第一章「始まり」その2
異世界に来たばかりのフレアは大変戸惑っていた。
連れてきてくれたリナウスはこの世界について詳しくないとのことで、どうにも不安が拭えない。
そんな中、フレアに近寄ってくる生き物が現れ――。
やがてフレアの前に現れたのは珍妙な小動物だった。
ウサギと猫を合わせたような生き物で、鱗の生えた爬虫類のような尻尾が特徴的であった。
「あ、可愛いな」
フレアが思わず手を伸ばそうとすると、その小動物は甲高い声を上げる。
どうやら威嚇しているようで、彼はとっさに伸ばした手を引っ込める。
もしかして、本当は獰猛な生き物なのではと思い、彼はその場から後ずさるようにして立ち去った。
幸いにも小動物は襲っては来なかったが、彼はあることに気がつく。
「よく考えると、異世界は危険なんじゃないかな」
フレアの脳裏には、竜やら人食い鬼などの姿がチラつく。
小説の主人公ならば苦も無く倒せるだろうが、フレア自身非力な少年だ。
お世辞にも彼の体育の成績は良くない上に、走るのだって女子よりも遅かった。
「リナウス、まだかな」
姿はともかくとして言動から何かもが怪しいが、この世界ではリナウスしか知り合いがいない以上、フレアはリナウスに頼らざるを得ない。
万が一、リナウスの気まぐれで放っておかれたら――。
フレアはそう考えるだけで、血の気がどっと引くような恐怖を不安に苛まれた。
いつも両親に放置される時とは別の恐怖だった。
例えるならば無人島に放置されるのと同じ、いやそれ以上のものに違いないとフレアは確信した。
彼が身体を小刻みに震わせていると、どこか遠くで遠吠えが聞こえる。
犬の遠吠えを耳にしたことはあるが、その数倍は野太く、どちらかというと人の声に近い気がした。
本能に従い、フレアは廃墟の壁際に身を潜めてじっと身を丸める。
音を立てないように行動することに関しては、同年代で彼の右に出る者は早々いないだろう。
彼の両親は音に敏感であり、ちょっとした足音だけでもすぐに苛立つ。そのため、自然とフレアは独学ながら足音を忍ばせる歩き方を身につけていた。
彼は静かに歩く時いつもこう考える。
どうして、僕だけがこんな生き方をしなくちゃいけないのだろうか、と。
クラスメイトが楽しそうに家族の話題を盗み聞きしていると、尚更自身が不憫な人生を送っているということを思い知らされる。
「復讐、か」
フレアはリナウスの言葉を思い出す。
誰かにいたぶられるためだけに生きているわけではない。
そう考えるだけでも、フレアは頭にわずかだが怒りが迸ったような感覚に陥る。
「ん、やっぱり復讐にするのかい?」
「わっ!?」
すぐ隣で声がしたため、フレアは驚きの叫びを上げる。
声の主は勿論リナウスであり、すくみ上がっている彼を見てクスクスと笑う。
「おっと、失礼。サプライズはお嫌いだったかね」
「い、いつ戻ってきたの?」
「ついさっきさ。で、どうするの? 異世界転生は中止して、君の復讐譚の開始をするかい? 今ならサービスで憎い野郎共をほどよく叩ける棒を付けるよ」
その棒とやらには釘や棘が大量に打ち付けてあるに違いない。
フレアは呆れながらもこう返す。
「復讐はよしておくって。で、住む家が見つかったの?」
「ふふ、ちょいと遠いけれども、君にピッタリの物件さ。早速行ってみるかい?」
「え、うん」
フレアは軽く返事をしながらも、どこか嫌な予感を覚えた。
そしてその嫌な予感は彼の期待を裏切ることなく的中してしまうのだった。
「えっと、徒歩でどのくらいの時間がかかるの?」
「そうだね。頑張ればあと二、三時間かな」
「そ、そんなに!?」
「手頃な物件が近場に見当たらなくてね。折り込み広告がないのだから仕方ないさ」
フレアはリナウスの常識外れの俊敏さを思い出す。
神だからこそ人の数倍は早く移動できるのだろうか。
どうにも納得がいかないままフレアはリナウスに案内されるまま、目的血を目指して歩き出す。
かつてこの辺りは街道だったようで、その痕跡を消そうとするかのように青々とした草が伸びている。
時折吹く風が草原を薙ぎ、草木を震わせる音が四方八方から吹き渡る。
その風はすがすがしく、ゴミゴミした都会では到底味わえない圧倒的な自然の洗礼にフレアは感動を覚えた。
今まで自分が住んでいた場所がいかに狭い場所だったのか……。
そんなフレアのはしゃいでいる様子を見て、リナウスは目を細めながらも見守っていた。
彼が自然と戯れながらも進んでいると、リナウスが何か面白そうな物があるとそれを指し示す。
「フレア、見てみたまえ。可愛らしい鳥がいるぞ」
「あ、本当だね。あんなにカラフルなんだね」
フレアは樹上にいる小鳥の群れを眺めながらも、率直な感想を口にする。
赤と橙の派手な尾羽にフレアは目を引かれたが、細長い嘴にも興味を引かれた。
「あの嘴もまた面白いね。恐らくは花の蜜を吸うためにああいった感じに進化したのだろうね。いやはや、実に興味深いものだよ」
楽しそうに話すリナウスを見ると、本当は神ではないんじゃないかとフレアは錯覚してしまう。
「リナウスは動物とかを見るのは好きなの?」
「ふふ、そうだよ。生命とは迷い苦しみながらも逞しく生きている。実に尊いものさ」
リナウスが遠くを眺めながら語る姿を見ていると、何か思い入れがあるのだろうか。
それからリナウスの蘊蓄を耳にしながらもフレア達は歩き続ける。
フレアは他人と会話した経験が少ないせいもあってか、リナウスの話が楽しくて仕方なかった。
彼は両親とロクに会話する機会もなく、質問をしても適当に返され、時には何も喋るなと怒鳴られることもあり、彼が寡黙な性格となる原因でもあった。
まるで散歩をしているかのような気分であり、自然に触れる楽しさもあり彼の歩幅も自然と軽くなる。
しばらくすると、フレア達の前方に森林が現れる。
薄暗く不気味な雰囲気が漂い、近づくのすらためらってしまいそうになるも、普段から自然と触れあう機会の少ないフレアはどこかテンションが上がってしまう。
「ここから先は山道だ。用心したまえ」
リナウスの言葉通り、進むにつれて徐々に傾斜が高くなり、木々が行く手を塞ぎ始める。
フレアはおっかなびっくりしながらも、リナウスの後を追う形で進んでいく。
道がコンクリートで綺麗に整備されているはずもなく、背丈の小さな彼の足では傾斜のある山道を登るのは苦難の業だった。
歩いては休み、歩いては休みを繰り返していると、リナウスはこんな提案をする。
「私がおぶってあげようか?」
「いいよ。ちゃんと歩くよ」
「そうかい。そいつは殊勝な心がけさ」
リナウスはどこか誇らしげな顔をする。
それはフレアの成長をどこか喜んでいるようでもあった。
リナウスは目の前を塞ぐ枝葉を除け、なるべく通りやすい場所を案内する。
また、フレアの体力を心配してか、木を無理矢理くり抜いて自作したと思われる木製の器にどこからか汲んできた水を彼に手渡す。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。まあ、ゆっくり行こうじゃないか」
リナウスにはやや不審な言動が多いものの、フレアからすれば少なくとも両親と比べればとても温厚だ。
むしろどうしてここまで優しいのかが不思議でならなかった。
山道を歩いている最中、何やら大きな影が藪の中からぬっと出てくる。
あまりの唐突な出現に対し、フレアは悲鳴を上げそうになった。
「リナウス!?」
クマに似た大型の野生動物であり、爛々と輝く眼をしている。
間近で見た猛獣の眼を目にしてフレアは腰を抜かしそうになった。
襲われたら一環の終わりだ……。
フレアが涙目になる一方で、リナウスはつまらなそうに鼻で笑う。
「悪いがお帰り願おうかね。もしかして縄張りだった? 失礼、表札が見当たらなくてね」
怒るでもなく面倒くさそうに声を掛ける。
それこそ訪問のセールスを断るかのように。
特段脅すような口調でもないというのに、獣は一目散に逃げ出してしまった。
普段から歩き慣れているはずの道を踏み外してつまずくも、それでも走ることを止めなかった。
フレアは安堵のため息をついてからリナウスの方へ顔を向ける。
「た、助かったよ」
「やれやれ、図体がデカい癖に情けないもんさ。さあ、先を急ごう」
「あ、あのリナウス?」
「どうしたんだい?」
フレアはいつになく興奮していた。
命の危機に瀕したせいで心臓が高鳴っているらしく、彼は震える足を抑えるためにその場で踏ん張る。
「僕も、強くなれるかな?」
「ふふ、当然さ。まあ、身体を鍛える必要はあるがね」
「鍛えるの?」
地道に鍛えれば強くなれるのかなとフレアが考えていると、あることに気が付く。
「あの、戦うことになるのかな?」
「人生とは戦いの連続だと思うのだがね」
「そうじゃなくて、敵とかだよ」
フレアが頬を膨らませていると、リナウスはなあなあと言った様子で謝る。
「いやいや、すまないね。そもそも、わざわざ君が手を下さなくても面倒なのは私がパパッと片づけるさ。真の強者は自分の手を汚さないと思うのだがね」
「でも……」
「ん? そんなに自分で暴力を行使したいのかい?」
「あ――」
そう言われて、フレアは初めて気が付いた。
今まで彼は暴力を振るわれる側だった。
殴る蹴る等の肉体的な暴力は勿論、罵詈雑言による精神的な暴力を受け続けてきた。
暴力を振るう側の何とも言えないあの愉悦の表情を思い出し、彼は思わず身震いした。
同じ血の通った人間だというのに、あんな残酷なことが出来るなんて。
そして、自分もまた暴力で快楽を得ようとしていることに、彼は心の底から恐怖した。
「や、やっぱりやめておくよ」
震える声で断るも、フレアは自分の心の中に生まれた闇を直視せざるを得なかった。
力を持つ立場となれば、自分も醜悪な存在と化してしまうのか――。
フレアはリナウスだけには悟られぬよう、彼は唇をギュッと結び何とか無表情を保とうと試みた。
「そうかい。まあ、君の好きにしてくれれば私は構わない。さあ急ごう」
意気揚々と前進するリナウスの後をフレアは必死に追いかける。
木々の合間から見えていた日は傾きかけ、夕闇が空を包み込もうとしている。
早く目的の場所に着かないのだろうかと、彼は焦りながらも足を動かすと、木の根に躓きそうになる。
「大丈夫かい?」
「ご、ごめん」
「あともうちょっとだ」
「うん」
「おっと、冗談さ。着いたよ」
「え?」
疲れのせいかフレアは膝立ちの状態で呼吸を繰り返して、呼吸を整える。
ゆっくりと身体を起こして周囲を確認してみると、確かに山小屋がポツンと佇んでいた。
早速異世界の洗礼を受けたフレア少年。
強くなりたいと思ってみたものの、他人に暴力を振るうのは苦手なご様子。
でも、リナウスがいれば戦う必要もないようです。
さて、次回は山小屋から物語が開始されます。
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それでは今後ともフレアとリナウスの活躍をお楽しみに。