エピローグ
冷えた空気と足元を流れる下水が僕の体温を奪う。腹に穴が空き出血が酷い。魔法で抑えているが長くは持たないことが眼で見てわかる。
船底に穴が空いた船と同じ。どれだけ補っても浸水していづれ沈没する。
「うっ」
いつまでも倒れていられないと思って立って見ても腹に空いた穴と体内が酷く痛む。
腹からの出血を水魔法で塞ぎ、無属性魔法【活性化】で自己治癒力を高める。
これで少しの間なら持つ。だが限界は近い。船底に穴が空いた船はいづれ沈没する。どれだけ補ったとしてもその時は来る。
痛む腹を抑えても壁伝いに僕は進む。ひたすらある場所を目指して。
傷だけならとっくに意識を手放していた。僕の意識を繋ぎとめていたものは別の痛み。
それはやつに飲まされた《焼喉》という毒。この毒は喉や食道を焼き服用者をきっちり1時間後に死亡させる毒らしい。
肺で呼吸すると焼けた食道を凍てつく空気が通過して感じたことのない痛みが内側から刺激する。
だがそれでいい。いいんだ。
生きられる時間はもう1時間もない。出来ることは限定的。僕は瀕死で奴は無傷。
まともに戦っても勝てない。そんなことは承知の上。だからこの策に全てを賭ける。
どうしてこんなことになったんだ……
後悔の気持ちはたくさんある。あれをやっておけばとかこうはならなかった。そういったたらればの気持ちが死の淵であっても頭に満載だ。
一歩が重く遅く短い。壁に手をついても進まない。
体は弱く、頭は良いせいで自分の思った通りに動かない体の貧弱さが情けない。
体でも鍛えておけばよかった……
もっと戦える能力があればよかった。王都でぬくぬくと生活することに慣れて荒事には不得手だった。
奴に一番早く気づける立場だった。嫉妬と疑念が共存したせいで先走ってしまった。
いつもなら迂闊に行動しないのに……
過去をひた隠し現状に満足した。思いを告げないことが彼女の幸福に繋がると妄信した。 もしもあの日あの場所に戻れるなら――もう一度やり直せるなら――今度は間違えられずに生きられるかもしれない。
王都にいられないなら他所に行けばいい。選択肢はいくらでもあったのだ。
無限にある選択肢の中でリスクを取らず、安定を望んだ。自分が傷つかず、矢面に立たず、責任を取らないでいい都合のよさを錬金術師という職業に見出した。
思い出したかのように懐から先日作ったばかりの道具《増殖する偽肉》を腹に当てる。
この小さな肉塊は本来致命傷を負った人の応急処置のためにある道具だ。一時的に失われた肉体の一部を補填し、対象者の生命活動を補助する道具。
この道具は戦争に役立つため、優先的に作成しておくことが指示されていた。一部を勝手に拝借して個人研究に充てるつもりだったが、こんなにも早く使う機会が訪れるとは……
錬金術師フェーデ=フォルミドの最後の錬成物がこんな肉塊だとは思ってもみなかった。命を助けられているだけありがたいが。
【活性化】だけを自分にかけて体を壁にぶつけながらも前に進む。
一歩を踏み出すことは容易ではない。それでも僕は歩いた。僕を突き動かしたのは奴への憎しみ、彼女への降伏を願う気持ち、なによりこんな自分の末路に対する惨めさだ。
得られるものが少ない人生だった。生まれが特殊だった僕は普通の生活が素晴らしいものだと思っていた。そう信じれば僕が救われる気がした。何も変わってないのに、何かを変えた気になれた。
もう残されていない選択肢。八方塞がりになったとき、やっと僕はこのどうしようもない人生を変えたい気になった。でも僕の足取りくらい遅い。
残りの1時間で出来ることをかき集め、脳をフル稼働させて出来上がった即興にして継ぎ接ぎを繋ぎ合わせた策。成功する確率はいかほどか。
この策を実行すれば僕は死ぬ。でもいい。
例え僕は死ぬとしても必ず奴に届けて見せよう、この一矢を。
錬金術師として、一族の生き残りとして、そして一人の男として。
笑っていられるのも今の内だ。僕の一族は執念深い。
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