4話・安倍晴明による鬼の捜索
翌日はオリを伴い学校へと向かった。
リオには引き続き、依頼主の女性の監視を言いつけてある。
「オリなら大丈夫だと思うけど、騒ぐなよ?」
『わかってる』
通学の学生達にまぎれ、こそりと悠斗は自身の胸元に向かって話しかけた。
学ランの胸ポケットにはリスによく似た生き物が潜んでいる。それはオリやリオの仮の姿。
真っ白なリスによく似た生き物は人間の姿をとっていたときにあった泣き黒子の位置に五亡星の小さな赤い痣がある。
手のひらに乗るのにちょうどいいサイズのオリをポケットに押し込んできたのは、悠斗では気付けない鬼の気配を見破ってもらうためだ。
オリとリオは特別な式だ。
オリは織理と書く。
理を織るものだ。悠斗が幼少期から試行錯誤を繰り返し作り上げた式としての最高傑作。
時にその眼力は悠斗さえしのぐだろう。そのように作ったのだから。
悠斗に足りないものを補うために、悠斗の手足となって動く式を。
そうこうしている内に学校に着いた。下駄箱で靴を脱いで、四階の教室を目指す。
変人として名が通っている悠斗に進んで挨拶をしてくるものはいない。とくにそれに感じることはなく、悠斗は自身のクラスのEクラスに入った。
教壇から見て右側の真ん中より少し後ろ、窓際から一列横の机が悠斗の席だ。
どさりと辞書などが入っているせいで重い鞄を机に置く。
辞書など家では滅多と使わないのだから机に入れっぱなしにさせてくれればいいと思うのに、置き勉していたら没収だというのだからやっていられない。
そのせいで毎日無駄に重い鞄は凶器にもなるよなぁとどうでもいいことを考えて、椅子を後ろに引いて座る。
前の席の鏑木は友人らしきほかの女子生徒と談笑をしている。
ちらりと隣をみれば、右隣の河合はまだきていないようで、左隣の梅本は入り口近くでこれまた友人らしき男子と話しこんでいる。
後ろの席の筒賀は大人しく本を読んでいるのが振り向かなくても気配でわかる。
「オリ、いるか?」
小声で、主語を省いた言葉だったが、オリは正しく理解したようで悠斗にしか聞こえない声で「いない」と告げた。そして、さらに。
『この学校、変。鬼がいつもいるなら、鬼の気配がどこかにあるはずなのに、主様がここにくるまで、気配が一つもない。雑鬼たちにも、そぶりがない』
「そりゃまた」
めんどうな。
内心は押し隠して、悠斗はホームルーム五分前に慌てて入ってきた河合からも鬼の気配がしないことをオリから確認を取って、軽いため息を吐き出した。
一限も終わり、二限は体育だった。いつもなら、だるいと思うところだが、今日ばかりはラッキーだといえるだろう。
今日の体育はたしかバスケの予定だったはずだと体操着に着替えながら、他の生徒の会話から確認してクラスメイトに混じってぞろぞろと体育館に移動する。
オリは悠斗の頭に乗っかっていた。そもそも見鬼の才がなければオリはみえないのだから、隠す必要性もさほどない。
それでも朝は酒天童子を警戒して隠していたが、体操服では隠しどころがないので、いっそ開き直ったのだった。
準備運動を終えて、諸注意を聞き、班分けをして。
体育館の広さの関係で班ごとに交代でバスケをすることになる。悠斗の班は二番目だったので、壁際で他の生徒のバスケを観戦する振りをしながら、頭の上のオリに話しかける。
「どうだ?」
『違う』
端的な答えに、ですよねー、と内心で相槌を打つ。簡単に見つかれば苦労はしない。
それでもため息は禁じえなくて、軽く肩を落としたのだった。
その後、大人しく授業を受け、オリもリオと違い元々大人しい性質なので特にこれといった問題もなく、昼休み。
「桂木せんせー。ジャージ返しにきましたー」
間延びした声でノックもなしに開いたのは保健室のドア。
がらがらと新設校だというのに錆付いた音を立てて開いたドアにちょっと眉を顰めつつ、保健室の教員用のテーブルに実においしそうなお弁当を広げていて、しかも今まさにからあげにかじりつこうとしていた桂木に、少しおかしくなる。
「せんせー、料理得意なんですか?」
「ああもう、ノックくらいしなさいよ。恥ずかしいじゃない」
大口を空けていたのを見られて恥ずかしがるのは、豪放磊落と表現してもやっぱり女性ということか。
悠斗がひょいと覗き込んだ弁当箱にからあげを戻して、悠斗から遠ざける。悠斗の指がまさにそのからあげを狙っていたからだ。
「一個くらいいいじゃん」
「ダメよ。これでも足りないんだから」
「えっ、先生これ結構な量……もしかして、大食い?」
「う、うるさいわね! これでもダイエット中よ……!」
「……それは、ダイエット中の女性の食べる量じゃないと、愚考しまーす」
「うるさいわねぇ!」
普通のクラスメイトの女子の広げる可愛らしい花柄やゆるきゃらの描かれた弁当箱ではなく、運動系の部活動に所属する男子生徒が使うようなプラスチックの無骨なでかい弁当箱を広げて、足りない、ダイエット中、とはこれいかに。
地味に難しい顔になってしまった悠斗だ。
まぁ、世の中食べても太らない体質の人間はいるし、桂木は見た目太っていないからその部類なのだろうと勝手に当たりをつけて、紙袋にいれたままのジャージを差し出した。
「せんせー、はい。貸してもらってありがとうございまーす」
「あら、早いわね。もう乾いたの?」
「うち、乾燥機あるんでー」
保健室に来るための口実に、陰陽術で乾かしたとは口が裂けてもいえない事項だ。
それにしても、桂木の広げている弁当は、本当においしそうで仕方がない。
視線がそちらに釘付けになっている悠斗に、桂木は、ため息を一つ吐き出して、口に入れようとしていたのとは違うからあげを一つつまんだ。
「はい。あげるわよ。だからそのもの欲しそうな目、やめなさい」
「やった。せんせー、愛してるー」
「はいはい」
嬉々として悠斗が差し出した右手にころんと乗せられたからあげを口に放り込めば、かんだ瞬間広がる肉汁がなんともいえず、美味しい。弁当箱に入れられていたはずなのに、揚げたてのようなかりっとした感触がするのはなんのマジックだろう。
「せんせー、まじうまい。これうめー。いい嫁さんなれるんじゃね?」
「そうねー、貰ってくれる人がいたらねー」
「あ、恋人いない系か」
「うっさいな。須藤君もいい加減戻りなさい、お昼ご飯食べ損ねるわよ」
「へーい」
気安いやり取りの最中にも何気ない仕草で学ランの胸ポケットをつついていたのだが、オリの返答は『違う』の一言だけだった。
久々に学校で会話が続いたなー、などと教員が聞けば悲しみそうな哀れみを誘うことを考えながら、悠斗は保健室を後にした。
保健室の扉を閉めて、ポケットから顔を出したオリに囁きかける。
「当たりは、最後、ってかな」
これで亜貴まで外れだったら本気で当てがなくなるので、ぜひとも次でヒットして欲しいなぁなどとのんきに考えるのだった。
桂木との会話を終えて、忠告どおり昼飯を取る前に悠斗は教室を回っていた。
言わずもがな、春夏冬亜貴を探してだ。
といっても、手当たり次第に探しているわけでもない。悠斗の直感でしかないが、亜貴は一年だという確信があった。そして、今なら教室にいるだろう、とも。
たかが直感と馬鹿にすることなかれ。
陰陽師として安部晴明の再来と謳われ、幼少期よりそれに相応しい修行を積んできた悠斗の直感は下手な占いよりよく当たる。
かといって、常に直感頼りというわけにもいかないのが陰陽師の世知辛いところではあるのだが。
とにかく、一年で今なら教室にいると悠斗の直感が訴えかけているなら、一年の教室を一つずつ回るだけ。
自身のクラスにいなかったのは確認済み。残るは進学系列の中でも特に頭のいい生徒を集めたAクラスからDクラスまでの間。
Dクラスから順繰りに教室の入り口で適当にだべっている生徒を捕まえて「春夏冬亜貴ってこのクラス?」と聞くこと四回目。
最後のAクラスで「春夏冬なら、ほら、あそこ。隅で弁当食ってるよ」と男子生徒が教室を指差した。
「ビンゴ」
小声で呟いて、呼んでもらうように頼む。瞬間、教室がざわっとしたのは、気付かない振り。いらない勘繰りをされようが、悠斗の知ったことではない。
「えっと、須藤、くん……?」
不思議そうな顔で入り口まできた亜貴の口元にはごはんつぶがついていて、束の間それを指摘するべきか迷った悠斗だったが、今までなら悠斗が聞く前に『違う』といってきたオリがぴくりともポケットの中から動かない。それだけで、疑念を抱くには十分で。
にこりと悠斗は意識して人好きする笑みを浮べて、亜貴に話しかけた。
「放課後、空いてるかな? この前のお詫びに、っていったら申しわけないんだけどさ、ちょっと付き合って欲しくて」
この場合、お詫びをするのは目の前できょとんとしている亜貴のほうだ。当然拒否権など存在するはずもなく。
亜貴はこくこくと何度も頷いた。確かに拒否されては困るからと、少し語尾を強めはしたが、そこまで怯えるほどだろうかと悠斗が首を傾げるほどになんだか表情が必死だったので、さすがに少しばかりかわいそうになって、フォローを入れる。
「ていっても、たいしたことじゃないから。そうだな、放課後、下駄箱で」
「は、はい!」
上ずった声でうなずいた亜貴に悠斗はにっこりと笑って「忘れないでね」と念を押して、Aクラスを後にした。
昼休みの喧騒でうるさい廊下を歩いて、Cクラスの前まできてからようやっと悠斗は口を開いた。
その表情は亜貴にみせていた人好きするものではなく、近寄りがたい雰囲気を張らんだ真面目なものだ。
「オリ」
『いた。いた。あの人、あの人』
ポケットから顔を出したオリが繰り返し言う。
にぃっと悠斗の口が弧を描いた。
「それじゃあ、放課後は鬼退治と洒落込みますか」