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  作者: ここあ
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第一話 私、という人間

 スカートが好きだった。お化粧が好きだった。甘いお菓子が好きだった。ヒールの高い靴を履くのが好きだった。

女として存在しているのは、何よりも嫌いだった。


 「君はどうしたいんだ。」彼はコーヒーカップをソーサーの上において、イラつきながら私の顔を見た。

「だから、このままの関係を保っていたいの。お付き合いしている、このまま。結婚はしたくないの。」

「子供は」

「いらない。子供なんて欲しくない。」

周りにはカップルや女性客ばかり。最近オープンしたばかりのウッド調の“おしゃれ”な店内。色彩豊かなごてごてとした“写真映え”しそうなメニュー。流行りのテンポの速い、“ノれる”音楽。店を決めるのはいつも彼だった。いかにも“女の子が好きそうな”店内や食べ物たち。おおかたお得意のSNSで情報収集を行っているのだろう、彼のSNSに投稿された写真は据えて似たり寄ったりな食事やファッションやその他もろもろの小物であふれていた。

流行りの服。流行りのアクセサリー。流行りの髪型。流行りの、流行りの。

かくいう私だって、今年の流行を詰め込んだような恰好をしている。SNSでの情報を頼りに、洋服や髪形、アクセサリー、化粧品。胸焼けしそうなパンケーキと、洒落た店内で飲んだカクテルが、私のSNSにだって並んでいる。一瞬の生活感も許されない世界。一瞬の隙でさえ隙ではない、計算しつくされた構図。“丁寧な暮らし”“かわいい”“理想”こんなワードが世にばらまかれ始めたのは、ずいぶん最近じゃなかったろうか。

25歳。N市在住。IT企業勤務。実家は隣のE県で、弟が一人。二つ上の彼氏がいる。ありきたりな環境。いくらでもありそうな姿。

「君はいつもそういうね。結婚も出産もしたくない。このままがいい。でもそれじゃ何も進まないじゃないか。結婚して、子供を産む。みんなが思い描く幸せだよ。君だって『普通の生活でいい』ってよく言うじゃないか。」

「そうね。それが普通の幸せかもね。」

私は幾度目かにわたるこういった話にほとほとうんざりして、パンケーキの上に乗った巨塔のようにそびえたつ生クリームを、せっせとカトラリーで押しのけた。視界の外で、ため息をつきながらコーヒーをすする彼を感じながら、私はすっかり軽くなったパンケーキの表面を、ナイフで小さく切る。この人は焦っているのだ。世間的にはまだ焦る年齢でもないだろうに、実家の母親にでもせっつかれたのだろう。それか、誰かから「このままだらだらしていたら浮気される」とはなんとか聞いたのかもしれない。可哀想に。そうじゃないとわかっていたって、焦るものは焦るんだろう。恋愛は不安と心配の連続だ。結婚というステップは、恋人同士誰もが憧れる姿だろう。お互いがお互いを好きであればの話だが。

勘違いをしないでほしいのは、私は彼を心の底から愛しているということだ。嫌いでなんかもちろんないし、自身の考えが揺らぐことはまあ多々あるが、基本的にはしっかり考えは持っている、大人の男性だった。

「私、結婚は二人でするものだと思っているの。だから、ね。まだまだお互い不安なことも多いし、もう少しゆっくりでだっていいと思うのよ。お友達だって、結婚した人だってあまりいないじゃない。」

いい加減踏み込む隙を見定めるように私を見つめる彼の視線にいたたまれなくなって、私は口を開いた。

「だんだん増えてきているんだよ、もう。それに、俺たちも付き合って二年だ。そろそろそういった話が出たっておかしくないじゃないか。」

確かに、そうだろう。もう二年になる。恋人期間というものは、とても心地がいい。結婚生活のように、一つ屋根の下で一緒に暮らさなければ“ならない”、毎日決められた家事やらなんやらをしなければ“ならない”こともない。飲み会に遅くなることを連絡する必要も、相手の食事を考えることも、お金のやりくりや折半も、日常的に考える必要もない。会いたいときに会い、時間が許せば好きなことができる。別れるときであっても、それほど労力はいらない。これは最悪の場合だが。

考え込んでいたら、いつの間にかお皿の上は空になってしまっていた。仕方なしに、よけておいたクリームを少しずつすくう。何もこんなに乗せる必要ないじゃないか。

「もう出よう」

彼はそんな私を見て諦めたように一言そういった。私は先に出て、彼の清算を待つ。「年下の女の子にご飯代を出させるなんて、そんなの格好がつかないじゃないか。」と彼が食事代のことで揉めたときに、大きな声で言ってから、何となく私はその場において男性を立たせることの重要さを見た気がした。それから私は彼のサプライズや何か特別なこと以外は、感謝の言葉だけは忘れず伝えることのみに留めていた。

「ありがとう、いつもいつも」

私はいつものように感謝を伝え、店から出てきた彼を見た。彼はそれを聞くと満足そうに頷いて、私の手を取る。よくできた人。誰もがうらやむような彼氏。きっと彼はそこにカテゴライズされるような男だ。こんなによくできた彼氏はいないよ。とふてくされたように言った友達の顔がふと浮かんだ。

私は恵まれていると思う。愛されていると思う。家族には愛され、大学まで進学したし、お金に不自由した覚えはあまりない。人間として、女性として、これ以上のない幸せを享受している。自分でも思っているし、人からもさんざん、「あなたは幸せ者ね」といわれてきた。幸せ者。恵まれている。嬉しくて重いレッテルだった。

二人手を繋ぎ、人が行きかう繁華街を、人の間を縫うようにして歩く。彼は自然と私と歩幅を合わせっていた。ヒールを履いた私を配慮しているであろう仕草だった。

いつの間にか日は落ち、シーズンだからなのか、ところどころできらきらとイルミネーションが点灯し始める。デパートのショーウインドウにもライトが灯り始め、中の商品を煌びやかに映し出した。その時代の流行を彩ったショーケース。私はふと、いくつものデパートのショーウインドウを眺めているうちに、気づいた。

どれもこれも、似たようなものが軒を連ねて並んでいた。我が物顔で、隣同士のデパートが、同じような商品を、同じように真っ白なマネキンに着せ、そばを歩く私たちを見つめていた。

その姿を見て、私は思わず吹きだした。多様性のある社会。みんな違ってみんないい。近年はやりだした言葉だ。

いつの間にか、人がまばらな路地にたどり着いていた。握る彼の手に力がこもった。

「このあと、どうする。」


「今日は結構長かったな」

白と黒できちんと統一されたホテルの一室をぐるりと見渡していると、彼がバスローブ姿で無造作に髪をかき上げて出てきた。そのままドアのほうに向かい、注文しておいたワインの瓶とグラスをもって戻ってきた。シャワールームからは未だもうもうと湯気が舞い、ガラスは曇っていた。時刻はとっくに日付を超えていた。

「ゆっくりしたくて。」

私は目線をそらし、壁にはめこまれたテレビの電源をつけた。つい最近、週刊誌に男性とラブホテルから出ていくところをすっぱ抜かれた、女性から人気だった若手の俳優が、女性の肩を抱いていた。

「何の映画だったっけ」

「さあ。去年のやつじゃないか?これ。こんなきれいな顔してホモだったんだもんなあ。一気に見る目変わったよ。」

「同性愛者は差別対象じゃないわ」

私は質の悪い、ごわごわした備え付けのバスローブを羽織り、ベッドの角に座った。未だタオルで髪をガシガシと拭いている彼を見る。

「また始まった。本当にそういう話が好きだな。」

「いっていいことと悪いことがあるでしょう。あなたのそれは『黒人には独特のにおいがある』っていって差別した白人と同じよ」

「わかったよ。俺はそんな話がしたいんじゃないんだ。もっと俺たちの今後の話だよ。どうして結婚したくないんだ。」

「昼の話?急にぶり返すのね。」

「理由が知りたい。どうしてしたくないのか。理由があるんだろう?」

彼はまた、昼のようにいらだたしげにサイドテーブルにグラスを置いた。真っ赤な液体がとろりと揺れる。大きくうねったグラスの面に、彼の裸体が大きくゆがんでうつる。

「言いたくない」

私はそう言って、彼に背を向けてしまった。言いたくないわけじゃない。私はこの感情に似合う言葉を知らなかった。恐怖とも、不安とも違うこの感情。

彼はため息をついた。するすると衣擦れの音がする。と同時に、自分の向こう側で、重さでベッドがきしみ、肌が触れ合うか触れ合わないかの距離に人が存在するのを感じた。ふわりと香る同じシャンプーのにおい。甘ったるくて、でもどこか軽さのある匂い。

私はふいにたまらなくなって、彼の方を振り返った。彼はまっすぐ私を見つめていた。

するりと彼の頬に触れる。彼は私の手の形に添うように顔を傾けた。

「私のこと、もう嫌いになった?」

「いいや。嫌いだったら、もうとっくの昔に別れているよ。」

私を見つめる瞳は暖かかった。ゆるやかな体のだるさを感じながら、私は体を少しだけ起こした。ほのかな情事の跡が、ふくらんだ胸部に散らばっていた。

彼はそれを愛おしそうに撫で、体を起こした私を緩やかに自分のそばに引き入れた。

「だからこそなんだ。だからこそ、君と一緒になりたいと思ってしまうんだ。愛しているからこそ。」

「わかってる。」

私は彼の胸に頭をよせた。彼は私を掴んでいた手を離し、するすると身体の線をなぞる。首筋、肩、背中、腰。私の輪郭をなぞるように、確かめるように、ゆっくりと撫でる手は、とても暖かかった。私よりも大きくて、骨ばった手。私よりも大きくて、しっかりした体つき。力でねじ伏せられたら当然叶わない体格差だ。

「愛してる」

「私も」

言葉は空を漂い、そっと他の空気に溶けて消えた。次第に眠気が襲ってくる。


同じ日々の繰り返し。目覚ましの音で起きて、朝ご飯を簡単に済ます。顔を洗い、服を着る。スカートのスーツ。膝まで。それより長くても短くてもいけない。化粧台に座り、幾度目かの化粧をする。目指すはどこにでもいる「印象の良い女」。目元は明るく、頬には血色感を。唇には派手過ぎず、また地味過ぎない色を乗せる。今日はなかなか色が乗らない。

化粧は好きだ。さえない顔が、少しでもましになったような気がする。各パーツに色を乗せると、そこだけパっと花が咲いたように鏡に映る。デパートのコスメカウンターに並ぶ様々な化粧品を見るのも好きだ。みんな眩しいほどキラキラと光って、私を照らす。色とりどりのリップ。ほんのりとしたチーク。豪勢なパッケージのファンデーション。様々な形をした香水瓶。大好きな大好きなものたち。多種多様なブランドに、たくさんの色が並ぶ。化粧の組み合わせは何万通りとある。それが好きだった。自分自身を彩れる化粧が好きだった。

社会に出ると、求められるのは「典型的な」人間だ。リップは真っ赤では許されず、またつけないことも同時に許されない。痛いほど求められる「普通」。就職活動で、「あなたの個性を見せてください」といううたい文句はよく聞く話だ。会社は私の個性を一列に並べ、査定する。頑張ったで「あろう」人。頑張らなかったで「あろう」人。紙切れ一枚と、たかだか三十分かそこらで私の今までの人生を判断する。こいつは会社に貢献する人間か?従順に指示を聞ける人間か?彼らが見ているのは個性ではなく、社会に対しての従順さだ。単純さだ。自分たちが指示することに対して何の疑問も抱かず、自分たちが与える環境に何の不満も漏らさず数字を追う人間だ。その証拠に、彼らは彼らが許す格好でないと査定はしない。品評会にさえ出席させない。みんな同じリクルートスーツに、同じような髪色、同じような色味の化粧。同じような黒い靴。どこまでも「普通」を押し付けられた私たちは、否応なしに社会に放り出され、機械で同じようにパッケージ詰めされるスナック菓子と何ら変わりがない。社会にとって私たちは、きっとスーパーに並ぶスナック菓子よりも、価値がない。

不思議に思った。何故彼らはどこまでも個性がないことを望むのに、こんなにも私個人の話を求めるのか。私の二十数年を求めるのか。

そんな私も運よく今の会社に就職した。周りには男性社員が多く、時々肩身の狭い思いもするが、環境におおむね不満もない。

最後の工程である口紅も塗り終わった。そこらのドラックストアで買った口紅。派手すぎないベージュの口紅。鏡の前で一つ深呼吸をする。仕事用によい高さといわれる二センチをきっちり守った黒いパンプスを履き、足取り重いままドアを開けた。朝日が眩しい。どうにかこうにか、太陽も調整してもう少し日差しを弱めてほしいものだ。

いつものように満員電車に揺られる。学生時代から満員電車には乗っているが、数年後には同じような格好をした大人たちの中に紛れているとは思ってもみなかった。窓は締め切っていて、息苦しい。籠った空気を肺に入れ込むと、むせかえるようで吐き気がした。やっとの思いで目的の駅までたどり着き、県庁所在地の中心にある大きなオフィスビルに入り、タイムカードを切る。昔ながらの出勤方法。比較的新しめのオフィスに関わらず、そこだけは根強く残っていた。後は決まった仕事をこなすだけだ。ビルのトイレで髪を結びなおし、鏡に映った私を見つめた。


仕事を終えたのは、終電直前だった。退勤前にシステムのトラブルがあり、強制的に全員残業を余儀なくされた。誰のせいでもないが、退勤直前だった。小さく舌打ちをして、またパソコンに向かった。仕事を終え、急いでビルから出る。もうこのままでは終電に間に合わないことは分かっているが、できるだけの努力はしたい。少し近道をするため、この前見つけた裏路地に入る。街灯が少なく、いかにもな場所だ。私の勤める市は確かに県庁所在地だし、近くには繁華街もあるが、一本中に入ってしまえば昔ながらの赤ちょうちんや、“そっち”の店も並ぶ。女一人で入るのは怖くないといえばうそになるが、終電のためだ。背に腹は代えられない。疲れた体に鞭打って走る。甲高くヒールの音が響いた。もう少ししたら駅だ。私はひときわ薄暗くて狭い路地に入った。



こんにちは。ここあと申します。

こちらでの小説の投稿は二作目となります。長編とはいかないまでも、少し長めの小説を書いてみようと思います。ふと思いついた物語ですが、おおまかな話の流れは決まったので、ようやく、ゆっくりではありますが書いていこうと思います。

連載という形をとること自体、初めての試みですので、いろいろ不手際があるかと思いますが、広い心で見ていただけますと幸いです。


前作の評価を見たところ、いくつか反応をいただけていたようでした。自分の小説をこういったサイトに投稿するのは初めてだったので、反応をいただけたことがとてもうれしかったです。ありがとうございます。しかも星5!本当に励みになります。ありがとうございます。


それでは。



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