75.謁見の間にて 9
この話には血に関する表現が出てきます。
苦手な方はお気をつけください。
一瞬の出来事のはずなのに長い時間に感じたのは何故なんだろう?
なんで彼の手元に先程見たはずの短剣があるのだろう?
なんで短剣が私に向かっているのだろう?
なんでこの人は私に短剣を刺そうとしているのだろう?
なんで?なんで?どうして?
なんでこの人は笑っているのだろう?
いくつもの『なんで?』が頭の中を駆け巡る。
―――――刺される!
そう思った瞬間、目を瞑ってしまった。が、数秒経っても痛みがない。無い代わりに目の前に黒髪が見えた。
レオンハルト様だ!
先程騎士の方と一緒に何処かに行かれたはずなのに、私の前にいる。私とダナン侯爵子息との間にいる。間?何故そこにいるの?そこにいるということは?
少し苦悶の表情が横から見える。短剣は?短剣はどこ?
カランと金属が床に落ちる音が響く。
ゆっくりと落ちていったその短剣は先程まで付いていなかったはずのものが付いていた。
赤い。
それが血液だとわかってはいるのだが、頭がついていかない。
私は痛くない。どこからも血は流れていない。
床の上の短剣の周りにポタッ、ポタッと血が落ちている。
「………オ様……レオ様!」
やっと頭と身体が繋がり、声が出た。背中側から前に回る。刺されたのは左脇腹あたりか。レオンハルト様も手で押さえている。押さえてはいるが短剣が抜けたからか、深かったからか押さえた指の隙間から床に血が落ちている。
私の声で気づいた騎士達が側に走ってきて立ちすくんでいたマティス・ダナン侯爵子息を押さえ込む。先程のナーヤス王子と同じように床にうつ伏せに倒され、後ろ手にされている。
だが顔は上を向き、笑ったままだ。
「………は、ははっ。ちょうどいい!リューディア様をハリーナに連れて帰るのに邪魔だったんだ!リューディア様を動けなくして連れて帰ろうかと思ったが、おまえさえいなければ、リューディア様を縛る者はいない!おまえさえいなければ!」
押さえつけられてなお、声を上げる。その声はどこかおかしい。正気ではない。
「さぁ帰りましょう!リューディア様!もうここにいる必要などありません!あなたを縛りつける者はいなくなるのですから!」
この状態でなおも笑っている。そして抑えている騎士に向かって叫ぶ。
「っ離せ!私とリューディア様は思い合っているんだ!」
思い合っている?誰と誰が?
「………お前などにリューは渡さない。リューはお前の事など思ってはいない」
レオンハルト様が傷を押さえながら彼に告げる。その通りだ。私は彼のことなど思ってもいない。
「…っそんなことはない!リューディア様はあの時私に微笑みかけてくれた!私のために……」
「それは『聖女』としての仕事だ。お前だけのためではない」
あの時?あ、あの国境の捕虜交換の時か!
確かに微笑んだかもしれないが、それは『聖女』の仕事だ。それをこの人は自分だけに向けられたものだと思ったのか。勘違いにもほどがある。
「ダナン様、はっきりと申し上げますが、私はあなたのことなど一つも思っておりません」
「大丈夫ですよ、リューディア様。あなたにそのようなことを言わせている者はいなくなりますから。さぁ一緒に帰りましょう」
ここまで来たらもう何を言ってもだめかもしれない。それにこれくらいの短剣の傷でどうにかなるレオンハルト様ではないはずだ。彼は『獣人』だから、普通なら致命傷になるかもしれないが、大丈夫なはずだ。それに私がいる。
そうだ、私がレオンハルト様を治療しなければ!このくらいの刺し傷なら、と左脇腹あたりを診ようとすると、ガクッと落ちていく姿が目に入る。
「………え?」
目の前で膝をつき、下を向くレオンハルト様。刺されたのは左脇腹のはずなのに、口元からも血が流れている。顔色もどんどん悪くなっていく。
何故?刺されただけのはず。それも短剣だ、そんなに深い傷ではないはずだ。どうして?
「……は、はは。流石、王家の短剣だな。『獣人』も形無しだ。大丈夫ですよ、リューディア様。あなたを縛りつけているその男はいなくなりますから!さぁ私と帰りましょう!」
もう気持ちが悪いとしか言い様のない表情で叫んでくる。王家の短剣?どういう事?先程ナーヤス王子が私に向けた短剣か?それが何なのだ?
「医療師を呼べ!毒だ」
後ろからジークハルト王太子殿下が叫ぶ。毒?毒と言ったか?短剣に毒が塗ってあったのか?
「何の毒だ?わかっているなら吐け!」
ヤリアス騎士団長もダナン侯爵子息に向かって叫ぶ。彼はニヤリと笑って答える。
「何の毒かは知らない。ナーヤス王子がこれを使えばリューディア様を静かにして連れて帰れるとおっしゃっていた。スーラジスのものになるくらいなら、と。即効性だからな、とも」
『静かにして連れて帰る』
それは即ち、死を意味している。
「……リュー…」
力ない声が聞こえる。レオンハルト様が手を伸ばしてくる。
「レオ様!レオ様!」
屈んで伸ばされた手を掴み取り、声を振り出す。
「……大丈夫だから」
そう言ってレオンハルト様の身体の輪郭が崩れ、黒獅子が現れた。
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