第26話 如月由芽を、私は認めない
「おおう、それはバチバチしてんなぁ」
「でしょ?なーんかわたしを恨んでる?感じするしさぁ」
由芽と彩香さんが舞台の顔合わせに行った日の夜、あたしは由芽の部屋のベッドの上で話を聞いていた。
今日の昼あったことを聞けば、見事に2人とも絡まれてたみたいだ。
なんとなくそうなるかなとは思っていたけど、実際にそうなったと聞けばちょっと面白い。
まぁ、由芽は気にしてないみたいだし。それなら、あたしがそこまで気を揉む必要もないかね。
由芽が本格的に役者に復帰するのは、正直あたしは良くはないと思ってたけど。
こうやって由芽が楽しそうにしているなら、それならそれでいいか。
この子はどこまでいっても、根っからの役者だったってことだしね。
「ん~、かなみちゃん?なんかすんごい視線感じるんだけど?」
「ばーか、気のせい気のせい」
そう言いながら、クッションに座っている由芽を背後から抱きしめる。
柔らかくて、小柄で、おまけに良い匂いがして。この小さな体で、由芽はいつだって誰よりも凄いんだよね。
ほんと、愛おしいなこいつ。あー、ほんと可愛いな。
………って、また勉強してる。
「由芽、それっていつもの?」
「そ、いつものいつもの。明日から台本読みも始まるし、ちょっとでも詰めときたくて」
由芽が眺めていたのは、一冊のノートだった。
小学生の頃から、自分が演じる役に関して纏めたノートを由芽は作る。
そのキャラクターの外見、年齢、性格。
原作があるならその描写から、史実ならその人物の歴史から。
本当の性格や、その背景にあるもの、家族構成に趣味や長所短所まで。設定がされていなくても、あらゆるものを考察する。
そしてその公演を終える頃には、ノート一冊分が埋まってたりするんだ。
「ほんと、毎度毎度よくやるよ」
「えー?これくらい、皆やってるよ~!」
こんな事してるの由芽以外見た事ないんだけどね、あたし。
努力を当然のものとして流して、自分を天才だとは考えない。
天才が努力をするのが当たり前の業界だからこそ、由芽も過剰な自信を持たないんだろうなぁ。
「それで実際、その凛さんはどうなの?由芽と同じくらい演技上手なの?」
「そうだなぁ、芝居を合わせてみるまでは分かんないけど……」
「けど?」
「普段の立ち振る舞いとかオーラとかから、かなり凄い役者だと思ったよ」
そう言いつつ、由芽は身体に回されているあたしの腕を自分の腕で抱いた。
「なるほどね。まぁ、明日からはあたしも現場行くし。しょうがないから、見定めてやろっかな!」
「そうなの!?かなみちゃんも来てくれるの!?」
「天城先生に言われたんだよ。高崎祥子の演出は、見ておくことに越したことはないって。一応、2人のマネージャー役♪」
天城先生に提案されたのもそうだけど、あたしの強い要望もあるんだけどね!
まだまだ由芽にはあたしがいないとダメだろうし、彩香さんも今日の事聞く限り段々心配になって来たし!
…………由芽と、一分一秒も離れたくないし。
「それじゃあ、これからもずっと一緒だね♪」
「当たり前だろ~?……一緒だよ、ずっとね」
由芽があたしの腕を抱きしめる力が強まって、あたしも由芽を強く抱きしめる。
「ね、今日は一緒に寝ていい?」
「うん。でも、わたしもうちょっと勉強してるよ?」
「いいよ。あたし、このまま待ってるから」
そうして、由芽の勉強が終わったのは深夜の一時。
それからあたしと由芽は、2人で抱きしめあって眠りについた。
△
「か、かなみちゃ~ん!来てくれて嬉しいよ~!」
「あはは……。今回あたしはマネージャー役なんで、彩香さんも気軽に使ってください!」
「いっぱい相談するよ~!」
そう言いながら、彩香がかなみちゃんに抱き着く。
いつの間にか2人とも凄い仲良くなってて、わたしも嬉しいなぁ。
舞台《双翼》、 稽古一日目。
昨日の主要メンバーに加えて、数人のサブメンバーが混ざっての台本読みが始まった。
『そうだよ!復讐だなんて、そんなの間違ってる!』
うーん、流石の真琴さんだなぁ。
わたしや凛さんと違う、没入型の役者。どちらかといえば、分類は彩香と同じ。
最近の真琴さんの演技はよく分からないけど、細川真琴といえば迫真の演技、らしい。
ちなみに、情報源はひなのだったりする。
役に潜って、幅広い視点から役に没入してる。
今の時点で、友人役としての幅を広く使って表現できてる。だけど──
『……まさか。私はただ、この世界をこんなにした原因を探るだけ。復讐をするかは、まだ分かんないよ』
「っ……!」
「細川さん?どうしましたか?」
「す、すみません!続けます!」
台本読みの段階で、真琴さんの演技はここまで凛さんと離れてしまっている。
真琴さんの演じる≪友人≫は、わたしの演じる≪レイア≫と凛さんの≪アリア≫が出会うまで、唯一対等な立場の役だ。
彩香の≪司祭≫はまた特殊な立ち位置だからまた別だけど、アリア編での主演は間違いなく真琴さんも同じ。
でも、台本読みの段階で分かる。
彩香も真琴さんも、凛さんの表現力に届いていない。
ちらりと横に座ってる彩香を見れば、キラキラとした目で2人の演技を観ていた。
うん、これならわたしがフォローしなくても大丈夫かな。
彩香だって経験が足りないだけで紛れもない天才なんだし!2ヶ月でここまで成長できる役者を、わたしは見た事ないしね!
だから、わたしが気にかけておきたいのは奥側で苦い顔をしている2人。
レイア側で≪理解者≫を演じる美綴さんと、≪糾弾者≫を演じる三宅さんだ。
「次、レイア側の本読みを。如月さんと美綴さん、お願いね」
「はい」
「は、はいっ」
うーん、美綴さん緊張してるなぁ。
というか、なんかこの本読みピリピリしてる?彩香は多分気づいてないだろうけど、多分凛さんがその原因。
本読みだからって適当に流すのはわたしも嫌だけど、ここまで緊張させる意味ないよ。
『本当に行くの?レイアがそれをする必要、絶対ないよ!』
ありゃ、美綴さん方言の癖が出ちゃってる。確か、大阪出身って彩香が言ってたっけ。
これ、多分厳しい演出家の人だったら怒ってるやつだよね。本読みとはいえ、役を掴んで表現できてないって。
理由は色々あるだろうけど、一番は緊張かな。この場の雰囲気に、凛さんの演技に飲まれまいと自分のペースが崩れてる気がする。
【私は、自分の演技を曲げない】
昨日凛さんが言ってた意味が、少しだけ分かった気がする。
凛さんは、先頭に立って共演者を鼓舞するタイプなんだ。良くも悪くも、反発を買いやすいカリスマ性を持ってる。
『ううん、違うよ』
だったら、この舞台でのわたしの役割を決めなきゃ。
圧倒的なカリスマで、共演者の演技を殺しそうな勢いで先導するのが凛さん。
なら、わたしは最後方で共演者を凛さんに負けないように背中を押せばいい。
口の字型にレイアウトされている机を回って、真正面に座っていた美綴さんの所まで歩いていく。
≪レイア≫ならきっと、この場面ではこうする。
『わたしが、しなきゃいけないの。だから心配しないで』
そう言いながら、美綴さんの手をとる。
優しく上下からわたしの手で包んで、気が立っている彼女を安心させるように。
ここは、レイアの友人だった彼女が≪理解者≫に成る場面。レイアを心の底から支えようと、覚悟を決める重要な場所だ。
レイアは悲し気に微笑みながら、友人に心の中で別れを告げている。
そんなレイアを1人にさせまいと、彼女は声をあげるんだ。
ほら、そんな重要な場面なんだよ!緊張して演技をするのはもったいないよ。
『──だったら、私も行く。貴女を、孤独にはさせない!』
さっきまでの緊張はどこへやら、表情も声も役になり切れている。
役の感情とかの深堀はまだまだだとは思うけど、それはわたしもだしね!稽古期間で、一緒に頑張っていけばいいよ!
△
『貴女を、孤独にはさせない!』
役を掴むことはできておらず、演技も詰めが全くできてない。
だけど美綴さんの演技が、その一瞬でクオリティと表現力が向上したのが目に見えて分かった。
如月由芽。
美綴さんがその実力を正しく発揮できたのは、彼女の行動が原因だ。
如月由芽の芝居は、やはり圧巻のもの。きちんと役についての考察をしているのか、表情から指先に至るまで息が吹き込まれていた。
その演技力とカリスマを利用して、美綴さんに彼女は演技で語り掛けた。
心配ないよ、雰囲気に飲まれるなんて勿体ない。
美綴さんの手を優しく包む瞬間、美綴さんに如月由芽は自身の素の表情も見せた。
そして、美綴さんはその空気に救われる。
安心をして、自分の本来の実力を発揮することが出来た。
知っている。これが、如月由芽の演技。
自分の持つ能力と他人の持つ能力を俯瞰して、相手に合わせて優しく受ける。
それをすることで、共演者は自分の実力を正しく発揮できるようになる。その為の空気を、如月由芽は自分の演技力を用いて作る。
それが、今の如月由芽の演技だって私は知っている。
知っているからこそ、私はそれが疎ましくてたまらない。
私が初めて見た彼女の演技は、自分を見ろというエゴの演技で。
私が憧れた如月由芽の演技は、誰に遠慮をすることもない畏怖すら思える主役の芝居。
観客の視線を一身に集める、誰よりも輝く演技だった。
それが今では、誰もに遠慮をする演技に成り下がってしまっている。
共演者の演技とオーラを、自分と同じかそれ以上に高める。自分は陰に徹して、自分の光を他者に分け与える。
それが素晴らしい演技だと理解はしているけど、私は認めない。
如月由芽がその演技をすることを、絶対に認めたくない。
私が憧れて嫉妬したのは、あの時のエゴの演技をする貴女。
お母さんが惚れこんだのは、あの主役の演技をする貴女。
だから、この舞台中に絶対に引きずり出す。
そして私の方が格上だと、お母さんに証明してやるんだ。