第八章「黒幕」その6
大聖堂にバルシーアがいるかもしれない。
忍び込むためにはマルマークの力が必要であるため、フレア達は彼に協力を求めに行くことに。
フレアは外套の襟を正してから廊下へと出ると、エシュリーと出くわした。
彼女はいつもの円筒衣の上に胸当ての姿に着替えており、腰に差した愛用のサーベルと併せていつでも戦闘に臨める様子だ。
「フレア殿もちょうど準備が整ったところであるか」
「うん、奇遇だね」
二人は歩きながらも玄関へと向かう
その最中、フレアはふと尋ねてみる。
「あの、エシュリー。神魂術のことなんだけれども……」
「その顔からすると、神魂術を使えないことで悩んでいるのであろうか?」
「う、うん。リナウスにも中々練習しようと言い出せなくて」
「万が一戦いになった場合の備えも必要であるからな」
エシュリーは頷きながらも、厳しい視線をフレアへと向ける。
「もしや、神魂術についてリナウス殿に話しかけづらかったのではなかろうか?」
「え」
エシュリーの一言はまさに正鵠を射ていた。
「前から思っていたのであるが、貴殿はリナウス殿を完全に信用していないのではなかろうか?」
「う、それは、その」
エシュリーは囁くように続ける。それはただ単にリナウスに聞かれないための配慮なのだが、どこか言葉が重く感じられた。
「正直な話だけれども、僕はリナウスを時折恐ろしく思うよ」
「恐ろしい、であるか」
フレアは小刻みに頷く。
「だって、未だに僕はリナウスのことが全部わからないんだ。何か、何か目的があって僕を助けていると思うと――」
「そうであったか。リナウス殿もフレア殿から完全に信用されていないということはわかっているのであろう」
「そうかな?」
「私も最初の頃はアルートを信用はしていなかった。それもこれも、私が歩み寄ろうとしなかったからである」
「歩み寄るか……。触らぬ神に祟りなし、という言葉もあるけれども、リナウスともう少し話し合う機会を設けてみようかな」
「それがいいであろう」
エシュリーはフレアをしばし見つめる。
その深く蒼い瞳には、道に迷い途方に暮れているかのように困惑する彼の姿があった。
「私は貴殿のことを羨ましく思うぞ。リナウス殿とフレア殿を見比べていると――。いや、これは私の勘違いであるな」
「なんのこと?」
「気にしないでもらいたい」
微笑んでいるエシュリーを見ると、フレアとしても気になってしまう。
問い詰めようとするも、目の前には玄関の扉がある。
聞くのはまた今度にして彼が扉を開けて外へと出る。
暫く歩いていると、ロバート君の背中の上で待機しているリナウスを見つけた。
「いやあ、待ちかねていたよ」
「ごめんごめん」
フレアとエシュリーロバート君の背に飛び乗ると、ロバート君は空高く飛翔した。
そして、フレアが行先を告げると一瞬嫌そうな顔をするも目的の方角へと旋回してから翼を大きく広げる。
リーオ族の里は海を見通せる高台に位置してあり、天気の良い日は漁をしたり、栽培している穀物や果実を食べて暮らしている。
そこまで聞くと誰もがのんびりと穏やかな生活をしているのだろうと思うが、歴戦の強者揃いなのだから驚きだ。
やがて、リーオ族の里へと辿り着くと、先日のような手荒な歓迎を受けることなく、見張りのリーオ族がマルマークの元へと案内してくれた。
マルマークを訪れる前に、フレア達はリーオ族の里を見て回る。
フレアの顔を知っているリーオ族は彼に手を振り、共通言語を知る者はたどたどしい口調ながらも挨拶を述べる。
その最中、エシュリーがぽつりとこう言った。
「それにしても、何と言えばいいのであろうか?」
「どうしたの?」
エシュリーはどこか遠くを見つめながらも、上ずった声でこう言った。
「メルヘンチックであるな」
エシュリーが興奮するのもよくわかる。
フレアは何度か訪れたことがあるが、家々は彼らの背丈に合わせて建てられているためか妖精さんの家のような可愛らしい雰囲気がある。
ただやはり先日の襲撃によって家々の何件かが半壊しており、彼らの作った畑の用水路も無残に荒らされ、リーオ族が今もなお修復作業を行っていた。
マルマークの家に辿り着く前に、偶然にも彼と出くわす。
何やら小屋の前で片づけをしているのか、フレア達に気が付くとピンと尻尾を立てる。
「旦那方! どうされたんですか?」
「ちょいと頼みたいことがまたあってさ」
「いやあ、頼られてばかりですぜ。まあ、オイラは有能ですからね」
これについてはぐうの音も出ない。
実際に先日の戦いでも大いに活躍してくれたのだから。
「まだ復興が完全に済んでいないのにすまないね」
「いいんですよ。旦那達から借りた恩を返すにはまだまだですぜ」
「今は何をやっているの?」
「焼けた落ちた物置の片づけですぜ。いやあ、これが大変でしてね」
「僕も手伝う?」
「いやあ、大丈夫です。しっかし、火を放つとは解せないですぜ」
「まったくである」
「火を放った連中は袋叩きにしてやりましたがね。油まで使いやがるとは」
「他の里でも油を撒いていたね。家や地面へ適当にぶちまけられて、畑が燃えた被害もあったくらいさ」
リナウスのその発言に対し、マルマークは耳をピンと立てて反応する。
「オイラの里も何件か焼けましたが、どうして見るからにオンボロな物置に火を放ったのですかね? わざわざ油まで撒いて」
「見るからに、なのであろうか?」
エシュリーの問いに対し、マルマークは姿勢を正しつつも答える。
「ええ、そうですぜ。御覧の通り外壁はボロボロで、入り口の戸は壊れて半開きになっていますし、辛うじて雨風を凌げるくらいなもんです」
フレアは物置を観察するも、確かにリーオ族が住んでいる形跡は見られない。
嫌がらせをするならばもっと他の所に火を点けた方が目立つだろう。
「うーん、わざわざ油を? 待ってよ、マルマーク。この物置には何か重要な物があったんじゃない?」
「重要な物ですかい? いや、どうですかね……」
「思い出してくれたまえ。何かあるだろ?」
マルマークも勿体ぶっているわけではないのだが、リナウスはそんなことを気にする余裕もないのか急かしているようにも見えてしまう。
「うーん。オイラの一族からすれば重要な物ですが、他人が見て価値があるかどうか。今はオイラの家に置いてありますぜ」
「もしかしたら、私からしたら喉から手が出るほど欲しい物かもしれない。案内してくれたまえ」
「了解ですぜ」
マルマークは兎のように機敏な動作で飛び跳ね、一同はひたすらそれを追いかける。
獲物を追いかけるオオカミはこんな苦労しているのだろうか。
フレアは息を切らせながらもマルマークへとようやく追いつく。
「はてと、ここが我が家です。旦那とリナウス様には前にも紹介したので、今更でもないですかね」
マルマークは材木と切り出した石材を組み合わせて作った自宅を示す。
壁は琥珀色に塗装されている他、リーオ族の言語で書かれた落書きのようなものもみられる。
地面から屋根までの高さはフレアの背丈よりもやや低く、入り口の大きさからして人間が中に入ってくつろぐのは無理だろう。
マルマークが扉をノックすると、彼の家族がゾロゾロと中からやって来る。
内訳は次男と三男、それに長女とマルマークの奥さんという具合だ。
長男は既に結婚しており、別居しているという話をフレアは思い出す。
「フレア殿」
「なに?」
エシュリーの鋭い呼びかけに、フレアは反射的に背筋を伸ばす。
何かに感づいたのか。
彼はじっと彼女の言葉に耳を傾ける。
「ここが天国であろうか?」
「え?」
真面目な話ではなかったことにフレアは唖然とする。
そんな彼の反応を察してか、エシュリーは慌ててかぶりを振る。
「すまない、楽園であったか」
「あ、それはよかったね、うん」
確かに小さなリーオ族の見た目はぬいぐるみそのものだ。
しかし、よくよく考えるとどんな猛獣も幼い時は総じて可愛いのだから、ある意味必然とも呼べる形態なのかもしれない。
「あ、父ちゃん! おかえんなさい!」
「フレアさんだ!」
リーオ族はたてがみの有無で雌雄の判別がつくとのことだが、成人している次男にはマルマークのような立派なたてがみが生えているも、三男はまだ成人していないのかたてがみが生え揃っていなかった。
「おお、ただいまと言いたいところだが、フレアの旦那とリナウス様の頼みでまた出かけなくちゃあならねえんだ」
「ええ~!?」
マルマークの家族は驚き残念そうな顔をする。
そして、マルマークの奥さんはエシュリーの方を見上げる。
「ええっと、そちらのお嬢様は?」
「わ、わ、私であるか!? エシュリー・ザウナ・シルビムと申す」
「礼儀正しいお方ですね。どうぞよろしくお願いいたしますね」
今度はマルマークの奥さんがフレアへと頭を下げながらもこう言った。
「フレア様、リナウス様。うちの旦那が迷惑をかけてばかりで申し訳ございません。どうぞ、こき使ってくださいませ」
「いや、そんな……」
「かあちゃん! そんなこと言わなくていいっての!」
「奥方様、あなたの亭主様は遠慮なくこき使いますのでご心配なく」
「ちょ、リナウス様!?」
そのやり取りに一同はクスクスと笑いだす。
「おっと、いけねえ。空き家に置いていた物を引っ張り出さなければ。坊主達、オイラについてきてくれ」
マルマークは子供たちを引き連れて自宅へと入っていく。
「フレア様、エシュリー様。私めはお酒をご用意しますので」
「ごめん、前にも言ったと思うけれども、お酒はちょっと飲めないんだ」
「一応仕事中であるから私は遠慮させていただこう」
「これは失礼しました。では、フィッシュヌンをご用意いたします」
食文化や儀礼作法も場所によって大きく変わって来るものだ。
リーオ族は酒で客をもてなすのが常であり、それも仕方のないことだとは思っている。
フレアも以前マルマークに勧められ、一口だけの飲んでみたことがあるが、あまりの苦さと辛さに、世界が一転するほどの衝撃を受けたのは記憶に新しい。
どうやら、普通の人間からしたらアルコール度数の高い酒だったらしく、それをリーオ族は平然と飲むのだから文化というよりも内臓の強さの違いを彼は思い知らされる。
フィッシュヌンとやらも魚の出汁を水で薄めて味付けした物らしい。
リーオ族にとってはお茶感覚の飲み物かもしれないが、フレアからすればせめて温めて貰いたかった。
猫舌である彼らに文句を言ってもしょうがないのはわかっているが、フレアとエシュリーは渋い顔を堪えながらもフィッシュヌンを飲み干していると、家からマルマーク達が出てくる。
それぞれ手には物を持っており、それらをリナウスの前に展示するかのように並べ始めた。
「リナウス様。お待たせいたしました」
「すまないね。で、これが君の一族の宝かい」
リナウスは拳大の宝石や鞘に収まった短刀、リーオ族のシルエットの描かれた盾を眺めている。
火を放たれたせいか、中には炭化している物や、逆に運よく無傷な物もいくつか見られた。
「やはり、一番価値のあるのはこのカブトオオマグロの頭蓋骨ですがね」
そう言って、マルマークは両手に抱えた魚の頭蓋骨を高々と持ち上げる。
普通の魚と比べてかなり大きな頭蓋骨だ。リーオ族ならば加工すれば兜代わりとして使えるかもしれないが、現状鉄製の兜の方が有用である以上防具としての出番はなさそうだ。
猫が捕らえた獲物を飼い主へ見せびらかせている様子を思い浮かべながらも、フレアは首を傾げる。
「いや、それはちょっと、違うかな?」
「ええ、これじゃなかったら、どれなんですかい?」
どれなんだろうとフレアは品々を眺めていると、マルマークの次男が木の箱を持ってきたことに気が付く。
一抱え程ある木箱でこれまた火事の影響を受けていないようだ。
「それはなんであろうか?」
「えっと、これは、一族の手記、だよね? 父ちゃん」
「ええ、そうですぜ。一応、代々まで残しておけ、と言われ恨みつらみがぎっしりと書いてあるような、見ていて面白いものじゃないですぜ」
マルマークが嫌々肩を竦めるのに対し、リナウスは興味津々といった様子だ。
「いや、これがもしかすると、もしかするかもしれない。借りてもいいかい?」
「え、構いませんが」
リナウスは木の箱の蓋を開けると、そこには短冊状の木の板に文字が刻まれた束がぎっしりと収められているも、半分以上が焼けており見るからに解読の難しい物も多い。
「箱だけは新しくしたんです。前の箱は半焼してしまいましたからね」
「なるほどね。それにしては結構な量だな」
「ええ、執念の賜物とやらですぜ」
「マルマーク。こいつの存在を他にも誰か知っている者はいるかい?」
「いやあ、結構いますかね。フレア財団での飲みの時に何人かへ口にした記憶もありますし、少なくともリーオ族で知らない奴はいませんね」
「そうかい。持ち帰って読むとするか。では奥方とご家族の皆。私達はこれで失礼しよう」
「今度はお土産を持って帰るからな~」
「皆、また会いに来るからね」
「プライベートで遊ぶに来たいものであるな」
フレアがそういうと、マルマークの家族は皆深々と頭を下げて、フレア達を見送った。
ロバート君の元へと戻り、屋敷へ向けての空の旅が始まった。
「リナウス様。それを異端狩り共が狙っていたんですかい?」
「確信はないさ。だが、リーオ族が他の亜人達と圧倒的に違うのは、異端狩りに対する執念だ。何かしらの手掛かりはある、と期待しておくさ」
「期待、ですかい。オイラもそうさせて貰いますかね」
「そうしてくれたまえ。……ん?」
「リナウス? どうしたの?」
「ちょいと、こいつを持ってくれたまえ」
「え?」
フレアはリナウスから渡された木の箱を受け取っていると、リナウスは飛行しているロバート君から――唐突に身を投げ出した。
マルマークの一家はとても可愛らしいですね。
最後にリナウスがとんでもないことをしておりますが、一体何があったのでしょうか?
面白いと思いましたら、いいねやブックマークをしていただければ幸いです。
それでは今後ともフレアとリナウスの活躍をお楽しみに。




