19話 如月由芽と幼いわたし
「以上が、わたしのこれまでです。すみません、長々と話しちゃって」
「…………ううん、そんなの。私が、私っ……!」
由芽ちゃんの話を聞いて、私は自然と涙が流れていた。
幼いころから、演技の天才だった由芽ちゃん。信頼できる人と出会って、大好きな恋人を作って。だけど、自分でそれを壊してしまったと思ってしまっている。
由芽ちゃんが、どれだけせなさんを愛していたかを知った。だからこそ、由芽ちゃんが役者を辞めようと思ったことも。
“憑依演技型役者”の、由芽ちゃんの恋人だった笹森せなさん。
演技の役から感情を戻せずに、最終的に自身のそれを制御が出来なくなった。私も同じ“憑依型役者”に才能があると思っているから、由芽ちゃんは私を気にかけてくれているんだ。
由芽ちゃんの手を、しっかり握る。
私は、由芽ちゃんに沢山のものを貰っている。演技に関してはもちろん、恋愛感情だって由芽ちゃん以外には抱けなかったものだ。
年下で、身長も小さくて、握っている手も私より小さい。
こんな娘が、どうしてこんな闇を背負って生きなきゃいけないんだ。自身の存在に振り回されているのは、誰よりも由芽ちゃん自身じゃないか。
「……由芽ちゃん」
「はい、なんですか?」
「私は、由芽ちゃんの事が好きだよ。かなみちゃんと同じ、愛してるよ」
「……えへへ、知ってますよ。わたしも、彩香先輩の事好きですから」
にこりと微笑むその奥にある由芽ちゃんの本心を、私は覗き見ることが出来ない。
私の言葉が本当に由芽ちゃんに届いているかは、分からない。由芽ちゃんはいつもポーカーフェイスで、感情が昂る姿を滅多に見せない。
……どうしたら、私は貴女の心を楽にできるの?どうすれば、その仮面を剝ぐことができるの?
……そっか。過程も目的も違うけど、きっとせなさんもこんな気持ちだったんだ。
由芽ちゃんの隣に立っていたくて、由芽ちゃんに相応しい恋人でありたくて。不安になって、演技にのめり込んでいった。自分を壊すくらいに。
同じ道を行けば、私に待っているのは間違いなく良くない事。また、由芽ちゃんを悲しませてしまうようなこと。せなさんと、似た結末。
私は由芽ちゃんの自己肯定感を戻して、また演技の道を進んでもらいたい。
由芽ちゃんがしっかりと前を向けるようにするには、私はどうすればいいんだろう。
もう一度役者の道を進みたいと思うには、どうすれば──。
「……そっか、うん。それしか、ないよね」
「彩香先輩?」
由芽ちゃんに、肌で感じて貰うしかない。
私が、由芽ちゃんと並んでも絶対に潰れないという事を。
「由芽ちゃん、お願いがあるの!」
△
「よし、行くよ由芽ちゃん!」
「………………ほんとに、するんですね」
とっくに時間は18時を過ぎてる。もう、帰らなきゃいけない時間だ。
だというのに、彩香先輩はお願いをしてきた。
【一度でいいから、間近で由芽ちゃんの全力の演技を見せて欲しいの!】
彩香先輩は突飛な事を言うしするけど、今回は特におかしい事を言っている。
わたしの過去をさらけ出して、わたしが役者を辞めた理由も分かったはずだ。なのに、わたしに全力で演技をしてほしいという。
というか、前にせんせの所で話したよね?わたし、もう二度と全力で演技はしませんって。彩香先輩も、その時それを了承してくれたと思ったのに。
「うん。……私は、由芽ちゃんに役者の道を諦めて欲しくないから」
「は?」
役者の道を、諦めて欲しくない?そんな、わたしの気持ちすら知らずに。
わたしは、ひなのみたいに強くいれない。
わたしの演技は、せなお姉ちゃんの人生を終わらせた。わたしが、せなお姉ちゃんを殺したんだ。
そんな人間が、役者を目指していいはずがない。本来ならこうしているのだって、非難されるべき行為だ。
わたしは、人並みの幸せなんて望んじゃいけないはずなのに。
だというのに目の前のわたしの過去を知っている先輩は、もう一度役者を目指してほしいという。
それは、わたしに前を向けと言っている事と同じだ。
だから、少しだけカチンときた。
「もし気を使ってくれてるなら、大丈夫ですよ。わたしにはもう、そんな願望は──」
「ないって、本心から思ってる?」
「………………当たり前、です」
「……分かった。でも、気をつかってるわけじゃないよ。私の、ただのわがまま」
そうやってにこりと笑う彩香先輩は、どこか幼子を見る目で。
「……一度だけですから。それが終わったら、今度はわたしのわがままも聞いてもらいます」
「う、うん!ありがとう、由芽ちゃん!」
交換条件も出したんだから、一度だけ全力で演技をしよう。
わたしなら、無意識も意識すればきちんと実力を出し切れる。
そうして演技をできたのなら、わたしはもう演技をしない。教えることはあっても、自分で演じることはない。
それが、わたしのわがままなけじめだ。
―――
エチュードの設定は、わたしが魔王で彩香先輩が勇者。今回は殺陣はなしで、問答だけ。
至極単純で明確に敵対構図にある設定だからこそ、この演技の目的が分かる。
このエチュードは、わたしと彩香先輩の喧嘩だ。
『なんだ、アンタが魔王か?思っていたより、楽に倒せそうだ!』
彩香先輩の演技は丁寧だ。
わたしの教えた通りに“憑依演技”を応用して、感情移入をし過ぎないように。それでいて、表情から指先まできちんと生き生きしている。
これなら、プロの世界でもご飯を食べていける。
売れるかどうかは運も絡むけど、実力を見抜いてくれる人がいればきっと。本当によく、一ヶ月でここまで伸びたものだなぁ。後は舞台やカメラ前での振舞い方さえ覚えれば、もうわたしが教えることはない。
「でも、そんな役者つまんないね。わたしの横には、あんまり立ってほしくないかな~」
いつの間にか、演技をしているわたしの横に、小さなわたしが立っていた。
上空に立つわたしを見上げながら、楽しそうにニコニコしている。笑顔で毒を吐くなんて、中々いい性格してるなこいつ。
「こら、そんな事言うんじゃないの。役者さんなら、そういう演技だって──」
「小さいころは楽しかったよね!せなお姉ちゃんはわたしよりずっと上手で、ひなのもわたしには出来ない演技をして!楽しくて楽しくて、夢中になって演技してた!」
「……そ、それとこれとは別!どんな人でも、尊敬できるものがある!わたしより上手な人はいるって、貴女も知ってるでしょ?」
「いつからだろうね!そうやって、他人に遠慮して演技するようになったの!」
他人に遠慮なんて、そんなのは当たり前の事じゃん。
『……つまらんな。たかだか人間風情が、何をそこまで逸っておる』
『そのたかだか人間に、アンタは殺されるってわけだ!』
声はしっかり出ていて、芝居は大きく。だけど、オーバーにはなっていない。
陽気で自信満々の勇者。でもその立ち居振る舞いには殺意が籠っていて、正しく勇者の芝居を生み出すことが出来ている。
全部全部、わたしの教えた通り。自分を、守るためのお芝居だ。
その芝居を見て、小さいわたしはつまらなさそうに目を細める。
「どうして“憑依演技”をさせてあげないの?多分、せなお姉ちゃんより適正あるよ?」
「役者として、“憑依演技”を極めた先にある危険性は分かってるでしょ?役者として長生きをしたいなら、“憑依演技”よりも今の演技の方が絶対良い」
わたしの回答を聞いて、小さいわたしは寝転がる。精いっぱいの、私への抗議のつもりかね?
『ははっ、活きはいいな。お前が死んだ報は、早めに民草に知らせてやろう』
ここで、わたしは髪をゆっくりと搔き上げる。分かりやすい、戦闘に移行するための仕草だ。それを読み取って、彩香先輩も構えをとる。
うん、スムーズに先輩を誘導できた。これなら、彩香先輩もやりやすく──
「つまんな~い!」
「うわっ!?」
小さいわたしが、いきなり駄々をこね出す。心の中でびっくりしただけで済んだけど、外見通りに小さい子なのこの子!?
「なんでそんな演技するの!?全力でお芝居するっていうから、わたし出てきたのに!」
「あのねぇ……、彩香先輩はまだまだ成長途中。全力でわたし達がお芝居したら、……せなお姉ちゃんみたいに思いつめちゃう可能性もあるの。君はもっと、そういうのを自覚しないと」
そう、そうなんだよ。
彩香先輩はわたしの事を好いていてくれて、それでこんな事をしてくれてるんだ。その意味を、しっかりと受け取らなきゃいけない。わたしなんかが、彩香先輩の時間を奪ってしまうわけにはいかない。
わたしを踏み台に、彩香先輩には楽しく演技をしてほしいんだから!
『逃げるなよ!!』
………………え?
『オレから逃げるんじゃねぇぞ!』
彩香先輩の、纏う雰囲気が変わった。
この芯に迫りすぎている演技を、わたしは知っている。わたしじゃ作ることが難しい、役が乗り移ってしまったかのような演技。
……自分を、壊してしまうかもしれない演技技法。
「……なんで、憑依演技を」
「すっごい!ね、言ったとおりでしょ!彩香ちゃんって、天才なんだね!」
そんなの知ってる。彩香先輩が“憑依演技”の天才だなんて、初めて一緒に演技をした時から知っている。
でも、それをさせちゃいけない。
お芝居は、理性と技術で成り立つものなんだ。感覚も必要だけど、必要以上に感覚に頼りすぎちゃいけない。下手すれば、戻ってこられなくなる!
「お、終わらせないと!」
「どうして?彩香ちゃんは、自分の意思で憑依演技をしてるんだよ?わたし達に、全力でぶつかってくれてるんだよ?」
「だ、だとしても…………」
「結局、せなお姉ちゃんと重ねてるんだよ。せなお姉ちゃんみたいにならないように、だっけ?それを、彩香ちゃんは望んでるの?それすらも知らずに、どうしてあなたはお芝居を教えてるの?」
〖ゆーちゃん、愛してるよ!〗
ちがう、ちがうちがうちがう!
「せなお姉ちゃんと、彩香先輩はちがうの!ちがうったらちがうの!」
「あははっ、子供はどっちなんだか!でも、そうやって目を背け続けても、何にも変わらないよ?そうやって悲劇のヒロインぶってるうちは、なんにも」
「うるさいうるさい!ていうか、きみはだれなの!?わたしの姿で、一体──」
「わたしは如月由芽だよ?わたしはあなたで、あなたはわたし」
「わたしは、あなたの一部だよ」