最終章「答え」その9
ついに神魂術を扱えるようになったフレア。
ウォルガンとの決戦がついに始まります!
気迫の戦闘シーンをご期待ください!
フレアの前に現れたのは、ただただ醜悪な存在だった。
ウォルガンの溜め込んでいた本性と狂気を形にしたものなのか、紫と黄色の毒々しい色をしたトカゲではあるものの、その胴体には人間の顔に酷似したコブがいくつも浮かび上がっている。
そのコブはまるで生きた人間の頭部をそのまま埋め込んだかのようで、狂気に満ちた満面の笑みは悪趣味の極みとも呼べるものだった。
「さあ! やれ!」
ウォルガンの叫びを皮切りに、トカゲは先の割れた舌をチラつかせつつフレアへと襲い掛かる。
その衝撃で床にヒビが生じるも、彼は動じなかった。
何故ならば彼には負けられない理由がある。
それはリナウスと、自分を生かしてくれた存在のためでもあった。
「来るか」
一旦距離を取るべく、フレアはウォルガンの糸の拘束を解き、その場から飛び退く。
すると、彼が先程まで立っていた場所の床が一瞬にして食いちぎられ、強靭な顎の力に彼は肩を竦める。
「余裕をこいているのも今のうちだ!」
別に余裕があるわけではないのだけれども――。
いずれにしても、今のフレアには勝てる自信がある。
こんな力を使ってみたいとフレアが頭の中で考えるだけで、パッと頭の中に不思議な言葉が浮かび上がり、さも電卓に入力した計算の結果が液晶に表示されるかのようでもあった。
フレアはその言葉をゆっくりと唱えると、それは想像の壁をそのまま抜け出て現実へぬめりと顔を出す。
「な、なんだ!?」
フレアが呼び出したのは蟲の大群だった。
その数は彼にもわからない。
彼はとにかく沢山の味方と願った結果、数えるのが難しいほどの蟲が飛び出てきてしまったのだ。
フレアが改めて見てみると、見たこともない鈍色の蟲達が彼の指示を今か今かと複眼で見つめてくる。
羽根の生えたもの、足が十対以上あるもの、人の背丈よりも大きなもの――。
どんな名前か、あるいはどこに生息していたのかは定かではないが、少なくとも個性豊かな彼らはかつてメルタガルドに存在していた蟲達だ。
古き時代に懸命に生きていたが、生存競争に負けた者達。
誰もが忘れ去り、過去に置いてきぼりにされた哀れな犠牲者。
誰からも弔われない名も無き弱者達。
この世界に住む生きとし生ける者の踏み台とされた過去の亡霊そのものを強引に具現化した存在で、それらは全て彼の味方となっていた。
「へっ、何だか知らんが、趣味だけは悪いみたいだな!」
あんたにだけは言われたくない。
そう考えつつもフレアが身構えていると、ウォルガンの指示に従い、トカゲが再度彼を丸のみにしようと口を大きく開く。
一瞬で馬ごと丸のみ出来そうだが、彼は焦らなかった。
そして、その瞬間を待っていたとばかりに羽を持つ蟲達が何のためらいもなくトカゲの口内へと潜り込んだ。
「馬鹿め! 飛んで火にいる夏の虫じゃないか!」
ウォルガンが笑い飛ばす一方で、フレアは小さくため息を零す。
鈍色の頼もしき兵隊達がそこまで愚かなはずがない。
潜り込んだ蟲達のすることはただ一つ。体内から肉を喰らうことだけだ。
暫くすると、粘着質な音と共にトカゲの皮膚を強引に突き抜けて蟲が這い出てくる。
蟲が苦手なフレアであるが、この時ばかりは彼らの勇猛果敢な動きを見逃さないようしっかりと目を見開いていた。
強固な顎は肉を抉り、鋭利な細剣を彷彿とさせる口吻で遠慮なく啜り喰らう。
かつての偉大な食欲を存分に発揮しただけではあるが、難攻不落の要塞が一方的に蹂躙されていく様に、ウォルガンの顔からみるみる血の気が引いていく。
血は流さないものの突き出た骨にしがみつく肉塊はハリボテのように見えるほど無残であるが、トカゲはまだ動きを止めようとしない。
流石に本性と狂気の権化だけのことはあり、無駄にタフなようだ。
フレアがどう攻略しようか迷っていると、ウォルガンは闘志をむき出しにして発情した犬のごとく吠えかかる。
「やれ!」
トカゲは崩れかかった前足を強引に動かし、不自然かつ不気味な速さでフレアへと詰め寄る。
単純な体当たりではあるものの、それでも直撃すれば致命的であることに間違いない。
そんなフレアの危機を察して蟲達は身を挺して彼を守ろうと、羽虫の大群が突撃を慣行し、地を這う蟲達はトカゲの足を狙う。
纏わりつく蟲達を蹴散らそうと、化け物は悲鳴に似た咆哮を上げて暴れ狂った。
ここで逃げるのが賢明だろうが、フレアの頭の中に大胆な考えが浮かぶ。
まるでリナウスが即興で考えた作戦だなと、彼は微笑した。
彼は一抱えもある甲虫を呼び止め、その足に捕まりながらも宙を飛ぶように指示する。
甲虫に運ばれて部屋の天井ギリギリの高さまで彼が飛行していると、ウォルガンの叫び声がした。
「上だ!」
トカゲはフレアを見上げ、前足で立ちあがって食らいつこうとするも――。
「ど、どうした!?」
トカゲは悲鳴に似た叫びをあげ、その胴が熱で溶けた蝋細工のように醜く曲がり始める。
身体が限界にまで達しているというのに、無理に上体を持ち上げたためだろう。
フレアはそれを見越しつつも、言葉を紡ぐ。
葬送曲のように重い言葉の群れは、原初の頃から存在していた生命の嘆きでもあった。
そして、フレアの手に一本の焼きごてが現れる。
柄が彼の腕よりも太くかなりの重量があるはずなのだが、まるで手の平に吸い付くかのように軽い。
自分を空中へ放り投げるよう甲虫に命じると、彼は重力に引っぱられながらも焼きごてを両手で持って狙いを定める。
トカゲは彼を迎え撃とうとするが、何もかもが手遅れだった。
彼はその頭部へ着地すると両足でふんばりながらも全体重を乗せ、額に焼きごてを全力で押し付けた。
肉の焼ける音、漂ってくる髪の毛を焼いたような異臭、振動で揺れる視界、エシュリーとウォルガンから受けた傷の痛みも今頃になって蘇り、最後には耳をつんざくような醜い断末魔――。
情報の多さに彼の五感が意識の全てを吹っ飛ばしそうになるも、ここで負けてたまるものかと死に物狂いで腕に力を込め続ける。
「くそが! そんな攻撃が効くはずねえだろう!」
ウォルガンの罵声が轟き、それに応えるかのようにトカゲが必死にフレアを振り落そうと試みる。
「うっ!?」
足場が大きく揺れフレアがバランスを崩そうとするも、彼を助けるべく蟲達がトカゲへと密集した。
間一髪のところで態勢を立て直すも、彼の意識は次第に朦朧とし始める。
無意識のうちに彼は片手でスカーフを握り締めた。
遠い記憶の隅の隅で、誰かが昔そうしていたように。
ふと、耳元に自身の名前を呼ぶ幻聴が木霊する。
一人きりの時に彼はこの幻聴に酷く恐怖した――。
迷っている時も彼はこの幻聴を疎ましくすら思った――。
だが二度とそのような感情を抱くことはない。
そう確信した瞬間、魂が壮大な叫びを上げた。
血が蒸発し、目が溶け、心臓が弾け飛びそうな熱が全身を巡る。
「リナウス、僕は――!」
フレアは自然と鬨の声を上げていた。
生来、あまり大きな声を上げるのは得意でない彼であったが、この時ばかりは違っていた。
何故なら、彼はようやく理解したからだ。
そして、心の中で全力で叫ぶ。
幻聴に応えるかのように。
――そう、僕のやっていることに、意味はあるのだから!
焼きごてから真紅の炎が上がった。
彼の叫びを聞き届けるかのようにごうごうと音を立てる。
――炎が燃え盛る。
彼の生きてきた軌跡を祝福するかのごとく。
――空気の爆ぜる音が鳴り渡る。
彼へ捧げる祝砲のごとく。
そして業火が躍りかかる。
猛々しく、そして優雅に舞いながらも、本性と狂気の獣を焼き焦がす。
「ど、どうなっていやがるんだ!」
ウォルガンは炎から逃げながらも捨て台詞を吐く。
やがて炎を止むと、あれだけ荒れ狂っていた獣はぴたりと動きを止める。
まるでそこだけ時が止まったかのようで、ウォルガンはその静寂に言葉を失う他なかった。
フレアが身構えていると、突如足場がグラリと沈み始める。
どうやら完全に力尽きたようでサラサラと何の力もない砂のごとく散っていく巨躯から落ちるその瞬間に、蟲達が彼の身体を支えてくれた。
不思議な感覚と共に彼が床へと着地すると、あれだけ邪悪な存在がまるで幻のようにすら思えてしまう。
彼は蟲達へ感謝の意を示してから、呆然とその場でへたり込んでいるウォルガンへと近づく。
「まだ、戦うつもり?」
焼きごての先をウォルガンへと突きつけながらもフレアは降参を促すも、戦意はまだ喪失していないらしく、唾を床に吐きかけてこう告げる。
「誰が、降参なんざ……」
ウォルガンは神魂術を唱えようと唇を動かすが、何も起こる気配がない。
何が起こったのかフレアが疑問に思っていると、いつの間にやら蟲の羽ばたく音が消えていることに気が付いた。
「お、お前は誰だ?」
すると、ウォルガンが怯えた声を発した。
フレアは彼から目線を外さないよう様子を窺うと、そこには――。
戦いの末、見事フレアが勝ちました。
しかし、最後にウォルガンが目にした者の正体とは?
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それでは今後ともフレアの活躍をお楽しみに。




