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5話・安倍晴明の鬼退治

 放課後、待ち合わせに指定した下駄箱に悠斗は下校を促すチャイムがなるまで粘ってから向かった。

 今日は運がいいことに臨時の職員会議が入っていて、部活動もない。生徒のほとんどはすでに下校を終えている。

 亜貴を待たせることに、罪悪感はなかった。

 昼休み、あの後こっそりとスマホで本家の実家に連絡を取って、学校の周囲には下校のチャイムと同時に結界を張るように指示をした。

 すでに、学園は鳥籠となった。

 肌で結界の気配を感じながら、悠々と悠斗が下駄箱にいくと、所在無さ気に亜貴が待っていた。


「悪い。ちょっと課題貰っちまって」

「あ、いいえ。大丈夫です」


 片手を挙げて心にもない謝罪をすれば、悠斗の姿を認めて、ほっとした様子で亜貴は胸をなでおろした。その一挙一動を目を細めながら見て、悠斗は自然な動作で下駄箱からローファーを取り出す。

 すでに亜貴は学校指定のローファーに履き替えている。

 最近ようやく履き慣れてきたローファーに履き替えて、校庭へと向かいながら、悠斗はゆっくりとした口調で語りかけた。


「なぁ、春夏冬は“鬼”って信じるか?」

「え、おに、です、か?」

「そう、鬼」


 校庭の真ん中当たりまで歩いて。夕日が差し込む中、悠斗はくるりと振り返った。

 一歩後ろを歩いてきていた亜貴が、息を呑む音がやけに大きく響いた。


「酒天童子、とか、よく知ってるんじゃないかな?」

「ど、して……」


 その言葉に、確信を得て。青ざめ、後ずさる春夏冬亜貴、否、酒天童子に、大胆不敵に笑いかける。


「俺が、安部晴明だからだよ!」


 鞄を放り出して真横になぎ払った右手には愛用の数珠。そのまま右手を地面に叩きつけるように押し付けて。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」


 逆の手で手刀で四縦五横に、九字を切る。

 陰陽師としては初歩の初歩。まさかこの程度で倒せるなどとは露とも思っていない。それでも、力量を図るにはちょうどいいだろうと繰り出した術で。


「きゃあ!」

「…………」


 亜貴は、見事に術を真正面から食らってその場にひっくり返った。

 腰を屈めた状態から立ち上がり、思わず無言になった悠斗のポケットからもそもそとオリが出てきてぴょんと地面に降りる。

 地面に降り立ったさいには人型に戻って、とてとてと亜貴に近づくと、ぺろん、と紺色のセーラー服の上着をめくった。


「……オリ」

「主様、これ」


 なにしてるんだ、お前。

 まさか希代の鬼、酒天童子がこの程度の術で倒れるとは予想していなかった悠斗は盛大に脳内が混乱していたが、それでも同年代の少女の傷一つない真っ白な腹を見るのは良心が咎めた。

 たとえ鬼でも。鬼でも。弱くても。鬼だし。鬼だけど。

 そんな意味を含んだ悠斗の言葉に、オリはこっちこっちと手を招くだけ。眉を寄せ、一応警戒しつつ近寄れば、オリがめくった亜貴のわき腹には、禍々しい呪印。


「これ、」


 どこかで見たぞ、と悠斗が記憶をさらう前に、ぱちぱちぱち、と乾いた拍手の音が無音のはずの空間に響き渡った。

 勢いよく振り返った悠斗の視線の先で、源の子孫だという依頼主の女が豊かな黒髪を風に靡かせて、にこりと笑んでいた。

 その、ぞっとするほどの美貌は人のそれとは思えない。

 は、と無意識に悠斗は視線を鋭くし、身構えていた。


「流石は安部晴明の再来と謳われる方。こんなにも早く酒天童子を見つけてしまうとは」


 ぱち、ぱち、ぱち。

 乾いた拍手の音が、耳に痛い。


「……結界を張っていたはずなんだがな。術者をどうした」


 一度張った結界は悠斗の指示があるまではずされることはないはずだ。だが、同時に。悠斗は理解していた。

 目の前の女が結界を切り裂いて、あるいは術者を害してこの領域に侵入したのだと。

 女が無造作に右手に持つ、太刀をみたからこそ。そこから赤黒い血が今なお流れていたから。


「銃刀法違反だぜ、お姉さん」

「どうしても酒天童子をこの目で確かめたかったの」


 悠斗の場違いな言葉を無視して女は言う。

 なのに、ダメだというから。つい、ね。

 妖艶に微笑みながら、血の滴る太刀を持ち上げて、赤い舌がぺろりと赤黒い血を舐める。


「は、……酒天童子より、よほどアンタの方が鬼らしいぜ」

「ふふふ」


 視線を険しくする悠斗に、女は一歩二歩と近づいてくる。数珠を持った右手を前に突き出して、左手を右手に添え、悠斗は警告する。


「それ以上近づかないで貰おうか」

「あら、なぜ? そこに倒れるは我らが宿敵、因縁の敵、酒天童子。この手で殺したいのよ。いいでしょう?」


 無邪気に無垢な幼子のように。それは叶えられて当然とでも言うかのように。

 女はことりと首をかしげて問うた。悠斗の答えは、否。


「その件は安部晴明が請け負ったはず。手出しは無用。……第一に、過去に鬼であれ現在人間に転生している者を殺すなど、許されざる行い、看過はできねぇな」


 女の目が細められる。太刀を握る手に力が入るのがわかった。女の“殺す”が酒天童子の存在だけを殺すのではなく、春夏冬亜貴という酒天童子の器ごと“殺す”ことだと、見抜いた悠斗への憎しみが瞳によぎる。


「邪魔をしないで。これは私の悲願。私の成すべき事」

「ならば最初から安部晴明など頼らなければ良かっただけの話」


 そうであれば、悠斗が関与する余地などなかった。悠斗は亜貴が酒天童子の生まれ変わりであると知らなかったし、これからも知ることはなかっただろう。

 悠斗を事態に巻き込んだのは、目の前の女だ。巻き込まれた以上、責務は果たす。

 依頼は、呪いの解呪。だが、悠斗の小手調べに成すすべなく倒れた亜貴があれほどの呪を発揮できたとは思えない。

 ならば、答えなど一つしかない。


「呪ったのは、アンタが先だな。源の」

「呪い殺されるのを待つくらいならば、こちらから呪ってやったまでのこと」

「その結果、呪い返しを受けて安部に泣きついたか。地に落ちたな源も」

「黙りなさい!」


 先に呪をかけたのは、目の前の女だったのだ。

 呪をかけて、酒天童子を呪い殺そうとして。けれど、亜貴は恐らく無意識に呪い返しを行った。

 人を呪わば穴二つ。

 鬼とはいえ人間として生きる亜貴を呪った代償は倍返しで術者に跳ね返った。その結果の、あの禍々しい呪印。

 自業自得だと、鼻で笑うことはたやすい。

 だがそれは、この事態を乗り越えた先でできること。


「引け、源の。安部を敵に回してこの先の安寧を得られると思うか」

「馬鹿にするなよ、安部晴明。我らがただやられるだけと思うな」


 両者引けぬのは、一族をその背に背負うているからだ。

 己だけではなく、一族の悲願、脈々と受け継がれし尊き血。

 全て背負って、その重みを正しく理解しているから。



 悠斗は引けない。安部晴明として。

 女は引かない。源の子孫として。



「最後の忠告よ。どきなさい、安部晴明。酒天童子を殺したならば、術者を害した罰くらい受けようぞ」

「馬鹿にするなよ、源の。”今”人であるならば、過去世に罪を犯した存在とて、殺させるわけにいくか」

「ずいぶんと人がいいのね」

「陰陽術は護る為にあり。人を害するは、今は酒天童子ではなく己であるとなぜわからない!」


 悠斗の叩きつける様な叫びにも女は揺らがない。どころか、太刀を正眼に構えて、闘志をみなぎらせる有様だ。


「口で言っても、わからないなら」

「どうしても退かぬというのなら」


 ざり、と地面を踏む音が研ぎ澄まされた神経に障る。

 二人が大地を蹴ったのは、同時だった。


「「体にわからせるまで!!」」


 素手の悠斗と太刀をもつ女。

 勝敗はすぐに知れると女の余裕はすぐに崩れた。ガキィンと甲高い音を立てて、女の太刀が受け止められたのを目前にして。


「そ、れは」

「退鬼師桃太郎が鬼を退治たさいに使った太刀だ。御伽噺も馬鹿にできないぜ?」


 悠斗の手には、それまでなかった刀が握られていた。女と互角に鍔迫り合いをするその刀には神気が篭っている。見て取った女の驚愕に、にっと口角を上げて悠斗は刀の出所を教えてやる。


「どこから出した……!」

「最初からいたさ、”ここ”に」

「! まさか!」

「そう、これがオリの本来の姿」


 人間と見まごうばかりの式の本来の姿形。それは、退鬼師桃太郎の太刀だ。

 太刀に人としての感情と、式としての能力を付与させて、作り上げた存在、それがオリ。

 ならば、ついになるべき存在も。


「ちぃっ!」


 舌打ちをして、女が大きく後ろに跳躍する。距離をとった、女に悠斗は笑みを深めて。


「リオ!」

「はいはーい、主様!」


 女につけていたもう一つの式を呼ぶ。

 オリと対になるように作り上げた、リオ。

 無邪気な子供を体現した本来真っ白なその姿は、僅かに血匂をはらんでいた。


「手当ては?」

「したよー! だいじょうぶ、いのちにべつじょうはないよ!」

「よし、でかした」


 ただ、勘だった。

 なにかあったとき、それは酒天童子が直接女に害を加えることをも想定して、だが、逆の事態にも備える意味もこめて。

 リオを女につけた。

 リオの存在に気付いていなかったらしき、女は大きく目を見開いたが、悠斗はそんなことは知らない。

 女は敵だ。

 安部を利用とした。それだけならいい。

 それだけなら許せた。利用し利用される、それは陰陽師の性だから。

 だが、”今”を生きる亜貴を殺そうとしたことは看過できぬ事項だ。

 だから、敵と定めた相手に、容赦する心積もりなど、悠斗には到底ない。


「リオ、形状変化!」

「はいはーい!」


 リオの真っ白な体が光り輝く。悠斗はオリである太刀を鞘にしまって、構えるは。

 古の著名な巫女が浄化に使った破魔の弓。


「距離をとったのは、愚策だったな!」


 番えた弓を思い切り引いて、射る。

 女は飛来する弓矢を一刀両断に切り捨てた。弓矢は次に番えるまでに時間がかかる。

 その隙に距離をつめようとした女は、だが、想定外の光景に目を見開くことになる。


「銃は男のロマン、ってな!」


 破裂音を響かせて撃ち放たれたのは、弾丸。弓矢であったはずの、それがリボルバー式の銃に変化していた、常識外れの光景に、女の判断は一瞬鈍って。

 遅れて届く、鈍痛。

 悠斗の放った弾丸が、女の胸を、悠斗に見せた呪の中心を打ち抜いていた。


「あ、ああああああああああ!!」


 叫び声は、無人の校庭に響き渡り。女は膝からくず折れる。

 腰に刀を、片手に銃を、時代錯誤な格好で悠斗は息を吐き出した。


「一件落着、か?」


 くず折れた女からは、怨嗟の念がすさまじいが、それを浄化すればこの場は終わりだろう。

 源の系譜には色々きっちり支払ってもらわねばならないが。

 やれやれと肩をすくめた悠斗に、けれど鋭い声が響く。


『『主様!!』』


 二重奏のようにぴたりと重なった悠斗の最も信を置く式の言葉に、悠斗ははっとして背後を振り返った。

 地面に横たわっていたはずの亜貴の体が不自然にゆらりと立ち上がっている。その様は操り人形のようで。

 さきほどまでなかった、顔にまで及ぶ呪印が、元凶を知らせていた。


「お前、まだっ」

「……殺す、殺すの。酒天、どうじは、わたしが、ころす……」


 うわ言のように取り付かれたように呟く声は、女のものから男のものに変じた。


「源頼光かっ」


 呪い殺された子孫の無念の念を背負って、女を寄り代に再びこの世に現れたのだと、瞬時に察して。苦く歯をかみ締める。


「静まれ! お前の生きた世はここではない!」

「なぜ邪魔をする安部晴明。お主の言葉に従ったのに、我が子孫は呪い殺された。私の子、私の子孫、この無念、はらさでおくべきか……」


 悠斗の言葉も怨念と化した源頼光には届かない。再び太刀を握り、切りかかってきた源頼光に憑依された女に、とっさに刀を抜いて応戦したが、先ほどとは太刀の重みが違う。


「自ら魂を委ねたか。愚かな……!」

「ころす、ころす、ころす。酒天童子はわたしがころす」


 壊れた絡繰り人形のように。

 それだけを繰り返し口にする存在と成り果てた女に、悠斗は歯軋りするしかない。

 呪いだけなら解呪できた。だが、女の魂にべっとりと張り付いている源頼光の魂を剥がすのは、いくら安部晴明の再来と謳われる悠斗でも戦闘をしながらでは荷が重い。

 せめて、女の動きを完全に封じられたならば。だが、一合、二合と打ち合うたびに悠斗が押される。源頼光は剣の達人。手習い程度の悠斗では歯がたつはずがない。

 体力だけが削られる中、脳裏に響いたのはリオの声。


『あるじさま、とんで!』


 疑問をはさむ余地もなく、その場から跳躍する。飛び上がった悠斗を追いかける剣の先は、意外なものに阻まれた。


「酒天童子……!」


 憎悪を煮詰めて壺毒でもおこなかったかのような、激しい憎しみをこめて発された名。

 春夏冬亜貴、否、今では酒天童子と呼ぶに相応しい者がそこにいた。燃えるような赤い髪、獰猛にきらめく金の目。頭には、二本の角。

 とっさに着地した悠斗の前で、伸びた爪で太刀をはじいた酒天童子は女の首を絞めて宙吊りにする。

 こっちもどうにかしないといけないのか、と悠斗が刀を握りなおしたタイミングで。

 酒天童子の金のはずの目が、一瞬茶色に戻って。何かを訴えるように、横目で悠斗を見た。


「……りょーかい」


 刹那の訴えを正しく受け取って、悠斗は駆ける。宙吊りのままもがく女の後ろに回りこんで、呪を早口で唱えて。

 リオを手放した数珠の巻きついた手を背中から女の心臓めがけて突き出した。

 ずぶりと女の体にありえないことに沈み込んだ手をぐるりとかき回すようにすれば、苦悶の声が女から漏れる。

 それにも構わず、ぐるり、ぐるりと手首を動かして。


「これだ!」


 勢いよく右手を引き抜く。握り締めるは、可視できぬ、魂の欠片。

 酒天童子を憎むあまりに生まれた、偽りの源頼光の魂。


「清めたまえ、祓いたまえ、急急如律令!!」


 叫ぶように唱えれば、今度こそ女は意識を失い、悠斗に握られた呪詛のような魂の欠片は浄化され宙に消えた。

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