10.宿屋にて
「……ふぅ」
思わず声が出てしまった。
「大丈夫ですか?リューディア様」
ノアが心配そうに尋ねてきた。
「あぁごめんなさい、大丈夫よ」
ここは宿屋の一室だ。中々に広い部屋で続き間まであり、ノアとブラウと私の三人で使わせてもらっている。こんな広くて綺麗なお部屋は初めてかもしれない。どうしてもキョロキョロしてしまう。
「お疲れ様でした」
ブラウが温かいお茶を淹れてくれた。一口飲むとまた溜息が出た。
肉体的にはなんら疲れてはいないとは思う。そう精神的に疲れているだけで。それもかなり。
あの馬車で移動してきて、今夜の宿泊地である街に入り、宿に案内された。元々レオンハルト王子殿下がよく利用しているらしく中々綺麗な造りである。
とても美味しい夕食もいただき、浴場まで完備されており、お言葉に甘えて三人で入らせてもらった。
三人分の着替えも準備されており、ノアとブラウと顔を見合わせて思わず考え込んでしまった。
確かに必要最低限の荷物とは言われたが、ここまで準備されているとは。それもサイズもきちんと合っている。本当にどういうことなんだろうか。思わず溜息も出てしまう。
後は休むだけなのだが。
「どうします?変化して癒しますか?」
「そんなに黒い?」
自分の後ろ髪を少し上げて確認してもらう。
「それほどではありませんが、一束だけ黒いことは黒いです」
うーんどうしようか。ノアかブラウに猫に変化してもらって一気に治そうか。でもここはある意味敵地内であって、見られてもなぁという気持ちもある。これくらいなら放っておいても二、三日で元に戻るだろうし、ちょうど王都に着くくらいだろうから不都合はないかな。
そうこう迷っているとコンコンとドアがノックされた。
はい、と返事をすると、もう聞き慣れてきた声が聞こえた。
「レオンハルトです、サナハトもいます。少しお話をさせていただいても?」
そう言えば宿屋に着いてから、とか言っていたな。それにこちらには拒否権はないだろうな。ノアとブラウと顔を合わせて頷く。ブラウが扉を開けに行き、ノアは髪を隠すためのストールを私にかける。
部屋に入ってきた二人も馬車の時よりもかなりラフな姿だ。どんな服装でも似合ってしまうのが王族なのだろうか。王族だから何を着ても似合うのか。
とりあえず部屋にあった応接セットを並べ直して、レオンハルト王子殿下とサナハト補佐官に並んで座ってもらう。向かい側に私が座る。ノアとブラウにも座ってもらおうとしたが、流石に、と言うことで私の椅子の後ろに立っている。
「お休みのところ申し訳ありません。不都合なことなどはありませんか?」
レオンハルト王子殿下が問いかけてくる。何故ここまで良くしてくれるのだろう。
「はい、何も。お食事も美味しくいただきましたし、湯浴みまで。着替えも三人分用意していただき本当にありがとうございます」
「なら良かった。何か他にいるものや欲しいものがありましたら言ってくださいね。私でもサナハトにでもいいので」
とても眩しい笑顔で言われると、はい、としか言えなくなる。
「では、もう夜も遅いですし本題に入らせていただきますね」
サナハト補佐官が事務的な声で告げる。はい、と一度姿勢を正す。
「まずこれから先の日程から。明朝ここを発ち、王都に向かいます。邪魔が入らなければ明後日には着く予定です」
皆頷く。それを確認して続ける。
「それで、馬車の中でも言われていたリューディア様の身分というかこちらでの立ち位置のことなのですが」
「はい」
それが一番大事なことですね、真剣な眼差しを向けた私は次の一言で思考が停止した。
「レオンハルト王子殿下の婚約者、として過ごしていただきます」
―――――――は?
今何て言われました?婚約者?は?聞き間違いかしら?もう疲れて眠くてまともに聞き取れなかったのかしら?捕虜って言ったのよね?私の耳がおかしくなったの?
いや、ノアとブラウも驚いて動きが止まっている。あれ?婚約者で間違いないの?婚約者って?思い違いでなければ、婚約の後にあるのは結婚?は?え?どういうこと?
今日一番の疑問符が頭の中に鎮座する。
いや、聞き間違いだ、と思い目の前のレオンハルト王子殿下の顔を見ると、とてもにこやかな、少し照れたような顔をしている。
――――間違いないってこと?
整理しきれない頭を頑張ってフル回転させてどうにか声を絞りだす。
「………えっと……言葉、間違えてません……か?」
一応、最後の足掻きで確認してみる。だが無駄な足掻きだったようで。
「いえ、間違えておりません。リューディア様はこれよりレオンハルト王子殿下の婚約者として過ごしていただきます。これは決定事項です。拒否権はございません」
サナハト補佐官の淡々とした声色がこの部屋に響いた。
本日もありがとうございます。
明日も更新予定です、お待ちしております。




