信勝一代記
うっすらと目を覚ました。
見たことがある顔が俺を抱きしめる。
「勘十郎、危ないことはしてはいけません」
「母上、それでは立派な武士になれません」
「立派な武士は無茶をすることではありません。兄上のように『うつけ』になってしまいます」
「では、どうすればよいのでしょうか?」
「家臣の意見をよく聞きなさい。剣術をしたいならば、権六に頼むと良いでしょう。武将として恥ずかしくない者になりなさい」
「はい、母上」
俺はよく鍛錬を行い。
家臣の言う事を聞いて勤勉に学んだ。
父上が亡くなり、母上が泣き崩れる。
「母上、俺が父上のようになってみせます」
「勘十郎、貴方がこの織田家を支えるのです」
「兄上ではないのですか?」
「あの『うつけ』は駄目です。家臣の言う事も聞かず、(林)秀貞すら見放しております。まずは葬儀をせねばなりません」
「はい、皆と相談して執り行います」
秀貞が淡々と準備を行い、父上の葬儀が整った。
父上は家督をはっきりと決めずにあの世に旅立った。
争って家督を得よと言いたかったのか?
もう尋ねても答えてくれない。
葬儀に兄上が遅れてやってくると、抹香を鷲掴みにすると、「くわっ」と吼えて仏前に投げつけて出て行ってしまった。
禅宗である父上の葬儀を浄土宗で行うことで秀貞と対立したらしい。
秀貞は来世を父上の家臣でありたいと願っており、その気持ちを汲むのは主として当然ではないか。
禅宗で葬儀をするのが筋かもしれないが、多くの家臣は浄土宗なのだ。
兄上は自分の正しさを頑固に貫き過ぎた。
それを戒めた平手-政秀が自害したと聞いた。
真実は定かではないが、そう噂されている。
しかし、織田随一の傾奇者の政秀が戒めて腹を切るだろうか?
何でも浄土宗と兄上が揉めており、その妥協を求めていたような事は聞いている。
いずれにしろ、兄上を支えた林家と平手家の支持を失った。
残るは津島衆のみだ。
美濃の斎藤家との同盟がなければ、兄上はすでに終わっている。
「勘十郎、今日よりこの印を使いなさい」
母上が渡してくれた印は父上の印であった。
弾正忠家の家督は兄上が継ぐべきなのだが、家臣団がそれでは納得しない。
俺が継ぐしかない。
「何故、信長は今川家との和睦を頑なに拒否しているのでしょうか?」
「俺には判りません」
兄上は信広兄上と竹千代との交換にも反対していた。
弾正忠家の家督は秀貞が保留して長らく空位にされてきた。
俺と兄上で家督を2つに割ると言う六角家からの提案も拒絶した。
どうやら兄上との和解を諦め、俺が家督を継いだと宣言するらしい。
林家をはじめ、俺を支持する家臣は多い。
織田一門衆は沈黙したままだ。
「信長様、村木砦で大勝利でございます」
兄上は建造中であった今川の村木砦を攻めると勝利を収めた。
単独では負け続きであった兄上の戦下手の印象を覆すものであった。
織田一族衆の兄上を見る目が一瞬で変わった。
それ以前に清洲の大和守家の信友が守護斯波-義統様を殺害し、その子息である義銀様を兄上が手に入れた幸運に目を見張るべきだろうか?
兄上が神掛ってきた。
負ける訳にいかないと理由で初陣が先延ばしにされている。
こんなことでいいのか?
これで織田弾正忠家の当主と言えるのか?
やはり、家督は兄上が引き継ぐべきではないだろうか?
まだ秀貞との確執が続いていた。
秀貞に擁立されている身としては、ここで降りるとは言えない。
また、織田弾正忠家の者として、俺も守護様を討った逆賊の信友を討つのに協力するのが当然だ。
末森の兵を貸して権六に手伝いに行かせた。
やはり守護様を弑殺するという不忠が祟り、味方の支持を失った清洲の信友が劣勢になる。
そこに信光叔父上が援軍として清洲に赴くと、中で裏切って清洲を奪取した。
信光叔父上の見事な戦略であった。
その清洲に兄上が入り、信光叔父上が那古野に入って、土岐川(庄内川)を境に4郡を二つに分けた。
兄上は義銀を清洲に迎え、新守護の名代として権勢を取り戻したのだ。
俺の劣勢は明らかだ。
さらに信光叔父上が家臣に殺害され、兄上は信光叔父上の2郡も引き取って、尾張半国を治めることになった。
亡くなった信光叔父上の代わりに城代として、秀貞を入れることで和解も成立し、兄上は織田家中を1つにまとめる事に成功した。
俺は枯れた笑いしか湧いて来なかった。
兄上には敵わない。
このまま、守護の名代として君臨する兄上に弾正忠家の当主として従うことになりそうだ。
ある日。
弟である秀孝が守山城主の信次叔父上の家臣の洲賀才蔵に誤殺された。
信次が龍泉寺の下の松川渡しで川狩りをしていたところに、1人の若者が馬に乗って通りかかった。
その若者が秀孝だ。
秀孝は下馬もせず、あいさつもせずに通り過ぎようとしたので、無礼だとして才蔵が威嚇の矢を放った。
それが運悪く当たって死んでしまったのだ。
俺は弟を殺されたので兵を上げた。
守山城は抵抗らしい抵抗もなく開城した。
殺した才蔵は出奔し、信次叔父上も逃げている。
追撃を止めたのは兄上だ。
兄上は供を連れず、単騎で出歩いた秀孝に非があるとして仲裁に入った。
弟を殺されて悲しくないのか?
守山城には異母弟の信時が後任として入ることになった。
不満であったが、兄上に従った。
だが、納得がいかない。
このまま守護義銀を支え、兄上がこのまま尾張を統一するかに見えた。
しかし、突然に美濃の斎藤道三が後継者問題で嫡子の義龍と揉めて討たれた。
兄上は美濃斎藤道三と言う後ろ盾を失ったのだ。
こうなると大人しくていた岩倉城の織田-信安も動き出す。
東に義元、北の義龍、内に信安と言う敵を抱えることになる。
これでは織田家は滅ぶ。
ここで兄上は痛恨の失態を犯した。
兄上は秀貞の旧領である篠木三郷に手を出してしまったのだ。
兄上からすれば、秀貞には那古野という大領地を与えた。
交換したつもりだった
だが、秀貞の林家代々が治めて来た土地だ。
その林の旧領を他の者に与えてしまった。
旧領を奪われた林家の者は激怒した。
秀貞は那古野という大領地を貰ったつもりであり、旧領と交換したつもりはない。
口足らずの兄上はその辺りを曖昧にしていたのだ。
察してくれ!
兄上はそう思っているのだろうが、むしろ察するのは兄上の方だ。
何をやっている。
林家の先祖代々の地に手を出してきた兄上を見限ってしまった。
秀貞の様子がおかしいと兄上も思ったらしく秀貞の屋敷を訪ね、様子を伺った。
そこで弑殺しなかったのは、幼き頃から面倒を見てきた秀貞の最後の忠義だろう。
秀貞が俺を立てて叛旗を翻すと言って来た。
俺が動かなくとも、秀貞は義龍と信安と手を組んで兄上と敵対するのは間違いない。
兄上は南朝の津島衆を持ち上げる。
そのことにも家臣の多くが不満の声を上がっていた。
兄上では織田が持たない。
「勘十郎様、ここに至っては立つしかございません」
「俺に兄上と戦えと言うのか?」
「今までも争っていたではありませんか?」
「兄上と殺し合いをするつもりで争っていた訳ではない」
「これは織田家を護る為です」
「勘十郎、信長は決めたことを曲げることができない性格です。貴方が引導を渡して上げなさい」
「母上、判りました」
稲生で兄上と対峙する。
流石、兄上だ。
雨で土岐川(庄内川)が渡河できなくなる日を狙って出陣したのに、雨が降る前に土岐川を渡河していた。
だが、急いで来た為に兵の数はわずか700人しかいない。
俺は末森から1,000人を用意し、秀貞が那古野から700人を用意した。
末森勢の大半は柴田権六に預け、倍の兵で兄上が作っていた稲生砦に襲い掛かった。
兄上も未完成の砦で耐えられないと思い、稲生原に討って出てきた。
東から柴田勢、南から林勢が襲い掛かった。
兄上は先んじて柴田勢にぶつかってゆく。
初撃こそ互角であったが、兄上が先頭に立って攻めてくると、末森勢の兵が及び腰になる。
兄上の兵だけ異常に強い。
何故だ?
あっと言う間に権六の所まで攻めってきたので権六が後退を決めた。
すると、目標を林勢に変えて兄上が突き進む。
林勢も長くは持たない。
俺は末森勢の兵が四散しているので末森城に引き上げた。
母上の嘆願で俺の命は助かった。
兄上は戦に恵まれている体格ではない。
だが、その怒涛のごとく突き進む様は鬼のようであった。
一対一で負ける気はしないが、兵を率いて勝てる気がしない。
俺の負けだ。
末森で自害するつもりであったが、母上に止められた。
兄上の温情で生かされた。
武人としては恥だ。
領地の多くを兄上に奪われ、名も武蔵守信成と改名した。
美濃の義龍が書状を送ってくるが、俺は立つつもりはない。
だが、今川義元が三河を平定し、その脅威が強くなってくると家臣団が浮ついてきた。
相変わらず、信安が俺の決起を呼びかけてくる。
また、若衆の津々木蔵人が盛んに唆してくれる。
「勘十郎様がお立ちになるべきでございます」
「無理を言うな」
「今川の兵は3万に達します。信長では対抗できません」
「俺は兄上に負けたのだぞ」
「戦は時の運でございます。信長は北に斎藤義龍、内に織田信安を抱えており、今川に対して割ける兵がございません」
「このままでは辛いであろうな」
「しかし、勘十郎様がお立ちになれば、話は変わってきます。斎藤義龍と織田信安は勘十郎様との同盟を望んでおります。勘十郎様が織田家の当主に返り咲けば、背後に兵を置かずに済み、弾正忠家は1万の兵を用意できます。さらに、斎藤義龍と織田信安の援軍を求めれば2万となり、今川3万に対抗できます」
津々木蔵人の話は判った。
今の兄上では、西と北に備えを残す必要があり、1万の内、5千の兵が使えない。
そして、東の城にも兵を配置するので、実働部隊は1,000~2,000人が限界となる。
流石に、3万を擁する今川義元と対峙できない。
俺は立つ気はなかった。
だが、周りがそれを許さない。
俺の命が危ないと聞けば、否が応でも動かざるを得ない。
というか、家臣が独断専行で動いた。
「勘十郎様、短気を起こしてはなりません」
「権六、俺は短気を起こした訳ではない。頭を丸めて寺に入る気がないだけだ」
「信長様が勘十郎様を亡き者にしようと言うのは、嘘、偽りでございます。おそらく、義元の策略でございます」
「兄上はそうかもしれんが、側近らは違うと聞いた。俺を排除した方がよいのであろう」
「座して死を待つつもりもない」
「勘十郎様!」
やはり、権六の密告で篠木三郷の横領は失敗した。
はじめから成功するなど思ってもおらん。
余程の兄上が失敗をせねば、ひっくり返ることなどない。
俺も亡命すれば、再起も不可能ではないがそれは織田家を裏切ることになる。
それこそ恥だ。
だが、中々に「自害しろ」と言う命令が来ない。
噂では、兄上だけが嫌がっているそうだ。
馬鹿な兄上だ。
後腐れなく殺して、親族を新たに取り立ててやる方が良いに決まっておる。
生かすならば、戦の先陣に立てて死んで来いと言ってくれた方が楽だ。
手柄を立てれば許し、死んでも許す。
殺すべき所で殺さず、温情を掛ける癖に汚名返上の機会も与えず、生き恥を晒させる。
林家も柴田家も腐ってゆく。
だから、不満が貯まる。
俺を再び担ぎ出したくなる土台を自分で作ってどうする。
兄上は変に甘く、そして、鈍感で冷たい。
守護義銀が権力を取り戻そうと、足利御一門の石橋忠義、吉良義昭、今川義元と結んで、兄上を討つ策略を巡らした。
義銀も寄りによって敵を引き込むなど馬鹿なことをする。
兄上も義銀を追放せざるを得ない。
これで兄上は立つべき権力基盤を失った。
もう後がないぞ。
兄上が討って出れば、俺も立つ。
できる限り、兄上に造反する者を道連れにしてやる。
最後の織田弾正忠家への孝行だ。
武人らしく死に場をくれ。
そう思っていると兄上が病に倒れたと聞いた。
何をやっている?
俺は見舞いに行った。
そこでぐさりと腹を槍で刺された。
兄上の家臣団も必死だな。
ふふふ、甘い兄上は俺が死んで殺した家臣をどんな顔で見るのか、それが見られないのが心残りだ。