第二章「決断」その5
亜人の少女を救うべく、フレア少年は努力するも敢え無く失敗してしまう。
絶体絶命の危機の前に、突如現れた存在は果たして――。
浅葱色のワンピースと黒のロングヘア、そして赤いスカーフという出で立ち。
そう、その姿は紛れもなくリナウスに間違いなかった。
そして、フレアのすぐ傍にリナウスは立っている。
別れた時と変わらないその姿に彼は涙が出そうになった。
助かったという絶大な安堵に浸るも、これから起きるであろう凄惨な光景が頭に思い浮かぶ。
何故ならば、かの異法神はさぞご立腹しているのだから。
「お、何だこのガキは?」
「こいつのお友達か?」
男達は再度声高に笑う。
これから先、どんな惨劇が起こるかわかっていない彼らを見ていると、フレアは気の毒で仕方なかった。
彼は心の中で祈ってみようとするが、よくよく考えてみるとリナウスは神だ。
どんなに祈ろうが、簡単に許してくれる訳がないことを確信してしまう。
「あのさ、私は生憎機嫌が悪いんでね。ちょいと静かにしてくれたまえ」
お淑やかそうな外見からは想像も出来ないような凛とした声が響く。
リナウスなりの人間に対する警告なのだろうが、愚かすぎる人間にはその言葉は届いてはいなかったようだ。
「おう、お嬢ちゃんよ、邪魔だからとっとと帰れよ」
取り巻きの一人が乱暴に言い放つと、リナウスはニヤリと口を歪ませる。
どうして、ここで笑ったのか――。
フレアは少し考え、そして理解した。
嘲り笑ったのだ、と。
「ふうん、そうかい。売られた喧嘩を買うのもたまにはいいさ」
すると、リナウスは何かを素早く口ずさむ。
フレアが今までに耳にしたこともない言葉だが、聞いているだけで何やら悪寒のようなものが背筋をいやらしく舐める。
何か、起きてはならないことが起ころうとしている――。
遺伝子に刻みこまれた本能が、フレアにそんな忠告を告げる。
そして、短い悲鳴が聞こえたかと思うと、少女がぐたりと倒れてしまった。
かろうじて手が痙攣している辺り、恐怖の余り気絶をしたのだろう。
彼もまた自身の耳を防ごうとしたその瞬間、男達が悲痛な叫び声を上げる。
まるでこの世のものとも思えない何かと出くわしたかのような、そんなありありとした恐怖が込められていた。
「な、なに?」
フレアが恐る恐る目を開けると、信じがたい光景が飛び込んでくる。
男達の腕の中から何か奇妙な物が生えており、それがぐねぐねと動いていた。
最初は植物か何かかと思ったが、彼は何か違和感を覚える。
どう考えても嫌な予感しかしないが、目を閉じないよう瞼を指で押さえて注視してみると、やはりおぞましい物が当たり前のように存在していた。
カブトガニに酷似した甲殻類なのだが、目がやたらに大きく、頭部には棘の生えた異様な触手らしきものが生えている。
血にまみれたその生物は身をくねらせながらも、ひたすらに彼らの腕を工具で穴を開けるかのように抉っていた。
「ひ、ひいっ!?」
ある者は喉が張り裂けんばかりに叫び、ある者は狂乱し、ある者は子どものように泣きじゃくるという地獄絵図が繰り広げられる中、リナウスは涼しげな顔をしていた。
今日もいい天気だな、と平凡な日々に満足しながらも、刺激のない日々に退屈しているような、そんな呆けた顔はあまりにも異様だった。
暫くすると奇妙な生き物はピタリと動きを止めたかと思うと、男達の腕の中へと潜り込んでしまう。
特段痛みはなかったらしいものの、これからどうなるんだ、という底知れぬ恐怖が男達の思考をむしゃぶり尽くす。
「死ぬまで君達の利き手は不自由なままだろう。私の気が変わらない内に、とっとと消え失せてくれたまえ」
実に無表情で告げ終えてから、リナウスはため息をこぼす。
「蟲はお前達の体内に潜ったままだということを忘れないほうがいい。長生きしたければ、くれぐれも善良な行動を心がけたまえ」
叫び声と共に尻尾を巻いて逃げ出す男達を尻目に、リナウスはボスへと詰めよる。
「な、何をしやがったんだ!?」
よく見るとガレイザだけは無事のようだが、腰を抜かしているのかリナウスに立ち向かう様子はない。
「ああ、神魂術という奴だよ。私が君達に元からあるものを利用して創り上げた蟲でね。中々愛嬌があるだろう?」
初めて目にした神魂術の強大さというよりもあまりにも理不尽だった。
ルールのわからないゲームに強制参加させられた挙句、一方的になぶられる。
そんな次元の違う恐怖の襲来に、フレアは嘔吐感すら覚えてしまう。
「何を言っていやがるんだ!? ふざけているんじゃねえぞ!」
リナウスは何も言わなかった。
その代わりに落ちていたガレイザの槍を無言で拾い上げる。
そして、柄の部分を左手に持ち、右手を穂先の先端にあてがう。
何をするのかとフレアが見守っていると、リナウスは右手の手のひらで強引に叩き潰した。
「な……」
あり得ない光景だ。
槍の穂先が手のひらを貫通するはずなのに、リナウスの手は傷一つ付いていない。
そして、穂先はまるで機械で押しつぶしたかのように綺麗な円盤状に変形してしまっていた。
「ひ――!?」
「これが私なりのおふざけなのだがね」
無表情のまま槍を乱暴に放り捨て、リナウスはガレイザへと詰め寄る。
彼の怯えた表情には戦意の欠片も感じられないが、それでもリナウスは容赦などするはずもなかった。
「さて、お前にも罰を下してやるかね」
「ころさ、殺さないでくれ……」
「殺す? 勘違いをしてはいけないさ。やろうと思えば先程の蟲で脳幹を食い尽くすことなんざ、私からすれば容易だということを言っておこう」
「ゆ、許してくれ! もう二度と悪さはしない!」
ガレイザはその場でどうにか膝立ちとなり、両手を高く上げる。
クロミア大陸での土下座に該当するものらしく、全てのプライドを捨て去ったかのような印象があった。
「そうか。罪を認める、というのだね?」
「そ、そうだ……」
「そいつは素晴らしい。では、とっておきの罰を与えてやろうか」
「え、え、ちょっと――」
ガレイザの制止の声に耳も貸さず、リナウスは喜々として歌うように神の言葉を紡ぐ。
すると、リナウスの手に赤銅色の棒が突如として現れた。
その先端は金属板のようになっており、また高熱を放っているのか、大気が生き物のように揺らめいている。
「そ、それは?」
「さっきも言ったけど焼き印だよ。お前達も家畜に付けているだろ?」
「や、やめてくれ、ください――」
ガレイザは引きつった顔で謝罪を続けるが、やはりリナウスに届くはずもなかった。
「大丈夫。猛烈に痛いが、死ねはしないさ」
それだけ告げると、リナウスは問答無用で焼き印をガレイザの額に押しつけた。
「ぎゃああああ!」
肉の焼ける音と耳障りな悲鳴が重なり合い、フレアはとっさに耳を塞ぐも、その残酷な音色はしっかりと彼の鼓膜へと届いてしまった。
「ふふ、我ながら良い出来だ」
男の額に付けられた肉色に焼けた印を眺めながらも、リナウスは満足そうな笑みを浮かべる。
幾何学模様の烙印にどんな意味があるかはフレアには理解できないが、何やらおどろおどろしい呪詛の類が刻まれていることを本能で理解する。
「当然、単なるオシャレな焼き印じゃないさ。お前が今までいたぶってきた者達の苦痛を与え続ける素敵なオマケが付いている」
「く、苦痛を……?」
ガレイザが激痛に顔を歪ませながらも尋ねると、リナウスは静かに語り出すも、途中で笑いを抑えきれないのか、その唇の端は漏れ出る狂喜に小さく震えていた。
「そのうち、痛みでまともに思考出来なくなる。せいぜい苦しみながらも短い余生を楽しんでくれたまえ」
「ふ、ふざけるな――!」
ガレイザが激昂したその瞬間だった。
突然悲鳴を上げたかと思うと、ガレイザはその場で大きくエビ反りの態勢を取る。
強く身体を反らしたすぎたせいか、骨の折れる音らしきものが聞こえたが、ガレイザはそれに構わず言葉にならない声を上げ続け、雷にでも打たれたかのように何度もその身体を酷く痙攣させる。
時折、自身の首元を庇おうとしたり、息苦しそうに呼吸をしている点からも、これまで残酷な私刑を行っていたということをフレアは推測する。
ガレイザは弱々しく手を伸ばして助けを乞おうとするも、激痛が手の動きを奪い、再び苦痛の沼の底へと沈められてしまう。
やがて、気絶したのか力なく大の字になって倒れ込むが、永遠の悪夢の中に溺れているというような形相をしていた。
「やれやれ、やっと静かになったか。フレア。無事かい?」
リナウスは何事もなかったかのようにフレアに笑顔を向ける。
随分久しぶりに会うというのに、フレアがリナウスの絶大的な力を垣間見たせいか、その雰囲気はどこかがらりと変わったような気がした。
やはりリナウスが助けに来てくれたようです。
そして、よくわからない力で悪者を一方的に片付けてしまいました。
次回は久々のリナウスとの会話から始まります。
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それでは今後ともフレアと、そして戻ってきてくれたリナウスの活躍をお楽しみに。