答え合わせ
久しぶりのデート。
始めてボーナスを頂いた金曜日に、佑介と食事に行った。
時間が出来たので会いたいって言われて、喜んじゃっている私がいる。
相談したい事もあるって、何だろう。悪い話じゃないよね。
だって、こんなに優しく笑いかけてくれている。
場所は、彼のリクエストで、少しお高めのイタリアン。評判のお店で、予約は彼が取ってくれた。
だけど、しばらくぶりに会えたのに、それほど気分が盛り上がらない自分がいた。
いろいろ聞きたい事はあった筈なのに、彼の顔を見ていたら、何だか、どうでも良くなってきた。
あれ程好きだった笑顔は、怪しいだけだ。
彼に誘われて部屋まで来たけれど、恋人同士の期待があったわけじゃない。
私に頼みたい事があるって言われて、ついてきただけ。
部屋に入った途端に感じた、違和感。
最後にこの部屋に入ったのは、いつだったっけ。
私の卒業式?
卒業してから、三カ月ばかり、ここには来ていない。
部屋の片づけはするだろうし、すべての物が、いつも同じ場所にあるとは限らない。
だけど、居間のサイドテーブルには、花が飾ってあった。
白いふわふわした小さな花が、クリスタルの花瓶一杯に活けられていた。
「佑介、花を飾るんだ。花瓶も買ったの?オシャレだね」
「あー、言わなかったっけ。母親が、この間うちに来ちゃってね。掃除とか片づけとか、勝手にしてくれてって」
「へぇー、お母さまが、ね」
花瓶のそばには、あの写真が飾られている。
去年の夏、水族館に行ったときの2人の写真。
ペンギンがガラス越しに寄ってきて。興奮した私と、傍にいた小学生の声が重なって。子供みたいだって笑いあったりして。
きらきらした水と青空が、とても遠い昔の出来事のように思える。
写真立ては、その後に2人で買いにいったもの。ちょっと高かったけれど、記念だからって。
写真立ての傍に、探していた違和感の、答えがあった。
「お母様って、髪伸ばしていたんだっけ?」
「いや。手入れが面倒だからって、いつもショートにしているけど」
家族写真は、見せてもらったことがある。飼っている愛犬自慢の話からの流れで、スマホに入っていた写真を何枚か。一緒に写っていた彼の母親は、佑介に良く似た笑い顔をして、ショートヘアの頭を、ゴールデン・レトリバーにもたせ掛けていた。
別に、お母様には文句はない。もちろん、犬は可愛い。
「で、これは?」
彼の目の前に突きつけたのは、長い栗色の髪の毛。62,3cmというところかな。思わず指で測ってみた。
写真立てに、丁寧に巻き付けられていたよ。
「ショートと言うには、長すぎる」
あ。ちょっと小説のタイトルみたいだ。
ちょっと自分のテンションがおかしくなっているのが、わかった。
写真立ては、シルバーと強化ガラスでできていた筈だけど、端のガラスが少し欠けている。ぶつけたのかな。思いっきり叩きつけたのかな。恨まれているのかな。だとしたら、ちょっと怖いな。怖いけど、無理やり写真立てを壊そうとしている、長い髪で顔が見えない女性の姿を思い浮かべると、何だか笑えてくる。
笑っていいかな。この状況で。
祐介は、髪の毛を見詰めたまま、しばらく絶句していた。
驚いている?
彼女の事を打ち明ける気はなかったってこと?
だとしたら、これは、誰だか知らない彼女の独断?
「写真が気に入らなくって、写真立てを壊して、髪の毛を残したロングヘアの誰かさんって、私の知ってる人?」
「こ、後輩が家に来たことがある」
「家に来ただけじゃないよね?付き合ってるよね?写真立ての壊し方と髪の毛に、悪意を感じる。誰?」
「穂永さん」
穂永さん?
佑介と同じゼミに入ってきた、一つ下の、さらっと長い髪の美人さん?
明るくて、甘え上手な人。自分の欲望に素直な所が、羨ましいと思っていた。
これまで感じていた違和感の謎が、解けてしまった。
「確か、下の名前は『香純』さん、だっけ?」
「うん」
成程、これは、彼女からの挑戦状か。それとも、勝利宣言?
「彼女は、可愛く甘えてくれて、一緒に居ると、頼られていると感じられるんだ」
ゼミの課題について質問されたのが最初、だったらしい。それから人間関係やら何やらと、いろいろ相談を受けている内に、仲良くなったということらしい。
まあ、何て言うか、良くある話。
当事者以外には、意外性に欠ける、面白味のないイベント。
あぁ、私も当事者だっけ。
「もういい、わかった」
写真立てから写真を取り出すと、ぐしゃぐしゃに握りつぶした。
この部屋に、私に関係する物は、他には無いことを確認する。
そもそも、この部屋に来たのは、数回だけだし。
鍵だって貰ってないし。
「別れましょう。というか、私は振られたのよね。じゃ」
「……そういう所」
「え?」
「そういう、冷静すぎる所に、ついていけないって思ってた」
「それは御免なさい。でも、こういう性格だから」
泣いて縋り付くのは性分じゃない。というか、縋り付く程好きだったのかどうか、今この瞬間には、わからなくなっていた。
「そうだよな。きっぱりとしていて、自分を持っている。恋人としては、しっかりし過ぎていて、アレだけど。友人としては、これからも良い関係でいたいんだ」
「……はい?」
「頼みたい事があるって言ってただろう?」
「それは、今、この状況で言う言葉なの?他に言う言葉はないの?」
「……」
「穂永さんとお幸せに」
きっぱりと言い切って、ドアを思いっきり叩きつけて、部屋を出た。
頭で事実を認めても、心はついて来ない。
彼とはもう、御仕舞いだということは、頭では理解できていた。
だけど、じわじわと暗い感情が滲みだしてきて、押さえられない。
どこで間違えたのか。私の対応が間違っていたのか。
そもそも、私が何か間違えたから、彼の気持ちが変わったのか。
そんな事を考え出したら、自分の存在そのものまで、遡って否定したくなってくる。
ぐずぐずに溶けた気持ちは、夜になってもまとまらず。
週末はずっと、ベッドの中で過ごした。