第24話 柊彩香と顔合わせ
「高崎凛……、そういえば聞いたことある気がする」
「そ、そうなの?」
「はい。中学の時ですけど、確かそんな子いたな~って。でも、この子凄いですね。基礎は勿論ですけど、他の人の位置を自分で動かしてる。多分、わたしと同じタイプかも?」
由芽ちゃんはそう言いながら、私の肩に頭を乗せる。
良く晴れた、土曜日のお昼下がり。
私たちは今日、今度の舞台の為の顔合わせに電車で向かっていた。
そしてその電車の中で、私は由芽ちゃんと隣り合わせで劇団シラユキの過去の映像を観ていた。
皆さん本当に演技が上手くて、見ているだけで勉強になっている。
特に高崎凛さんはそれが顕著で、まるで由芽ちゃんの演技を見ているよう。今度の舞台で由芽ちゃんの対となる主演なのだから、当たり前なんだろうけど……。
「というか彩香、さっきから目が泳いでますよ?」
「そ、そそそそんな事ないよ!?」
そう、そんな事はない。
ただちょっと、距離が近すぎて心臓が破裂しそうなだけ。
有線のイヤホンを共有してるから、由芽ちゃんの綺麗すぎる顔が間近にあるってだけ。
あの日から2人きりの時には偶に手を繋いで、それに未だに慣れてないっていうだけ。
………だけ、なんかじゃないよ!!?
やばいやばいやばい!!もう、こんなの距離感が恋人じゃん!?
天城先生の事務所に入った日以来、由芽ちゃんは私にこんな風に甘えてくれるようになったよ!
なったけれど!由芽ちゃんが前を向くために、私に頼ってくれてるのは嬉しいんだけどね!?
「……ふふっ、心配しないでください。彩香なら、きっと大丈夫」
「ひゃ、ひゃい……!」
こんなガチ恋距離!私の心臓がもたないよ!!
△
都内某所。劇団シラユキの所有する、都内でも有数の大きなスタジオ。
うーむ、流石に知名度と影響力のある劇団は違うなぁ。
「今回のキャスティング、半分は劇団シラユキ以外かららしいですよ。だから……ね、そんな心配しなくても大丈夫ですよ彩香?」
「そ、そそそうだよね!」
スタジオ前の顔合わせの部屋の前で、彩香は若干顔が青くなっていた。
道中もなんとか緊張を緩和しようとしてきたけど、やっぱりいざ部屋の前に立つと緊張が勝ってしまったらしい。
初舞台で、日本でも一二を争う劇団で演技する。うわ、そう考えると胃が痛いなぁ。
演技力は申し分ないとは思うけど、まだまだ彩香は心構えでは素人だし……。
よし、ここはわたしが業界の先輩らしさを出そうかな!
「彩香、今日のところはわたしの後ろで居てください。大丈夫、心配ないですよ」
「あ、ありがとう由芽ちゃん……」
それで、少しだけほっとした顔になる。
うん、今日は顔合わせだけだしね!何かあっても、わたしが守ればいいんだし。
それだけを胸に秘めて、わたし達はスタジオのドアを開けた。
中に入れば、そこに居た人たちが好奇の視線を向けてくる。うん、まずは挨拶だ。
「初めまして、レイア役を務めさせていただきます。〘ディアレスト〙所属、如月由芽です。よろしくお願いします」
「は、初めまして!司祭役を務めさせていただきます、同じく〘ディアレスト〙所属の柊彩香です!よろしくお願いします!」
わたし達が自己紹介をして数瞬の後、ぱちぱちと拍手が起きる。
パッと見る限り、そこまで悪印象を持っている人はいなさそう?
まぁ、心の内は分からないけど。
「あら、もう来てる。15分前だなんて、天城さんはとてもいい教育をなさってるのね」
わたし達が部屋の中へ入ってすぐ、後ろからそんな声がかけられる。
そこに立っていたのは、背の高い全身を黒で包んだ、冷やりとした雰囲気の女性。そしてわたしもよく知っている、気品のある佇まいの女性。
「初めまして如月さん、それと柊さん。私は劇団シラユキの代表、高崎祥子です。今回の劇では、総合責任者と演出家を担当します。そしてこちらが──」
「如月ちゃんは久しぶり。今回の劇の脚本家の、真白れいです。よろしくね、柊さん」
「はい、よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
やっぱり、この冷たそうな人が高崎祥子さんか。
今は確か、50歳手前だっけ。30歳の頃から頭角を現してきた、国内でも有数の演出家。今では、せんせと並んで有名な演出家だっけ。
真白れいさんは、わたしが中学生の頃に何度か会ったことがある。
せんせの所によく来ていたし、黒髪なのに一房だけ白色の髪が特徴的で覚えやすかった。まだ20代なのに、脚本家としてあちこちに引っ張りだこ。
とはいえキャスティング見ても思ったけど、今回は女性しかいないんだなぁ。
せんせが言うには、若手や経験の浅い女性役者の為の舞台なんだっけ。随分特殊で、かなり思い切ったキャスティングだよね。
「今日は主要組だけの顔合わせだけど、有意義に過ごしてほしいと思っているわ。元々部屋にいた人たちは、自己紹介をお願い」
高崎祥子さんの一声で、各々がはーいと返事をする。
そこから、役者さんたちの自己紹介が始まった。
「2人とも初めまして~!劇団シラユキ所属の、三宅京子です!今回の舞台は、レイア側の糾弾者です!よろしくっ!」
彼女は知ってる。確か、この前月9のドラマで準ヒロイン演じてたっけ。なんというか、すんごいThe女子大生って感じ。茶色のゆるパーマ可愛いな……。
「初めまして。オーディション組、美綴なつです。舞台では、レイアの友人役です。何卒、よろしくお願いします」
へー、オーディションなんてしたんだ?
桃色の髪の毛をお団子にした、クールそうな表情。なんだけど、若干発音に訛りがある?地方出身の人なんだ。
「次は私かな?一応由芽さんとは以前共演したこともあるけど、改めて。細川真琴、私もオーディション組です。今回の舞台では、アリアの友人役を演じさせていただきます」
そう言って、真琴さんはわたしにウインクをしてくれた。
大人びていて、綺麗な黒髪を一つに纏めた大人しそうな髪型。中学の頃、せんせの舞台で一度共演させていただいた絶賛名前が売れ始めている人だ。
キャスティング表を見てまさかと思ったけど、やっぱり真琴さんだったんだ!
そうして知り合いがいたことを喜んでいると、奥の壁にもたれかけていた少女がコツコツと足音を立てて歩いてきた。
主要組は6人だから、最後の彼女がアリア役だと簡単に分かる。
だけどそうでなくとも、彼女がこの場における主役だというのは容易く分かったと思う。
カリスマ性、オーラ、華やかさ。
舞台や映画、ドラマにCM。彼女には、そのどれもで容易に主演に立てるほどの、そんな雰囲気があった。
わたしの目の前まで来た彼女は、わたしに右手を差し出してくる。
「初めまして、如月さんに柊さん。今回の舞台では主演のアリアを演じます、高崎凛です!公演の成功のため、実りある稽古期間を過ごしましょう!」
苛烈に思えるほど、鮮やかな赤みがかった綺麗な髪の毛。
身長こそわたしより少し高いくらいだけど、つり目で勝気な表情がそれをあまり感じさせない。
整った顔は、客観的に見れば多分わたしが見てきた人の中で一番美しいかも。
高崎凛。
劇団シラユキの若きエースにして、以前上映されたサスペンス物の映画で一躍その名を轟かせた世代ナンバーワン女優。
そして、劇団シラユキの代表の高崎祥子の実の娘でもある。
「はい、よろしくお願いします。同じ主演として、この舞台を成功させたい思いはわたしも一緒です」
そう言って、彼女の細い手を握る。
彼女は笑顔を崩さない。だけど、それがビジネスライクなものだというのは容易に分かった。
「それじゃあ──」
「少し待ってください」
祥子さんが言いかけたことを遮って、鋭い声で待ったをかける。
その声の主は、オーディション組の美綴さんだった。
「──何かしら?」
「如月さんと、柊さん。彼女たちは、劇団シラユキの所属でもオーディション上がりでもない。そんな彼女たちが、この舞台に選ばれた理由を教えてください」
うっわぁ、滅茶苦茶わたし達に敵対心持ってるじゃん……。
「彼女たちが、私の舞台に必要だから。それだけじゃ不満?」
「納得いきません。私と細川さんは、200人の中から勝ち抜いてこの舞台に立つ権利を貰った。それなのに、特に実績のない彼女たちが選ばれた根拠がほしいです」
うーん、そう言われても。
わたしも彩香も、せんせの紹介だし。わたしに至っては、祥子さんからの直々の指名とも聞いてるし……。
役者がプライド高いなんて有名な話だけど、こんな直接くるぅ!?
さてさて、どうやったら穏便にいくかね。彼女、わたしと共演するシーン多いしなぁ。
「第一、柊さんはずっと如月さんの後ろでいるじゃないですか。そんな人が、私たちと同レベルの演技を出来るなんて思えない!」
「ちょっと、美綴ちゃん!」
その言い方に、同じくレイア側の三宅さんが声をあげる。
なるほど、三宅さんはバランサーなんだ。
劇団シラユキの動画でも、彼女のドラマでも。彼女の受けの演技は、素晴らしいものだったしね。
「あはは、ありがとうございます!三宅さん、大丈夫ですよ!」
そう言いながら、わたしは二歩後ろに下がる。
「どうするの?あいつをコテンパンにしちゃう?」
ふと気が付けば、幼いわたしが横に居た。
ニコニコと笑いながら、彼女はそんな好戦的な言葉を言い放つ。
前も思ったけど、この子はほんと好戦的だね!?わたし、こんな事思ってないよ!?
「許せないよね!ね、ね、また全力で演技する!?」
しないよ。
それに、一番彼女が敵視してるのは彩香だから。
わたしは多分稽古で何度も一緒に演技するし、実力を分かってもらうのはそこでいい。
「美綴さん、ここは公園のベンチ。貴女の横には、巷を騒がすサイコパスな連続殺人鬼が座ってきます」
「………エチュードってこと?」
さっすが、話が早くて助かる。
「はい!きっと体感しないと、分からないこともあると思います。このエチュードで、ちゃんと品定めをしてください」
「それほどまでに、自信があるんですね」
「はい、きっと貴女より上だと思います。貴女が馬鹿にした、わたしの弟子は」
そう言って、彩香の背中を押した。
「ゆ、由芽ちゃん!?」
「……柊さんが?……分かった、それじゃあやりましょう」
「すみません皆さん、少しだけお時間をください」
わたしの言葉に、祥子さん含めた皆が仕方なさそうに頷いた。
凛さんだけは、酷く怪訝そうな顔をしているけれど。
「さ、断りはとりましたよ。彩香、存分にやっちゃってください♪」
「む、無茶苦茶だよう!?い、今の私じゃとても……」
今の私じゃ、なんて。
彩香は、自分の実力に自信がなさすぎる。本当は、充分にこの舞台に立てる実力があるのに。
彩香の手を包み込むように握る。これは、彩香が最も実力を発揮できるようにする為の、最近編み出した必要なルーティーン。
“憑依演技”をするために、せんせと彩香が考案したものだ。
「大丈夫ですよ、彩香。彩香がちゃんと実力を発揮さえすれば、問題なしです」
「……由芽ちゃんが、そう言ってくれるなら」
よし、後はいつも通りの心構えを。
額を合わせて、囁くように、強く優しく。
「彩香にはわたしがいます。だから、安心して潜ってきてください。わたしは、いつだって彩香の帰る場所ですからね」
「………うん。ありがとう、由芽ちゃん」
そして、パッと手を放す。その顔は、いつもの彩香だった。
うん、それでこそわたしのあや………。ううん、役者の彩香だ。
「お、お待たせしました!よろしくお願いします、美綴さん!」
「……ええ、よろしく」
そうやって彩香を送り出すと、わたしの左右に三宅さんと真琴さんが移動してきた。
な、何故に2人とも顔が真っ赤なのだろうか?
2人の外にいる凛さんに関しては、怪訝な顔がより強まってるし……。
「ね、今のってなに!?アタシ、超ドキドキしたよ!?」
「ど、ドキドキ?どうしてですか?」
「由芽さん、それは私も気になったなぁ♪あれはなんだったの?」
「………あははっ、なんてことないです。ただの、おまじないみたいなものですから」
△
美綴なつは、用意された椅子に座る。
まるで昼下がりの公演のベンチに座っているように、彼女は大きく伸びをする。
それは至って自然体で、それだけで彼女の演技力の高さが分かる。きちんとした正統派で、努力してきたことが分かる演技だ。
だけど、そこに異物が紛れ込む。
美綴さんが作り出した日常の中に、1人の美しい花が紛れ込んだ。
『隣、いいですか?』
彼女は柔和な笑みで、美綴さんの横の椅子に座る。
たったそれだけで、美綴さんの作った日常は彼女に飲まれた。
『え、ええ、どうぞ。どうかされたんですか?』
『ふふっ、お姉さんが気持ちよさそうに過ごされていたので。今日は休日ですか?』
自然で違和感がないから、彼女はただの通行人になっている。
だから彼女の笑顔は自然なのに、その裏にあるものが全く読み取れない。
まるで、感情が空っぽの人間を見ているよう。
そして、その演技は圧倒的。
このエチュードにおいて、どちらが場を支配しているかなんて素人目にもわかる。
それを分かっているから、美綴さんも芝居がオーバーになり始める。
『は、はい。それより、貴女はいったい──』
『どうされたんですか、さっきから?』
『なんだか、私の事を怖がっているように見えますけれど』
「そこまで」
と、そこで祥子さんが割って入る。
彼女も、これ以上は無駄だと判断したんだ。明確に、優劣が付いてしまったから。
「美綴さん、満足したかしら?」
「………………はい。申し訳、ありませんでした」
美綴さんは悔しそうに唇を噛む。椅子に座って、そんな返事をして項垂れる。
わたしはそんな彼女に目もくれずに、大切な人の元へ駆け寄った。
「あ、由芽ちゃん!わ、わたしどうだったかな?」
「……最高でしたよ。ちゃんと、いつも通りの彩香のお芝居でした」
「ひょわっ!?ゆ、由芽ちゃん!?だ、抱きしめてっ!!?」
うん、これなら大丈夫。
これなら、わたしの大切な人が戻って来れなくなることはない。演技の深い深い水の底から、ちゃんと戻ってこられてる。
……もう、絶対に失わない。わたしが何をしてでも、彩香を守る。
せなお姉ちゃんのようには──。
「さて、ちょっとした諍いも終わったようだし。私も、柊さんの演技を改めて見られてよかったわ。美綴さんも、2人も頼りにしているわ」
そうやって祥子さんが総括し、その場は収まった。
―――
「凄かったわね、柊ちゃん!ちなみに、由芽さんとはどんな関係なの!?」
「うえっ!?わ、私と由芽ちゃんはそんなっ……!」
「三宅さんは、演技をする時にどのような心掛けをされてますか?」
「んー、アタシ結構感覚派だからなー」
自己紹介の後、劇団側が用意してくれた飲物で歓談をしようという流れになった。
今は彩香は真琴さんと、美綴さんは三宅さんと話をしている。
役者は演技論を語るのが好きだし、皆で和気あいあいとした雰囲気になっていた。
うんうん、彩香も順調に馴染めてるみたい!
かくいうわたしは、鋭すぎる視線に耐えかねてずっとお茶を飲むふりをしていた。
「……きまずい」
ずっと、ずぅぅっと凛さんが見てくる!
このままだと、わたし視線で体に穴が開いちゃいそうなんですけど!?
自己紹介の時といい、今といい、わたし何かしちゃった!?もしかして、過去の舞台で一緒になったこととかあったかな!?
「あの、如月さん」
「は、はいっ!?」
こ、今度は距離を詰めてきた!?
どうしよう、視線じゃなく物理的に穴を開けられる!?
かと思えば、極めて自然な笑顔で凛さんはわたしに話しかけてきた。
「少し、外で話しませんか?2人きりで」