城先生は、おちゃめにウインクを送ってくれて。
彩香と呼んでくれたのが、とても嬉しくなってしまった。
ん?でも、ちょっと待って?
「と、とても有難いです!だけど、初日まではもう半月も無くって……」
「大丈夫。私も、過去をずっと悔やんできた。憑依演技に関しては、何よりも理解をしているつもりよ」
そう言いながら、天城先生はとても綺麗な笑顔を浮かべた。
私が憧れた由芽ちゃんのような笑顔で、見惚れてしまう程に自信に溢れたモノだった。
「私は天城華香。かつては世界で演技力だけで戦った、天才カメレオン俳優。大船に乗ったつもりで、私に任せて頂戴!」




