45話 如月由芽と葛城かなみ 2
「…………そろそろ、涼しくなってきたかなぁ」
なんて、感傷に浸るようにわたしは独りごちる。
怒涛の夏は終わって、もう暦の上では秋になった。そうして少しだけ涼しくなった夜空を、わたしは玄関に立って眺めていた。
大切な思い出を増やして、大切な思い出を壊して。わたしは、また一つ季節を生きた。
「あれ、もしかして待たせた?」
ガチャリとドアを開く音がしたお隣の家に目を向けると、そこからかなみちゃんが出てくる。部屋着の上に薄手のカーディガンを羽織って、綺麗な茶色のロングヘアを前で一つに纏めている。
本当に惚れ惚れするくらい、わたしの幼馴染は可愛い。
「待ってないよ。さ、どこに行くの?」
「ん~、何も決めてない!」
「えー、なにそれ」
「いいじゃんいいじゃん。……一緒にこうやって歩くの、あたしは好きなんだよ」
「…………えへへ、実はわたしも」
凛の家でお泊りをした翌日、わたしは日中を舞台と学校の勉強で消費した。うちの学校はひなのや凛の通うような芸能科がある学校じゃないから、芸能活動をする人間にあまり理解はない。
だからこそ、日頃からの良成績はとても大事。教師陣の心象を良くするためにも将来の為にも、勉強は出来ていた方がいい。それに、勉強は嫌いじゃないし。
だけどそれ以上に、今日は逃避の意味も大きかった。
昨日ひなのと凛に話したのを思い出して、今更ながらに自分の傲慢さに嫌気が差した。自分が多少演技が出来るからといって、他人に勝手に期待して失望して。結局は自分の力量不足だというのに、ほんと馬鹿な話。
そうした思考から逃げるべく、日中は勉強に没頭して。夕ご飯を食べた後、かなみちゃんから少し2人で歩きたいと連絡が来て。
そこから支度をして、今はゆっくりと夜の住宅街を並んで歩いている。
「あそこの公園って、幼稚園の頃よく遊んでたよね」
「あはは、ほんとだ。2人して、あんまり女の子ぽくはなかったね。めっちゃアウトドア派だったし」
「それは由芽だけでしょ!?あたし、ちゃんとおままごととか好きだったんだけど!」
「そ、そうだったんだ」
そんななんてことない会話の最中、わたしの思考は昨日の出来事を思い出す。
わたしと凛の芝居を、凄い凄いと手放しで褒める皆。中学の時の後輩たちや、わたしを勧誘してきたスカウトの人たちみたいな瞳。
まるで神様を崇めるような、崇拝に似た感動の表情。
わたしが、世界一嫌いな表情。
彩香もかなみちゃんも、皆と一緒にわたしをそんな目で見ていて。……自分勝手だけど、それにとても悲しくなってしまった。
かなみちゃんは大好きな幼馴染で、わたしの力量をちゃんと知ってると思っていたから。
彩香は大好きな先輩で、わたしの全力の演技を知っている天才だから。
〖彼女たちは人間の規格の天才だけど、私たちはそうじゃない。規格を超えてしまうと、人間は一緒の場所にいれないの〗
凛はそうやってわたしを諭してくれたけど、一晩経っても私の中の『寂しい』という答えは変わらない。
その言葉を受け入れたら、芝居という自分の一部分だけとはいえ、わたしは人間ではない別の何かになってしまう。人間の、大好きな彼女たちとは違う存在になってしまう。
わたしはそれが、たまらなく恐ろしい。
△
小さい頃、由芽は寂しがり屋で泣き虫だった。
あたしと離れては泣き、一人ぼっちで留守番をしたくないと泣き、小学校に上がるまではおばさんとおじさんと一緒に寝ていた。
そんな由芽は、いつの間にかあたしの想像を飛び越えて立派になって。
10分間の恋人時間でも、あたしはいつも由芽のペースに巻き込まれて。気づいたころには由芽の掌の上にいる。
それはとても楽しい事だけど、きっとこのままじゃ破綻する。
最初に誓ったはずなのに、あたしは由芽に貰ってばかりで。
精神的に由芽の横に立てていない自分を、情けなく思ってしまう。
『せなお姉ちゃん……。ひっく、やだぁ……!』
由芽が最愛の恋人を亡くして引きこもっていた期間、そんな啜り泣く声を前にあたしは何も出来なかった。
ずっと小さい頃からの幼馴染なのに、誰よりも由芽の側にいたはずなのに。
誰にも負けないくらい、由芽の事を愛してるのに。
恋人(仮)なんて関係に変わっても、あたしは由芽に何もあげられないまま。
「かなみちゃん?なんか悩んでる?」
「んー、まぁね」
当の由芽本人は、悩みなんてなさそうに振舞ってくれている。
それでも昨日の別れ際、由芽の表情に陰りがあったのをあたしは見逃さなかった。
「なになに?なんでも相談してよ!」
その言葉は太陽みたいに明るくて、陽だまりみたいに暖かい。
あたしの心を溶かして、あたしを安心させて。由芽になら、って、そんな風に思わせてくれる魔力がある。
せなさんと恋人だった時の、誰よりも輝いていた[如月由芽]の一部。
由芽が本来持っていたはずの、修復不可能なほど壊れてしまった欠片。この子はそれを意識して、日常で演技をしながら生きている。
【ゆーちゃんは、弱いくせに強がりな子ですから】
今日のお昼に昨日のことを話していた時に、ひなのはそう言って微笑んでいた。
きっと、あたしの知らないところで2人に何かあったんだろう。ううん、高崎ちゃんも含めて3人かな。
役者としての素質だけで言えば、ほとんど同格の3人。傍目から見てもその他と隔絶している実力者の彼女たちだから、何か通じるものがあったのかもしれない。
それじゃああたしは?
由芽はあたしの事を大好きだって言ってくれたけど、あたしには由芽と共通している目標も趣味もない。
由芽という太陽の光を浴びているから、月のあたしは生きていられるだけ。
ひなのも高崎ちゃんも。これから先、成長を続けた綾香先輩も。彼女たちもきっと誰かを照らす太陽の役割を担うようになる。
あたしにはない特級の才能が、彼女たちにはあるから。
昨日のお芝居を見て、由芽を褒める言葉とは裏腹にあたしは泣いてしまいそうになった。
その演技力に、その楽しそうな笑顔に。
想像してしまった、これから先由芽があたしを必要としなくなる未来に。
今が幸せであるからこそ、あたしはその未来にきっと耐えられない。
あたしは、由芽みたいに絶望を乗り越えられない。
それならいっそ、早めにあたしが消えるのも──
「──また泣きそうな顔してる」
そう言いながら、由芽はあたしの両手を握ってきた。
「ゆめ……」
「んっふっふ、かなみちゃんって結構臆病だよね♪でも、そんなとこも好きだよ♪」
ああ、これがダメなのに。
由芽の言葉が、由芽の表情が、由芽の存在が。わたしの事をどうしようもなく狂わせようとする。
「なに、それ……っ。ほんと、ずるい……っ!」
「えー、ただ好きを伝えてるだけのにー。ほら、泣かない泣かない」
あたしの涙を袖で拭ってくれる幼馴染。
どうしようもなく好きで、手放したくないほど執着してしまっていて、一生を隣で過ごしたくて。あたしの宝物で、あたしの全てで。
なのに──
「あたし、由芽に貰う事しかできてない……」
この関係も、愛情も。[如月由芽]が与えるものと、[葛城かなみ]が与えるものは決して等価なんかじゃない。
由芽がせなさんの絶望を乗り越えた先の未来に、あたしはきっと要らない存在だ。
「ごめん、なさい……!好きになっちゃって、由芽を縛っちゃって……っ!あたし、幼馴染としても恋人としても失格だ……」
こんなことを言いたいわけじゃなかった。散歩に誘ったのだって、ただ昨日の表情の真意を知りたかったからで。
なのに、あたしはこんな風に泣く事しかできてない。
本当に、どれだけ惨めな姿を晒すんだろう。
「……そっか」
一言、由芽はそう呟く。そうしてあたしの手を引いて、公園のベンチに誘導する。
「はい、ごろーん」
そんな優しい声で、由芽はあたしに膝枕を促す。困惑はあったけど、どうしてかその誘いは断っちゃいけない気がしてしまって。
ぼやけた視界で見る由芽の表情は、どうしてかとても嬉しそうで。
そして同時に、安心したようにも見えた。
「ゆ、め?」
「昨日から、わたしすっごく落ち込んでたんだ」
「え?」
あたしの髪を優しく撫でながら、由芽は語りだす。
「最近ようやく気付いたんだけど、わたしって結構お芝居が上手っぽくてさ」
「……それ、他の役者が聞いたら怒るよ」
「えへへ、だからこれを話すのはかなみちゃんにだけ」
あたしの涙はいつの間にか止まっていて、目の前の由芽の表情だけが視界に入る。
ぼやけることのない、クリアになった視界に。
「天才、神様、化け物。そんな風に言われること多かったから、それに反発して自分を低く見せたがってた。わたしはそんなんじゃない、皆と同じ人間なんだって」
由芽の持つ芝居の才能。普通の天才のレベル100がこの子にとってはレベル40くらい。
中学でこの業界に入ってからあたしもよく聞いていた。その声が大きくなったのは中学2年くらいからだけど、それでも由芽の近くにいたあたしには嫌でも耳にはいってきてて。
「……日本演劇界の至宝、だっけ。あたしもよく聞いたよ。由芽はそれが……」
「うん、イヤだった。そんな風に言ってくるスカウトの人も、業界人も、先輩も後輩も。わたしがこの世で一番嫌いな、わたしを神様みたいに見る表情」
寂しがり屋の由芽だから、きっとそう感じるのかな。尊敬されてるって、多くの人は喜ぶと思うんだけど。
でも、そっか。この子の本質は、寂しがり屋で泣き虫なままなんだ。強くなんてないんだ。
「わたしは、自分の一部分だけでも人間じゃないのが嫌だった。わたしは皆と同じだよって、そう言いたかった」
「……うん」
「でも、昨日で分かっちゃった。日本で1,2を争う劇団にいる人達でも、わたしや凛やひなのとは別。きっと綾香とも、役者として同じ場所には居られない」
ともすれば、傲慢が極まったような発言。
それでも嫌味に感じないのは、それが事実だから。演出のあたしの目から見ても、それは容易に分かってしまう。
「……それで?そんな由芽さんは、どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「んっふっふ、それはですねかなみさん!」
そう言って、由芽はあたしの目の前まで顔を近づける。
あたしが動けば唇が触れそうな距離で、由芽は綺麗な笑顔をして。
「わたしの心が化け物になっても、かなみちゃんはきっとわたしを好きでいてくれる。そう思えたから」
そんな、至って当たり前のことを由芽は囁いた。
「なに?もしかして、あたしの愛の告白伝わってなかった?」
「というよりかは、ようやく今の自分を受け入れれたというか。ま、複雑な乙女心ってやつですよ!」
「なにそれ。……ほんと、そういうとこだよ」
あたしも由芽もまだ高校一年生で、それはどれだけ経験を積もうとも変えられない事実で。
目の前の魔性の女はあんまりにも出来すぎてるから、あたしもそんな当たり前を時々失くしてしまう。
でもどうやら、この子はまだまだあたしがいなきゃダメな由芽みたいで。
そしてどうやら、由芽の心をあたしが救ってあげられたみたいで。
「えー、それってどういう……!?えっ!?ど、どうして泣いてるの!?」
「もう、もうっ……!ばか、ほんとばかっ……!」
「か、かなみちゃん!?」
ようやく、ほんの小さな一歩だけど。
自分の本心を晒して、傷ついて、傷つけて。本当に、随分時間がかかってしまったけど。あたしは由芽の心を、癒してあげることができたんだ。
隣に、居ていいんだ。
「……ゆめ」
「は、はいっ!」
ゆっくりと膝枕から起き上がる。由芽はただただ困惑した顔だけど、そんなの関係ない。
顔色を窺って、色んな言葉を飲み込むのはもう終わりだから。
「よーく聞いて。それで、もう一度あの時の言葉を頂戴」
「へっ?あの時のって……?」
由芽の手を両手で包んで、壊れそうなくらいに早くなった鼓動から目を逸らす。
あんななし崩し的に始まった関係じゃ、きっと前には進めない。由芽に縋るだけのあたしとは、ここでおさらばしなくちゃね!
「……すき。好きだよ、由芽」
「かなみちゃん……」
「小さい頃から、ずっとずっと好きでした。だから、あたしと付き合ってください」
人生を気楽に生きて、自立した生活を送る。
それがあたしの小さな目標で、達成出来たらいいなーなんて思ってた。
でも、あたしの好きな人はどうやら前を向いて歩き続けていくらしい。一度は壊れ切ったものを拾い集めて、周りに支えられながらも歩いていきたいらしい。
だったら、あたしはそいつに相応しい人間にならないと。いつか来るトップスターとしての輝きを持った未来の由芽の隣にいられるように努力しないと。
それでようやく、あたしは由芽と対等だって胸を張れる気がするから。
「……ずるいね、かなみちゃん」
頬を少し朱に染めて、由芽はぽつりと呟く。
いや、まぁ、ずるいのは自覚してるけど。けど、そんなにかわいい由芽も反則じゃない?あたしも我慢してるから、そこはお相子で!
「もう、由芽にやられっぱなしのあたしじゃないってこと!あたしをこんなにしたのは由芽なんだから、責任取ってくれないと!」
「ふふっ、そっか。それじゃあ、仕方ないね」
そう、仕方ない。
あたしはようやくスタートラインに立っただけ。スタートの合図は、きっとあの言葉じゃないといけないから。
『……わたしはまだ、せなお姉ちゃん以外に恋愛感情を抱けない。……だからきっと、今すぐにはかなみちゃんの気持ちに応えられない』
あはは、やっぱり振られるのってキッツいなぁ。たとえ結果がわかってても、心の準備をしてても辛いものは辛いか~。
「うん、知ってる。でもあたしは諦めないからね!」
あー、もっと色んなこと言ってあげたいんだけどなぁ。ちょっと、言葉が出てこないか。もー、覚悟してたのにこれだもん!ほんと、自分の弱さが嫌になる。
って、あれ?なんか由芽、ずっと俯いてる?
「ゆ、由芽?」
「……だ、から」
「え?」
「だから!」
そうして、由芽は顔を上げる。
見たことないくらい顔を真っ赤にして、瞳を潤ませて。あたしの知らない、由芽の表情。
「…………酷いって、分かってる。けど、ま、待ってて、ください」
そんな顔、あたし知らない。見たことも、聞いたことも。
そんな、そんなの、ずるじゃん。いや、もう、えー?
「は、い……」
そこからはあんまり覚えてなくって。思考能力が限りなく0になったあたしは、気づけば自室の布団の中で。
手元のスマホには、おやすみのラインスタンプが由芽から送られていた。
大きい一歩を踏み出せた。改めて恋人(仮)になることができた。
それらが些細に感じてしまうほど、由芽のあの表情は魅力的で。あたしの脳内は、あの由芽の表情だけしか考えてくれなくて。
「……由芽の事好きすぎでしょ、あたし」
そんな中身ゼロな言葉しか、あたしは口に出せなくなってしまった。




