22話 如月由芽と2度目の人生
これにて、第一章は最終回になります!
5月の末日。なんて事のない、平日の放課後。
わたし達、長浜高校演劇同好会は、一つの転機を迎えていた!
「今日から、貴女たちの演技を見させてもらうわ。よろしくね、柊ちゃん。また一緒に居れるのが嬉しいわ、由芽、かなみ」
「よ、よろしくおねがいします!」
「はい、よろしくです天城先生」
「うん、わがまま聞いてくれてありがとねせんせ!」
わたし達は学校から離れた、せんせの借りている稽古場に来ていた。
もう、ここに来るのは数か月ぶり。わたしが小学校一年生の頃から、何年も通い続けた場所だ。懐かしさは、あんまり感じない。
わたしから、せんせにお願いしたこと。それは、彩香先輩の演技を見て欲しいっていう事だった。
そしたらどういうわけか、せんせはかなみちゃんもわたしも一緒に見たいといった。嬉しいけど、なんだか申し訳ないなぁ。
なんてことを考えてると、廊下から忙しない足音が近づいてきた。
「はっ、はっ………!お、お待たせしました!ごめんなさい、ちょっと学校が長引きました!」
「ふふっ、お疲れひなの。もう、皆揃っているわよ」
稽古場に、息を切らしたひなのが現れる。ひなのは確か、ここら辺の学校だったっけ。
そしてひなのは彩香先輩を見るや否や、そのままつかつかと歩み寄る。
ひなのが何をするかは、わたしもかなみちゃんも知っていたから止めなかった。
「ひ、柊彩香さん!」
「は、はいっ!」
「以前は失礼な事を言ってしまって、本当に申し訳ございませんでした!」
「え、っと……。ああ!いやいや、そんな謝らなくても!」
ひなのはしっかりと謝った。彩香先輩も、あんまり気にしていなかったみたい。
2人とも、ちゃんと話せばとてもいい人たちなんだ。
誤解さえ解ければ、謝罪さえあれば、きっと仲良くなれる。あ、ほら。もう自己紹介の流れに行ってるしね!
「おーい由芽、なんか誇らしそうな顔してんな~?」
「ん?あはは、そう見えるかねワトソン君!」
「だーれがワトソン君だ。……まぁ、でも良かったね」
ひなのと彩香先輩が仲良くなれば、2人とももっともっとお芝居が上達するはずだ。
なにせ、せなお姉ちゃんの妹で努力家のひなのと、“憑依演技”の天才で高い技術を培い始めた彩香先輩だ。
「………………楽しみだなぁ」
「うわ、めっちゃ悪役みたいな顔してる」
「してないですけど!?」
し、心外だ!確かに2人がもっと上手になったらいいなとは思ったけど、悪役は言い過ぎでは!?
「はい、それじゃあ全員揃ったことだし。これからの事、話していいかしら?」
せんせのその声で、わたし達はせんせの方へ振り返る。
「よし。それじゃあ、柊ちゃんと由芽。貴女たちは私の事務所に入るってことでいいのよね?」
「は、はぇ?じ、事務所!?」
「え!?由芽ちゃんもその反応なの!?」
彩香先輩が、わたしの肩を揺らして驚く。
そんな事言われても、そりゃそうだよ!?初めてだらけだよ!?
「せんせ、自分の事務所持ってたの!?」
「作ったの。もちろん、ひなのも所属役者よ」
「そうなの!?」
「え………、むしろ知らなかったんですか?私、ゆーちゃんに言ってなかったかなぁ?」
そ、そういえばそんな話もあったような、なかったような……。
でも、せなお姉ちゃんが亡くなってすぐの時だったような。はぁ、本当に自分の事しか考えてなかったんだなぁ。
かなみちゃんを見れば、ニヤニヤとわたしの反応を楽しんでいる顔をしていた。
さ、さては知ってたなこやつ!?
「事務所所属になる事で、私は2人の事をしっかりと売り込める。フリーでやるより、そのメリットは多大なものよ」
事務所に所属しないと、この業界では見向きもされないこともある。
宣伝、契約、売り込みに諸々。それらがなく埋もれてしまう役者はごまんといるし、それがあるだけで実力もなく売れる役者もごまんといる。
その魅力があるから、みんな芸能事務所のオーディションを受けるわけだし。
せんせの事務所だったら、わたしも彩香先輩も安心できる。
いい事務所はいくつか知ってるけど、彩香先輩と一緒に所属が出来るかは分からないし。なんというか、すんごい渡りに船!
「大好きせんせっ!」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
そうして、わたしと彩香先輩はせんせの事務所〘ディアレスト〙に所属することになった。
△
「もう、別についてこなくてもいいんですよ?」
「いやいや、かなみちゃんとひなのちゃんに任されたもん!」
「あはは、みんな過保護ですよね……」
天城先生のところで諸々の説明を受けて、今日は解散をする流れになった。
今は学校で、由芽ちゃんの教室にいる。明日までにやらなければいけない宿題を、自分の机に忘れてしまったんだとか。
かなみちゃんは家の事情で帰らないといけないというので、私が付き添いをしようという流れに。夜道だし、私は家も近いしね!
「あったあった!ふぅ、数学の小野田先生怖いんだよね……」
「あはは、そうだね。私のクラスでも、宿題忘れて怒られた人いたし!」
それにしても、今日は驚きと歓喜の連続だった。
由芽ちゃんと一緒にお芝居をこの先もして行ける。それだけでも嬉しいのに、私はあの天城先生の元でプロの役者を目指すこともできる。
かなみちゃんは裏方の勉強を天城先生の元で再度するみたいだし、環境が変わっても皆で一緒に居られる。
嬉しくて、嬉しくて!
由芽ちゃんに憧れて、この同好会を設立してよかったぁ。
「彩香先輩?ほらほら、早く帰らないと!」
「はっ!?そ、そうだねごめん!」
いけないいけない!今日の事に浸るなら家でだぞ私!
「………やっぱり、少しだけ付き合ってくれませんか?」
由芽ちゃんは、そう言って私の手を握る。
夜のせいでよく見えないのに、由芽ちゃんは笑顔だと何故か分かった。
―――
「えっと、なんで部室に?」
「あはは、ちょっとやりたいことがありまして」
由芽ちゃんに連れていかれた先は、私たち演劇同好会の部室。
急かされるまま鍵を開け、荷物を机に置く。
「さて、エチュードをしましょう!」
「エチュード!?今から!?」
「はい、継続は力なり。今日はそれといった稽古をしてませんから」
「ず、随分と唐突だね!?というか、もうそろそろ見回りの先生とか来ちゃうんじゃないのかな!?」
「大丈夫です!10分だけ、ですから♪」
そう言って、由芽ちゃんは教室の外へ出た。
……あれ?そういえば、エチュードの設定が決まってない?
や、役が分からないと、“憑依演技”も“出産型演技”もやりようが──
『失礼します』
──その声は、一瞬でほかの雑音を消し去った。
横開きの扉をゆっくりと開いていく、細くて綺麗な指。
開いたドアから入ってきた由芽ちゃんの顔は、窓から漏れる月光に照らされ露わになる。
月光を纏って私の前に現れた《彼女》は、その美をもって私の視野を狭めた。
目元のほくろから上が照らされ、口元は全く見えない。その神秘性を感じる光の当たり方と立ち位置すら、全て意図されたもの。
世界に愛され、人の視線や環境すらも味方をする。そうして纏った雰囲気は、舞台の全てをいとも簡単に飲み込む。
真の役者は、そう錯覚させるほどに身の周りの全てを巧みに使いこなす。
「……これが、由芽ちゃんの全力」
こんなものを目にすれば、感じるものは畏怖か崇拝か敗北感のどれかだ。
『あれ?なんだ、人がいたんですね!初めまして、わたしは如月由芽です!』
近くに寄ってきて顔が見えると、今度はふわりとした雰囲気に変わる。
目元しか見えなかった神秘性を廃し、口元まで見えたことで柔和な笑みが露わになったからだ。名前を聞いたことで、誰なのか認識できたからだ。
それは意図してされたもの。私の反応を見て、そう見えるように仕向けた。
月光の冷たい光は、まるで昼の明るい太陽光を想起させる。
そしてその光を纏って、《彼女》は《如月由芽》として私の視界に像を結んだ。
「え、と……」
圧倒されて、言葉が出ない。
由芽ちゃんとマンツーマンでお芝居をしてきた、この1か月と少し。
私なりに頑張って、成長を出来たと思っていた。由芽ちゃんの演技を毎日見て、由芽ちゃんを追いかけ続けて。
役者・如月由芽の全力には、その人を狂わせる演技力には。
私は到底届いていないのだと、心底思い知らされた。
……………それでも。
『初めまして!ようこそ、演劇同好会へ!私は、柊彩香です!』
この演技と、渡り合いたいと。
この演技と、対等な場所に立ちたいと。
私は、心の底から願った。
△
「楽しかったですよ、彩香先輩♪」
「つ、ついていくので精いっぱいだったんだけど……!」
部室での10分間のエチュードを終えて、彩香先輩と夜道を歩いていた。
別に良いっていたのに、彩香先輩は駅まで送ると言って聞かなかった。
「でも、あれが由芽ちゃんの全力……。私、ちょっと感動しちゃった!」
そうやってキャピキャピと笑う彩香先輩を見て、今日のエチュードは間違いじゃなかったと感じた。
きっと、中学生の最初の舞台以来の全力の演技。だけどその感覚はしっかりと覚えていて、正直自分でも驚いている。
《如月由芽》を、自身の内じゃなくて外からの感情を使って操る。
役に没入して感情を持ってくるのじゃなく、役を俯瞰してひたすら切り貼りする。わたしをそのまま、操り人形として使う。
楽しかった。誰に遠慮することもない、わたしを見ろというエゴの演技。
彩香先輩は、その演技についてきてくれた。確かに実力は足りていないかもしれないけれど、彩香先輩は確かについてきてくれた。
その理由が何であれ、改めて確信する。
彩香先輩は、まごう事なき演技の天才だ。
「……彩香先輩は、演技を嫌になりましたか?」
「ううん、そんな事ないよ!むしろ燃えてきたかも!」
「…………そんな、少年漫画じゃないんですから」
わたしは、また彩香先輩に救われている。
せなお姉ちゃんを殺したわたしの演技を、嫌いにならないでくれた。折れないで、負けたくないと言ってくれた。
わたしに、生きて欲しいと。愛し続けると、言ってくれた。
「あ、駅着いたね由芽ちゃん」
「はい。わざわざ送ってくれて、ありがとうございます!」
繋いでいた手を放す。彩香先輩は名残惜しそうにそれを見て、でもすぐに微笑んでわたしを見てくれた。
その仕草が、せなお姉ちゃんと重なって見えて。
わたしは、無意識に彩香先輩の手をもう一度握った。
「ゆ、由芽ちゃん?」
「………彩香って、呼んでいいですか?」
これは、恋愛感情なんかじゃない。
ただ、もっと距離を縮めたいと思っただけ。
恋愛なんてもうしないと、わたしは心に誓ったから。
だから、これは恋じゃない。
「いっ、……いい、よ」
彩香は顔を真っ赤にして、こくりと一度だけ頷いてくれた。
「えへへ、ありがとうございます!それじゃあ彩香、また明日ですね!」
「う、うん!また、明日……」
そう言って、家の方面行きの電車に乗る。
電車の車窓を見れば、街灯の明かりと月の明かりが街を照らしていた。
ゆっくりと目を閉じる。
そうしてわたしの頭に浮かぶのは、色々なもの。彩香への感情。せなお姉ちゃんへの感情。また役者を目指すこと、もう一度前を向くこと。このわたしの中のもやもや達は、きっと必要なもの。
だから、目を閉じるんだ。
その大事な思いを、噛みしめて生きていくために。