第五章「不穏」その5
リナウスが助けに来てくれたのはいいですが、かなり機嫌が悪いようです。
さて、一体どんなことが起きるのでしょうか?
音もなく現れるのは不気味だが、それよりも不気味なのは見上げるほどの大きさだった。
外見はムカデとカマキリを強引にかけ合わせたような姿をしており、銀色の外骨格も合わさって機械と錯覚してしまいそうだ。
その複眼は眼下にいる者達を見下ろしており、虫の苦手なエシュリーは蛇に睨まれた蛙のごとく固まっていた。
突如現れた巨大な異形に対し、敵も味方も身を強張らせる。
ヘイクス族も戦意を喪失したのか茫然と蟲を見上げており、特にアトルスは目を回していた。
異端狩り達も同様な状態だが、逃げることすら忘れているのか、そもそも足腰を抜かしてしまったらしく、岩のようにピクリとも動こうとしない。
蟲は襲い掛かりこそしないものの、リナウスの命令さえあればすぐさま動くだろう。
そして、リナウスはポンポンと大きく手を叩き出す。
テストのお時間は終了だよ、と告げる残酷な教師を彷彿とさせる笑みを浮かべながらも。
「諸君。悪いね、急に来てしまってね。とりあえず武器を捨てたまえ」
その一言に従わない者は誰一人おらず、素直な行動にリナウスも嬉しそうに頷く。
「よし、それじゃあ皆。ここへ集合したまえ。敵も味方も関係なくね」
リナウスはそう口にしてから、再度共通言語とは異なる珍妙な言葉を発する。
ヘイクス族が反応した点から、彼らの使っている言葉であるが、あまりにも発音が変わっており、動物の鳴き声のようにユーモラスだ。
思わず笑ってしまいそうだが誰も笑うに笑えない緊迫した空気の中、一同は一斉にリナウスの元へと集う。
勿論、リナウスの後ろには蟲がおり、皆の様子をじっと伺っている。
逆らう者がいないかを見張っているらしいが、そんなことをしなくても逃げ出す者はいないだろう。
「さて、正座をしたまえ。おっと失礼。フレア、ヘイクス族以外の皆様に正座をご教授してくれたまえ」
「正座? ああ、正座ね」
リナウスが何を企んでいるのかを察しながらも、フレアはメルタガルドで正座を行う慣習はないことを思い出す。
石やら木の枝が転がる地面に正座をさせるのは屈辱的な気がするなと考えつつも、彼が正座のやり方を教えると一同は恐る恐ると地面の上へと正座した。
「何が始まるのでございますか?」
セインとフレアは正座の対象外であるらしく、二人は奇妙な気分で正座をしている一同を見守るしかなかった。
「お説教だよ」
「せ、説教ですか? 異端狩りと一緒に?」
「うん。その方が反省出来るからだと思う」
フレアの言う通り、リナウスは上から目線でこう語り始めた。
「はて、この度の戦いは実に酷いものだった。まる子ども同士の球技大会でも見ているような気分だったよ。まずは反省点といこう。エシュリー、何が悪いと思う?」
「わ、私であるか!?」
エシュリーは飛び上がらんばかりに驚くのに対し、リナウスはただただ黙っていた。
これはまず何が悪いかを自覚させる方針だろうか。
彼女もそれを理解したらしく、頷きながらもこう答える。
「そうであるな。やや無謀であったと」
「やや、ね……」
リナウスが指を鳴らすと蟲がエシュリーへと頭部を近づける。
蟲の口には一対のハサミ状の器官が見られ、そこで獲物の肉を細かく刻むのだな、とフレアは率直な感想を抱く。
本当ならば身を小さくして震えるのだろうが、極度の恐怖のせいで感情が吹っ飛んでいるようだった。
「す、す、すまなかった! 以降は気を付けますが故に! はい!」
「釣り野伏を警戒せずに突っ込むのは愚の骨頂さ。サジルタ族とヘイクス族の皆様方も無鉄砲な突撃は止めたまえ」
サジルタ族とヘイクス族達が力強く頷くのを目にして、リナウスも少し機嫌をよくしたようだ。
「次は、異端狩りの皆さんだね。はて、どうしてこんな大勢でお越しくださったのやら。責任者は挙手してくれたまえ」
すると、異端狩り達は一斉にざわめきだす。
フレアが耳を澄ましてみると、どうやら誰が責任者か決まっていないようだ。
これでは統率が取れるわけもなく、単純な数によるゴリ押し戦法を取るしかないだろう。
「こりゃあ、困ったものさ。じゃあ、そこの人でいいか」
リナウスは異端狩りの中で一番年長らしき男を指さす。
「名前は?」
「ム、ムバンです」
ムバンは白髪の混ざった黒髪を右手で撫でながらも答える、
その左手は胸元を押さえている辺りからも、極度に緊張しているのだろう。
「ムバン、ね。早速聞きたいんだが、お前達の目的はなんだい?」
「え、その、実は――」
乾いた声でごにょごにょと答えるが、それがリナウスの逆鱗に触れてしまったようだ。
リナウスが足元に落ちている得物として用いられたであろう鍬を掲げると、鍬は瞬時にしてバラバラに砕け散った。
「ひっ――」
小さな悲鳴が重なり合うも、暫くするとまた重い沈黙が訪れる。
散らばった鍬の破片を見てみると、金属製の刃がねじ切れており、人間の胴体も瞬時に解体が可能であることを仄めかしていた。
「とっとと、答えてくれたまえ」
苛立つリナウスに呼応するかの如く、蟲はムバンへと狙いを定める。
「ひっ! その、手紙でここに来て亜人達を襲うようにと指示が――」
「手紙だって?」
フレアが眉をしかめると、隣にしたセインが首を傾げる。
「フレア様?」
「奴らのよくやる手口なんだ。黙って聞いていればわかるよ」
フレアの言葉が聞こえていたのか、リナウスは面倒くさげに問いかける。
「その手紙とやらには、金一封とオースミム教の教会直々の封蝋がされていたんだろ?」
「は、はい。その通りです」
何故そのことを知っている、と言わんばかりにムバンは大きく目を開く。
「封蝋とおっしゃいますと、封をする際の印章でございますね。それがオースミム教のものだとなりますと……」
「教会の印章である以上、各村や街の司祭といった少なくともそれなりの地位のある者が送っているみたいだけど、偽造の可能性もあるからね」
手紙の送り主がわかればと思うこともあるが、そう上手く行かないことをフレアはよくわかっていた。
「その手紙は手元にはないのだろう?」
「はい! 手紙を読み終えたら焼き捨てるようにと書いてあったので……」
「ちっ、いつもの手口かい」
リナウスは吐き捨てながらも指を鳴らすと、蟲が煙のように霧散し、あっという間にその姿を消してしまった。
そして、改めてムバンの方を向くと、短くこう告げる。
「もう帰っていい」
「え?」
「帰れといったのだがね。それとも、居残り授業でも受けたいのかい?」
「わ、わかりました!」
異端狩り達は立ち上がるも、慣れない正座のせいで足が痺れているらしく、その足取りは生まれたての小鹿のように弱々しい。
「もし、また現れたらどうなるか。さっきの蟲は町一つを楽に壊滅できることを覚えておくがいいさ」
妖しい笑みを浮かべるリナウスを尻目に、異端狩り達はムバンの後に続くように転びそうな勢いでその場から逃げ出していった。
フレア達は何とか命拾いをしましたが、リナウスの力には謎が多いですね。
面白いと思いましたら、いいねやブックマークをしていただければ幸いです。
それでは今後ともフレアとリナウスの活躍をお楽しみに。




