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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その出会いはごみ集積場。

うっとおしい梅雨が気分を下げていますが、この作品が少しでも和らげれば幸いです。

じっ。

私はしゃがんでその物体を見たまじまじと見つめた。

住んでいるアパートのすぐそばにあるゴミ集積場、その場所にその人はごみに埋もれていた。

寝ている?

最初、死んでいるかと思った私だけれどその人の身体が呼吸の度に動くのが分かって生きているのだと思う。

まあ、起きていたらごみになぞ埋もれてはいないだろう。

こんなに臭いのに(苦笑)。


 それにしても―――ごみに埋もれているというのに綺麗な顔をしている。


あんまり綺麗なので私は助け起こすことも考えずにじっと見てしまっていた。




ガチャっ

お風呂場の扉が開かれる音がした。

私はキッチンにある小さな時計を見て、あの人がお風呂にかかった時間を考える。

2時間くらいか、まあそれくらい入らないとあの匂いは取れない(苦笑)

どのくらいあのゴミ集積場に寝ていたか分からないけれど、匂いは染みついてしまっただろうし。


「お風呂、ありがとう」


廊下を歩いて来てキッチンに居る私に声が掛かる。

さほど低くない声。


「えっ」


「えっ?」


私が驚くとその驚きに、驚きで返された。


「えっ?って」


着替え用の服は以前、私の様子を見に来た兄のものがあったので多少大きくても、と貸した。

彼が着ていた服はいわゆるスーツだったけれど、一般的なサラリーマンが着るスーツというよりはホストが着るようなスーツ。

顔も美形だったので私は彼がホストみたいなものかな、と判断した。

いつもは無用なトラブルは避けるのだけれど、今回に限ってはこの美しい人をあのゴミ集積場に置いておく気にもなれず泥酔していたのを何とか起こしてお風呂を貸したのである。

――――が、だ。

運び込むのに難儀して顔だけしか見ていなかったらしい、私は。

まじまじと目の前の人を頭のてっぺんからつま先まで、見た。

ホストと判断したのは間違いだった、濡れた髪の毛を拭いたタオルを首にかけて私を見て佇んでいるのは女性らしくないが女性である(笑)。

身体の線は服に隠れてしまっているけれど雰囲気で分かる。

あと、ごみに埋もれている時は整髪用で固めていた髪型が男の人のように見えていたのが今はお風呂に入って元の髪形に戻っていて雰囲気も変わってしまっていた。


「え・・・と、これ―――どういうこと?」


驚いてに呆然とする。

私のそんな様子を見てその人は苦笑し、口を開いた。


「男じゃなくてごめん、ちょっと込み入った事情があって――――」


男じゃなくて、と謝られる。

私的にはホッとした。

美しい人だとは思ったけれど、見知らぬ男性を家に入れる事には少しばかり葛藤があった。

どういう人かどうかも分からないし、何があるか分からない。


「謝らなくてもいいのに、逆にホッとしているの。男性だと女性より家に上げることに不安があったから」


そう思いながらも私は上げてしまったのは、何かが私にそうさせたのか。


「助かったよ、あのままごみに埋もれていたらもっと匂いが取れなかった」


「それよりも、雨が降って来たの。あのまま寝ていたら死んでいたかもしれないわ」


「えっ、ホントに?!」


リビングの方からガラス窓に雨粒が激しく当たる音が聞こえた。

さっきより激しくなってきたようだ。


「ホントに。警察に電話しても良かったのだけれど泥酔者一人に忙しい警察の人を呼ぶのもどうかと思ったから呼ばなかったの―――胃に優しいスープを作ったから飲む?」


そのひとは少し考えてから『うん、もらう』と言ってテーブルに座った。

私は冷蔵庫から500mlのミネラルウォーターを取り出し彼女に手渡す。


「ありがとう、何から何まで――――」


「いいけど、どうしてあんなところで寝ていたの? あなたはここら辺に来るような人でもないのに」


私が住んでいる場所は都心からかなり離れているアパートで、マンションではない。

埋もれていた時に着ていたスーツはそれなりに派手、ここら辺では滅多に見かけない。


「う――ん、そこら辺がちょっと覚えていなくて・・・昨晩のこと」


「そんなにお酒を飲むの?」


記憶をなくすくらいに。


「面目次第も・・・いつもはそんなことはないんだけど・・・」


本人もどうしてあそこに居たのか本当に思い出せないようだった。

そういえばごみの匂いに混じってお酒の匂いもした気がする。

スープが出来上がったので運んだ。

熱々のスープ。

彼女はスプーンでひとすくいすると、何度か息を吹きかけて冷ましてから口の中に運んだ。


「美味しい――――!」


「そう?」


久しぶりのリアクション。

ここ最近は誰かのために料理を作ったことはなかったので嬉しい。


「美味しい、野菜の味がちゃんと出てる。胃に優しいのは確かだね」


そう言いながらスプーンですくっては飲んでゆく。

余程お腹が空いていたのだろうか(苦笑)

私はテーブルに向かい合うように座って、その様子を眺める。

そんな私には気にならないようで彼女は一心不乱にスープを飲む。

眺めながら、うちに引き入れた人がホストでなくて実はホッとしていた。

ホストというとあまりいいイメージではないし。

顔がいい人が、良い人とは限らないのだ。

私も可哀想だとは思って、良く自宅に引き入れたのだと思う。


「お代わり、いる?」


彼女はあっという間にスープを飲み干してしまった。

余程、お腹が空いていたのか(笑)。


「―――いい?」


「もちろん」


私は立って、スープ皿を受け取ると鍋に向かった。

スープは作り置きだからまだまだあるので丁度良い。


「あなたの名前は?」


背を向けながら聞いてみた。

正確な答えは期待していない、どうせこの出会いは一過性のものなのだし。


「ヨウ、カタカナの」


即座に返事が来た。


「カタカナの? ヨウ?」


「そう、源氏名だけど」


ゲンジナ・・・私は呟く。

どこかで聞いたことはあるけれど、すぐには思い出せない。

思い出そうと考えながらテーブルに戻って来ると私の様子がおかしいのか彼女が笑っていた。

「光源氏の源氏に名前の名、私の芸名みたいなものだよ」

「芸名」

「そ、私夜の仕事をしているの。女性相手に。」

「あ、ああ――」

それで合点がいった、男性ではないのにホストみたいなスーツにあの髪型。

「でも、なぜあんな場所に寝ていたの?」

この地域にそんなお店があるわけもない。

「・・・思い出せればいいんだけど、まったく思い出せなくて・・・」

ヨウ、と源氏名を持つ彼女は苦笑しながら頭をかいた。

一体、どのくらい飲んだのか・・・それなのに二日酔いにもなっていないのは凄いと思う。

「まあ、いいわ。 すべてを忘れてしまったわけじゃないし」

テーブルの上には彼女が持っていた所持品がある。

黒革の高級そうな財布に、スマホと車のキーと名刺入れ。

ハンカチも持っていたけれど現在、洗濯中だ。

洗って匂いが落ちればいいけど・・・匂いが取れなかったら買うだろう。

お金は持っていそうだし。


「ホントにありがとう、助かったよ。私も君の名前を聞いてなかった」


ずいぶんと彼女の印象が変わる、ゴミ集積場に埋もれていた人と同一人物とは思えない。

でも、その瞳に私は惹き寄せられた。

そういうものはその人が元来持っている資質で、努力でどうにかなるものではない。

魅力とも言う。


「たまみ」


彼女に名前を聞かれ、顔を覗き込まれるように見られて少しドキドキしてしまった事は内緒。

私は名前だけ言った、名字まで言う必要は無い。


「たまみってどういう字を書くの?」


スープを飲みながら聞いて来る。


「ひらがなで、たまみ。変な名前でしょう?」


普通の名前じゃないからよく小学生の時、からかわれた。

両親に聞くと音韻がいいからと言われ、音がいいからってそんな簡単に名前を決めたのかとガッカリした記憶がある。


「どうして? 変じゃないよ、たまみって可愛い名前だよ」


ヨウという名の彼女にそう言われると、嬉しさを感じる。

会ったばかりだというのに。


「もう、可愛いって歳じゃないんだけどね」


成人になって結構、経っている(笑)。

自分の名前は死ぬまでずっと付いてくるものだから嫌だと思っても捨てられない。

かといって、改名するほど嫌いというわけでもなかった。


「じゃあ、たまみさん、幾つなの?」


たまみさん。


彼女は今聞いた私の名前をフレンドリーに呼んだ。

たまみさん、と呼ばれて違和感が無い。

会社では名字で呼ばれることが多いため、友人たち以外からそう呼ばれるのは新鮮だった。

「女性同士でも歳を聞くのはダメよ」

私は笑って答えた。

答えられないわけじゃないけど進んで話す気は無い。

彼女とは何時間前に会ったばかりだ。

「―――あ、そうだね。無遠慮だった、ごめん」

素直に謝る、ヨウ。

同性相手に接待するお店があることは聞き及んではいたけど当事者を実際に見たことは無かった。

実際に存在することは分かった(笑)。

私の周りにそういう人は稀なので貴重な機会だ、もう会えるとも思えないし。

「せっかくの機会だから話を聞いても?」

お代わりのスープを渡すと私は、椅子に座って聞く。

ヨウは『いいよ、何でも聞いて』と笑顔で言った。





基本、私の生活は地味だ。

元来の性格が普通だし、友人も家族も華やかではないのでごく普通の一般家庭だった。

それが嫌だとは思っていない、分相応だと思っていて満足している。

中小企業の事務一般職で、簿記検定と英検の資格を持っているだけ。

いつもの如く、定時に会社を上がってアパートの近くのスーパーで買い物をして帰るとアパートの入り口にその場にそぐわない人が居た。

今日はゴミ集積場で匂いが付いてダメにしたスーツの代わりに買ったのか、新しいスーツを着ている。


「ヨウ?」


一度会っただけなのに私に“さん”付けはしなくていいよ、と言った彼女が佇んでいた。

本当に雰囲気に合わない、完全に浮いている。

夜なのでまだマシなのだけれど。

「ああ、たまみさん」

髪型はポマードで整えてある、あの日のお風呂上りとは与える印象が全然違う。

スーツ同様、お仕事仕様なのだろう。

私にヨウは笑顔で近づいて来る、手には何か持っていた。


「この間、すごく迷惑をかけたからお土産を持ってきた」


ケーキの箱だ、外灯の明かりでチラリと見たら某有名店のロゴ。

毎日行列必死のお店だという事はTVや雑誌の情報から得ていた。

それと一輪のバラ。

職業柄の心遣いなのだろうか(笑)

女性に貰うとは思わなかったけれど、今のヨウになら貰ってもいいかなと思った。

「仕事じゃないの?」

「うん、今日は遅くしてもらったからまだ大丈夫」

にっこり。

ヨウは笑顔が似合う。

仕事の作り笑顔じゃなくて、本物の笑顔。

「時間があるなら少しお茶でもどう?」

私は自然とそう誘っていた、ごく自然に。

「いいの?」

「ええ、遥々こんなところまでお土産を持って来てくれたんだもの」

これが男性ホストなら、アパートには上げないけどヨウは女性だった。

私みたいな地味な女には興味が無いだろう。

「――良かった、追い返されるかと」

外付けの鉄製の階段を上がりながらヨウが言う。

「どうして?」

「何となく、私こんなだし。たまみさんにはすごく迷惑をかけたし」

「気にしていないわ、迷惑だなんて。嫌だったら声を掛けられた時点で無視するわ」

ヨウがちゃんとした人だというのは態度に出る、人は他人に自分を偽って見せることが出来るけど無意識に出てしまう何気ない所作までは気にかけない。

「ありがとう、お土産に何がいいかなと迷ったんだけど・・・お客さんがすすめてくれたケーキを買ってきた」

「そこのケーキは好きよ、1回しか食べたことないけど」

取引先の営業マンが持って来てくれたことがあった。

「私が美味しいって言ったらずっとお客さんが差し入れてくれて」

「じゃあ、飽きているんじゃないの?」

パンプスの踵が鉄製の廊下に当たって音を立てる。

これがマンションならコンクリートだろうけれど(笑)

とはいえ、私はここのアパートが気に入っている。

安いだけじゃなくて、多少歩くけれど駅への便もいいし(運動不足解消にはなる)。

「美味しいものは飽きないよ、そういえば――たまみさんのあのスープ美味しかった」

「あれ、野菜の端切れを入れたものよ」

私は笑って玄関の鍵を開けた。

給料前は他の人と同じく、節約するのでそういったものの料理になることが多い。

でも、ひもじいとは思った事は無く如何にやりくりをするのかを考えるのが好きだった。

「上がって」

「はい、お邪魔します―――」

律儀に一礼してから靴を脱いで玄関のスリッパを履いた。

本当にいい育ち方をしたのだと感じる、見た目とのギャップはあるけれど。

「そっちで座っていて」

「すぐ帰るから本当にお茶1杯でいいよ、ケーキもたまみさんのなんだから」

「お客さんを台所のテーブルでもてなすわけにはいかないでしょう?」

ヨウとは普通にしゃべっていた。

ゴミ集積場でごみに埋もれていた彼女を助けただけで、会ったのも今日で2回目。

なのに、ずっと前から知り合いだったように感じるくらい気軽に話せている。

互いにあまり接点のない仕事をしているし、生活環境も全く違う。

「あっちはたまみさんのプライベートだからあまり立ち入らないようにする、ここなら以前も座っていたしね」

といって、キッチンにある小さなテーブルの椅子に座ってしまう。

「正直、そこまで気遣ってくれるとは思わなかった」

お湯をやかんで沸かし、私はケーキを箱から取り出す。

「たまみさんと会ってまだ、2回目だし。私なんてたまみさんからしたら良く分からない人種でしょ?」

「―――自分でそんなこと言うの?」

「自分では気にしていないつもりだけど、時々、自虐的にネタで言ってしまうことはあるかな」

「じゃあ、気にしているのよ。気にしていない自分を演じているだけね」

「――― キツイなあ、たまみさん」

お皿の上にケーキを乗せる、フォークも取り出して乗せた。

本当に美味しそうなケーキだ、ふんわりと美味しそうな香りが食欲をそそる。

「自信が無いの?」

「あるよ、いつもはね。でも、時々不安になることはあるかな―――そういう時は感情が揺れてしまって自信が無くなる」

やかんのお湯が沸騰しはじめた。

「―――大変なのね、あなたも」

「・・・ふふふ」

ヨウが小さく笑った。

「何かおかしい事でも言った?」

「私のことを、大変なのねって本心から言ってくれた人は初めてだったから」

「あなたの友達や両親やお客さんは言ってくれないの?」

「―――・・・うん、そうだね、みんな自分の事で忙しくてそんな余裕ないんじゃないかな。またはあまり深くは興味が無いとかね」

最後の方の言葉を話すヨウは少し寂し気だ、華やかな世界に居るのに。

「でも、人と話をするのは好きだよ。話す事、聞くことは仕事で一番大事なことだから。その気持ちは役に立っているかな」

「そうね、ヨウは話し上手な上に聞き上手で、相手の気持ちを開かせる能力を持っているみたいね」

棚から紅茶の缶を取り出し、木のスプーンで茶葉を2回ほど取り出して透明なガラスの急須に入れた。

台湾の有名な高山烏龍茶、甘いケーキにはさっぱりとした味と渋みがあるお茶が合うだろう。

「時々、それで失敗するけど」

「失敗?」

「あんまり親しくし過ぎて相手が勘違いしちゃうの、私の方は普通に接しているだけなんんだけど相手はそう思わないで、私が自分の事を好きだと勘違いする」

「・・・まあ、確かにそういう素質はありそうね」

この流れもそんな感じだった。

私はヨウの言った人物のように好きにはならないと思うけれど。

今も一歩引いて彼女と接している――――つもり。

「それっていい事? 悪い事?」

「半分、半分ね。仕事には役に立つだろうけど、日常だと面倒くさい」

茶葉を数分蒸す。

その間に、ヨウに出したお茶のカップにお湯を注ぐとそれを捨てた。

私のカップも同様に。

「――たまみさん、何してるの?」

私の行動が疑問だったのだろう、聞いて来た。

知らなかったらしい。

まあ、一般的にお茶を飲む人なら知らない。

「カップを温めているのよ、その方が美味しく飲めるから」

「へえ、そうなんだ」

興味津々にお湯の捨てられたカップを見る。

「で、ここにお茶を注ぐ」

急須からカップに注いだ。

自分だけならもっと細かく飲むのだけれど、ヨウには面倒くさく感じるだろうからと思って止めた。

「お茶、いい香り」

「台湾の人気のお茶なのよ」

お茶とケーキがそろった。

「たまみさんはお茶に詳しいんだ」

「そんなに詳しいという程じゃないわ、好きだから調べたり買ったり飲んだりしているうちに普通の人よりは知っているくらいよ」

「私もお酒には詳しいよ」

ヨウは私がケーキを食べ始めるのを見てから自分もケーキにフォークを入れた。

「仕事で飲んでいるから?」

「それもあるけど、あまりよく知らないで飲むより知って飲む方がいいし、お客さんと話が合うかもしれないしね。たまみさんは飲まないの?」

「―――うちの家系ってね、皆“がん”をわずらっているの」

「えっ」

ヨウの手が止まる。

「肝臓がん、よく聞くでしょ? だからアルコールは飲まないの、体質もあるのかもしれないけど」

私はヨウに気を悪くさせないように表情を明るめにし、言葉を軽くして言った。

「・・・ごめん、この間はすごくお酒臭かったよね―――」

それでも私の言葉に落ち込んだのか謝られる。

「あのね、あの時は飲んだわけじゃないのだし、気化したアルコールを吸っただけでは肝臓がんになんてならないわ」

さっくり。

チョコレートケーキをフォークで切って口の中に入れた。

あまり甘くなく、チョコレートの苦みを舌が感じる。

「じゃあ、うちのお店に来てよ、だなんて誘えないなあ―――」

「誘うつもりだったの?」

「うん、お世話になったし。お店、意外と初回の人は高くないの」

体験価格というものをあるらしい(苦笑)

私には縁遠い世界だったから、情報はTVか雑誌くらいからしか入って来ない。

「やめておくわ、多分行ったら行かなかった方が良かったって後悔すると思うから」

「後悔?」

「私の知らない世界だもの、興味はないわね」

私がそう言うとヨウはしょんぼりした様子で『そう―――』と言った。

当てが外れて申し訳なかったわね(苦笑)

「でも、さ。行く気になったら連絡してよ、たまみさん」

そう言って胸ポケットをガサゴソと探ると革製の名刺入れが出て来た。

「これ、私の名刺」

私も名刺は持っているけれど黒色、金の箔押しなどは無い、それに香りまで。

「・・・凄いのね」

こんな名刺は初めて見た。

持ったまま、じっと見入ってしまう。

「お店じゃ、目立ってなんぼだしね。これくらいはしないと」

「この香りは?」

クンクンと嗅ぐも、明確な名前は出て来なかった。

似たようなものは嗅いだことがあるけれど。

「ああ、それは友達の調香師に頼んだやつだから市販されてないの」

調香師―――オリジナルの香りという事か、世界にオンリーワン。

「へえ――全然、想像もつかないわ」

「たまみさんからしたら非日常だよね」

あっという間にヨウのケーキがなくなり、お茶のお代わりを求められた。

「時間、大丈夫なの?」

「うん、もう少し大丈夫」

ヨウはスマホで時間を確認してから受け取ったお茶をゆっくり飲んだ。

―――ホントに、目の前に居るヨウが信じられない。

私のアパートに来た人の中では群を抜いて派手(笑)。

本人にその意識はなく、いつものままなのだろうけれど私の世界では派手過ぎる。

ただ、その見た目とは違ってとっつきやすく、話しやすい。

ゴミ集積場に埋もれていて通常ならば不審人物なのに、今こうしてお茶などを飲んでいられるのは女性だからというのもある。

ヨウはそれから5分経ってから帰って行った。

『じゃあ、またね』と言って。

また彼女は来るつもりなのだろうか、もう迷惑をかけた詫びは十分に私にしただろうに。

私はヨウには好印象を持った。

再び会ったとしても彼女の言う、相手に勘違いをさせてしまうという事にはならないと思う。

『じゃあ、またね』は、つい出てしまった言葉なのだろう。

そう思って私は食器を片付けにキッチンに戻って行った。





それからしばらくは(数か月)いつも通りの生活を送った私。

日々、生きるのに忙しくてヨウのことは思い出さなかった。

元々、接点のない世界に住んでいる彼女だし。

季節は長雨の梅雨を過ぎ、夏の酷暑と言われるクーラーなくしては生活できない月を越えてまだ夏の気配のする秋に突入している。

秋といえば昔は涼しいという印象だったが最近は、地球温暖化により異常気象で涼しくもなんともない。

一応、私の部屋にも文明の利器であるクーラーはあるけれど会社への行き来には暑さがこたえる。

1週間、残暑が残る日々を耐えて仕事をした私は部屋に籠っていた。

外に出る、という選択も無い。

ピンポン―――

リビングでだらけているとインターフォンが慣らされた。

宅配など私自身は頼んでいない、来るとしたら誰かからか。

はたまた勧誘か。

クーラーが涼しくて動きたくなかったけど、もしかしたら宅配かも知れないと思ったので重い身体を起こして立ち上がった。

玄関に向かうとのぞき穴から外を覗く。

「あ」

つい、声が出てしまった。


「おはようございます」


私が鍵と扉を開けると笑顔で彼女が挨拶をする。

仕事用の派手なスーツじゃなく、髪も整髪料で固めていない、プライベートのヨウだった。

そして、男物の服が似合っている。

「おはよう――どうしたの? 休日に」

私はヨウに名刺をもらったけれど、私の連絡先は教えていない。

名刺には彼女の携帯番号が書かれていたけれど、私は連絡しなかった。

お店に行く気も起きなかったし。

だから私に用がある場合は、ヨウは私の家に来なければならない。

「たまみさん、まだ暑いですねえ――時期は過ぎちゃいましたけど涼みに海に行きませんか?」

と、大玉スイカをお土産にヨウが言った。

「――海? 私と?」

何故、私なのかと思う。

2回目に会った時からもう数か月ほど経っていた。

すっかり忘れ去られていたかと思っていたのに。

「そうです、海に行きましょう」

にっこり。

何故、という理由など聞く必要など無い、というような笑顔でヨウは私を誘う。

「お客さんと行けばいいでしょうに―――」

そんな言葉が口を付く、正直なところ。

「お客さんとはお店でしか会わないことにしているんです、会いたいとも思いませんし」

「・・・・・」

最後の方、ヨウにしては言い方がキツかった。

そんな私に気づいたらしく、『すみません、つい口が悪くなりました』と小さく笑いながら謝る。

まあ、お店でお客さんに気を使っているのだからプライベートでも気は使いたくないと、さしものヨウもそう思っても仕方がない。

「私の気分転換に付き合ってくれると嬉しいです」

どうやらヨウは鬱としていないまでも、気分が滅入ってはいるらしい。

「私でいいの?」

たった、2回会っただけなのに。

1回は介抱してお風呂を貸した、2回目はキッチンの小さなテーブルでお茶を少々飲ませただけ。

「はい、たまみさんと一緒にいると気分が落ち着くので誘いました」

「―――それ、私だからいいけど他の女性に言うと誤解するから」

私は軽く息を吐いて言った。

以前、私に話した勘違いさせる言動のひとつ。

仕事での延長でするりと出て来たのだろうか。

「あ、すみません。無意識に―――」

頭をかく。

外は暑いけど海は気になる。

海水は冷たいだろうか? 海風は涼しいだろうかと。

「車で迎えに来てますんで、ぜひ行きましょう」

「えっ、車で迎えに来たの?」

―――これじゃあ、断わりにくい。

「そのままでもいいですから」

ヨウは笑って私の腕を取る。

「い、いや―――さすがにそれは・・・準備してくるから少し待っていて」

掴まれた腕は痛くなかったけれど、そこから熱が伝わって来て顔が熱くなる。

「そのままでもいいのに」

「・・・少し化粧くらいはさせて、さすがにすっぴんでは外出できないわ」

家でダラダラモードだったので化粧っ気が無い、ついで言うと今着ている服で外出は無理。

絶対、無理。

「分かりました、待っていますね」

掴まれていた腕が解放され、私は玄関にヨウを残して奥の部屋に消えた。

突然、いきなり来て海に行きましょうはびっくりする。

思ってもいなかった来訪者だから特に。

私は服を選びながら心なしかドキドキしていた。


ただ単に頭に浮かんだ私を海に誘っただけだろう――――


特に理由はないはず、うん。

私が勘違いしてもしょうがない、それにヨウは女性なのだ。

何とか短時間で服を選び、薄く化粧をすると私は玄関で待っているヨウに向かった。



「可愛いですね、たまみさん」

「・・・よしてよ、もう可愛いだなんて言われる年じゃないんだから」

アパートの階段を降りながらヨウが言ったので私は言葉を返す。

彼女に年齢を聞かれて、誤魔化してその後も年齢を教えてはいない。

「女性のワンピース姿はいいですよね、私なんて着たこともありませんし、もう機会も金輪際ありませんしね。あ、ここ段差が大きいんですよね」

私のアパートの階段は最後の段差が、一段だけ大きかった。

上る時、足を掛けてしまったり、降りる時、がくっとなったりすることがあった。

自覚していたけどこれはそういうものなんだと諦めていたので気にしないで使っている。

でも、ヨウは良く気づいたと思う。

手が差し出された。

階段を先に降りていたヨウが私に手を出している。

「?」

「手、掴んでください。コケて足を挫くと痛いですよ」

そういうことか(苦笑)。

しばらくそういう事をされていなかったので思いつかなかった。

少し気恥ずかしい。

「大丈夫よ、一段くらい」

私は差し出された手を取らなかった。

恥ずかしいからではなく、ヨウの行動に戸惑ってしまったからだ。

ヨウの行動に誤解するつもりはなくても、その気にさせるには十分に意力はある。

 

困った―――断ればよかった・・・


私は迎えに来たという素人目でも分かる高級なスポーツカーの助手席に乗り、シートベルトを締めながらそう思った。





海への車中では色々な話をした。

BGMはクラッシックだった、ヨウには兄が居てジャズサックス奏者だという。

お互いに知らない部分を移動中に話す。

趣味のこと、休みにすること。

あと、仕事のこと等々。

「忙しかったの?」

数か月経った今、私のところに来たのはそういうことなのかと聞く。

「1年中、忙しいですよ。でも、夏が来てどこにも出かけなくてこのまま冬になったら嫌だな――と思ったら急に海に行きたくなったんです」

「秋口の海だからもう入れないけど」

「海は見るだけでも、いいですよ。今の時期ならサーファーとイヌを散歩させる人以外は誰も居ませんから」

「で、同行者が私なの?」

「はい、一番初めに浮かんだのがたまみさんでしたから」

ハンドルを握り、前を向きながらヨウは言った。

エンジン音はタクシーや実家の父親の車のソレと違って心地いい。

「何度も言うけど、それ、誤解させる言葉だからね」

「たまみさんは真に受けないんでしょう?」

「まあ、そうだけど―――」

私が少し面食らって言うとヨウは顔を崩して笑った。

「お客さんだと、真に受けてしまうからあまり言えないんですけどたまみさんには気楽につい言ってしまうんです。今日1日我慢してください」

冗談だと暗に言った。

「・・・だとしてもね、どこまで受け止められるか―――」

「―――・・・してもいいですよ」

「えっ?」

音楽が大きく弾み、ヨウが言った言葉を管弦楽にかき消される。

「―――なに?」

聞こえなかった。

途中まで聞こえていたのに。

「何でもないです、ほら海が見えてきましたよ」

ヨウは私の問いに答えず、はぐらかした。

「はぐらかしたわね」

「海に来たんですから海に注目しましょうよ」

笑っているだけでヨウは答える気が無いようだ。

「もう――」

ふと窓がモーター音を響かせて開いてゆく。

気を利かしたヨウが潮風を感じるように開けてくれる。

「気持ちいい」

都会(うちの方は下町)は風がぬるい、東京湾や墨田川あたりでも酷暑のせいで風がぬるくなっていた。

でも、都会を少し離れた海に来ると断然風が冷たく感じる。

「エアコンに当たってばかりだと体調崩しますからね」

「見ていたような言い方ね」

まさしく今日、ヨウが家に車で迎えに来るまでの私の姿だった。

「この酷暑ですから、私も同じです」

「もう9月に入ったっていうのにいつまで残暑が続くのかしら・・・」

涼しい海風を受けながら言う。

「年々、夏が秋を侵食してゆきますね。そのうち秋が無くなっていきなり冬が来るかもしれません」

ヨウが冗談でもないようなことを言う。

地球温暖化は分かっている、私も地球にやさしい活動には参加しているけれど暑いのでエアコンは付けてしまっている。

「秋は好きなのに―――」

「たまみさんは秋が好きなんですか?」

「秋さんま、秋アジ、栗、ナシ、秋は美味しいものが沢山あるから好きよ」

くすっ

ヨウが小さく吹き出す。

どうせ、私にとっての秋は“食欲の秋”なんですねとでも思っているのだろう。

想像できる。

「―――ねえ、たまみさん」

ヨウはひとしきり小さく笑った後、改めて口を開いた。

「なに? もっと笑ってもいいのよ、私は美味しいものが好きだもの」

「笑いませんよ、私も美味しいものは好きですから」

車は国道から海沿いにある駐車場兼休憩所に入る、秋口だというのに結構車が止まっていた。

サーファーか、行楽か、自分たちみたいに海を見に来たのか。

キッ

ヨウは慣れているように駐車場のラインに沿って綺麗に車を止めた。

駐車場に止まっている車の中で一番目立つので少し離れた場所に止めている。


「ヨウ、さっき何か言いかけたでしょう、なに?」


車から出て扉を閉めると車越しに聞く。

答えられなかったから気になっていた。


「ああ、別にいいです。重要なことじゃないので」


そう何でもないようにヨウは答える。


「ほんとに、いいの?」


「はい、砂浜に降りましょうよ、たまみさん」


そう言うと砂浜に降りる階段に向かって行く。

ヨウの格好は海に行くにはちょっと不似合いかなと思ったけれど、砂浜に降りるとそれは私の勘違いだったと思わせた。

意外に似合っていた、靴下と靴をすぐに脱いで波際に歩いてゆく。

私を連れて。

いつの間にかヨウに手を繋がれて私は歩いている。

手が握られた時、違和感は無かった。


「海なんて久しぶりです、たまみさんは?」


「そうね、私も何年ぶりかに来たわ。用が無いとワザワザ海には来ないものね」


「風が冷たい―――気持ちいいな、海の水も冷たいし」


深くまでは入らないものの、くるぶしより少し上くらい海水に足をつけた。


「ホント、あのぬるいアパートの空気が嘘みたい」


「来て良かったでしょう?」


まだ私と手を繋いだまま聞く。

最初、片手だけだったのに今は両手を持たれて向かい合っていた。

事情を知らない人が見たら遠目からはカップルにしか見えないだろう。


「ええ、ありがとう、ヨウ」


家に居たらあのまま過ごしてまたいつもの月曜日になっていただろう。

少しの刺激を貰えて明日から頑張れそうな気がした。


ザザッ


「あっ」


「あ、おっ!」


油断していた、やや強い波が足元に来ていたのに気づかなかった。

濡れると思って飛び跳ねようとしたらヨウが私の身体をとっさに抱え上げてくれた。


「ヨウ!?」


でも、その代わりヨウのズボンが濡れてしまう。


「私は大丈夫ですから―――たまみさんは濡れていませんか?」


抱え上げられたまま私は聞かれる。

こんな風に抱き上げられたことが無かった私は急に顔が熱くなった。

男性にだってされたことも無い。


「ヨウ、下ろして」


顔が熱くて、耳も熱い。


「とりあえず、波が無いところまで我慢してください」


ヨウはいたずらっ子のように笑って私を抱え上げながら歩いた。


「ヨウ」


止まって、やっと下ろしてくれるかと思ったらまだ下ろしてくれない。


「ヨウ、下ろして」


「たまみさん―――連絡先教えて下さい」


「えっ」


「友達になりましょう」


ヨウの思わぬことの言い出しに驚いて、一瞬掴まったまま固まる。


「―――友達?」


「そう、友達です。たまみさんは数度、会っただけで終わらせるのは勿体ない人だと思いました」


ヨウの瞳が私を見る。

いたずらっ子のようで真剣さを帯びていた。


「友達・・・なの?」


私がそう聞くとヨウは苦笑する。


「友達でいいです―――今は」


最後に含みのある言葉。

互いに何も言わずに見つめ合う。

これが男女間ならすぐに恋愛にでも発展するのだろうけれど残念ながら私たちは女性同士だった。

ただ、ヨウの方が女性を恋愛対象とすることもある。


「私のどこが気に入ったの?」


「私にすぐ惚れないところ、それとたまみさんって呼びやすい」


「あなたってすぐに惚れられてしまうの? ヨウ」


「よく惚れられちゃうかな、お客さんに。これでもお店じゃナンバーワンなんだから私」


彼女のことを好きにならなかったのはヨウのこと私たちとは違う世界に居ると思っていたからだろうか。

それとも、ただ単に気にしなかっただけか。


「たまみさんと友達として付き合いたいと思って」


もちろん、恋愛抜きで―――と断る。


「ヨウ、まずは私を下ろして」


「だめ、返事が先」


「ちょっと・・・私が断るって言ったらどうするの?」


「このまま」


にゃりと笑うヨウ。


「ずっとこのままでいるわけにはいかないでしょう?」


「意外と体力あるよ、私」


私はため息を付く。

本当に返事をしないと下ろしてくれそうにない。


どうしてこんなことになった? 


ゴミ集積場に埋もれていたヨウを助けたのが縁で気に入られてしまったらしい。

あの時、助けなきゃ良かったとは思わないけれど、変なことになったと思う。


「友達だよ」


「最初はってことでしょう? あなたの言い方だと」


「ずっと友達かも知れないし、そうならないかもしれない。今はどっちに転ぶかわからないかな、でも―――たまみさんとは友達になりたい」


―――もう、ヨウから半分くらい私へ気持ちが滲み出ているんだけど・・・苦笑


それでも頑なに友達からと言うのは私のことを考えてくれているからだろうか。

性急に事を運ばないでゆっくりと。

とはいえ、私の恋愛対象は男性だからヨウに応えられるかどうか分からない。

彼女の言う通り、どうなるか分からなかった。

ただ、ヨウと一緒に居て話すのは楽しいと思う。

仕事仕様のヨウは綺麗だとは思うけれど、ちょっと引いてしまう。

自分の周りには居なかった華やかな世界の友人を持つのもいいかなと思った。


「どう? たまみさん」


私が断らないと分かっているのか笑顔のまま聞くヨウ。

このままだとずっと抱え上げられたまま居るしかない、嘘でも―――


「嘘とか、分かりますからね」


先を越されて念を押されてしまう。


「・・・分かったわ―――もう、私の負けね」


「連絡先、教えて下さいね」


「はい、はい。何でも教えるから、もう私を下ろして」


何だかはかられたような気分。

ようやく私が砂の上に足を付けるとヨウはさっそくスマホを手にしていた。

「すぐ、今なの?」

あまりの行動の早さに呆れる。

「教えてくれないと困りますから」

「さすがにこの状況で教えないわけがないでしょうに・・・」

「はい、たまみさんスマホを出して」

随分と急がせる。

お店じゃ、お客さんの方がヨウにこうやって詰め寄るのだろうに。

「―――分かったから、ちょっと待って」

私は仕方なく持ってきたトートバックに入っていたスマホを取り出す。

友人の南米土産 布製のスマホケースに入っている。

連絡先の交換は赤外線通信、便利になったものだ。

あっという間に終わってしまった。

「良かった、これで連絡取れますね」

私は複雑な表情で喜んでいるヨウを見る。

友達、とはいうけれどさっきの言い方――――友達以上になる可能性も含まれていた。

私が同性同士の恋愛を嫌悪する人間であればその可能性は無いけれど、悪いことに私には経験があった。

とはいえ、もう何年も前の話でそれ以降は男性と付き合って来たし、女性が好きだという自覚は無い。

ヨウにはそれが本能的に分かったのだろうか。

「波打ち際を少し歩きましょうよ」

ヨウは手を差し出してきた。

「友達は手を繋がないでしょ?」

「―――そうでしたね」

突き放したわけじゃなかったけれど拒否されたと思ったのか、ヨウは苦笑して手をひっこめた。

私は先に歩き出す。

実のところ、海岸線を少し歩きたいのは私も一緒だった。

風は気持ちいいし、毎日生ぬるいまとわりつくような熱い空気をまとっているのでリフレッシュしたい。

「怒っています?」

ヨウは私の後ろを歩きながら聞いて来る。

「どうして? 怒っていないわ」

怒る理由がない、ヨウに言われたことに戸惑ってはいるけれど。

「強引に連絡先を聞いてしまいましたし、友達申請も強引に取り付けてしまいましたから」

「それくらいで怒るの? 私そんなに短気じゃないわ」

自分でしたくせにやっぱり悪かったと思っているのか、ヨウは口先で悪いことが出来ない人間かと思う。

「―――たまみさんと会えて良かったと思います」

ヨウが言った。

「そう? 私、普通の人よ?」

「私のことを何だと思っているんですか」

少し自分を取り戻したヨウは笑いながら言う。

「生活している環境が違うから、相性が合わないかと思って」

「それって、酷い偏見です。私のことを見た目で判断していませんか?」

「してるね、だってそれしか判断方法が無いんだもの。まあ・・・少しはやり取りがあったから分かるけど」

「じゃあ、知ってください」

「―――それ、友達に言うセリフ?」

また出た。

ヨウが発する言葉は職業柄出てしまうのか、本能的に出てしまうのか本人は無意識みたいなのだけれど言われたら絶対、勘違いする。

「たまみさんには、私を知ってもらいたいな」

続けて言われた言葉も、どうも本心っぽい。

ヨウはもう少し考えて発言した方がいいと思う。

相手を勘違いさせてしまうという事が自分で分かっているのだから、それが嫌なら予防しないと。

「表面上の情報なら知ってあげる、でも深くまでは要らない」

私は予防線を張る。

ヨウが友達の線から越えないように。

少しでもヨウに友達の越えてしまう可能性があるのなら当然の処置だろう。

「たまみさん、理解があると思いましたけど結構―――」

ヨウの苦笑した声が聞こえる。

「ヨウが友達を越えないならね」

「嫌ですか?」

さらに私はヨウに言っておく。

「そういうことに興味が無いの、ヨウの事は好ましいとは思うけどそれは人として好ましいのであって恋愛に発展するものではないかな」

私はお店に行く女性たちと同じ気持ちではないし。

「たまみさんの連絡先はゲット出来ましたので今日の所は満足です」

私は歩きながら顔を後ろに向けるとヨウの顔が憎らしいくらいに笑っている。

複雑な気持ちしか湧かない。

なりゆきとはいえ、連絡先を交換してしまった。

彼女のことは嫌いではないけれど私のプライベート部分にあまり踏み込んで来られるのは困る。

「私から連絡しないから」

“友達”となり、連絡先を交換したものの、よくよく考えたら私からヨウに連絡する必要が無い。

彼女の仕事の内容も、日常のサイクル(仕事で昼夜が逆転)が私と違うことも分かっているので『今日、暇? どこか行かない?』などと気軽に誘えないのだ。

誘わないけど(苦笑)。

「―――いいですよ。でも、時々気軽にLINEをくれると嬉しいです」

メールよりは楽か、と思ってしまう。

いかん、いかん、教えるつもりはなかったのに。

「私はマメじゃないし、基本アナログ世代なのでスマホを持っている時間は少ないから期待しないで」

こちらも予防線。

連絡手段のツールはあるけれど、それをあまり使わないと印象付ける。

SNSでのやり取りは正直、苦手だった。

連絡が来たら返信しないといけないと思うし、どこで終わりにしていいかも分かりづらい。

「たまみさん、若いのに」

「その言い方、なんか腹立つ」

若くないとは言わないけど、そんなに歳をとっているわけではないと思う。

ヨウは20台半ばくらいとすると私は四捨五入して30代になる。

「じゃあ、幾つなんですか?」

「以前、歳の話はしたでしょ、知る必要があるの?」

「年齢によって話す内容も変えるし、今みたいに失言はしないように出来るかも」

ヨウが足を速めて私に近づいてきた。

「失言でもないけどね」

「でも、腹が立ったんでしょう?」

「ほんの少しだけよ―――気にしたのなら謝るわ」

瞬間的なものだ、年齢を聞かれたことについては。

私も子供だと思って、反省する。

「たまみさんに嫌な気分にさせたくないから聞くの」

「もう、この話は終わり」

私は歩くのを止め、両手の平を見せてヨウと向かい合った。

「―――ホントに教えたくないんですね、たまみさん」

ヨウの顔に苦笑いが広がる。

「しつこく聞くから、知っている必要が無いものでしょう?」

「まあ、確かに。年齢で付き合うわけではないですから」

あ、友達としてです―――とご丁寧に付け加える。

私はひと息吐いてヨウに言った。

「せっかく海に来たのに、私たちはこんなことしているの?」

「――――ですね、よく考えると全部私のせいです、すみません」

素直に謝られる。

「ここでリセット、海を楽しみましょ」

まだ少ししか目の前の海を楽しんでいない、砂浜は遠くまで続いているのに。

「はい、そうですね」

ヨウも不満は無いようでそう返事をする。

私たちは気を取り直して水際を歩き始めた。





連絡先を交換したけど連絡をくれるのはヨウからが多い。

私から何か話したいこともないし、仕事の邪魔をするつもりもない。

自分がしなくてもお客さんの方がマメに連絡をするだろうしと思い、放って置いた。


2時間ばかり残業してアパートに帰宅し、お風呂で疲れを取って浴室から出るとテーブルの上に置いてあるスマホの着信ランプが点滅していた。

見れば、ヨウからのLINE。

最近はもっぱら手軽なこのツールで連絡をくれる。

私はいつも読むだけで、気が向いた時にしか返信しない。

別にヨウを焦らしているわけでも、意地悪をしているわけでもなく、それが私のスタンス。

それはヨウだけに限らない、家族でも友人でも。

 仕事中だろうに――――

スマホで確認すればいいのに、つい壁掛けの時計で時間を確認してしまう。


 もう、寝る時間ですか? こっちはまだまだ盛り上がっています


と、LINE。

昨日はシャンパンタワーの写真が添付されてきた。

LINEでのやりとりで仕事内容はホストとあまり変わらないらしいことが分かる(笑)

ヨウのような人に興味がある人が通うのだろう。

それと一緒に働いている人との写真も送られて来たこともあった。

画像を見る限りやはり、派手だと思う。

もちろん、ヨウを初めて見て感じた“美”もあるけれど。

やはり――縁遠い世界だ、私には。

あの中に入って行ける気がしない、外から傍観を決め込もう。


 飲み過ぎには気を付けて


それだけ入力すると送信した。

でも、と思い直して置こうとしたスマホをカメラモードにし、リビングの机の上にあるペットボトルを撮った。

私はお酒を飲まないので、ただのミネラルウォーター(笑)

それでも文字だけよりはいいだろう。

すぐに返事が来た。


 健康的でなにより(笑)


向こうはまだまだお酒をガンガン飲むのだろう、私の方はお風呂上り冷たい水と決まっていた。

または時々、炭酸飲料を飲む。

お酒の味は知らないけれど、雰囲気はよく知っている。

歓迎会、送別会、春のお花見に年末年始の忘年会と新年会。

会社勤めは色々と飲み会があるのだ、私はいつも烏龍茶だけれど。

私がLINEを送ってからはヨウからの返事は無かった。

仕事中なのだろうし、忙しいのだと思い私はスマホを置く。

まだ濡れている髪の毛をタオルで拭く、今日は残業だったのでいつも寝る時間がズレ込んでいた。

眠い。

いい大人だけど日中働き、なおかつ残業してきたので今日は疲労している。

その疲労は半分くらいお風呂に入って取れたものの、身体が温まったことにより睡眠を誘発していた。

 髪の毛を乾かし終わったら寝よう――――

そう思って私は動きの鈍い身体に鞭打ってドライヤーのある寝室に移動した。



私は朝、スマホの目覚ましで起きる。

大概の人は皆そうだと思う。

私の枕の下でスマホは小さいアラームから大音量のアラームを流した。

「――――――・・・」

枕で音は多少、小さくなっていたがそれでも音は大きくて私を起こす。

このまま寝てしまうのはマズいと身体が判断して、意識に働きかけて私はむっくりと起きた。

ベッドの上に座って、枕の下のスマホを探す。

まだ少し寝ぼけているのか、なかなか手がスマホに触れない。

「もう――・・・一体」

焦ってとうとう枕を持ち上げた。

すると消音効果で小さくなっていた音が直に耳に入って来る。

「はいはい、止めるから、ちょっと待って――――」

スマホを取り上げ、指をスライドさせると解除した。

ほう―――・・・

うるさい音を止められてホッとする。

さて、起きようかと思ったら急に電話が鳴った。

「?!」

こんな朝早く、電話してくる人間に心当たりはないので両親からの緊急電話かも知れないと思って着信画面を見ると予想外の人物からだった。

 ヨウ。

いつも、LINEかメールだけしか送って来ないヨウからの電話。

しかも、平日のこんな朝早く。

何の用なのだろうか、緊急ということはまずあり得ない。

「・・・・・」

とりあえず出るしかない。

さすがにこのまま放って置くのは鬼畜だろうし。

「はい、もしもし―――」

「――あ、たまみさん・・・?」

呂律が回っていない声が聞こえて来た。

酔っているのだろうか、いつまで仕事で飲んでいたか分からないけれど。

「ヨウ、どうしたの? 酔っているの?」

いつものヨウのはっきりした話し方ではない。

「酔ってないですよ――」

・・・思いっきり、語尾が伸びている。

酔っぱらいのたわ言は信じない私は、朝からため息を付いた。

なんで今日はこんな朝っぱらから電話なんてしてきたのだろうか、いつもちゃんとしているくせに。

「私はこれから仕事に出るから、切るわね」

酔っぱらいは放っておく、何かあっても自己責任だし。

「ま、待って・・・ください―よ――たまみさん」

「待たない、どうかしているわ、非常識よ」

私が進んで介抱するのは人に迷惑をかけていない人だ、思いっきり迷惑をかけている人には冷たく突き放す。

「あ・・れ、ここ―――臭い、なんだ・・ぁ―――ここ!?」

そんな声が聞こえた。

臭い・・・?

自分の家には帰らずにまた酔っぱらってどこかに寝ているのだろうか。

「ちょっと、大丈夫なの?」

「だい・・じょうぶ・・・また・・・ゴミが沢山ある―――」

ごみって――・・・嫌な予感がする、勘だけど。

当たって欲しくないと思いながら私は、軽く外に出歩ける服に着替えてアパートの部屋を出た。

例のゴミ集積場に向かうと嫌な予感が当たっていた。

仕事仕様のヨウがスマホを手にごみに埋もれている。


「何をしているの? ―――あなた」


呆れて何も言えないけれど、そう聞かざるを得なかった。


「あ、たまみ―――さん」


嬉しそうに答えるも、声はしゃんっとしていない。

明らかに酔っている。

朝からごみにまみれるのは嫌だったけれど、ヨウはもう見知らぬ他人ではないし今朝はごみ捨ての日だから後から来る人の迷惑を考えてヨウを連れ帰ることにした。


なんで私がこんな目に―――


「ほら、立って、ヨウ」

ごみをかき分け、手を伸ばして腕を掴むと埋もれている身体を引き起こした。

「ちゃんと力を入れて頂戴、あなたを背負ってはいけないんだから」

「たまみさん―――おはよう・・ございます・・・ぅ」

「ほら、ちゃんとして―――」

「ごみ・・・臭い―――自分がごみになった気分・・・」

「まったく・・・」

どうして2度もこのゴミ集積場に埋もれているのか、お店も住んでいる場所も全然遠いのに。

手間のかかる酔っぱらいに怒りを感じながらヨウを部屋に運んだ。


ドサッ

玄関に乱暴にヨウを投げ込むと鍵を閉めた。


「痛いっ」


「起きろ!バカ!」


さすがに堪に袋の緒が切れそう。


「いたいなあ―――・・・たまみさん、らんぼうすぎ」


上体を起して腕をさすりながらヨウが抗議した。


「その上着、最低限度の服を脱いで浴室に行く!」


私はいつもより声を大きくしてヨウのスーツの上着を脱がす、スーツはごみの袋から出た汁が着いたのか匂いが凄い。

髪の毛だってポマードがごみを吸い寄せている。


「たまみさん、エッチ―――」


「はあ? 何言っているのよ!さっさと脱いで行きなさい!!」


「――――は・・い」


さすがに私の剣幕に酔いが残っていたヨウも小さく返事をした。

のそのそと最低限度の服を脱ぐとよろよろと浴室に入って行った。

それを見届けると私はまたため息を付く。

玄関がゴミ臭い・・・脱いだ服はもう、洗うより廃棄するしかない。

しかし―――、一体なんだって毎回酔ってゴミ集積場でゴミに埋もれるのだか。

本人は記憶が無いって言うし、酔っぱらいの夢遊病?


「・・・会社、どうしようかなあ―――」


私は燃えるゴミの袋にヨウの汚れた服を入れながらそう呟いていた。





「参った―――今回は匂いが取れない」

私はヨウに30分以上シャワーを浴びさせた(途中で寝るので起こし起こし)。

どうにか酔いも醒まさせて出て来て髪の毛を拭いている彼女に言った。

ソファーに座っているヨウの頭に顔を近づけるとまだゴミのあの匂いがする。

「重ね重ね、すみません―――」

自分のしたことにヨウは身体を小さくして謝った。

「1度目は笑って許せるけど、2度するのはバカなのよ? 分かる?」

結局、私もゴミ臭くなってしまったから怒りも心頭なのでかける言葉もキツくなってしまう。

「・・・面目次第もありません、たまみさん」

「今夜も仕事なんでしょうに、こんなに臭くて出来るの?」

ファブリーズでも直にかけようかとすら思ってしまう、それくらいゴミの匂いが漂っていた。

「それに、どうしてお酒が強い癖に泥酔して、お店からこんなに遠い場所のゴミ集積場に埋もれているのよ」

「それは―――ホントに、まったく・・・」

理由なき謎。

ひょっとして、ワザとやっているんじゃないかと疑ってしまう。

でも、好き好んでゴミ集積場に埋もれることはしないだろうと考え直す。

ゴミの匂いは強烈過ぎて涙も出てくる。

「すみません、たまみさんが会社を休む羽目になってしまって・・・」

そうなのだ、ゴミの匂いが取れないので出社したくても出られない。

出てもいいけれどさすがにこの匂いのまま事務所に居るのも居たたまれないだろうと思う。

「―――また、シャワー浴びないと・・・無理か」

匂いが落ちるまで、いい香りが付くまであと何度かシャワーを浴びてもらおう。

それしかない。

ヨウは帰るって言ったけどこの距離でもこの匂いがするのだ、さすがに周囲の迷惑を考えると私の家の中で留めおくことが賢明だと思われる。

換気の為、窓を開けた。

「またしばらくしたらシャワー浴びて頂戴」

「はい、すみません」

謝りまくりのヨウ。

「―――朝ご飯、食べる?」

色々やっていて時計を見ればもうすでに10時を過ぎている、会社には今日は休むという連絡はしてあるので問題は無い。

「ここまでしてもらっているのにご飯までは―――」

「ついでね、胃が受け付けないって言うんだったら別だけど」

「・・・大丈夫です、あ、でもスープはありますか?」

ヨウが以前、美味しいと言った野菜スープか。

「ストックを切らしているけど、卵スープなら作れるわ」

市販されているものが沢山あるけど私は自分で作る、手間だけどそれがいい。

「それで、お願いします」

嬉しそうに言う。

ご飯じゃなくてスープを下さいと言われたのは初めて。

人に料理を求める時はメインを希望するのだろうに。

スープは私も飲むので、とりあえず二人分作って私はパンとサラダを食べることにした。



スープを作るのと朝食を作るのはそんなに難しくない、私にしたら調理に入らない工程の料理だから。

ヨウはスープを美味しそうに飲む、そんなに美味しそうに飲んでくれれば私も作った甲斐があるもの。

ただ、やはりあの匂いは付いて回る。

換気と洗面台の下にあった消臭剤を撒いてもまだ臭って来た。

「たまみさんは料理の天才ですね」

「おだてても何も出ないから」

何度も美味しいと言い、料理上手と褒める。

仕事柄おだてるのに慣れているからなのか、本心からなのか。

時々、ちらりと本心らしいキツイ事を言うのでどちらか分かりかねた。

「ホントに美味しいですよ、これはホントに。私は料理をしない人間なので羨ましいです」

「簡単な日常的な料理よ? 普通に出来ると思うのに」

「私はそういう人に会ったことが無いので、簡単なものというのが分かりません」

会ったことが無い、というのは珍しい。

「付き合った人は作ってくれなかったの?」

何となく聞いてみた。

付き合っていれば相手が自分のために作ってくれるというシチュエーションもあるのではないか、ヨウの方が作らなくても。

「―――そうですねえ、ほとんど外食かデリバリーでしたから」

苦笑してヨウは答えてくれる。

「ああ」

何と無しにヨウと付き合ってきた人たちのイメージは付いた(苦笑)。

それはそれで食に恵まれているのだなとは思う、プロが作った美味しいものを食べられているのだから。

「高いワインも有名な高級料理も確かに美味しかったですけど、こういうスープもそれに勝るとも劣らないですよ。ホントに」

「高級料理と私の料理を同列にするの?」

今度は私が苦笑した。

ヨウが飲んでいるのはスーパーで安く買った卵を使った、ただの卵スープだ。

どこそこの地鶏が産んだ卵でもなければ、ダシはコンソメの元。

「美味しいものは美味しいです、拒否されても私は同列に並べますよ」

「ありがとう」

私は素直にヨウの気持ちを受け取った。

彼女とは連絡先を交換して友達という立場になったのだけれど、短い間に距離が縮まり過ぎな気がする。

私は人にプライべートをここまで曝け出すことは無い、数年来の友人ならともかく。

「―――なんですか?」

私の視線を感じたのか、ヨウが聞いて来る。

「ヨウは変わっていると思って」

「・・・変ですか?」

「変じゃなくて――とっつきやすくて、人に警戒心を抱かせないのね。私、結構人見知りで初めて人と親しくなるには時間がかかるのに」

そう言うとヨウはしばらく動きを止めて私を見た。

「―――初めて言われましたよ、そんなこと」

「まあ、仕事仕様の時はちょっと身構えるけど」

「派手にしていますからね、それは仕方が無いです。仕事中は仕事をしているので皆ビジネスだと分かっていますし」

ごちそうさまでした、とスープ皿を空にして言った。

作ってくれたものに対してそう言ってくれる人は最近、少なくなった。

私はお店でも、自宅でも感謝は忘れない。

そういうことを無意識に出来る人はいい育ち方をしたのだと思う。

「どういたしまして」

いつもは(?)キッチンのテーブルで完結してしまうのだけれど、今日はヨウをリビングに入ってもらうことにした。

匂いが取れないことには自宅にもお店にも帰せないし、ずっとキッチンテーブルに居させるわけにはいかない。

「いいんですか?」

「私たち友達よね? 友達をキッチンテーブルに置いておくなんてできるわけがないでしょう?」

再度、確認して来たヨウに言い返す。

彼女は頑なに私のプライベートに立ち入ることを拒否していた。

2度も浴室を使って、キッチンテーブルでスープを飲んだくせに私は今更と思うのだけれど(笑)

それにその時、海で私を抱え上げてあんなことを言ったくせに。

矛盾している。

「じゃあ、失礼します」

仕事仕様の彼女を見たことはあるけど、仕事中の彼女を見たことは無い。

私が知っているのはプライベートの方、そちらの方を見せつけられると仕事仕様の彼女もどんな風に働いているのか少し気になった。

多分、お店には行かないと思うけれど。

「TVは勝手に見て、DVDも棚にあるから取ってもらっても構わないから」

リビングには木製本棚に好きなDVDと本の棚がある、私の趣味の。

片付けはいつもされているので急な来客にも対応できる、私は基本的に散らかすことはしない質なので。

「へえ、たまみさんはアクション映画が好きなんですか?」

DVD棚のラインナップを見て言ったのだろう。

確かにあそこには和洋のアクション映画が並んでいる。

「好きよ、鬱とした時に見るとスカッとするから」

「――――ですよね、私も嫌なことがあったら朝一の映画館に行きます。レイトショーはほとんど終わっていることがあるので朝イチで」

沸かしていたお湯が沸いたのでポットに移動させる。

うちはケトルなどと言うものはないので、やかんからポットに。

文明の利器は便利だし、否定はしない派だけどやかんからポットに移す作業も好きなのでずっとこのようにしている。

「映画代が勿体ないわ」

「ですよね、でも暗い映画館で最近はシートもいいので眠くなってしまうんです」

「―――仕事でお酒を飲んだのに映画館に行くからよ、眠くなるのは当たり前でしょうに」

もう寝て下さい、というお膳立てがすでにできているのだから(笑)。

「そうだ、たまみさん。今度、映画に行きましょう」

などと急に提案してくる。

彼女は常に『行きませんか?』という疑問形ではなく、『行きましょう』と、下手したらこちらの事情も考えないように聞いて来る。

けれどその言い方は、私に嫌な印象を与えなかった。

意識しているのか、していないのか。

「お休みが合わないでしょうに」

仕事のことについては聞いたことは無い、友達になったとはいえ私にさほどヨウの仕事に興味はなかった。

ただ、仕事の形態はヨウと話している会話から察することが出来る。

金土日は特に稼ぎ時だということ、世間一般的な週休二日としており金曜日以外は被ってしまう。

「大丈夫、毎週仕事に出ているわけじゃないから。ローテーションがあるし、お休みも普通にあるよ」

「1日休んだら大変なんじゃないの?」

仕事の大変さの程度は分からないけれど、色々お店での指名数とかお客さんの取り合いとか。

「私は友達を大事にするタイプで、仕事よりプライベートを優先します」

TVから聞き慣れた音楽が流れて来た。

ヨウが選んだDVDをデッキに入れて再生したようである、私の手元にあるものは何度も見たやつなので覚えてしまっている。

「それに今日、またすごく迷惑を掛けたから、それのお詫びにデートしましょう」

また―――私の都合を聞かない(苦笑)

しかも、デートって・・・映画を観に行くんじゃないのか。


「・・・・計画的、じゃないわよね?」


私はコーヒーをマグカップに入れてリビングに持っていくとヨウに言った。

「まさか、わざわざゴミに埋もれてまでたまみさんの気を引きたいとは思わないよ。すごい匂いだし、スーツもダメになるしで、いい事は全くない」

ため息を付き、自分の匂いをかぎながらヨウが言う。

「―――そうよね」

私の考えすぎだったようだ、そんな人間が居たらどんな変態なんだか。

「あ、たまみさん、ありがとう」

マグカップを受け取るヨウ、私もその隣に座った。

硬いソファーなどは無く、人をダメにするソファーが一つとクッションが2つあるだけ。

下はフローリングの上に畳を敷いている。

私は畳のあの感触が好きで、毎年買い替えていた。

「最近のより少し前のものが多いね、DVD」

「今のもいいけど、棚にある作品が好きなの。最近は技術が進歩したからCGとか凄いけどまだ無かった時代の作品のオリジナル性や独創性がいいの」

私がそう言うとヨウは驚いたような顔をした。

「なに?」

「たまみさん、結構映画マニアだったりする?」

「違うわよ、普通の人より毛が生えただけ。こだわりなんてないんだから、気になった映画は見るわ」

「良かった、映画に誘って中途半端な知識を曝け出したら呆れられるところだった」

今度は目の前でヨウはホッとする。

「そんなにこだわって見てもつまらないでしょ? 映画は娯楽なんだから問答無用で楽しめないと」

コーヒーにしたけど私の場合はミルクをたくさん入れて、カフェオレにしてしまう。

ヨウには以前、好みを聞いていたのでそのままのブラックコーヒーを出す。

「たまみさんはアクション映画が好き、と―――」

スマホを手に指で素早く何かを入力した。

「それ、私の個人情報?」

「お客さんもこうやって連絡先のメモに、特徴とかその人の趣味とか入れているの」

まあ、接する人が多いと覚えられないこともあるしいい記憶方法だと思う。

「ちなみに、電話帳には何人くらい入っているの?」

ちょっとした興味。

そういう仕事をしている人の電話帳はフルに入っているのだろうか?と。

「300人くらいかな、私は少ない方だよ。同僚は2台持っている奴も居るし」

「その2台持ちの人は本当に電話帳がフルなのか、人によって使い分けているのかよね」

意地悪なことを思いついてしまう。

仕事柄、モテるのだろうし中には複数の女の子と付き合う人も居るかもしれない。

「ふふ、どうでしょうね」

ヨウは含み笑いで返す。

もう、それが答えになっている(笑)

「あと、何かありますか? この機会にたまみさんのこと色々登録しておこうかな」

「私からは何も無いわ、ヨウが自分で見つけて」

私には彼女に付くお客さんのように好かれようとする必要が無い。

だから、アピールしてもしょうがないと思う。

「えー」

そう言ったヨウを無視して私はTVに目を向けた。

今日1日は何もすることが無い、匂いが取れなければ出掛けることも無理。

何度も見たDVDをまた見て過ごそう。




本日、3度目のシャワーをヨウが浴びて来た。

DVDはそれまでに2本見て、3本目を私が見ている間に浴室から出てきた。

時刻は19時30分過ぎ、いつの間にやら会社の定時が過ぎ、残っていたら残業している時間。

夕飯は面倒くさかったのと、ヨウが奢ってくれるというのでデリバリーピザにした。


「どうかな? 匂い取れた?」


DVDを一時的に停止し、夕飯の準備をし始めた私にヨウが近づいて来る。

あの匂いは―――無い。

今朝から昼にかけては空気中に漂っているようなゴミの刺激臭を今は感じない。

くんくん。

私は顔を近づけて匂いをかいだ。


「うん、取れたね。匂うのはシャンプーの匂い」


「たまみさんのボディシャンプーの匂い、あ、メーカーは・・・追加情報」


「・・・ヨウ」


頭を拭きながらまたしてもスマホを手にしたので私はそれを止めさせた。


「?」


「ご飯、食べてからね。準備したから」


ふっと、笑われる。


「何か、おかしい?」


「ううん、なんかいいなって思って」


ピザの夕食が?


「うちに帰ると一人だし、同僚やお客さんと食べ行っても騒がしかったり、色々考えることがあるし、落ち着かないんだけどたまみさんとだと穏やかに過ごせる」


「まだ、知り合って間もないからよ。私もヨウの事はまだ知らないし」


「多分、同僚のように争うことも無いし、お客さんみたいに狙いとか無いから気楽でいられるんだと思う」


「その言い方だと、随分余裕なく生きてきたみたいな感じね」


「私は闘争の中に生きているのである―――」


「誰かの名言?」


ピザをひと切れ取ると自分のお皿に乗せた。

今日の夕飯は自分で食べたいだけ取るようにする、何から何までやってあげるわけではない。

ヨウはちゃんとそこら辺は分かっているみたいだけど。


「誰でもなく、何となく。打算を感じない付き合いって気楽でいい」


ヨウは豪快にピザを食べる、シーチキンとアンチョビは嫌いらしい。

私はピーマンが苦手。



「確かに私には打算はないね」


そもそもヨウにすり寄る必要性が無い。

友達として連絡先を交換した。

自宅の浴室を貸し、一緒にご飯を食べているけれどそれは友達としての範疇だ。

ヨウに対して特別な感情を持っているわけでもない。


「たまみさんと友達になれて良かったです」


3口でひときれを食べきるヨウ。

朝までアルコールを飲んでいたので、コーラを飲む。

ピザとコーラの組み合わせは最高だとヨウの言い分には賛成する。

でも、それは自分にブーメランのように返って来るけれど(苦笑)

それでも、美味しいものは後悔しても食べてしまうのである。


「ピザを食べながら言う事じゃないでしょうに」


「いや、こうして食べながらだと逆に言いやすいからいいんです」


言いにくい事なのだろうか、出会えて良かったという事は。


ヨウと会って少しだけ、自分の中で彩りが増えたような気がするのに。

海などここ数年行ったこともなかったのに、急に誘われて行った。

誘われなかったら今もずっと行かないままだっただろう、それに―――

いきなりやってきて、突然海に行こうと誘われてもヨウでなければいかなかったと思う。

強引だったが、相手を嫌な気分にさせない誘い方だった。

久しぶりの海で楽しんだことは確かだし。

その結果、友達になることで連絡先を教えることにはなったのだけれど。

面白い経緯の経験だと思う。

あの日、ゴミ集積場で気に止めたものの無視していたら知り合うことは無かっただろう。

よくあのゴミに埋もれたヨウを引っ張り出してお風呂を貸し、服を貸したと今では思う。

見惚れるほど、美しかったけれど不審者極まりないのに(苦笑)。


「次、ごみに埋もれていたらもう助けないからね。いい?」


念を押す。

毎回・・・ではないけれど、これをやられると、いい加減わたしの我慢が切れる。


「―――分かりました、肝に銘じます」


この件に関しては落ち込んでいるようなので、ヨウは私に言われてしゅんとなる。

原因が分からないのがねえ・・・記憶も無いというし。

無意識ならまたやるような気はする。

でも、今度は助けないと言ってあるのでヨウ自身が自分に言い聞かせるだろう。

それを期待することにした。



「今日はありがとうございました」

玄関でまさかのために買っておいた服を着たヨウが言う。

本当にまさかが現実になって私は苦笑しながらため息を付いたものだ。

でも、もう次は無い(笑)

「ホントに匂いは消えたわね、代わりにいい香りに包まれているけど」

「これなら今夜もいつもよりモテそうですねえ」

などと悠長な事を言う。

いや・・・どちらかといえば、苦笑される匂いじゃないかなと思う。

場にそぐわなさそうな香りだもの、香水と違って。

「じゃ、今夜も頑張って仕事をして頂戴」

「はい、今度映画に誘いますね」

「期待しないで待っているわ」

即答するとヨウは苦笑する。

「そこは期待してくださいよ、たまみさんに社交辞令は言いませんから」

にっこり。

嘘ではないのだろうな、と思う。

どうやら本気で気に入られてしまったようだ、彼女に。

大体、相手が自分の事をどう感じているかは雰囲気で分かる。

好意を持っているか、苦手意識を持っているか、良く思っていないか。

「―――はいはい、じゃあね」

私はヨウを玄関から追い出す。

「連絡、楽しみに待っていてくださいね」

ヨウは私に押し出されながら言った、追い出されるのに抵抗しながら。

そのやりとりが面白いので私は笑いながら扉と鍵を締めたのだった。




それからというもの、ヨウはマメに私を誘うようになった。

ただ、ちゃんと私の事を考えてくれているのかしつこくない程度に。

あの、疑問形ではなく相手の事を考えない誘い方は変わっていない(笑)

私の方も、スタンスは変えない。

頻繁に来るLINEには気が向いたら返信するくらい。


「暇なのでお店からかけています」


ヨウは通話の向こう側で言った。

仕事を定時上がりとし、1時間かかってアパートに帰って来てホッとしたところに彼女からの電話がかかって来たのである。

私はやかんに水を入れてコンロにかけながら電話を受けている。

「私は今、帰って来たばかりなのよ」

ゆっくりしたいというのが正直な感想。

電話じゃなくて、LINEにしてくれた方が助かるのに。

「すみません、ちょっと声が聞きたかったので―――もう帰って来たかなと思って電話してしまいました。怒ってますよね・・・」

「ちょっと機嫌は悪いかな、でも瞬間的な事だから大丈夫」

スマホで通話をしながら私はビジネススーツを脱ぎ、部屋に向かう。

スピーカーモードで話すには帰って来てすぐは行動が多いため、向いていない。

「声が聞きたいって、友達に言う事じゃないでしょ」

予防線、予防線。

「いや、聞きたかったのは本当ですし」

「―――疲れているの?」

声が聞きたいだなんて、そんな風に思うのは私じゃなくてもいいだろうに。

他に誰かが居ない訳でもないだろうし。

「疲れていません、本当に聞きたかったんです。お忙しいところすみませんでした」

心なしか声のトーンが下がったので、私の方が気にしてしまう。

対人相手だとヨウの方が経験豊富だから私なんて容易いんだろうな、と思う。

「そういう事はお客さんに言ってあげるべきね、私に言っても私は喜ばないのに」

「―――まあ、そうですね」

なんとなく鈍い返事が返って来た。

「今度から電話は止めてLINEの方にします、その方がたまみさんが好きな時に確認できますから」

あまりにも寂しそうに電話の向こうで言うものだから私も動かされてしまう。

「―――電話をくれるなら最初にLINEで連絡してからにしてくれると都合のいい時間を言うから」

「たまみさん?」

「そういうこと、もう二度は言わない」

「ありがとう、たまみさん」

向こうで嬉しそうな声が聞こえる。

 まったく、ゲンキンなんだから―――――

「夜遅くはダメよ、私は次の日は会社に行かないといけないんだからね」

まあ、無理だとは思う。

ヨウの仕事は深夜過ぎまであり、途中で電話を掛ける暇などあるわけがない。

となると、この時間になってしまうのだ。

「たまみさんの声が聞けて良かったです」

「私だから誤解しないで聞けるけど、ヨウはもう少し言葉を選ぶべきね」

「本当の事ですから仕方がありません」

きっぱり言い切る。

私が予防線を張って、境界線を作るのにヨウはそこを越えてくる。

乱暴にではなく、さっくりと自然に。

「もう、切るわね。後はLINEで」

「―――はい」

私はダラダラしないタイプだ、友人と会って駅で別れる時はさよならと挨拶をしたらすぐに離れるし。

いつまでも友人たちと固まって駄弁っていない、通話を切る時も同様だった。

男みたいだと言われることもあるけど用も無いのにその場に居たいとは思わない。

プツ

通話を切ったので寝室にある小さなデスク机の上に置く。

しばらくスマホを眺めていたけれどそのままで居るわけにはいかないので部屋着に着替えると私は部屋を出た。




平日は会社を往復することで終わる、大概の会社員は同じだと思う。

ただ、今日は会社の上司が奢ってくれるというので仕事終わりに居酒屋で集まっていた。

金曜の夜だとサラリーマンたちで溢れるけれど、火曜日だとあまり混んではいない。

私的には喧騒の中でご飯を食べるよりはずっと良かった。

飲み過ぎた隣の席に来ていたサラリーマンたちにちょっかいを出されることも無いし。

職場は5人くらいなので規模的にもいい、机があまり広がらなくていいし。

内訳は上司を含めて男性3人、女性は私と既婚の一人。

掘りごたつの個室で飲んでいた。

大概、女性はお酌をするものだけれど私たちの職場の上司はそういうことを嫌い、こういう場では慣習的なことはしなくてもいいと宣言していた。

自分が飲みたければ飲むし、部下にも私たち女性陣にもお酌はさせない。

もちろん、私たちからすれば受けてくれるけれど。

男性陣も慣れたもので自分のコップを満たすし、飲むひとりの女性には注いでいる。

私は飲まないのでウーロン茶をいつも頂いているのだけれど。

1時間過ぎ、結構お酒が入って来た職場の人たちを横目に私はスマホに届いたLINEに目をやった。

上司はお酒の席でスマホを見たり、操作することも咎めない。

毎回、私は酔いそうな人より遠い場所に座ることにして災難を避けていた。

幸い、誰とも会話をしていなかったのでスマホを操作して確認する。

声をかけられたら相手をすればいい。


 今日はお休みです、たまみさんは何をしていますか?

 お店から帰って来て、ずっと寝ていました。


ヨウからだ。

定休日なしの仕事だと思うので休暇の取得タイミングが私には分からない、シフトも知らないし。

本人が休暇を取りたいと思った時なのか。


 私は職場の飲み会に参加しているところ。

 飲まないけど、美味しいものが食べられるのはいいよね。


 たまみさんと外で食べることは無かったですね、今度食べに行きましょう。


食べに行きましょう―――またもや肯定から入る。

もう、慣れたけど(苦笑)。


 スマホなんかいじって怒られませんか?


 今、ほろ酔いみたいでみんな私のことは気にしないみたい。


 飲み会、何時ごろ終わりますか?


と、きた。

思わぬ問いかけ。


 どうして?


 飲み会のあとは〆に行きますよね? 

もしよかったら、そちらを断ってお茶しませんか?


 〆に行くかどうか分からないでしょう?

それに今日は平日なのよ、明日も仕事。


と、返す。

一瞬、ヨウと喫茶店でカフェオレを飲む姿を想像してしまった。

いいかも、と思ってしまった自分を落ち着かせる。


 遅くはなりませんから、それに車で送りますよ。


それって、電車がなくなることを前提で言っていない?(苦笑)

スマホの時計を見るとまだ、19時30分を過ぎている。

飲み会は平均2時間程度、あと30分ほどで解放されると思われた。


 久しぶりにたまみさんの顔が見たいです


私を誘う口実の言葉を『会いたい』ではなく『顔が見たい』という言葉に変えたらしい。

以前、友達が言う事じゃないと私が言ったことを汲んでのことだろうか。

会いたいでもそうだろうけれど、ヨウに仕事仕様でそんな事を言われたらほとんどの女性も二つ返事だろう。

私は返事を少し躊躇した。

いつもなら即、否という返信をするのだけれど今日はなんとなくヨウの言葉が心に引っかかっている。

ヨウの言葉に乗るのもいいかな―――

映画はまだ一緒に観に行けていない、何度か誘われたけれど断っていた。

用事があったことと、気分がのらなかったことで。

今日のお茶の誘いには、珍しく気持ちが揺らいでいる。

お茶が飲みたいのではなく、ヨウとお茶をすることに興味があるように。

ただ、ヨウは仕事仕様じゃなくても目立つのであまり一緒には居たくないとも思っていた。

一度、誘い出されて一緒に食事をしたことがあるけれど女性たちから羨まし気な視線、妬み嫉みの視線を浴びせられた。

あれはあまりいいものではない、気分が滅入って来る。

あれを優越感と捉えられる女性は、よほど自分に自信があるのだろうと思う。

ヨウの誘いに乗れば、また嫌な気分になることを考えてしまい返信出来ない。


 たまみさん、コーヒーがダメみたいですけどダメな人も大丈夫なお店があるんです。

 行くなら行きましょう。


私の既読を確認したのか、ヨウは言葉を続ける。

コーヒーがダメなのは話したっけかな―――そう思いながら顔を上げて周りを見た。

うちの職場のほとんどはお酒が飲めるので、私以外は酔っぱらいながら呂律の回らない口調で話しをしている。

私だけ飲めないということで楽しくないわけではなかったけれど、どこか自分は俯瞰的に見ていたと思う。

一段、高いところから。

私はぐるっと様子を一瞥してからスマホの画面に視線を落とし、メッセージを入力した。




21時15分、ヨウは待ち合わせ場所にやって来た。

駅前のロータリーに海に行った時に乗せてくれたあの車で。

随分と派手な登場だと思う。

ヨウが住んでいる場所について私は聞いていない、頑なに友達の枠を越えないために。


「たまみさん、おまたせ」


開いたウインカー越しにヨウは笑顔で言った。

「お茶するのに車で迎えに来たのはあなたが初めてよ」

「嬉しいですね、たまみさんの初めて」

「――――誤解するような言い方はやめて」

私は苦笑して助手席に乗り込む。

「飲み会でお酒が飲めないなんて、すごく残念ですよね。一滴も飲めないんですか?」

シートベルトを締める私を待ちながらヨウが言う。

「―――飲めないわけじゃないわ、でも・・・一口二口で顔が赤くなってふらふらするから飲まないようにしているの。病気のこともあるから」

「飲んだことはあるんですね」

「ええ、随分と昔にだけど」

少しのアルコールでも酔ってしまうし、迷惑をかけてしまうかもしれないから飲まないようにしていた。

「でも、私が誘うのはお茶かコーヒーなので大丈夫ですよ」

「ええ、ヨウはそこのところを分かってくれているから返事をしたの」

それに無事にアパートまで送ってくれることも。

車を走らせて40分くらい、随分と走る。

まあ、本日中またはそれを少し超えたくらいにアパートに送ってくれればいいなとは思っていた。

パーキングに止めて2分くらい歩くと目的のお店があった。

細長いビルの5階、両隣は大きなビルだったけれど、夜の暗闇に間接照明で浮き上がって見えた姿は雰囲気が良かった。

「ビル自体は昭和からのやつなんです、古めかしいですけど震災を乗り越えて来た頑丈な建物なんですよ」

ヨウは説明しながらビルの入り口の扉を開けてくれた。

人がすれ違えるかわからないくらい狭い、これは階段かなと思ったら奥にはこれまた古めかしい見慣れないエレべーターがあった。

よく、アメリカ映画で使うような鉄格子で中が見えるもの。

存在については知っていたけれど、実際に見るのは初めて。

「すごいのね、まだこんなものが残っているなんて」

エレベーターは2人が定員で私とヨウが乗ったら誰も乗れない(笑)

「このビルのエレベーターがこうなので、ここに来るときは2人か1人で来ます」

「階段は? 裏側の外にあるの?」

階段の存在は表からは見えなかった、エレベーターしかなかったら災害時避難できない。

「はい、裏側に。まあ、ほとんどビル丸まるオーナーが一緒なので来る人間は限られるんですけどね」

チン。

聞きなれていないのに、何か懐かしい音がしてエレベータが止まった。

すぐ前に木製の扉が現れ、金の彫刻でお店の名前が彫ってある。


〔クリーフ〕


「さ、どうぞ」

「ありがとう」

その扉もヨウは開けてくれ、私を先に中に入れてくれた。

「いらっしゃいませ」

すぐに初老の男性が私たちを迎え入れてくれた。

お店はビルの外観からは想像つかないくらい結構広く感じた、机の配置も個数もカウンターも程よい。

それに雰囲気もどこか昭和感が漂っている。

「こっち」

ヨウは慣れた様子で初めての私の手を引いて座るべきテーブルに案内する。

彼女に手をつながれるのにはもう慣れた(苦笑)

別に意味などなく、誰にでもしているのだろう。

それに私もお店の先客の、客層にホッとしてそのままにした。

皆、入って来た私たちには目もむけず自分の世界に入っている。

満席というわけではなかったので4人掛けの席に座る、すぐにヨウはメニューを取って私に渡した。

「たまみさん、あの入口からは想像もできない店内でしょう?」

「そうね、あのエレベーターにもびっくりしたけどお店にも」

「メニューもね、懐かしい感じなの。まあ、懐かしいっていっても私たちの世代じゃないんだけど」

「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

さっきのネクタイをしてチョッキを着た店長らしき初老の男性がおしぼりとお水を持ってきてくれてすぐに下がった。

「ここのコーヒー、美味しいから飲んでみてよ。たまみさん、苦手なのは知っているけど騙されたと思って」

「・・・・・」

メニューを見て考える。

せっかく、美味しいと言ってくれているのに飲まないのは悪い。

しかし、私はコーヒーというものは苦く、とても美味しいとは思えないのでカフェオレかミルクコーヒーにしていた。

「じゃあ、飲めなかったら私で引き受けるから。その時は違うもの頼んでよ」

それなら―――と、私はヨウの勧めるブレンドコーヒーを頼んだ。

ヨウも同じものと、ホットサンドを頼む。

「食べ物もね、美味しいんだ。仕事終わりに来ることもあるかなあ」

メニューをなんとなしに見ていたら営業時間がとんでもないことになっていた。

「24時間?!」

「そうだよ、さっきお水とおしぼりを持ってきてくれた人がオーナで、交代だけど24時間営業してる。深夜をすぎて美味しいコーヒーと料理のお店が開いていると嬉しいよね」

「お店、近いの?」

「ううん、タクシーで来る」

「ああ―――タクシーね」

ここら辺は金銭感覚の差だろうか(苦笑)。

まあ、自分で稼いだお金だし使い方はその人の自由なのだからタクシーで乗り付けてもいいだろう。

実に羨ましい。

さほど待つ時間なく、コーヒーとホットサンドが運ばれてきた。

香りがいい。

匂いだけならいいんだけど(中には納豆の匂いのようなコーヒーもあるけど)

「砂糖は入れてもいいわよね?」

私はヨウに聞く。

「ぜひ、砂糖だけじゃなくてミルクも入れてください」

ヨウに笑われる。

だって、コーヒーを勧められているのだからそのまま飲むのが筋ではないのか。

「砂糖もミルクも入れても味わえますから」

家ではコーヒーにミルクを大量に入れ、ほぼミルクっぽいカフェオレになる。

さすがに家と同じようにはせずに、ミルクと砂糖は少しとした。

ひとくち飲む。

「―――美味しい」

「でしょう?」

ヨウが嬉しげに笑って頷く。

「苦くない」

「本当に美味しいコーヒーは苦くはないんですよ、苦みっていっても顔をしかめるほどでもないですし酸味もね」

これはイケる。

飲み会で食べて飲んだというのに、飲めてしまう。

「ここが締めってことで、プリンアラモードもお勧めですよ」

「ヨウは私を太らせるつもりなの?」

私に夜遅く甘いものを勧めるとか。

「美味しいものはゼヒにでも食べてもらいたいです、そのあとに来る反動にはその時対応すればいいんですから」

「簡単に言ってくれるわね、1キロ落とすのにも大変なのに」

ヨウは背が高く、痩せている。

容姿も仕事に直結するから何かやっているのかと以前聞いたら『なにも』と言われた。

羨ましすぎる、毎日と言っていいほどお酒を飲んでいるというのに。

「たまみさん、太ってないですよ。女性って他人以上に自分に厳しいですよね、第三者はそんなに太っていないと思っているのに」

「・・・・そう?」

「うん、たまみさんはそのくらいがいい。抱き心地が良さそう―――あ、ごめん」

途中、口が滑ったのかヨウの心の声が洩れ出た。

「いいけど」

思うだけで手を出しては来ないから。

ヨウは気まずさを隠すようにホットサンドに喰いつく。

美味しそうに食べる。

私の作ったスープを飲んだ時もそうだったけれど表情がいい、作った私も作って良かったと思える。

「美味しい?」

「うん、たまみさんも食べる?」

残っている一つを私にくれようとする。

「さすがに一つは多いから今食べているのを少し頂戴」

飲み会後なのだ、時間が経ったとはいえ空腹ではない。

「これ?」

「そう、そのあとひとくちしかないやつ」

私は笑って言った。

「食べかけだよ、こっちをあげる」

私にくれようとして持った方をヨウは前に出す。

「それは多すぎるの、こっちでいいから――」

「あっ」

ヨウの食べかけのホットサンドを持っている手首を取って引き寄せると、ぱくりと食べた。

「あ―――そんな食べかけ・・・普通、食べるかなあ」

「これくらいでいいの、あ、ホントに美味しいわね」

手作り感があって、味も懐かしい感じ。

「たまみさん、夜の方が大胆になるね。びっくりしたよ」

「あ、ああ? 嫌だった?」

ヨウに言われて自分が思い他、大胆なことをしたのに気づく。

「ううん、全然。驚いたけどたまみさんにされるのならいいかな、それくらい信頼度があるってことでしょ?」

「・・・まあ、それは」

自分でして、ヨウにそれを指摘されたらあとからじわじわと恥ずかしさが湧き上がって来た。

「もう、忘れて―――恥ずかしいから」

「いや、忘れない。たまみさんの指の感触も覚えておく」

「やめてよ、もう―――そんなの変態よ」

ははっはとヨウが笑う、からかったのか。

「今度は日中じゃなくて夜に誘おうかな」

「含みがあるなら夜には来ないから」

コーヒーを飲む、本当に顔をしかめることなく飲めるくらい美味しい。

ホットサンドもひとくちだったけれど美味しいことはよくわかる、連れて来てもらったここは当たりだ。

「それは困る、たまみさんは私の癒しなのに」

「どこが?」

「一緒に居ると仕事の嫌なことも忘れちゃうからかな」

「嫌なことが多いの?」

私もそうだけど社会人だけでなく、ほとんどの人は日々に嫌なことを抱えているだろう。

「最近はね。だからちょっと癒されたいなと思ってたまみさんに連絡してみた」

「大変ね」

私は手を伸ばしてヨウの頭を撫でてやる。

「たまみさん・・・」

「嫌なこと、飛んでけ―――」

「もう・・・でも、ちょっと嬉しいかな」

苦笑してヨウは

「そうか、そうか」

何度か撫でてあげたら満足したのか、もういいからと断られた。

「癒された?」

「子供に戻った気分かな、大人になると撫でられないから」

「ヨウはそういう人は居ないの?」

興味本位で聞いてみた。

「居たらたまみさんを誘わないって、変な勘繰りも受けるだろうし」

「作ればいいのに」

「それがなかなかね、妥協したらそれはそれでストレスになるし」

はあ、とため息をつく。

「大変ね」

「そういうたまみさんは? どうなの?」

私に返ってきたので私は苦笑して答える。

「今のところ一人の方が楽ね、気兼ねしなくていいのは楽でいいかな」

色々なことを経験すると結局は一人に行きつく。

自分は誰か隣に居ないと寂しいとか、嫌だとか思わない。

結局、最後は一人なのだし。

「毎日、楽しんでる?」

「それなりにね、楽しいことを見つけて楽しまないと損よ」

残り少なくなったコーヒーのカップを持ったまま。

「だよね―――」

ヨウはそう言うとホットサンドの最後のひとくちを食べた。



場所に不似合いな高級外車がアパートの前に止まる。

時間はやはり0時を過ぎてしまった。

意外にも、ヨウとの話が弾んだこともある。


「じゃ、気を付けてね」


「ほんの少しよ」


「ほんの少しの距離でもだよ、着いて鍵を閉めたら連絡して」


「心配性ね」


私は笑う。


「笑い事じゃないよ、知り合いのホステスさんとか家に入る時に暴行被害にあった人が多いんだから」


真剣な顔で言うのでそれ以上、私は軽口を叩けなくなる。


「ありがとう、ヨウ」


「玄関まで送ってもいいんだけど、そのまま押入りたくなっちゃいそうだから」


「それ、言わない方がいいのにどうして言っちゃうかな」


ヨウは時々、私の許容する範囲で口にする。

言わないで心にとめておけばいいのに。

言うだけでさすがに実行には移さないのはよく我慢していると思う。

ヨウがどういう人間なのか私はまだよく知らない、知っているのはほんの少しだけ。


「ついね、たまみさんが拒否しないから」


「嫌がって拒否したらどうするの?」


正直いうとヨウに誘われるのは嬉しい。

自分でひとりでいるけれど、やはり時々は人恋しくなる。

それは肉体的なことではなく、精神的なもの。

ヨウ自身も言っているけれど、一緒に居て気楽なのはいい。

付き合っているからと愛情を強制的に要求してくる相手は私も疲れる、一対一なのだから片方が強制するのはどうかと思うのだ。

本当に合う相手なら自然と愛情を求め合うし、どちらかがストレスをためることはないのである。


「嫌? たまみさん、嫌なの?」


「例えのことよ」


思っているだけで実行しないことが分かっているから私は余裕を持って対応できる、自惚れかもしれないけれど。


「友達はこの先もずっと友達になることが多いから、失いたくない。特にたまみさんは友達として今までで最高だと思う」


「過去、いい友達が居なかったの?」


最上級の褒め言葉をいただいた私だけど、ヨウについてちらりと不安がよぎる。


「友達はいるよ、でも―――友達として心底信頼できる人っていうのは極わずか」


「出会ってまだそんなに経っていないのに私のことをそんなに信頼しちゃっていいの?」


随分と信頼されていると思いながら、その思いに危うさを感じる。


「信頼しているし―――いや・・・なんでもない」


ヨウは途中で言葉を切った。


「これ以上話していると遅くなるよ、早く部屋に戻って」


「ヨウ」


「ほら、早く」


らしくなく、追い出そうとする。

私も時間が時間だし、仕方なく助手席のドアを開け外に出た。


「―――ヨウも気を付けて」


なんだか、別れ際の雰囲気が良くない。

途中までは楽しく過ごしていたのに。


「また、連絡してもいい?」


「当たり前でしょ」


注意は付くけど。


「うん、ごめん。最後に雰囲気悪くしちゃって。ほら、行って」


どうやら私が部屋の扉を入ったのを確認してからじゃないと帰らないつもりらしい。

頑として車のエンジンをかけない(苦笑)

私としてもここにずっといられるのは困るのでアパートに向かった。

玄関を閉める時にやっとエンジンがかかる音がし、扉を閉めるとその音は聞こえなくなった。





ヨウから連絡がない間に男性に告白されて付き合うことになったのだけれど1か月しかもたなかった。

合わせようとしたがやはり自分が納得しないとストレスがたまる、やはり一人に慣れてしまうと相手に一人でいる時同様の快適さを求めてしまう。

相手は相手で自分の要望を私に望むのだから平行線のままだ。

人の出会いと関係の継続は難しい、特に男女の色恋が関わったものは。


「たまみは、どこかで折れないと」


幼馴染の親友と会う機会があって喫茶店で話したらそう言われた。

「私が折れるの?」

そのいい方は賛成しかねたので不機嫌さをみせて言い返した。

「たまみは強情すぎ、もうちょっと相手に合わせないと婚期遅れるよ」

「別に結婚したいとは思わない」

実のところ、興味は無かった。

友人たちは結構、すでに結婚していてしていない私の方が目立つ。

だからといって焦って結婚するつもりはなかった、両親の離婚を見て来ているから特に。

「そう? でも付き合うなら自分の事を押し付けるよりやっぱり引くことも覚えないと」

皆、そう言う。

それなら私はやはり合わない人とは付き合わない方が良かった、変な我慢をするより。

「私の希望を叶えてくれるそういう人が現れるまで待つか、そのまま一人でもいいか」

「ま、たまみがいいなら別にいいけど。私アドバイスしただけだから」

友人、紗理奈は紅茶を飲んで言った。

「アドバイス、役に立たないんだよね」

「ただ、私に言いたいだけだったの?」

「そうかも」

全部でも、詳しくなくても話すことは気持ちの落ち着きにつながる。

それと男性と上手くいかなかった理由のひとつに思い当たることがあったことも話すきっかけとなった。


あの快適さと心地よさに慣れてしまったら、他の人では上手くいかない―――


分かっているし、自覚している。

なのに、素直にそれを認めることができない。

認められないのは自分の中で無意識に彼女と距離を取ってしまっているのかもしれなかった。

「たまみの人生だからね、好きにしたら。今のように私はアドバイスするだけ、それを参考にするかしないかはたまみ次第」

紗理奈はそんなに感情的な友人じゃない、冷静に相手をしてくれるタイプだ。

私自身、感情を込めて恋愛のアドバイスをして欲しいとは思っていない。

そんなものはうざったくて途中で飽きて聞いているふりをしたまま頭の中では違う事を考えてしまうだろう。

「たまみが好きなタイプは何でも許してくれて、あまり干渉してこないっていう、居なさそうな男性ね。見つかったら奇跡だわ」

「何でも許してくれる、とかは求めてないわ。干渉と押し付けが嫌なの」

「愛情は干渉の一部だと思うけどね、私は。押し付けについては頷くけど」

「じゃあ、私がその愛情を不快に思ったってことはその人は私が求める人ではなかったってことね」

「不快じゃ、合わないわね・・・私だって好きでもない人に言い寄られても嫌だもの」

「今、思うとなんで付き合ったのかと思うわ」

「脳内アドレナリンが出過ぎていたんじゃないの?」

紗理奈はからかう。

「それとも欲求不満とか、どれくらいしていないのよ?」

「・・・・紗理奈」

さすがにそれはない。

付き合った男性にそういう気は起きなかった、彼には求められはしたけど。

その気もないのに寝る気はない、はっきりいってあれは私にとって苦痛でしかない。

それも彼の不満でもあったのだと思う。

付き合ったらデートをして、キスをして、さて―――というのがシナリオなのだろうか。

「男ってさ、アレの事しか考えていないからあんまり迫ってくるようなら別れて正解じゃない? ホントに好きなら待ってくれるでしょ・・・そう思うのって理想なのかしらね」

「また当分、彼氏はいいか」

友人がため息をつき、私はウェイトレスを呼んで2杯目のカフェオレを頼んだ。




映画アプリを見たら私の興味をひく映画が週末から公開することに気づいた。

もちろん、アクション映画。

予約可能になっていたので予約しようとしてはたと指を止めた。

 ヨウ、行くかな―――

なぜか、ヨウの顔が浮かんだ。

多分、以前DVDを私のアパートのリビングで話した内容を覚えていたのだろう。

映画は基本、一人で行く派なので思いつかないのだけれど。

もちろん、誘われれば合わせて私は行きもする。

ヨウの休みは平日の方が合わせやすく、金土日は仕事のかき入れ時なので調整が難しい。

社会人の私が合わせるとなると当然、遅い時間かレイトショーになってしまう。

でも、せっかくヨウと見たいと思ったので期待せずに連絡を取ってみた。


 今度の週末から見たいホラー映画が始まるんだけど、良ければ一 緒に見に行かない?


返信は翌日に来た。

スマホを見たのはお昼休み、昨晩の3時過ぎに来ていた。

深夜までお仕事ご苦労様です、と言いたくなる。


 誘ってくれてありがとう、うれしい


文面とLINEスタンプが付いていた。

けれど私にはわからないキャラクター。


 今週末はちょっと無理ですね、残念ですが・・・

 来週の平日は水曜と木曜が休めます、その週も週末は無理で翌週ならなんとか。

 3週目やっていますか?


分かっていたけどなかなか難しい、やはり平日が調整しやすいようである。

水曜ならレディスデーだし、来週の会社終わりのレイトショーかなと思う。

会社が終わってからまたスマホを確認して返信した、そのあとは連絡が付き次第やり取りをする。


 来週の水曜、レイトショーはどう?


 あ、いいですね。

 すみません、休日がなかなか休めなくて―――


仕事柄、仕方がないと諦めている。

合わないなら合わせるしかない。


――ん? 


合わせるという言葉にひっかかりを覚える。


―――んん・・・

1か月前に分かれた男性に合わせるのが嫌で別れたはずなのに。

とはいえ、尊大に言われて合わせるのは嫌になったのかもしれないし、『合わせる』の意味合いが違ったかもしれない。

細かくは覚えていなかった。

彼とのことはもう、すでに忘れかかっているのかも。


 来週の水曜のレイトショー、お付き合いします。

 また近くなったら細かいことを調整しましょう


 了解。


上記のやり取りで終わった。

日程さえ決まればあっという間にヨウとの用事は簡単に決まってしまう。

それになんだか自分が浮かれているようにも思える。


 まさかね・・・


ふと思いついた考えを一蹴する、あり得なくはないけど・・・可能性は低い。

手に持ったスマホをもてあそんでいたらLINEに画像が添付されてきた。

ヨウと高そうなお酒の瓶。

あと、何かの記念で送られた花たち。

ヨウへと筆で書かれている。

結構、ヨウから送って来た画像が溜まった。

休憩の最中なのだろうか、仕事中ではさすがに送れないだろうから。

邪魔するのは悪いので私はもう返信しない、あとは予約可能になったら連絡すればいい。

画像は私とは縁のない雰囲気のもの。

でも、華やかな雰囲気は好きで時々見ることがある。

時々、あの世界に逃避行したら面白いかなと思うこともあるけどしり込みしていた。

ヨウに言ったら、ぜひ来てよ!ともろ手を挙げて喜ぶだろうけど。

本気で。

ああいう世界に住んでいるのに、私はヨウの暗い部分を見たことがなかった。

時々、チクリと毒を吐くことがあるけどホントに稀にだけど――――



「何かいいことでもあるの?」

帰り際、同僚から更衣室で呼び止められて聞かれた。

「えっ?」

「いつもより楽しそうな顔をしているから、折原さん」

「そう―――ですか・・・?」

頬が引きつったようになる。

顔に出てしまっていたか、と焦る。

自分ではそう思っていないつもりなのに・・・

ぴしゃり、両手で自分の頬を軽く叩く。

ヨウとは実に3か月振りに会う。

会わなくても連絡のやり取りをやっているからそんなに間が空いている感じはなかった。

ただ、やはり実際に会うとなると嬉しいものなのだろうか(苦笑)。

映画は20時10分からなので、映画館近くの洋食屋で待ち合わせて夕飯を食べてからの鑑賞予定。

ビジネススーツだけど、勘弁してもらおう、レディスデーだから私の他にも居るかもしれないし。

足早に待ち合わせ場所の洋食屋さんに向かった。




「たまみさん」

ヨウは私が付く前にもう、着いていてお店の前に居た。

私の姿を認めると笑顔で手を上げる。

普通に立っていても目立つのに、もっと目立つことこの上ない。

今日もばっちりカジュアルに決まっていて、歩道を行きかう女性の目を引き寄せていた。

本人は気づいているのかいないのか。

いや・・・後者だろう、のほほんとしているようで実は意外に―――

いつもの態度は計算しているものかもしれないと思う事もあった。

「ゆっくりで大丈夫ですよ、時間はまだありますから」

にっこり。

また、ひと懐っこい笑顔で扉を開けてくれる。

―――これに慣れてしまうと、気が利かない男性には物足りなくなってしまう

「・・・ありがとう」

「なに?」

一呼吸おいてからの言葉だったのでヨウが気に留めた。

「何でもないわ」

「それならいいけどね」

店員がすぐにやってきて席に案内してくれた。

ディナーの早い時間だというのに、結構人が入っていた。

すぐに席に通されて良かったと思う、映画の時間もあるし。

「たまみさんのスーツ姿、初めて見た。カッコイイ」

「カッコイイの?」

初めて言われた、そんなこと。

私は小さく笑ってメニューを見る。

「ヨウのスーツ姿の方がカッコイイと思うけど」

「たまみさんには不評みたいだけどね」

「不評? いつそんなこと言ったかしら」

「言ってないけど、何となくあんまりよく思っていないなとは感じる」

「・・・・・・」

表立って感情を出していないのに、ヨウはよく人の内面を読んでいる。

「まあ、確かに私は仕事仕様じゃないヨウの方が好きかな」

「仕事中は作っているからね、キャラクターを」

「どんな風に?」

聞いてみた。

「たまみさん、仕事仕様の私は好きじゃないでしょう? わざわざ嫌がられることはしませんよ」

「興味はあるかな、少しだけ」

「ダメダメ、お店に行くのに気後れしている人には刺激が強すぎます」

ヨウは教えてくれなかった、頑なに。

私もそれ以上は聞かなかった、本人がそう言っているのに無理に聞くのもね。

「それより早く、決めて食べてしまいましょう」

「はい、はい」

何を食べようか、あまり満腹にしてしまうと劇中寝てしまうかもしれないのでがっつりではないものを頼むことにした。

私はグラタンとサラダ、ヨウは照り焼きチキン定食。

ウーロン茶とビール、ヨウはどうしても飲みたいようなので自己責任で。

仕事で飲んでいる量に比べたらわずかだと思うけれど。

「お疲れ様です」

飲み物が先に来て私たちはグラスを合わせた。

「久しぶりでよすね、3か月ですか」

「そうね、でも大体LINEでやりとりしているから体感はそんなにないかな」

「確かに。でも、やっぱり顔を合わせると嬉しいですよ」

嬉しそうに笑うので私もつられてしまう。

「―――だから、誤解させるようなことは言わないのよ」

「誤解じゃないです、本心ですよ。たまみさん」

「ヨウ」

「実はあれから考えたんです、思わせぶりなことは言わないって」

笑顔の表情を変えずにヨウは静かに言う。

予想外の方向に話が向かう。

「映画を見る前にこんな話をするべきじゃないと分かっているんです、でもここまで話してしまったら話してしまった方がいい気がします」

「ヨウ・・・」

「気づいているとは思いますが―――私はたまみさんの事が好きです」

笑顔が消えて、じっと真剣な瞳が私を射る。

「私と付き合って下さい」

そう言っている間、ヨウの視線はぶれない。

ある時期からずっと私への気持ちは匂わせて来たヨウ。

はっきり言わないまでも、否定もしなかった。

私もヨウの気持ちを知っていても、なあなあでいる時の居心地の良さを優先して自分の気持ちをはっきりさせていなかった。

「私は女ですけど、たまみさんのことを好きな気持ちは誰よりもあります」

そこまでヨウが言って、店員が料理をワゴンに乗せてやって来た。

話が止まる、店員は私たちの雰囲気をぶった切ったことを知らない。

彼にとって大事なのは自分の仕事で、私たちの空気を読むことではないのだ。

「―――では、ごゆっくりお過ごしください」

店員は笑顔で去っていく。

真剣な表情のヨウとそれに戸惑っている私が残される。

「LINEだけでやりとりしていましたけど、その間もずっと会いたかったです。何度も会いたいとメッセージを送ろうともしました」

ヨウの気持ちは紛れもない真実だと思う。

あとは私の気持ちだ。


好き、なのか。

好きだとしても、友達のままで居たいのか。


「友達になって欲しいと私は言いました、でもその時同時にこうも言った気がします。友達の関係が変わるかもしれないと、その可能性もあるって」


それは覚えている。

あの時、自分を偽ることなくヨウは自分自身を私にさらけ出した。

そして、今も自分の気持ちを私にぶつけて来る。

「私はずるい人間よ? ヨウの気持ちを知っていて放置してきた」

「人が自分にとって都合のいい状態に身を置きたいと思うのは本能です、誰も傷つきたくないから。たまみさんのしたことは間違いではないです」

ヨウは持っているビールのグラスを静かに動かす、そうして視線をそちらに向けてから再び私を見る。


「たまみさんの気持ちを聞かせてください、どう転んでも受け入れます」


せっかく、料理が運ばれてきたのに私たちは手を付けることが出来なかった。

目の前のこれを終わらせなければ食べることができない。


「ヨウ」


つい最近、別れた男性の事を考える。

どうして付き合うことになったのか、その経緯が未だ思い出せない。

ヨウの気持ちを分かっていたはずなのに。

そして、付き合っても結局は心が彼に近づくことが出来なかった。

友人の紗理奈の言う通り、自分を歩み寄らせることが出来ずに。


「私ね、つい最近まで付き合っていた男の人が居たのよ」


「えっ」


ヨウは驚いた顔をした。

寝耳に水だろう、会わない3か月の間に私は付き合っていたのだ。

とはいえ、私とヨウは友達の域を出ていない。

ヨウが誰かと付き合おうと、私が誰かと付き合おうと問題はないはず。


「―――付き合っていたんですか?」


声が震えている。


「一か月だけね、あなたに報告した方が良かった?」


「い・・いえ―――」


そうだろう、何も言う権利もない。


「付き合うに至った経緯はもう思い出せないんだけど私、酷いわよね」


自分で言っていてそう思うくらいだから。

本当にどうしてなのだろうか。

今まで付き合うことに、人に合わせることが面倒くさいと思って一人で居たのに。


「ヨウの気持ちを分かっていたのに」


「――――やっぱり、付き合うなら男の方がいいですよね」


ヨウが力なく言う、声は消えそうに小さい。


「でも、別れたの。続かなかった理由、聞く余裕は今のヨウにはない?」


「そんなこと―――聞いても・・・」


「どう転んでも受け入れるって言っていなかった?」


「・・・・聞きます」


私は喉が張り付きそうなくらい乾燥してきたので、かろうじてウーロン茶で潤してから話す。


「聞いた方がいいわ、朗報かもしれないでしょ?」


「絶望かもしれません」


随分とがっくり来ているヨウ、見目にもはっきりとわかるくらいに。


「友達は変わらないのだから絶望は無いでしょ、悲報程度ね」


「たまみさんはひどい」


「じゃあ、嫌いになる?」


「う・・・・そんなの・・・私が嫌いになれないことは知っているじゃないですか」


「そんなに好きなの? 私のことが」


ヨウはモテるからいろどりみどりだろうに、ごみ集積所から助け出されたってだけで私のことを好きになるのか。


「好きですよ、もう・・・理屈じゃないんです」


理屈じゃなく好き、か。

それも立派に好きの理由になる。

そういうことはあるのは私も経験があった、今まで生きてきた中で。


「私ね、付き合ったんだけど普通好きならその人の望むことはしてあげたいと思うでしょ? でも、私はそうは思わなかった。嫌だと思ったことはしたくないと思ったし、どうしてか歩み寄れなかったの」


「それでも1か月も付き合ったんですか」


「どうしてかしらね、性欲の為でもなかったことは確か。結局、彼とは一度も寝なかったし」


「たまみさん!」


「知りたいのでしょう?」


「そんな事は知りたくないです、もう終わったんですよね」


「ええ」


「じゃあ―――何も問題はない、あなたの気持ちを教えてください」


ヨウは少し気持ちを持ち直して強く私に迫った。


「私もヨウの事が好きよ、あなたも分かっていたでしょうに」


私は答える、嫌いという感情は全く無かった。


「きちんとたまみさんの口から聞きたかったんです、私もはっきり言いたかった」


「・・・私たち付き合うの? 私は少し前まで男性と付き合っていたのよ? ヨウを好きなのに」


「私と付き合ったらよそ見をしなくなるくらい、好きにさせてみせます」


ヨウは、はっきりと言った。

ビールのジョッキを置き、その手を私に重ねて。


「責めないのね」


「責めるわけがないじゃありませんか、たまみさんのことは何があっても好きですから」


ヨウに笑顔が戻って来る。

人懐っこい笑み。

ああ、この笑みが好きなのだと分かる。

男の顔が思い出せないのも、付き合う経緯が思い出せないのもただ惰性で付き合っていたからだと気づいた。

私はヨウの気持ちから逃げたのだ。

自分も彼女の事は好きなのに、ヨウが女性だからと外聞を気にしてしまって、その気持ちを認めなかった。


「―――ありがとう、そう言ってもらって嬉しいわ」


「やっと出会えました、たまみさんが運命の人です」


ぎゅっと手が握られる。


「それは言いすぎよ、私なんて」


「一緒に居て、それだけでこんなに嬉しい人は今までにいませんでした。たまみさんは何も私に求めないし強要もしない」


「まだ、知り合って間もなかったからよ。友達だったのだし」


「友達でも欲しがる人は居ます、そういう人たちにはうんざりしていたんです」


「付き合ったらうんざりするかもしれないわ」


「そうなりませんよ、たまみさんは。分かります」


自信ありげにヨウは言う。


「随分と買いかぶりすぎ」


「私と付き合って下さい、たまみさん」


もう一度言う、手を握ったまま。

YESというまで離してくれそうになさそうだった。

NOという答えは最初からないけれど。


「分かった―――あなたと付き合うわ、ヨウ」


嬉しさがあったけど表情には出さない、私は天邪鬼なのだ。

そのかわり、ヨウの笑顔を見たい。

私の好きな笑顔。

目の前で、ヨウが破顔した。

私は心の中で仕事仕様のヨウとプライベート仕様のヨウを思い出して比べた。

どちらも彼女なのだから、どちらも認めるべきだと思う。

付き合ってしばらくしたら勇気を出してヨウのお店に行こう。

彼女もそれを望んでいるだろうし。

「早く、食べて映画館に行かないと」

私はヨウを促す。

「そうだね、楽しみだな」

私も楽しみだった、映画は私の好きなアクションもの。

そして、今日は私とヨウが付き合うことになった記念の日になる。

そう考えてなぜだかヨウと初めて出会ったごみ集積所を私は一瞬だけ思い出した。


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