52.奥庭にて 2
「レオ様と私が会ったのはこの前の国境の所が初めてでしょうか?」
そう尋ねた私を少しだけ見つめていたレオンハルト様はフッと笑ってから答えてくれた。
「………違う、と言ったら?」
優しい声と優しい眼差しだ。ゆっくりと心地よい風が間を抜けていく。
少しだけ鼓動が速くなる。やっぱりという思いとでもまだわからない、という思いが混ざり合う。よし、すっきりさせよう、もう一度深呼吸をする。
「……もしかしてあの黒猫はレオ様ですか?」
レオンハルト様はこちらをジッと見ている。自分も膝の上に置いた手をギュッと握りしめる。
三年程前、ハリーナ王国で保護した怪我だらけの黒猫。光魔法で治療をし、しばらくしたら傷跡を消そうと思って世話をしていたのに三日後、傷跡を消す前に黒猫はいなくなってしまった。
しばらく近場を探したが見つからなかった。傷自体は出血も止め、塞いでいたので心配はしなかったが、かなり大きな傷跡が残ったはずだ。毛皮に隠れてはっきりとした場所はわからなかったが、黒猫のお腹辺りと左前脚ではなかっただろうか。
目の前にいるこの男性にも傷跡があるという。
お腹と左腕に。
そして彼は『獣人』であり黒獅子に『獣化』する。大きさも変えられるし、変わる。ヴィラス様が言っていた。小さくなれば猫のようだと。
もう一度姿勢を正してレオンハルト様の方を見ると彼の身体の輪郭が崩れた。そして目の前には三年前に見た、あの黒猫が現れた。
「……やっぱり」
確かによくよく見ると猫より少し大きいし、耳の形も微妙に違う。脚も太く見える。
あの時はまさか獅子の『獣人』がいるということをまともに知らなかったし、子獅子の姿などわからなかった。だから猫だと思い込んでいた。
ゆっくりと手を伸ばすと子獅子の方から頭を擦り寄らせてきた。とても柔らかい毛が触れる。両手で子獅子の身体に触れるとやはりお腹の部分に傷がある。毛皮に隠れてはいるが、皮膚の部分に凹凸がある。
左前脚にも手を伸ばすとこちらにもやはり凹凸があり、傷跡があることを示している。そして改めて触ると自分の魔力が感知できる。
しばらく何も言わずに撫でていた。子獅子もされるがままだ。その温かい黒い身体に触れているとの頬に何かが伝うのがわかった。それは自分の膝に落ち、服を濡らした。
[リュー!?]
頭の中にレオンハルト様の慌てた声が響く。子獅子の顔も心配そうになる。その顔を見た自分はもう流れ落ちる涙を止められなかった。
「……っん」
[リュー!?どうした?どこか痛むのか?]
更に慌てるレオンハルト様の声が響く。
「……った」
[ん?今何て…]
言った、と聞こえる前に子獅子を抱きしめた。
[!リュー?]
「良かった……良かった……生きて、た」
ぬくもりのある黒い子獅子を抱きかかえて出てきた言葉に子獅子は驚き、動きが止まった。
「い、いなくなったから、どうなったか心配で……ずっと…ずっと気になってて……良かった、生きてた。良かった」
しばらくそのまま抱きしめていた。静かな、風がまわりの木々を通り過ぎる音だけが聞こえる。涙は止まらず、黒子獅子の身体にも落ちる。
ゆっくりと抱擁を解く。子獅子は膝の上にいる。右手で涙を拭き取り、深呼吸をする。その間も子獅子は何も言わずに待っていてくれた。
「ごめんなさい、濡らしちゃった」
ハンカチを取り出し、子獅子の頭に落ちた涙も拭き取る。
[落ち着いた?]
「すみません、取り乱して」
[全然。それに原因は私なんだから]
子獅子は頬に残っていた水滴をクイッとなめた。少し驚いたけれどもその温もりが安心させてくれた。
「三年前、黒猫を治療して、気づいたらいなくなってて。まだ最後の傷跡を消す治療が終わってなかったし、子猫なのにちゃんと生きていけるのかが心配で」
何匹もの犬猫を保護して、怪我や病気の子は治療して、孤児院の所で面倒を見てきた。
あれほどの大怪我の子は初めてだったし、その後逃げ出す子も初めてだった。
「ずっと探してたけど見つからなくて。街に行く度に時間の許す限り探してたけどいなかった」
[……ごめん]
リューディアは首を振り、笑った。
「レオ様だったのなら仕方ないですね。本来ならあそこにいるはずがないですもんね」
他国の、それも第三王子が公式訪問でなく、王都にいる事自体がおかしいし、あれだけの怪我をしているのもおかしいのだ。
多分隠密な行動のため、バレるわけにはいかなかったのだろう。逃げ出すのは仕方ない。
でもそんな理由を知らない自分にしたら、怪我の治療の途中でいなくなった子猫がとても心配だった。
怪我はきちんと治っただろうか?傷跡は?ご飯は?
ずっとずっと思っていた。気になって仕方なかった。
でも全ての謎が今解けた。
もう一度涙の跡を拭き取り、子獅子に向き合った。
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