あの頃の僕達は
中学校時代の友人が死んだ。ガンによる5年の闘病の末亡くなったと連絡があったのだ。
僕は高校卒業後に大学への進学の為に上京をしており、その頃から自然と地元の友達と遊ぶ事は無くなっていた。しかし、小学校高学年から高校卒業までの8年ぐらいの間、僕達は親友と呼べる間柄であった。
僕の育った町は関東にある小さな田舎町で、当時はまだいくつかの駄菓子屋やプラモデル屋等があった。その店先に置いてあるゲーム機が僕達の青春には欠かせないものとなる。まずは、僕達の地域にあった駄菓子屋を紹介したいと思う。
まずは僕達の地域の子供達が一番最初に行く駄菓子屋「おぎ」。ここにはゲーム機などは無く、昔ながらの駄菓子と100円で買える鉄砲のおもちゃや、ばら売りの花火などが売られていた。今では考えられないが、当時はライターやたばこ等も子供でも容易に買う事が出来た。レジ前に座る「おぎのおじさん」は太っていて温厚。某有名漫画に出てくる最長老様をイメージしていただくと分かりやすいと思う。
この「おぎ」と対をなすのが、「さがわ」。今思えば「さがわ」は元々小さな酒店で、近くに大きな公園があった事から駄菓子なども置いていたのだと思う。「さがわ」では、店内の冷蔵庫に缶のジュースが売っており、「おぎ」に売っている30円等のジュースに比べると高い為、小学校低学年の頃には少し背伸びをした店だった。また、このさがわは大通りに面していない為、子供が良くさがわの自販機で煙草を買っていた。
次に小学校低学年当時には「イケている駄菓子屋」と認識していたのが「いくたや」。「いくたや」は「おぎ」と同様に駄菓子中心のお店なのだが、小さなゲーム機が1台だけ置かれていた。中学生がそのゲーム機で格闘ゲームをしながら、カップラーメンを食べている姿は小学生達の憧れの的だった。店の前には公衆電話があり、この公衆電話からゲーム雑誌の編集部に「裏技を教えてほしい」などと言う電話をする子供も多く居た。勿論教えてもらえるはずも無く、今になって考えると随分と迷惑な話だ。
そして僕達の青春の地となる「芦田トーイ」。「芦田トーイ」は元々プラモデル店で、子供達が来る事もあり、駄菓子や僕達の憧れのカップラーメンも置いてあった。そしてこのお店にはゲーム機が4台もあり、小学校高学年から中学校まで僕達の聖地となった。ゲームに熱中しているよ外は暗くなっており、最後にみんなで裏にあるミニ四駆のコースの前でカップラーメンを食べた。
1995年.
忘れもしない。小学校5年生だった僕は、珍しく体育の時間に活躍をした。元々僕は運動神経はよく無く、体育の時間に活躍できるなんて珍しい事だった。しかし、父親がJリーグの開幕と共に地元チームのファンとなり、僕は週末の父親からの個人レッスンでサッカーを仕込まれていた。だから、クラブチームには所属していない物の、クラスで1、2を争うサッカーの技術を持っていた。体育で球技を行う場合、「とりも」と呼ばれる、運動神経が良い2人がじゃんけんをして、自分が同じチームとしてプレイしたいクラスメイトを取っていくと言う事が行われていた。
その日、僕ははじめて1番最初に選ばれた。選んだのは後に僕の親友となる大崎和也。みんなに「カズ」と呼ばれる彼は明るく天真爛漫。兄の影響でオシャレでもあった彼は、クラスでも一目置かれる存在だった。いざサッカーの試合が始まると、カズを中心に円陣が組まれ、円陣を解いた瞬間にカズは僕の下に来た「絶対勝とう」。僕は驚き「ああ」位の返事を返したが、カズはハイタッチをしてきた。この瞬間、僕にはこの試合負けるわけにはいかないと言う理由が出来た。
試合が開始、カズはFWとして前線に走り、僕は中盤を務めていた。とは言っても小学生の体育の時間。そんなにはっきりとした物ではない。同級生はボールを持つと、焦った様子で僕にすぐにパスを出した。その瞬間から僕はカズの事しか見えていなかった。1人をかわした時点で、カズが相手ディフェンスラインの裏を取ろと走り出すのが見えた。僕は取られるはずもないオフサイドラインを気にしながら、スルーパスを通した。カズは足が速く、飛び出していたゴールキーパーを置き去りにしてシュートを決めた。
クラス中が歓喜の中、カズは僕に向かって走ってきた。僕達2人はその試合で活躍をして、無事に試合に勝つ事が出来た。
体育の時間が終わると、カズは僕を遊びに誘った。
「今日、一緒に芦田トーイに行こうよ」。
「芦田トーイ」は地元の小学生たちのヒエラルキーのトップに立つ駄菓子屋だった。店内には4台のアーケードゲームが並び、子供達は画面の左下に100円玉を置いて行く。これを僕らは「100円を張る」と言っていた。100円を張った順にゲームが出来るのだ。しかし、それと同時に100円を張った人物はみんなの羨望のまなざしの中でゲームをしなければならない事を意味していた。当時の僕は引っ込み思案で、そんな中でやった事も無いゲームをするのはハードルが高いと感じて居た。
しかし、兄のお下がりのボロボロのナイキのスニーカーを履く、お洒落なカズにはそんな事はお構いなしだ。自分の順番が来るなり周りの子供達をかき分けてドカッとゲームの前に座った。そして僕にも「隣の椅子に座りなよ」と椅子を差し出した。10人近くの子供達が見守る中、カズはゲームを始めた。
当時、3人1組のチーム戦で戦う格闘ゲームが流行っていた。カズは僕の目では追えない程のスピードでキャラクターを2人選んだ。すると僕の方を見て「どのキャラにする?」と聞いてきたのだ。僕には意味が分からなかったが、3人選べるキャラクターの内、1人を僕にやらせようと言うのだ。僕は進んでいく制限時間を気にして、主人公っぽいキャラクターを選んだ。カズが1人目と3人目。僕が2人目を操作する事が決まりゲームがスタート。
当時の僕はスーパーファミコンでいわゆる「ストⅡ」をやった事がある程度だった。カズが操る見慣れないキャラクターは見た事も無い技を繰り出し、次々と敵のキャラクターを蹴散らしていった。するとカズは僕に「やってみる?」と声を掛けると、僕の答えを待たずにわざと一方的に負けた。2人目のキャラクター。すなわち僕に操作の機会を譲ったのだ。僕は多くの小学生のまなざしを背に受け、カズと席を変わった。カズは僕の緊張を察したのか「大丈夫。負けても俺がやっつけるから」と声を掛けた。僕はカズの見よう見まねでゲーム開始前にスティックを手になじむ様に回し、ゲームが開始。
僕は相手の攻撃をガードしながらキックやパンチを出した。いわゆる必殺技の出し方を僕は知らなかった。しかし、僕が知らないうちに必殺技を使う事が出来るゲージが溜まっていた。すると、完全にまぐれで必殺技が出て相手にヒット。それが最後の攻撃となり勝負は決した。見ていた周りの小学生は大声を出して盛り上がって居た。僕はその渦の中、カズと交代を繰り返しながらなんとかゲームをクリアした。ゲームが終わると外はもう暗くなっていた。帰ろうとみんなが自転車に跨る頃、みんなが僕に「今日は面白かった」「また明日」と声を掛けてくれた。知らぬ間に僕も仲間になっていたのだ。
僕は子供の頃、新しい友達に受け入れられた夜は幸せな気持ちで眠る事ができた。習っていたスイミングスクールや塾。たまたま親の友達の子供と仲良くなった日などは、何故かムズムズする気持ちは有る物の、素直に嬉しかった。紛れも無く今日は『良い日』だったのだ。目をつむるとサッカーでの活躍を書き消すほどのハイライトとして芦田トーイでの光景が目に浮かんできた。
僕はカズと一緒に毎日の様に芦田トーイに通う様になった。そこで会う友達も大好きだった。友達が友達を呼び、沢山の知り合いが居た。例え1人で芦田トーイに行ったとしても、必ず歓迎してくれる仲間が居た。
しかし、今となっては、彼らと最後に会った日も、最後に交わした言葉も覚えていない。
数人の友達を除いては名前すら覚えていなかった。