模範解答
内容を少し修正しました。
懐かしいと思える程年月は経っていないけれど、母校の門を潜ると、久しぶりに帰ってきた、という気持ちになれた。
たった数カ月なのに、ここはもう私の居場所ではないと感じるのは、会社に馴染んできた証拠。別れた彼氏との思い出が詰まった場所に、拒否感を感じているのではないと信じたい。
教授に挨拶をして、研究室に集まった学生達に自分の経験を話して。質問に答えて。相談にも乗ったりして。ちょっと社会人になった気分。あ、いや、社会人なんだけど。会社では、先輩に質問してばかりだから、少しは成長できているようで、嬉しい。
例の二人は、仲良く並んで座っていて、時々親し気に囁き合ったりしている。
顔見知りの後輩達も居たけれど、当然のように彼らの態度を受け入れていて、私と彼との関係は、すでに終わったと思われているんだろうなと、秘かにため息をついた。
まあ、終わった話だ。
これ以上、彼らに関わりたくはないし、今日以降は、会うこともないだろう。
私の話に興味は無さそうで、質問をして来なかったのは、正直有難かった。
研究室の建物を出たところで、近くのベンチに座っている彼が見えた。
倉木君。
休日だから、Tシャツにパンツ姿。髪の毛をラフに崩しているのが、とても良く似合っている。スーツ姿は見慣れてきたけれど、カジュアルな格好も絵になっていて、しばらく眺めていたいと思ってしまう。
「先輩、少しお話しませんか?」
振り返ると、穂永さんと佑介が立っていた。
関わりたくないって願ってたけど、勘弁してくれなかったみたい。
「あんまり話をしたい気分じゃないんだけれど」
どういう事よと佑介を睨むと、困ったように肩を竦めた。
「岸本先輩のせいで、佑くんの論文が遅れてるんです」
「はい?」
突然の言葉に、一瞬頭がフリーズする。
「前に、データ取得用プログラムを作ってくれたじゃないか。あれを、ちょっと改良して欲しいんだ」
「それくらい、自分でできるでしょう?」
と言って、気づいた。
「まさか、この間、私に頼みたい事があるって言ったのは、その事なの?」
「あ、ああ。だって、芽唯がやった方が早いだろう。芽唯が作ったんだから」
祐介の論文に使うデータ取得用に、以前、私が作ったプログラムの事を言っているらしい。
芽唯になら出来ると煽てられて、頑張って作った。私も忙しくて、力任せにやっつけた事もあって、分かりにくいプログラムである事は保証する。
次の論文に、それを流用したいようだけど。
どの面下げてって、言っていいかしら。
自分が振った相手に、用事を頼んでくる人がいる?
しかも、新しい彼女と一緒になって。
「それは、都合が良すぎませんか?」
低い声がして、倉木君が、私の前に出てきた。
「芽唯に、そんな事を頼める立場だと思っているんですか?」
「誰?」
「同僚の倉木です」
「君には関係ないだろう」
「関係ありますよ。彼女は、僕の大切な人なので」
倉木君に肩を引き寄せられて、顔を見つめられる。
整った顔の破壊力は、距離に反比例する事を、今知った。
ドキドキして目を反らせたくなるが、何とか耐えて、強張った笑顔を返す。
穂永さんと佑介が、驚いたように口を開けている。
これは、山本華が考えて、倉木君に頼んでくれた設定。
今日だけの、恋人関係。
『ラブラブなところを見せつけろ』って言われたけれど、それはちょっと敷居が高いので、『振られたけれど、優しい彼氏ができました』感が出れば良いかなと思っている。
「今の話を、担当教授に聞いて貰いますか?録音したので」
胸ポケットからICレコーダーを取り出した。
「録音?今のを?」
「はい。芽唯に聞いたけれど、以前から、論文や課題を手伝わせていたようですね。教授がそれを知ったら、どう思われるでしょう」
祐介の顔が青ざめた。
「面倒なので、やりませんが。これ以上、芽唯に関わらないでくれませんか?」
「岸本先輩は、倉木さんの方が格好良いからって、佑くんを捨てたんですか?それって、ちょっとひどくないですか?」
穂永さんが、空気を読まずに、さらっと酷い事を言った。
「違いますよ。僕は、芽唯に彼氏がいるって聞いて、諦めてましたから」
倉木君が否定してくれる。
「それなのに、彼から酷く振られたと聞いて、僕から、交際を申し込みました。この機会を逃しちゃいけないと思って」
でも、と続ける。
「芽唯は君達のせいで、とても辛い思いをしました。だから、もう、これ以上、彼女の前に現れないでください」
にこやかに微笑んでいるけれど、雰囲気が怖い。
固まっている彼らを置いて、倉木君に手を引かれて、その場を離れた。
「彼らに言い返してくれて、ありがとう。本当に助かった」
私は、一言も、話せなかったけれど、言いたい事は、倉木君が全て言ってくれた。
ほっとすると同時に、倉木君に申し訳ないという気持ちがわいてきた。
「本当に、休日だってのに、こんなお芝居に付き合わせて御免ね。お礼をするね」
「だったら、僕と付き合ってくれる?」
「いいよ。食事でも、本屋でも、電気屋でも」
「うん。通じてないね。僕と、恋人として、付き合って欲しいってこと。まだ、あいつに心残りがあるとか、他に好きな人ができたとかでないなら」
「なぜ?山本華から、好きな人がいるって聞いてるよ。だから、他の女性からのお誘いも断っているって」
「だから、それが岸本さんなんだけど。分かってもらえないかな」
突然の発言に、胸がきゅっとした。
倉木君が、肩に手を置いて、顔を近づけてくる。
「今は、そういう気持ちになれないかも知れないけれども」
いや、近いですから。
「僕と、恋人を目指して付き合って欲しいんだけど」
周りの人が、見ているし。
「ま、まずは、お友達から始めるというのは?」
「僕達は既に、友人だよね?じゃあ、とても仲が良い友達から始めようか?」
耳元で囁かれると、身体中の血が、頭に上ってくる。
「……はい」
こんなの、断れるわけが、ない。
次話は、月曜日以降に投稿します。
あと2話で完成予定ですので、よろしくお願いします。