2話・安倍晴明の波乱万丈な高校生活
代々突出した才能を持つ安部の直系にしか許されない安部晴明の名を継いでいる悠斗だが、その実年齢、実は十五歳。今年高校に入学したばかりである。
当然ながら、高校生として学校に通う義務があるのだが、それにまして優先されるのが裏家業の陰陽師、安部晴明としての仕事だ。
依頼主との関係上、こうやって午前がつぶれることも珍しくない。そのたびに学校をサボろうとする悠斗を無理やりに学校に送り出すのはオリとリオの義務であり日課といえた。
「くそぅ、あいつらぜってぇつくってやったのがだれかわかってねぇだろ」
二人に放り投げられたせいで打ちつけ、痛む腰を擦りながらのろのろと通学路を歩く。黒の学ランに身を包み学校指定の紺の通学バッグを持つ悠斗はどこからどうみてもただの学生で、彼の裏の顔が安部晴明だなどと誰も思わないだろう。
わざとゆっくり歩いていたが、それでも歩いている以上学校には着く。桜ヶ丘学園、初等部から大学まで完備のマンモス校に悠斗は珍しくも高校からの編入だった。
家から徒歩十五分の場所にある私立だが、当初悠斗はこの桜ヶ丘学園を受験する気は毛頭なかった。
なにしろ、ここにはよくないものが集まりやすいのだ。桜の木の下には死体が埋まっているとはよく言うもので、死体は埋まっていないにしろ桜は魔を寄せやすい。
その上、なぜか桜ヶ丘学園はそういったモノに好かれる人間が集まるのだ。それを幼いころから本能で理解していた悠斗にとって祓う術があろうと祓っても祓っても寄ってくるこの場所は鬼門でしかない。
なまじ視える、俗に言う見鬼の才があるだけうっとうしい。
なにも見えない一般人にとっては気にならないものも、視界でうろちょろすれば視界がうるさいことこの上ないのだ。
さらに悪いことにそれらを追い払おうとすれば、その行為は視えない者にとって何もない空間で一人おかしな行動をしているだけになるのだからため息も出るし、近寄りたくないと思うのも当然だろう。
だというのに、なぜ悠斗が桜ヶ丘学園に入学したのかといえば、一言ですむ。
家の命令だ。
ただそれだけ。いくら悠斗が次期当主確定であり、すでに安部晴明の名を次いでいるとは言ってもまだまだ保護者の必要な年齢であることには変わりなく、代替わりもまだなのだ。
現当主である父に命じられれば、文句を言いつつも拒絶することは叶わない。
そのおかげで、高校に入学してようやく一ヶ月がたつ今、悠斗は学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかった。
家にいれば数百年に一人の才覚の持ち主、天才と持て囃されると同時に若すぎる才能は嫉妬の対象であり、学校に行けば時々何もない空間に一人でなにかやっている変人の称号だ。
まったくもって心休まる暇がない。
(まぁ、家でのことはさすがになれたけどさー)
ぼりぼりと頭をかきながら昇降口でローファーを脱ぐ。なにしろ悠斗の才能が発覚したのが悠斗が物心つく前、三歳のときだ。
それ以来ずっと羨望と期待とやっかみの対象だったのだから、嫌でも慣れる。それでもやっぱり家は息苦しくて、唯一気が抜けるのは学校にいる間だった。
だというのに、高校からはその学校までが修行の場になった。
そう、悠斗がこの学園に入学させられたのはひとえにさらなる修行のためだ。
桜ヶ丘学園は創立してまだ十年だ。元々あまり地としてよくはなかった場所に学園の名をあらわす様に大量の桜が植えられ、街灯に虫が集まるように視えないけれど引き寄せる体質の人間が集う。
安部の家のものはすぐに異変に気づいたが、根本的な解決は試みなかった。
それは桜ヶ丘学園が将来的に考えて悠斗のいい修行の場になるという、悠斗からすれば余計なお世話でしかない考えからだった。
そのため、安部家の者は悠斗が入学するまで一定周期で定期的に学園の浄化をし、悠斗の入学に備えた。備えた、とはいっても悠斗の入学する一年前からは一般人にギリギリ害がでないくらいにまで放置されていたので、悠斗が入学した当初は散々だった。
具体的に言うならば、一週間近く放課後人がいなくなるまで待って学園に住み着いた魑魅魍魎を祓って、そいつらが植えつけた瘴気を浄化して回った。
祓いに祓いに祓ってようやく人心地ついたときには、見事変人の称号を獲得していたのだが、悠斗をさらに悩ませたのは、祓いまくったはずの魑魅魍魎がどこからともなく沸いて出てくることだった。
現在、目下原因を捜索中である。いくら引き寄せる体質の人間が多いとはいえ、物事には限度がある。そして、現在の桜ヶ丘学園は明らかに限度を超えていた。
本来なら外から異質なものが入らないように結界を張ってしまうのが一番手っ取り早いのだが、そうすると同時に中のものが外に出られなくなって、内側に淀みがたまってしまう。
それは大変よろしくないので、まずは内側の穴をさがしているのだ。
(修行とかいわずにとっとと浄化しとけってんだ)
足元にじゃれ付いてきた比較的害のない蜥蜴によく似たモノを八つ当たり気味に足蹴にしながら廊下を歩く。すでに昼休みに入っていて、通学バックを持つ悠斗は目立つかと思いきや、現代人はそこまで他人に興味がない。
弁当箱や購買で買ったパン、惣菜、これから買いにいくのか財布を持ちながら友人と歩きつつのおしゃべりに夢中だ。
一年の悠斗の教室は四階にあるが、ひとまず担任に出席を伝えようと一階の端にある職員室を目指していたとき。
後ろからあわてた声がかかった。
「あああああ!!!」
「つめてぇ!」
「避けてください!」
「おせえよ!」
背後からの奇襲はなんと水だった。思いっきり後ろからぶっ掛けられた。
まだまだ長袖のこの春先に寒いことこの上ない。ぬれた学ランは重いし最悪だ。
一体誰だ、と思い切り睨みつけながら振り返れば、ギリギリ地毛に見える明るい茶色の髪を校則どおりきっちり首の後ろで結えた少女があわあわと見るからにあせっていた。
その手には花瓶。下を見れば廊下に散らばる、花。目の前に視線を戻せば、不自然な体制、具体的に述べるならば、こける一歩手前でなんとかこらえたといった風情の、女子学生が一人。
「ご、ごめんなさい!」
明らかに昼休みを利用して花瓶の花の水を代えていて廊下でなにもないのに転びかけ、手元の花瓶の水だけが目の前を歩いていた悠斗にかかった、といったところだった。
怒りに任せて怒鳴りつけたいのを、ぐっとこらえる。我慢した理由はただ一つ。
人目があるからだ。これで周囲に誰もいなかったら、悠斗は構わず怒鳴っていただろう。
だが、ただでさえ変人という不名誉な称号があるというのに、これ以上おかしな噂を立てられるわけにはいかなかった。
内心で、笑顔笑顔、と念じながらこわばった作り笑顔を浮かべる。
「大丈夫だよ。ええと、……はるなつふゆあきさん?」
「あ、えっと、名字は春夏冬と書いて『あきなし』と読みます! 下の名前はそのまま『あき』であってます!」
「そう。春夏冬亜貴さん、君は大丈夫?」
着用を義務付けられているネームプレートには全く読めない名前が書かれていた。疑問符を浮かべた悠斗の言葉から聞かれ慣れているらしい亜貴が応える。それにしても、随分と特殊な名だ。名字はまだしも、下の名前は明らかに恣意的で、自分がつけられたら青年した瞬間改名するな、と悠斗はジト目になった。
悠斗が名前を呼べば、今にも泣きそうな顔をしていた春夏冬亜貴は明らかにほっとした面持ちで安堵の表情を浮かべた。
「は、はい。私は大丈夫です。あの、えっと、須藤さん、本当にごめんなさい!」
勢いよく頭を下げる。それはいい、いい心がけだ。だがしかし。
その拍子に亜貴の手からすっぽぬけた、それなりに重量のある花瓶が悠斗の顎めがけて飛んでくるとは、どういうことだ。
「す、須藤さん!!」
花瓶の直撃を受けて、今度は倒れこんだ悠斗の耳に、聞きなれない叫びが届いた。
ヒロインの名字が特殊ですが、実際にある名字を参考にしました。
春夏冬と書いて「あきなし」と呼びます。