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ゆめわたり  作者: 奥島左珠
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第二の夜

第二の夜は老女の首であった

壁のひび割れたほとんど吹き曝しの宿の片隅で

むせかえるほどに香を焚き

皺だらけの肌に白粉を浮かせ

乾いた髪をねっとりと油でなでつけ

嬉しそうに目を細め

歯黒の口をぽっかりとあけて歌っている



いとしやのう、いとしやのう

まことろうたし、ろうたしのう

暦も見えぬめしいた眼にも

かわりなくそこにおわします

そのおぐしは輝くばかり

その唇は艶めくばかり



ああ、いとしやのう、いとしやのう

まことろうたし、ろうたしのう

頬には紅のさしたるや

もっとちこう、もっとちこう



ああ、わたくしに気づいてくださいましたか

なんと涼しいまなざしでしょう

なんと清らな声色でしょう

さあ、わたくしを抱いてくださいませ

夜はなごうございます

ゆめ、離してくださいますな



熟れた無花果は召し上がりますか

お酒もこうてまいりました

今宵はくろうございます

ひとりにしてくださいますな



ああ、また思い出が邪魔をする

私の夢はここまででよいのに

女のごときその唇に

今となっては触れませなんだ



ああ、いとしやのう、いとしやのう

哀れじゃのう、憐じゃのう

私がおそばにおりますれば

珠のごときその肌に

蓮華のひとつもなかりまし

ああ、なんとおいたわしゅう



あれから飯粒ものどを通りませぬ

哀れじゃのう、哀れじゃのう…



誰ぞやおるのか

戸の隅じゃ、匂いがする

生臭くてかなわぬ

誰ぞやおるのか、きよれ



ああ、あなたさまにございましたか

この婆のもとにお渡りくださるとは珍しい

そのお顔はまだ二夜目ほどでございますか



恥ずかしい姿をお見せいたしました

今もここに繋がれているのは

忘れがたき愛しい夫があったからにござります

私はあの人をお守りできませんでした



あの人が私のもとを去ってから

飢えて飢えて仕方がありませぬ

何を口にしても味はせず

腹もくちくならぬのです

くいたしくいたしと思いしに

喉を通るのが気味が悪うてなりませぬ



いえ、わかっておるのです

わたくしが口にしたいのは食べ物ではありませぬ



ああ、もっとちこう、お若い方

わたくしを抱いてくださいませぬか

この手を握ってくださいませ

この唇を吸うてくださいませ

この肌を撫でてくださいませぬか



ああ、また思い出が邪魔をする

なんと醜いことだろう

皺皺のこの手で

乾いたこの唇で

この染みだらけの肌で

ああ、何を見ている

私を見るな

見るな見るな見るな

見るな見るな見るな

見るな見るな見るな

見るな見るな見るな

見るな見るな見るな

見るな見るな見るな

見るな見るな見るな

その眼が憎らしい

私に触れる手が憎らしい

私をかれさせたのは誰だと思っている

いっそ私のこの髪で

縊り殺してくれようか

嬲り殺してくれようか



なんと、まだお読みでいらっしゃいましたか

もう夜も明けます

明日になさったほうがよろしいでしょう

明日といってよいかはわかりませんがね



振り向けば店主の声であった

老婆も宿もすでになかった



ごつごつと硬く冷たいものが背中に当たる

そこは道路の真ん中であった

こんなところに倒れてしまっていたのか

深夜だけあって、車が通っていない

良かった、と溜息をつく



突然、思い出したように喉の奥に熱さと痛みが走った

たまらず吐き出すと、大きな蛙だった

牛蛙の一種なのか、赤黒く太った大きな蛙

同じく赤黒い粘液で覆われている

すると急にそれは影絵の蝶になって飛んでいった

黒と赤と紫がちらちらと視界を掠め、沢山の残像を振りまいた

顔の回りが妙にあたたかい濡れた感覚

ああ、そうか、ここで私は死んだのだ



安心して寝返りを打つ

猩猩姿の男が私を見下ろしていた

誰だろう、と考えていると

懐かしさといとおしさがこみ上げてきた

ああ、分かった、と思った時だ

面にひびが入り、彼は土塊のように崩れて降ってきた

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