第六章「分岐」その8
前回、フレアはセインと共に彼女の故郷へとやって来ました。セインとその両親の感動のご対面からの続きとなります。
先程の囁きは一体何だったのか?
フレアは急いで返事をする。
「あ、ごめん。ぼんやりしていたよ」
「申し訳ございません。その、お話が長くなってしまいまして――」
「いや、いいんだよ。ところで、しばらくの間実家に泊ったら?」
フレアの提案にセインは唖然とする。
暫くの沈黙の後、彼女はこう口にした。
「クビに?」
「いや、違うから。お休みをとっていい、ということ」
「え? どうしてでございますか?」
「普段、財団を支えてくれているからね」
本当に休んでいいのでしょうか、と不安げなセインに対して、フレアはこう告げた。
「僕はセインがうらやましいよ」
「そ、そうでございますか?」
「僕も、君のような素晴らしい両親が欲しかった」
「フレア様?」
「だからさ、親孝行をするようにという代表取締役からの指示でどうかな?」
「指示、ですか?」
「そうだね。一週間後ぐらいに迎えに来るよ」
「了解いたしました!」
セインはにこやかに手を振りながらも、母と父の手を引っ張りながら皆と合流している。
きっと今日の夕食のことでも話しているのだろう。
ただ、振り返りざまに見てしまった、テューが自身の喉元を片手で絞めるようなポーズが気になる。
よもや中指を突き立てる的な意味合いなのか。
フレアがその場を去ろうとすると、セインが何かに気づき、猛ダッシュでフレアの元へ接近する。
「フレア様! お一人で大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だって。目印もあることだし」
「いえ、でも」
「僕を信用してよ、それじゃあね」
フレアは別れを告げて、足早にその場を去る。
トンネルを抜けてから、彼は鼻歌交じりに進んでいく。
木々の目印を探し、それを元にロバート君が待っている場所を目指して歩き出す。
意気揚々と数十歩ほど進んでから、彼はピタリと立ち止まった。
「帰り道はどっちだろうか?」
あれだけ格好をつけてすごすごと戻るわけにもいかない。
山で過ごした時間は長いため、そう簡単に迷う訳がない。
彼にはそんな自信があった。
しかし、根拠のない自信というのは単なる慢心であり、過ぎた慢心が破滅へと導く序章栂なっていることに彼は気が付いていなかった。
そして、山の中を彷徨っていくうちに彼は気が付いてしまった。
完全に迷ってしまった、と――。
自分がどこにいるのかすらわからず、目印を探そうにもどこにも見当たらない。
そもそもセインの視力が優れていたからこそ、簡単に木の幹に刻まれた目印を見つけられたのだろう。
同じ風景が延々と続く自然の作り出した迷宮。
焦りと苛立ちの双子に唆され、前進と後退を繰り返し、彼は泥沼の底へと引きずり込まれているのを実感した。
ここで迷っている場合ではない、早く戻らなければ――。
彼は彷徨い続けるも、出口どころかセインの里にすら辿り着けなかった。
途方に暮れて朽ちた倒木に腰を下ろし、木の葉の天蓋から零れる太陽の光を見ながらも、彼はがくりと肩を落とす。
このまま死んでしまったら、さぞかし情けないだろうな……。
彼は自虐気味に笑っていると、何かが近づいてくる気配を感じた。
反射的に護身用の杖を取り出すも、それが無意味であることを彼は即座に理解した。
何故なら迎えに来たのが、黒衣を纏った異法神だったからだ。
「リナウス?」
「助けを求められたから来たのだがね。迷惑だったかい?」
真っ黒なフリルを翻しながらも、肩を竦めている。
その姿を見ていると、安心と不安が同時にフレアの肩を叩いてくる。
「全然意識していなかったよ」
「ふふ、無意識のうちに助けを求められるとは光栄なものさ。さあ、とっとと帰ろう」
メイド服は森林での救助活動にはどうみても不向きであるが、リナウスはそんなことを気にすることもなく藪の中を進んでいる。
不思議なことに服の裾が枝に引っ掛かることすらなく、さらにリナウスは呑気にカタログを読んでいる有様だ。恐らくは新しい衣装でも考えているに違いない。
「リナウス。ごめん。迷惑をかけてしまって」
「ふふ、気にしないでくれたま。さあ、こっちだ。ご主人様」
あまり有難くないご主人様呼ばわりに、フレアは力なく笑う。
本当はリナウスなりの気遣いに感謝すべくもっと大きな声で笑いたかったが、いざ目の前にしてしまうとどうにも声がかすれてしまう。
ロバート君が待っていた岩場は思っていた以上に近く、ロバート君は彼を視認するやいなや待ちくたびれていた、とばかり牙を剥く。
「ごめんごめん」
フレアは謝りながらもロバート君の頭を撫でる。
身体の鱗を見てみると、アリのような小さな虫が何匹も這っている。
竜の鱗の上で冒険を繰り広げているとは夢にも思っていないだろう。
それらを優しく手で払い終えると、ようやくロバート君は機嫌を取り戻したらしく、背中に乗るように翼を上げ下げする。
フレアとリナウスがロバート君の背の上に乗ると、屋敷まで目指して空の旅が始まった。
「大丈夫かい?」
「うん、大丈夫だよ。それよりも、ロバート君も心配させてしまったよ」
「あとで歯磨きをしてあげればいいさ。気に入っているようだから」
「ああ、それがいいかな」
大人しく大口を開けているロバート君の顔を思い出しながらも、フレアはクスリと笑う。
「ロバート君もいい子なんだけどさ、ただヤンチャというか……」
「確か、間違って君の護身用の杖を飲み込んでしまって、それを強引に取り出そうとした君が酷い目にあったということもあったね」
「危うく腕ごと飲み込まれるところだったよ。リナウスが助けてくれなかったら……」
そこまで口にして、フレアは言葉を詰まらせる。
そして、恐る恐ると言った様子でリナウスに話しかけた。
「いつも思うんだ。リナウスはどうして僕を嫌な顔一つせず助けてくれるの? 今回の迷子は明らかに僕の不注意だというのに」
「誰だって間違いはするさ。大方、つまらない意地でも張ったんじゃないかね?」
リナウスのニヤニヤとした笑みに、フレアは思わず顔を赤らめる。
「そういう意味じゃないんだ。文句も言わないあたり、変というか」
その言葉に対して、リナウスはポンと両膝を叩く。
「君に愛想を尽かすということかい? それはないさ。最も君が私の助けを不要というのならば別だがね」
「なおさら変だよ。だって、リナウスは凄い力を持った神様なんだから。その、人間の召使いみたいになっているというのは……」
「おかしいかい?」
「うん。丸一日かけて岩盤をくり抜いて井戸を掘ったり、燻製作成場での火事が起きた時に備えて、わざわざ独自の消火器も発案してくれたり――」
「もう少し気楽に考えたまえ。誰かが君のために魔法のランプで願いを叶えてくれた、とでもね」
「もっと変だよ。だって、君と出会う以前は僕を気遣ってくれる人間なんて誰一人いなかった、いなかったんだ……」
人間は社会の歯車にしか過ぎないと言われているが、中にはその歯車の一部にすら入れて貰えない人間もいる。
フレアがまさにその一人で、社会の外から歯車となって組み合って稼働する様子を見続ける他なかった。
それが羨ましいかどうかは別として例え歯車であろうとも、彼からすれば人間扱いされるだけでも贅沢なものだと思っている。
彼がリナウスの様子を見てみると、風で靡く真っ赤なスカーフを指先に絡めて遊んでいた。
スカーフの端はヨレヨレになり、色もすっかり落ちてしまっているが、それでもまるで自分の身体の一部であるかのように、リナウスは柔らかな笑みを浮かべつつも愛でている。
その光景に見入ってしまいそうになるも、彼は呼吸を整えてから尋ねた。
如何でしたか?
どうしてリナウスはフレアを助けてくれるのでしょうか?
次回は物語の起点となる重要な謎が明かされる、かもしれませんね。
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それでは今後ともフレアとリナウスの活躍をお楽しみに。




