21話 如月由芽の第一歩
「本日は、お越しいただきありがとうございます。由芽ちゃんも、久しぶりね」
「娘の為に、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」
5月24日、なんの変哲もない平日。去年とは違って、梅雨にはまだ早い雨が降り続けている。
そんな中、わたしの家族とかなみちゃんは、せなお姉ちゃんの一周忌に来た。
せなお姉ちゃんが亡くなって、もう一年。
気が遠くなるほど長くて、生きた心地のない一年だった。
お寺には、親族と芸能事務所の元マネージャー。そして、せんせも来ていた。
「ゆーちゃん……」
「……久しぶり、ひなの。この前は、本当にごめん」
「ううん………、ううん!私こそ、わた、し………!」
会場の前で、ひなのはそうやってわたしに抱き着いて涙を流す。
わたしはずっと、ひなのを裏切ってきた。もう世界で立った二人の姉妹弟子なのに、わたしはひなのを蔑ろにしていた。どう謝っても、きっと償いきれない。
だから、これからはわたしが守らなきゃ。せなお姉ちゃんの、大切な妹を。
「久しぶり。由芽、ひなの、かなみ」
「久しぶりです、天城先生。……その、あたし」
「分かってるわよ。……由芽がこうやっていられたのは、かなみのお陰。だから、大丈夫」
「……はい」
そんなわたし達の横で、せんせとかなみちゃんはそんな話をしていた。
知っている。かなみちゃんがせんせの所に行かなくなった理由が、わたしの為だったという事。沈みきっていたわたしの為に、自分を犠牲にしてくれていた。
そしてせんせは、そんなわたしをずっと心配してくれていた。
本当に色んな人に迷惑をかけて、色んな人に愛されている。
〖私に、貴女を愛し続けさせて〗
ちゃんとそれを受け入れられているのは、きっと彩香先輩のお陰。生きてもいいって思えているのは、皆のお陰。わたしは、本当に人に恵まれている。
「それでは、皆さんこちらです」
せなお姉ちゃんのお父さんがそう言うと、皆でお寺の中へ歩き出した。
―――
法要が終わり、全員でのお墓参りを済ませ、近くのレストランで全員で食事を行う。
「本当に、残念だったねぇ」「そういえば、運転手の方は今──」「ああ、注いでくれてありがとうございます」「先生も、お忙しい中来てくださって──」
せんせは接待を受けていて、ひなのはその横で故人の妹としてこの場に合った振る舞いをきちんとしている。
2人とも、とっくに大人なんだ。わたしと違って、自力でせなお姉ちゃんの死を乗り越えようとしている。
それがとても誇らしくて、同時に羨ましい。
「すみません、少しお手洗いに」
周囲の大人とかなみちゃんにそう言って、お手洗いに行くふりをして外に出る。行き場所は、とっくに決まっていた。
わたしの住んでいるところから遠いこの場所に来るのは、大体月命日だけ。もっと近くに住んでれば、きっと毎日通っていただろうけど。
相変わらず雨は止む気配はないけど、それでも構わない。
「……去年は、ちゃんと晴れてたのにね」
そんな独り言も、雨音に消えてくれるから心地いい。
△
銀河鉄道の夜の公演前に、せなお姉ちゃんと話したことがある。
「ゆーちゃんは、死後の世界とか信じる?」
「んー、あんまりそういうオカルトなのは信じれないかなぁ。せなお姉ちゃんは?」
「あはは、ゆーちゃんはリアリストだなぁ」
2人きりで、満点の夜空の下で。手を繋いで、稽古場のベンチでそんな事を話していた。
「私は、あったらいいなぁって思ってる」
「どうして?」
「だって、そしたらそこで死んじゃった人と会えるでしょ?」
満点の星空にそう言って手を伸ばすせなお姉ちゃんは、昔を懐かしむような目をしていた。
「……誰に会いたいの?」
「おばあちゃん!小さいころから、いっぱい愛されてきたから」
せなお姉ちゃん達のおばあちゃんは、わたしがせんせの弟子になる1年前に亡くなったと聞いていた。そこから、しばらく泣き虫になっていたってことも。
「……でも、わたしはせなお姉ちゃんに死んでほしくない」
「もう……、死なないよ。ゆーちゃんとひなのがいるのに、死ぬわけないじゃん!」
「じゃあ、わたし達。これからも、ずっと一緒だね」
「あたり前だよ!……ずぅっと一緒だよ、ゆーちゃん」
△
「…………今は、オカルトとか信じてるよ。その方が、なんか夢あるもんね」
お墓に語り掛けながら、愛しいそれをゆっくり撫でる。恋人だった時のように、愛し合っていた時のように、優しく。
雨が冷たくて、わたしの思考も冷えていく。でも、冷静でいられるのはよかった。そうじゃないと、多分また泣いてしまっていたから。
「せなお姉ちゃん、わたし前を向くね。前を向いてまた役者を……、せなお姉ちゃんの大好きだった道を歩むよ」
ああ、この決意を言うだけだったのに。我慢していた涙が、簡単に零れちゃう。
「だいすき、だいすき、大好き。誰よりも、何よりも。世界で一番、愛してます」
せなお姉ちゃんと過ごした、8年間の想い出。楽しいものも、嬉しいものも、悲しい事も、苦しい事も。愛しさも、恋しさも、夢みたいな時間も。
忘れない、絶対に忘れない。
だから、前に進むことを許してね。
幸せになる事を、嬉しさを、楽しさを感じる事を。こんな、弱くて脆いわたしを。……また、役者を目指すわたしを。どうか、許してください。
「…………まったく、やっぱりここだったか」
降り注いでいた、冷たい雨が止んだ。
ううん、雨が止んだんじゃない。後ろで呆れたように優しい声をかけてくれた人が、傘を頭の上に差してくれたんだ。
「さすが、わたしの幼馴染」
「もー、こんなずぶぬれで。これは、まだまだあたしがいないとだな」
微笑むかなみちゃんの手を借りて、ゆっくりとその場に立つ。
わたしの事を探してここまで来てくれて、何時だってわたしの事を考えてくれる。わたしの、大切な幼馴染。
本当に、かなみちゃんには頭上がらないなぁ。
「どう?ちゃんと話せたかー?」
「まっさか、そんな奇跡起きないよ。迎え来てくれて、ごめんね」
そう、そんな都合のいい奇跡なんて起きるはずがない。
死んだ人間が幻覚で見えたり、過去をやり直す時間を神様がくれるはずもない。わたしがここにいるのは、ただの自己満足なんだ。
「行こ、かなみちゃん。ちょっと話したいこともあるし!」
「………うん、行こっか」
次に来るのは多分、来月の月命日。……その日は、晴れてたらいいな。
せなお姉ちゃんに似合うのは、快晴の青空なんだから。
「──行ってらっしゃい!」
「っ!?」
「うわおっ、由芽!?どした!?」
振り返った先には、誰もいない。お墓が雨に降られて、もの悲しく在り続けるだけだ。
でも、わたしには確かに聞こえた。幻聴、オカルト、映画の見過ぎ。きっと、せなお姉ちゃんと付き合う前のわたしならそう言ったかな。
………せなお姉ちゃんは、ほんとにわたしを染めてるなぁ。でも、それが嬉しい。
「──行って、きます。せな、お姉ちゃん」
良かった。
顔が、髪が、雨に濡れてくれていて。これなら、ちょっとくらい言い訳できるよね。
△
「あっ、ゆーちゃん!って、なんでそんなずぶ濡れなんですか!?」
「だいじょぶだいじょぶ!……もう、大丈夫だから」
タオルで髪を拭きながら、ひなのとせんせにピースをして見せる。
そうすると、何故かかなみちゃんも含めて3人ともポカンとして固まった。わ、わたし今そんなに滑る事しちゃった!?
かと思えば、今度は3人で顔を見合わせて微笑んだ。え~、ほんとになんだろ?
「お帰り、由芽!」
「おかえりなさい、ゆーちゃん!」
「……お帰り、由芽」
そ、そんなに心配されてたの?わたし、ほんの20分くらい外出てただけなんだけど?
ま、まぁ、一応返事はしないとだよね。
「た、ただいま?」
そう言った途端、ひなのとかなみちゃんが抱き着いてきた。
もちろん、2人よりも背が小さなわたしは揉みくちゃにされちゃった。
―――
ああ、本当に良かった。
私が見つけた、私の大切で愛おしい弟子。誰よりも努力家な、天性の役者。
優劣なんてつけるつもりはないけれど、きっと無意識のうちに分けてしまっていた。由芽は誰よりも天才だから、由芽は誰よりも人の気持ちに鈍感な人間だから。
そうやって傍観をして、私は大切な弟子を2人失った。
由芽と違って才能はそれほどだけど、誰よりも演技に真摯な笹森せな。
誰よりも才能に溢れていて、だからこそ危うい如月由芽。
愛している。ひなのとかなみも含めて、私の生涯で4人だけの大切な弟子たち。
もう大丈夫だと。もう、一人前になったのだと。そうやって手を離した弟子は、1人演技に溺れて自分を見失った。ひなのにせなの日記を読ませてもらって、私は自分を心の底から憎んだ。
そうしてしばらくして、由芽も役者を辞めた。
由芽とせなは特別仲が良いのに、演技力には明確に差があった。それでも自分の才能に無自覚な由芽は、誰よりもせなを慕っていたから。
苦しんで、自分を嫌悪して。そうして、それに耐えられなくなったんだろうと。
……でも、由芽は私が思っていた以上に凄い子だった。
「ふ、2人とも苦しい~!」
「それくらい我慢してください!ね、かなみさん!」
「ひなのの言う通りだぞ~。それ、これくらい我慢しろ~!」
由芽は、ちゃんとせなの死を乗り越えた。自分の気持ちに整理をつけて、また前を向き始めた。前に会った時とは、顔つきが違うもの。
だから、私は嬉しい。この子が、世界に潰されないでいてくれて。
「それで由芽、さっき言ってた話って何?」
「ああ!そう、それなんだよ!ええっと、せんせ!」
「ええ、何かしら?」
「せんせに、お願いがあるの!」