第二章「決断」その7
色々考えた末に、フレア少年が出した決断とは一体――。
「ねえ、リナウス。その、実はお願いがあって……」
「ふふ、覚悟を決めたかね?」
フレアは考えていたことをぶちまけるかのごとくリナウスへと話す。
普段口数の少ない彼ではあるが、この時ばかりはまるで堰を切ったかのように喋り出す。
時々同じ言葉を何度も口にしてしまうが、リナウスはそれすらも笑顔で受け止めてくれた。
「なるほどね。君も中々面白いことを思いつく」
リナウスは軽く口笛を吹いた。
「私で良ければ喜んで力を貸そう」
「リナウス、ありがとう……」
フレアは気づかれぬようそっと目尻を拭う。
「ふふ、どうということはないさ」
やがて日も暮れ始め、黄昏時が近づいてきた。
夜に動く獣達が現れる前に帰ろうとフレア達は急ぐ。
やがて森の中を進んでいると、二人がモーリーの家へと辿り着いた。
窓からは灯りが漏れており、モーリーがフレアをずっと待っていたのだと思うと、どこかいたたまれない気持ちだった。
フレアが見慣れた扉をノックすると、モーリーがバネからはじかれたかのような勢いで飛び出してきた。
「フレア、大丈夫?」
「うん。はい、頼まれた岩塩」
フレアがモーリーにバスケットを手渡していると、背後からリナウスがひょっこりと顔を出す。
「フレアならば無事さ。何せこの私がいたのだから」
フレアの後ろにいたリナウスの姿を目にして、モーリーは小さく悲鳴を上げる。
よもや、また現れるとは思わなかったのだろう。
「おやおや、感激してくれなくてもいいというのに。それで、頼みがあるのだよ」
「頼み、ですか?」
緊張か、それとも恐怖のせいか、モーリーは呼吸を荒くしているのだが、そんなことを気にする様子もなくリナウスは話を続ける。
「まず、この少女を保護してくれたまえ。酷い外傷はないみたいだが、一応手当ても頼むよ」
「その亜人の子でしょうか?」
「そう。嫌ならばいいんだがね」
「えっと、モーリーさん。わがままで申し訳ないんだけれども……」
「た、大切に保護いたします」
モーリーが深々と頭を下げる様子を見ていると、リナウスのことを心底恐れているのだとフレアは実感した。
「そいつは助かるよ。では、まずこの子を休ませられる場所と、そうそうフレアもお腹が空いたんじゃあないかな」
「え、そうだけれども」
「では、休憩だ。今日は疲れただろうし」
リナウスが取り仕切る中でフレアとモーリーは即座に少女のための寝床の準備にかかる。
その前に彼は岩塩の入ったバスケットをモーリーへと手渡すと、小さくありがとう、という返事だけを貰った。
家の中にはモーリーが作ったであろうシチューの香りが立ちこめており、彼は空腹を覚えながらもせっせと物を運ぶ。
やがて急ごしらえで部屋の隅に作った寝床へ少女を寝かせてから、モーリーが食事の準備を始めたので、彼もまた食器の準備をする。
すっかり愛着の湧いた食器を並べ終えてから木製の食卓を撫でていると、モーリーと過ごした日々が懐かしく思えてきた。
食事の時間ですら苦痛だった昔と違い、ここでの食事は格別だったと彼は思い返す。
当分の間は質素な食事になるのだろうと考えるだけでも彼の腹の虫はうるさく抗議の声を上げ出す。
フレアは目の前に出されたシチューを食べ始めるも、何故かいつもと違って美味しく感じられなかった。
普段ならば彼とモーリーは楽しく雑談をしながら食事をしているが、この時ばかりはまるで誰かの死を悼んでいるかのように沈んでいた。
何とかシチューを胃の中に収めると、彼は恐る恐るモーリーへ話しかける。
「あの、モーリーさん。実は――」
「実は、どうしたの?」
フレアはちらりとリナウスに目をやる。
リナウスは不動の姿勢で二人の様子をうかがっていた。
「旅に出ようと思います」
フレアの言葉に、モーリーは目を白黒させる。
「急にどうして?」
「実は、今日は町で異端狩りに出くわしたんです」
フレアは異端狩りの連中と出会ったことをモーリーへと話す。
あまりにも刺激的な話であったため、途中心労で倒れてしまうのではないかとフレアは不安で仕方なかった。
どうにか話し終えると、モーリーは深く重いため息をこぼした
「あれを見てしまったんだね。同じ人間のやることじゃないさね……」
吐き捨てるように呟くモーリーを見ると、異端狩りの話を教えてくれなかった理由もフレアはなんとなく察した。
「僕はあの子を守ろうとしたけれども、何も出来ませんでした……」
フレアは部屋の隅で眠っている少女に目線を映す。
「フレア、もしかして。異端狩りと戦うつもりなの?」
「えっと、その、まずはこのクロミア大陸を見て回ろうと思っています。もっと、世界を見て、色んなことに触れて――。まずはそこから頑張ってみたいんです」
「フレア、たくさん知るというのは、それだけでも辛いことが増えてしまうんだよ? それでも、本当にいいの?」
モーリーの言葉に賛同するかのように、リナウスは無言で首を縦に振っていた。
だが、それでもフレアははっきりとした口調でこう言った。
「僕は今までずっと逃げていました。でも、もう迷いません。僕は、僕は――」
自然と涙が潤むのが理解できた。
涙で視界が歪みながらも、フレアがモーリーを見据えると、モーリーもまた細い目から涙を流していることに気がついた。
「自分の人生を全力で生きてみたいんです!」
フレアの一喝が部屋へと響く。
彼の必死な勢いにモーリーは小さく項垂れる。
やがて、彼女は顔を上げるとこう答えた。
「そう、そうなのね。私は止めないよ。でも、寂しいね」
「ごめんなさい」
「モーリー。フレアの身の安全はこの私が保証しよう」
「リナウス様。どうかお願いします」
モーリーが泣き崩れながらも、何度も何度もリナウスに頼み続ける。
大事な孫を凶悪な神の贄にしてしまっていいものだろうか……。
彼女の流す涙の量は、自分の力のなさを悔いているようにも思えてならなかった。
その晩、フレアは眠れない夜を過ごした。
時折、モーリーのすすり泣く声が耳に入り、罪悪感がこみ上げてしまうからだった。
ようやく寝付いたかと思うともう日の光が窓からこぼれており、フレアはやむなく目を覚ます他なかった。
出された朝食をじっくり味わう間もなく胃袋へ納めると、フレアは旅の支度を始める。
着替えを数着持ち、旅に欠かせない道具やモーリーから日持ちする燻製肉や木の実を革製のバックパックへと詰め込む。
そのバックパックはかつてモーリーの夫が使っていた物で、長旅に使われていたのか所々すり切れているがまだまだ現役だ。
フレアは荷物の準備を終え、外へと出る前にモーリーへと挨拶をする。
「モーリーさん、短い間でしたが本当にお世話になりました」
「辛かったらいつでも帰ってきなさい」
モーリーは深々とお辞儀をするフレアを力強く抱きしめる。
その暖かい感触に、フレアは思わず泣き出しそうになる。
「うん……」
フレアは涙を堪えつつも、小さく返事をした。
自身の母親からもロクに抱きしめられた覚えのない彼だったが、深い愛情を味わえたことに心の底から感謝した。
彼が外へと出ると、今朝から姿の見えなかったリナウスがそこにいた。
「準備は万全のようだね」
「うん。万全だよ」
フレアが背負った荷物をポンポンと叩くと、リナウスは満足そうに笑う。
「それでは、行こうか。ところで、あの子が目覚めるのを待たないのかい?」
「待たなくていいかな」
「もしかして照れているのかい?」
「ち、違うよ!」
「ふふ、冗談だよ。はて、どんな旅になるか楽しみなものだよ」
「リナウス、まずはどこへ行こう?」
「海かな。海を見に行こうではないか」
「海ね。それはいいかも」
生まれて初めて見る海はどんなものなのだろうか。
意気揚々と歩き出すリナウスの背を追うようにフレアもまた歩き出す。
森の中を縫うように吹いてくる清風を背中に浴びながらも、彼は力強く前進した――。
第二章 完
これにて第二章は完となります。
次回、三章からの始まりとなりますが、時間がやや飛びますのでそこだけご注意を。
面白いと思いましたら、いいねやブックマークをしていただければ幸いです。
それでは今後ともフレアとリナウスの活躍をお楽しみに。