前編
一、
「この調子だと、しばらく降り続きそうだなあ」
「ですねえ。――あ、おばちゃん、粟ぜんざい二つ……」
休日を使って浅草で漫才を見ていた山藤悠一と猫目大作が、寄席からの帰りがけに不意の夕立を受け、なじみの汁粉屋へ飛び込んだのは巷にそろそろ秋の便りがありそうな、薄ら寒くなりだしたある夕暮れのことだった。
「ことと次第によっては、おばさんにちゃんと連絡をしておいた方がいいかもしれないなあ」
運ばれてきたお椀のふたを取りながら山藤悠一がつぶやくと、
「まあ、どうせウチは目と鼻の先なんですから、のんびり食べていきましょうや」
猫目大作は勝手知ったる地元、とばかりに、悠然とした調子でぜんざいをつつきだした。二人掛けの小さな座敷の窓からは、障子越しに雨音と、それを避けるように走ってゆく人の足音が飛び込んで来る。それをぼんやりと耳に入れながら、先ほどまで見ていた漫才の感想を二人が話し合っていると、建付けの悪い引き戸がゆっくりと開いて、客が入ってきた。
「おや……?」
「探偵長、どうかしたんスか」
添えてあった小皿のたくあんを箸でつまんだまま、あんぐりと口を開けている山藤悠一に気付くと、猫目大作はそっと、相方の目線の先を伺った。
猫目のどんぐり眼の先に居たのは、浅草にはちょっと珍しい、上品な面立ち、佇まいをした、真っ黒なセーラー服を着たの女子学生だった。いったい、どの辺まであるのかわからない、手入れの行き届いた長い黒髪に、まつげの程よく伸びた切れ長の瞳。これを美しいと思わないほうがおかしいのではないか、と思わせるような少女が、品書きへと目を落としているのを、山藤悠一はじっと眺めているわけである。
「――隅に置けないっすねえ、探偵長も。ああいう子が好みなんですか」
「バカ、そんなんじゃないよ。……あの子の左隣、よく見てごらん」
「左隣……?」
四人掛けのテーブルの通路側へ腰を下ろしていた少女の左側、となると、当然空いている椅子ということになるのだが、そこへ目をやった猫目は、布にくるんだ何やら大きなものがあることを発見してから、はて……と、小声でつぶやいた。
「何ですかねえ、アレ」
「多分、鞘袋だと思うんだが、それにしちゃあ風体がおかしい気がしてなあ」
「鞘袋……? てエと、剣道部員かなんかですかね、あの子」
「だったら、防具とかを入れたリュックサックがありそうなもんだが、それがない。それに、つい今しがたまで練習をしていたような雰囲気に見えるかい、あれが」
「そういやァ……そうですねえ」
制汗剤の匂いの一つもしやしねえ、と、猫目が納得のいった表情を見せたところで、山藤悠一が決定打を加えた。
「それに、だ。この頃の鞘袋は大抵、ビニールか革と相場が決まってるんだ。ところがどうだい、あんな立派な袱紗で、胴は並の物より太いと来てる。――言っちゃ悪いが、ペラい竹刀が入っているようなモンにゃあ見えないぜ、ありゃあ……」
「竹刀が入ってないってことは……ま、まさか探偵長」
声が大きくなりかけたことに気付いて、慌てて自分の口を手で覆うと、猫目大作はそっと山藤悠一へ顔を寄せてから、
「……真剣が入ってると、こうおっしゃいたいんですか」
「そうでないと良いんだが、ちょっと怪しい気がするんだ、あの子……」
猫目大作は改めて、少女の顔を覗き込んだ。近寄りがたい雰囲気こそあれども、どこからどう見ても、あくどい相手には見えない。呑気に汁粉をつついている、自分と対して年の変わらない女子学生ではないか……。
「――で、尾行るんですか」
「空のお椀を相手にしてるわけにもいかないからな。先に出て、物陰から様子を伺うとしよう」
雨足が弱まったのを見計らって勘定を済ませると、先に近くのコンビニで雨傘を手に入れた二人は、仲見世の軒先で雨雲が通り過ぎるのを待っているようなふりをしながら、少女が出てくるのを待った。
ようやく少女が出てきたのは、ちょうど浅草寺の鐘が五時を告げた頃だった。辺りはやや薄暗くなりかけたところではあったものの、街灯の頼りない明かり越しにも、彼女が右手に蝙蝠傘、そして左手にはしっかりと件の鞘袋を握りしめていることに気付くと、山藤悠一と猫目大作は距離を取りながら、そっと少女の後をつけ出した。
いったい、浅草というところは昼間こそ賑やかなのだが、夕方から夜、明朝にかけてはひっそりとした趣を携えている。少女はその地の利を知ってか知らずか、浅草生まれの猫目でもめったに歩かない、陰気な路地裏を縫うように進んでゆく。
「……土地勘があるらしいな」
「そうみたいっスね。下手したら、僕なんかよりも、この辺に詳しいのかもしれませんよ……」
と、ほんの一瞬、二人が視線をそらした時であった。革靴で水たまりを踏む音に気付くと、いつの間にか、視界から少女の姿が消え失せていることに気付いて、二人は狼狽した。
「やられた!」
「今の会話を気付かれたんスかね。ちきしょう、初歩の初歩でしくじりやがった……」
尾行の失敗を悔いながら、まだその辺りに居はしないだろうかと姿を探し出した二人だったが、足音一つ残したきり、彼女の姿は容として知れなかった。
不本意な結果のまま休み明けを迎えた二人は、昼飯を摂りに路地裏の中華料理屋へ行こうとしたところに出くわした仁科に、チャーハンを食べながらその事を打ち明けた。
「てなことがあって、ちょっと私立探偵としての誇りがガタガタになっちまってるんだ。どう思うね、仁科くん」
付け合わせのわかめスープを飲みながら猫目が話して見せると、かた焼きそばを食べていた仁科は手を止めて、
「今度ばかりは相手が一枚上手だったような気がしますがね。仮に相手が武芸に嗜みのある相手だったとすると、それぐらいのことは心得ていてもおかしくはないと思いますし……」
「やっぱり、君も相手がその道の人間だと思うか」
山藤悠一の問いに、仁科はそれが一番正しい線かと、と、眼鏡を直しながら答えた。
「――でも、本当に、単なる武芸者なんでしょうかね。見たところ、我々と年の変わらない相手で、そんな心得があるなんて……」
仁科の言葉がいまいち飲み込めず、二人はしばらく首を傾げていたが、先に意味合いを読み取った山藤悠一は、まさか、と呟いてから、息を呑んだ。
「カタギじゃないと、そういいたいのかい」
「あくまでも可能性の一つですが、だとしたらこれほど厄介な相手はいないですよ。警察の手に負えない事件を請け負っている今日日の我が社の天敵となるかもしれないのですから」
仁科の言葉に、山藤悠一と猫目大作は背筋が凍り、顔を見合わせた。すっかりぬるくなった料理には、厨房から漂ってくるタンメンの香りがほのかに移っていた。
しかし、そんな三人の心配をよそに、世間はいたって平穏に動いていた。その間に入ってくる些細な事件の解決に忙殺されているうちに、彼らはすっかり、少女のことを忘れてしまっていた。だが、都心に初霜が観測されたある寒い月曜日に、山藤悠一は思わぬ形で、少女のことを思い出し、素性を知ることとなった。
その日の夕方、先ごろ無事に解決した美術品盗難事件の調査のため、二週間ばかり東京本社へ出張してきていた大阪支社の探偵員・吉村つかさのささやかな送別会が大会議室を使って行われていた。この日ばかりは全部の部署が四時には仕事を済ませて、事件解決の殊勲者とも言うべき彼女の労をねぎらい、明日からの仕事への励みにしようと、グラス片手に騒ぎ、楽しんでいた。
「それにしても驚いたねえ。剣道をかじってるとは小見山くんから聞いてはいたけど、あれほどの腕前とは思わなかったよ」
事件の真犯人を追っていた時、袋小路で逆に人質に取られてしまった彼女が、そばにあった竹ぼうきで相手の脳天へ一撃を食らわせた光景を思い返しながら、山藤悠一はシャーリーテンプルの入ったカットグラス片手に、改めてその活躍を称賛した。
「あれはまぐれ当たりですから、そんなにおっしゃられると……」
山藤悠一が意外な活躍に驚くのも無理はなく、吉村つかさという探偵員は日ごろ、関係者の間では大人しい、深窓の令嬢という印象で通っていたのだが、この日もまた、代わる代わるやってくる人々からの賛辞に、ただただその白い頬を赤らめて、ツインテールに結った毛先を指で恥ずかしそうにつまんでいるばかりだった。
「竹刀を持つと性格が変わる、とでも言うのかねえアレは。ねえ、すごかったですよねえ、ありゃあ……」
焼き鳥の串を持ったままの猫目が付け加えるように言うと、吉村はますます縮こまって、すっかり黙り込んでしまった。
「可能ならば、東京本社に移ってきてほしいもんですねえ。これほど強力な味方がいたら、どんな犯人だってイチコロですよ」
「ハハハ、そのためにはまず、うちの規則を変えないといけないからね。現地採用、移動なし。地の利に強い者を求む……ってのは鉄則だからね」
とは言いつつも、山藤悠一が彼女の才能を惜しんでいるのに変わりはない。可能ならば特例中の特例で、周囲からの非難を浴びてもかまうまい……とうっすら考えていたのだが、その思いは吉村の一言でもろくも崩れ去ってしまった。
「――私より強い人がこちらにいますから、その方のほうが適任かもしれませんよ。東京出身の方ですし……」
「えっ、そんなのがいるのかい」
猫目の問いに吉村はええ、と答えてから、ポケットに入れておいた携帯電話を出し、しばらく写真フォルダの中を探していたが、目当てのものが見つかると、画面を二人の方へと向けた。
「あまり写真を撮られるのを好まない人なんですけど、たまたま私の後ろを通りかかった時に写り込んだんです。この、真っ白い道着の人です」
吉村が十字キーをいじって画面を拡大した途端、
「た、探偵長! この子確か……」
焼き鳥の串で画面を差しながらわななく猫目に、山藤悠一は黙って首を縦へふった。そこに写っていたのは、あの夕立の午後に浅草で出くわした、怪しげな少女の横顔であった。
「吉村くん、きみ、彼女とは知り合いなのかい」
「か、烏丸さんのこと、ですよね? 何度か大会で顔を合わせたぐらいですけど……」
食い入るように尋ねる山藤悠一にたじろぎながら、吉村は少女の名前を口にした。
「烏丸涼さんって言って、学生剣道の世界じゃちょっと知られた人なんです。ご実家が山浪流っていう剣術の家元で、二年前から修行のために外遊に出ていたはずでけど……どこかでお会いになられたんですか?」
剣術の家元、というフレーズに、山藤悠一と猫目大作はあの時感じたただならぬ雰囲気の理由に納得がいき、胸の内で手を打った。二年間海外へ渡り、どのような修行を積んできたのかは定かではないが、血を吐くような苦行を経験していたとすれば、尾行をまかれたのもも頷ける話だ。
「……まあ、そんなところだよ。――おい、なんでもないよ。白けさせちゃってごめんなさい」
慌てて場の空気を取りなすと、それまで自分たちの方を向いていた探偵員たちは、各々の立ち位置へ戻って、何事もなかったかのように話を再開しはじめた。
「……探偵長、ひと安心ですね」
猫目がそっと耳打ちすると、山藤悠一は安堵のため息をついてから、
「家元のご令嬢なら安心だ。人を斬らない剣ならコロシはやるまい」
「ですねえ。いやあ、心配して損しましたよ……」
すっかり安心した猫目が、背後からやってきた総務部の探偵員たちに誘われて輪の中へ入ったのを見届けると、山藤悠一はその光景をのどかに眺め出し、残りのシャーリーテンプルへ口をつけ出した。
だが、山藤悠一にはどうしても、払拭できない疑問があった。
――あの鞘袋には、竹刀が入っているようには見えなかったんだがなあ。
カットグラスのへりを軽く噛みながら、山藤悠一はじっと虚空を見つめていた。
二、
山藤悠一の不安は見ごとに的中した。
翌日、吉村の乗った新幹線へ見送った帰り道、イージーリスニングをバックに流れる交通情報を聞きながら銀座の探偵社へ向かっていた山藤悠一と猫目大作は、不意に飛び込んできた無線の音に、ラジオのスイッチを落とした。相手は警視庁のパトロールカー・警視三十七号であった。
「――こちら警視三十七号、こちら警視三十七号。さつき一号応答せよ、さつき一号、応答せよ」
「こちらさつき一号、感度良好、どうぞ」
ハンドル片手にレシーバーをとった山藤悠一が答えると、警察無線特有の甲高い音で、
「本庁墨山警部補より緊急要請、殺人事件発生、現場は千代田区の剣礼社……」
と、このような塩梅にして飛び込んできた事件の舞台である剣礼社という名前に、山藤悠一は心当たりがあった。あの少女剣士・烏丸涼の実家である山浪流が一枚噛んでいる、都内でも有数の武具販売店がそんな名前だったような――。
「――探偵長、たしか剣礼社って、山浪流の関係してるとこじゃありませんでしたっけ」
同じことを考えていたらしく、猫目が眉間にしわを寄せながら呟く。
「やっぱりそうか。まさか……」
「止しましょう。色眼鏡があっちゃいけません」
猫目に制され、そっと車の三角窓を開けると、山藤悠一は吹き込んでくる風を頭に当て、現場へ向けてグイとアクセルを踏み込んだ。
大通りに面した剣礼社の真っ白なビルへ一歩入った途端、二人は鼻をつくような血の香りに、思わず顔をしかめた。竹刀や籠手、メンテナンス用の道具などを飾っているショウケースがある売り場はなんともなく、その代わりにのれん一枚隔てた建物の奥の方から漂ってくるということは、被害者は相当な出血量ののち亡くなったという勘定になる。
「――やあ、お早いお着きで」
焼き鳥屋から出てくるような気軽さで、関刑事が姿を現すと、山藤悠一は間髪入れず、何があったんですか、と尋ねた。
「ひどいもんだよ、袈裟懸けにバッサリ切られてるんだから」
「袈裟懸け! そりゃあむごい」
猫目が大仰な調子で言ってのけると、ほんとほんと、と相槌を打ちながら、
「だろう? ま、ひとつこっちへ来てごらんよ……」
関刑事に促され、革靴へビニールを履かせてから奥へ進むと、一歩前に出るごとに血の匂い、死臭が二人の鼻をつついた。そして、薄暗い廊下を抜けた先に広がっていた稽古場のような板張りの部屋へ入った途端、それは最高潮を迎えた。
「……なるほど、こりゃあむごいや」
ハンカチで鼻と口を覆いながら、山藤悠一と猫目大作は居合斬りに用いる藁人形の支え棒に括り付けられた、白い着流しをまとった中年の男の死体を苦々しい目で見つめた。歯を食いしばり、双眸をぐいと見張っている様子は、あまりにも痛々しい。
「仏さんはどこのどなたなんですか?」
鑑識班と一緒に、部屋中に飛び散った血痕を追いかけていた墨山警部補に山藤悠一が声をかける。
「ガイシャは烏丸宗次。山浪流の総帥・烏丸宗一郎の弟で、剣礼社の代表取締役さ」
烏丸、という名字に、山藤悠一と猫目大作は顔を見合わせた。同じ名字ということは、あの謎を秘めた少女・烏丸涼の親族、ということになる。
「詳しいことは司法解剖をしてみないとわからないが、クロロホルムかなんかで眠らせといてから、目を覚ました辺りでバッサリ……てなとこだろう。見てみな、バッテンに斬るだけじゃ飽き足らず、あっちこっち滅茶苦茶に切り刻んでやがる」
墨山警部補の言葉に、山藤悠一は改めて、死体につけられた刀傷を見つめた。着流しの上からでも分かる派手な切り口は胸から股にかけて、大きくバツ印を描くように斬られているが、その他には大小を問わず、いくらかの傷が物のついでのようにつけられている。
「一思いにブスリ、と行かなかったのか……」
「言われてみりゃァ、そうですねえ」
わざわざ柱に縛り付けてあるのだから、心臓を一突き、という方法でもよかったのではないだろうか、という疑問が、二人の頭にそろって湧きあがる。致命傷にならない傷で、少しずつ苦しめてゆく腹積もりだったのだろうか、と山藤悠一が考えていると、落ち着きのない足音と共に、一人の青年が巡査に伴われて、部屋へと入ってきた。
「――叔父貴!」
長い髪を後ろで一本に結んだ、ジャージ姿の細面の青年の顔に、悲痛な色が差し込む。生まれてから今日まで、そばにいた人間が一人いなくなれば、こうもなるのは無理もない話だ。
「墨山さん、彼は……?」
「烏丸留といって、ホトケの甥御だ。んで、その後ろにいるのが、宗次の息子の烏丸宥。二人とも、同じ大学の剣道部に籍を置く、学生剣士だそうな」
後から遅れて入ってきた、一見すると女性と見まがうようなボブヘアに透き通った肌の宥青年は、父親の変わり果てた姿を目の前にすると、瞳を大きく開いてから、膝からすとん、と畳の上になだれ落ちた。
「と、父さん……!」
「宥、しっかりしろ。ちくしょう、誰が叔父貴をこんな目に……」
留はわななく宥を抱きとめると、物言わぬ姿となった叔父の仇をとらんばかりに、悔しさに満ちた瞳を虚空へと向けていた。
ふと、その光景を遠巻きから見ていた山藤悠一は、留の妹である烏丸涼が姿を一向に現わさないことに気づき、そばを通りかかった関刑事にそっと耳打ちをした。
「なんだって、妹――」
「ええ。ちょっと前にわけあって顔を拝む機会があったんですが、まだ学校ですかね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなの初耳だぞ、ここの家にもう一人子供がいるなんて……」
関刑事が声を張ると、それに気づいた留と宥が、どうかしたのですか、とこちらへ近づいてきた。
「烏丸留さん、単刀直入に申します。――妹の涼さんは、どちらにいらっしゃるのです」
「あなた、妹のお知り合いなのですか。涼なら、復学の準備に必要な書類が入用なので、昼過ぎから区役所のほうに行っているはずです。……もしや、妹が何か不始末をしでかしたのですか」
年に似合わぬ折り目正しさで応答する留に、山藤悠一はやや焦って、
「いやあ、そういうわけじゃあないんです。せんに、うちの社員から妹さんのことをお伺いしていたので、ちょっと気になったまでで……。あ、私、こういう者です」
アルミニウムのケースから名刺を出して渡すと、留と宥はこの、殺人現場に似つかわしくない少年が何者であるかを知り、ひどく驚いた様子だった。
「あなたがあの有名な……。お噂はかねがね聞いております」
「まあ、今日はたまたまここへ来たのですがね。もっとも、この具合だと、うちへ事件の捜査依頼が回ってくるかもしれません。そのときは――」
そこまで言いかけたところへ、今度は床板を突き破りかねない、ひどく鈍い足音が部屋の中へと飛び込んできた。音の主は、どこか宗次に面影のある、羽織姿の中年男性である。
「父さん、いまお着きになったのですか」
「そ、そ、そうじゃない……」
一足先に弟の亡骸を拝んでいるはずの宗一郎がここまで狼狽しているのは妙だと思ったのか、関刑事がどうかなさったのですか、と尋ねると、山浪流総帥・烏丸宗一郎は関の肩をつかんで、
「に、日本刀が盗まれたんです……」
「まさか父さん、『光龍』がやられたんですか」
「伯父さん!」
留と宥の問いに、烏丸総帥はすっかりしょげきった瞳を向け、そっと首を縦に振った。それを見た二人の青年の落胆ぶりは、はたから見ている山藤悠一と猫目大作にもその心中が伝わってきていた。
「――烏丸総帥、失礼ですがその『光龍』という刀は、どのようないわれのあるものなのでしょうか」
留青年に取り次いでもらい、名刺を差し出した山藤悠一に、烏丸総帥は幾分か落ち着きを取り戻しながらおもむろに説明を始める。
「『光龍』というのは、山浪流の初代当主が剣の道を進む者たちの守り神のような存在として祀るべく作らせた一種の宝刀なのです。抜き身のまま暗闇に置いて、そこへ光を当てると峰と刃の境目に非常にくっきりと龍のような模様が出ることから、そういう名前になったそうです。一年に一度、十五夜の晩に月夜の下で鞘からだし、私や倅たち、同乗の門下生たちとその龍を前にさらなる精進を誓うのですが……」
「その光龍がどこかの不届きものに盗まれた、というわけですね」
猫目の横槍になんの反論もせず、烏丸総帥は全く、お恥ずかしい限りです、と言ってうなだれた。
「――道場は入ろうと思えば誰でも入れる場所ですから、隙はいくらでもあったのは事実です」
「なるほど。ちなみに、その現場はひどく荒れていましたか」
山藤悠一が問うと、どうやら烏丸総帥の報告を受けて飛んでいたらしい鑑識班員が、
「山藤探偵、現場は刀がないほかは、一切手付かずでした。お神酒の一滴や榊の葉っぱ一枚、こぼれたりも落ちたりもしていません」
その報告を受けると、山藤悠一はしばらく考え込んでいたが、そこへ関刑事がそっと耳打ちをした。
「――探偵長、今度の殺しは『光龍』狙いの凶行じゃないのかい」
「――なんとなく、別個の事件のような気がするんです。だって、物盗りの口封じに斬ったにしては、手が込みすぎてるじゃないですか」
「言われてみれば……」
担架に載せられ、今まさに部屋を出てゆこうとしている烏丸宗次の死体を一瞥して、関刑事は納得した。
確かに山藤悠一の言う通りで、仮に刀のみが目当てであるとすれば、わざわざ縛り上げてから斬らずとも、持っている武器、それこそ光龍などで一突きにしてしまえば早いのである。が、犯人はどうしたことか、そうした手を使わずにわざわざ宗次を縄で巻いてから殺害しているのである。山藤悠一はそれを根拠に、犯人単独説を否定しているのだ。
「ともかく、流派にかかわる一大事ですからね。ご家族や門下の方々と一度ご相談の上で、もしご用命とあれば、わが社のほうへご連絡をお願いいたします」
山藤悠一の丁寧な態度に、烏丸総帥は三々五々、深々と頭を下げてから、そばにいた留と宥に、各々が関係者へ招集をかけるように命じ、解散させた。
「――しかしまあ、よりにもよってこんなときに宗次が殺されるとは」
「烏丸総帥、もしかして、お嬢さんのことでなにか……?」
初対面の猫目の口から、娘のことが出たので総帥はひどく驚いた様子だったが、すぐに落ち着きを取り戻すと、
「ええ、そうなのですよ。長い外遊の修行旅行から最近戻ってきて、明日には復学という段取りになっていたものですから……ひとつ、ささやかな宴会の準備を、と思っておりましてな」
いかめしい成りの割に、世間並みの親心の持ち主であった烏丸総帥をほほえましく思いながら、山藤悠一はそうでしたか、と返す。
「でも、それにしたってちょっと帰りが遅いんじゃありませんか? 昼頃に区役所へ行ったなら、もうそろそろ帰ってきてもおかしくなさそうなんですがねえ……」
猫目が壁に背を預けながら、腕時計と、壁の時計を交互に指で指し示す。正午ごろに出かけてから、すでに三時間以上が経過している。
「烏丸総帥、形式的ではありますが、お嬢さんにも事情聴取を行いたいと思っておりますので……」
「わかりました。――日本に戻ってきて間がないから、どこかで迷っているのかもしれませんな。もう少ししたら、門下生に探しにやらせましょう」
「ハハハ、そうでしたな。まあ、いざとなれば我々のほうでも探してみましょう。こちらは探しのプロですからね……」
この時はまだ、烏丸総帥も関刑事たちも、暗くなって来れば涼が戻ってくるだろうと信じ切っていた。だが、そんな期待に反して、烏丸涼は日付が変わっても、姿を見せなかったのであった――。
三、
名門・山浪流総帥の弟が殺害され、現場からは宝刀と姪が消えた――。
どこか浮世離れのした事件の有様は、世間の非常な注目を集め、舞台となった剣礼社や山浪流の道場、はては捜査を担当するさつき探偵社にまでマスコミや野次馬が押し掛けるようになって、山藤悠一ら捜査関係者はほとほと困り果てていた。
今朝もまた、早くから押し掛ける記者団を押しのけるように探偵社の玄関を潜り抜けるはめになったのだから、世間のさつき探偵社への期待の高まり様というものが伺える。
「……事件から三日かぁ。探偵長、こりゃあしばらく続きますよ、あのヤジウマ軍団……」
眼下に広がる銀座四丁目の往来からマスコミが消えたのを確かめると、猫目大作と山藤悠一は、運ばれてきた緑茶をすすり、夕刊の束をざっと眺めながら、休息をとっていた。
「――探偵長、よろしいですか」
ノックと共に、ドアの隙間から顔を覗かせた仁科に気づいて、山藤悠一がなにかあったのかい、と問うと、
「二課で請け負ってました例の件、調査が済みましたよ。門下生たちは案外身ぎれいなんですが――」
「身内に問題あり、か」
「そういうことです」
猫目の指摘を返すように、仁科が刷り上がったばかりの報告書を、それぞれの机にそっと置く。矢継ぎ早にそれを手に取ると、二人は門下生一人一人の氏名から出身、在籍していた、ないし現在在学中の大学の情報や趣味嗜好など、多岐にわたる資料へ目を通して、仁科の言葉が間違いないことを確認してから、「被害者親族に関する一覧」という表題のついた綴じ表紙へ手を伸ばした。
そして、一通りそれにも目を通し終えると、重苦しい溜息をそれぞれついてから、
「となると、容疑者は三人に絞られるわけか」
「それぞれが疑惑濃厚、ってえのはたまらんですね、探偵長……」
互いに顔を見合わせる山藤悠一と猫目大作の額には、重圧という名の汗がうっすらとにじんでいた。それほどに、烏丸兄弟の子供たちの間の軋轢は広かったのである。
「烏丸総帥の息子、留は国志舘大学の剣道部副将。腕前は折り紙付きですが、いまいち統率力には欠けるようで、『プレーヤーとしては優秀だが、指導者には不向きだろう』というのが剣道部関係者の下馬評だそうです。反面、指導者としては次鋒を任せられている従兄弟の宥のほうが後輩からの評判も良いそうでして、留はそのことをやや気にしているようです。宥本人の心情までは探れませんでしたが、継承順の問題から言って、心中穏やかでないのは確かでしょうね」
「あの二人、仲の悪いようには見えなかったが……わかんねえもんだなあ」
猫目が事件現場で見た二人の姿を思い出しながら、裏の素顔の意外さに驚いた。
「――たしかに、留本人も世襲制の山浪流継承には抵抗があるらしい。しかし、そんな理由で叔父を殺すんだろうか」
報告書をめくっていた山藤悠一の問いに、仁科はただ、さあ……と答えるだけであった。すると今度は猫目が、
「報復が怖いんじゃないですか? 烏丸総帥を私淑している人も多いだろうし、そうなると叔父を殺して、あわよくば刑務所へぶち込まれようという腹積もり……」
「それなら、あんな芝居がかったことはしないだろう。それに、宝刀『光龍』を隠す意味もないじゃないか」
山藤悠一の指摘に、猫目はそれもそうですねえ、と困ったような顔をしてみせる。
「宥が継承順に恨みを抱いているんなら、まずは従兄弟の留を殺せばよさそうなモンですからねえ。実父に手をかけるのは妙だし、刀を持ち出す意味もない。となると……」
「継承順じゃ二番目の烏丸涼が容疑濃厚、ということになってくるなあ」
きわめて消去法的に導き出される答えに、山藤悠一は不満を抱いていた。
「この子だけ、身辺情報がガラガラなのが痛いねえ。継承に関しては、そもそも男子優位の山浪流に生まれた時点であきらめているようだが……」
いささか、決定打に欠けるものがあることも手伝い、山藤悠一は煮え切らない様子だった。このまま、これだけの理由で捕縛するには、証拠が不十分なのである。
「でも、そうじゃなかったら誰があの宝刀を盗んだっていうんです? ドサクサ紛れの物盗りなら、もうとっくの昔にアシがついているでしょう」
「その通り。状況からして、『光龍』の持ち去りに関しては彼女の仕業とみて間違いなさそうなんだが……それにしたって、動機が見当たらないんじゃあしょうがない。仁科くん、いましばらくは烏丸涼に重点を置いて、帰国後の足取りを追ってみてくれ。もちろん、ほかの二人からも目を離さないように頼むよ……」
「お任せください、調査二課、全力を挙げて追わせていただきます」
頼んだよ、と山藤悠一に念押しされると、仁科は意気揚々と部屋を出て行った。そろそろ、銀座の顔である和光の大時計が正午の鐘を鳴らそうかという頃合いであった。
つつがなく午後も過ぎ、決裁印の入り用な書類へ目を通して判をつくうちに、退社を促す五時のチャイムが、部屋の掛け時計から涼しげに鳴り響いた。
「猫目、そろそろ出ようぜ」
「――あら、もうそんな時間ですか」
背後のラジオから引いたイヤホンを外すと、猫目はつけペンをスタンドへ戻して、書きかけの書類を「途中」という札のはまったボール紙の箱へ放り込み、グイと腕を伸ばした。
「どうだい、調査課のほうは……」
「ぼちぼちですね。今現在、適材適所に人が収まってるので、補佐するポジションの人間を探すのが第一かなあ、という具合でしてね」
警視庁同様に七つある調査課をまとめる「調査部部長」を兼ねている猫目は、案外暇なようで多忙な身の上である。もっともそれは、現場の様子を見る、と称して、囲碁好き、花札好き、その他諸々の遊び人たちと遊ぶのであわただしい、ということなのであるが……。
「総務のほうはどうなんでしょうね。この頃は機材のトラブルもないようですが……」
「まあ、この春に思い切って機材のいいところをそろえたからね。ただ、タイピストがもう一人ぐらい人が欲しい、ということでね……」
「なるほどねえ。思い切って、その辺のできそうなのを探しますか」
「そうしよう。そのうちに、人事方面の打ち合わせもしておかないとね……」
「あっ、ちょっと待っててくださいよ、今支度しますから……」
話しながら帰り支度を済ませ、あとは鞄を持つばかりになった山藤悠一の姿を見ると,
猫目はとっさに椅子から飛びあがったが、そこへ待ったをかけるように、電話のベルがけたたましく響いた。等間隔に鳴るところからすると、交換室へかかった外線らしい。
「はい、こちら探偵長室。……なに、ほんとうかい。すぐつないでくれ」
「誰からっすか?」
猫目の問いに、山藤悠一は送話口を抑えたまま、
「宥さん。かなり取り乱してるみたいなんだよ。猫目、テープ回してくれるか」
卓上電話につないだ、国語辞典大の大きさのテープレコーダーのスイッチをいれると、猫目はモニター用のイヤホンをはめて、会話を又聞くことにした。やがて、接続音に続いて、烏丸宥青年の、やや取り乱した声が飛び込んできた。
『山藤探偵ですか。烏丸宥です。実は、お耳に入れたいことがありまして……』
「宥さん、いったいどうなさったのですか。どうか、落ち着いてお話してください」
『ああ、すいません……。実は、涼から連絡があったんです』
「なんですって――」
イヤホンを抑えていた猫目も、宥からもたらされた情報に目を丸くした。
「それで、今はどういう風になっているんですか」
山藤悠一の問いに、宥青年はやや声を潜めて、
『ちょうど四時ごろに、使いの者だという女の子が手紙を持って現れましてね。――うっかりその子の名前は聞きそびれたんですが、学校の制服が涼と同じでしたから、同級生で間違いないでしょう。で、手紙のほうには「事件のことでお話したいことがあるので、午後十時に溜池の紫雲寮まで来てほしい」とあるきりでして……』
「紫雲寮、ですか……」
紫雲寮、という名前に山藤悠一の顔が曇る。紫雲寮というのは少し前、漏電から失火して全焼した、戦後作られた中でもかなり立派な部類に入る料亭のことである。
『やはり、行かないほうがよろしいでしょうか。僕はどうも、涼のことが気がかりで、いてもたってもいられないんです』
「単身で乗り込むのは危険でしょう。――港支局から何人か派遣しますから、護衛付きで行くのが無難でしょうね。今から動けるようでしたら、車を向かわせますよ――」
一通り本題も済み、話が事務的な方面にそれたのを確認すると、猫目はイヤホンを耳から抜いて、山藤悠一のやりとりをそっと眺めていたが、電話も終わり、受話器が下りたのを見届けると、猫目はテープを止めてから、
「――銃はどうしましょうか」
「もちろん、持っていこう。いつものポケットコルトで不足なら、ほかにも用意させるけど……」
山藤悠一の提案に、猫目はいやあ、気持ちだけで充分です、と返して、
「僕の性格にゃ、あのチビスケのほうが合ってましてね。――家に電話だけさせてください、遅くなるとオフクロが心配するんでね」
「オレもひとまずかけておこうかな。――留守役の妹がなにかとうるさくてねえ」
机の上にある電話のダイヤルを回すと、家で帰りを待っている家族へ、帰宅が深夜に回る旨を二人は伝えるのであった。
四、
かくして、真夜中の捕り物が行われるかと思われたが、その幕開けは何とも不穏なものであった。
「なに、もうこっちに来てるっていうのかい」
「ええ、部員の方の話だと、僕らが着く少し前にタクシーを拾って出て行ってしまったそうで……」
港支局に着いた山藤悠一と猫目大作を待ち構えていたのは、迎えが来るのを待たずに宥青年が出発してしまった、という知らせであった。送迎役をおおせつかっていた探偵員は、不意を突かれて、実にバツの悪そうな顔をしている。
「おそらく先に紫雲寮のほうへ向かったものと思われますが……今から後を追いますか」
「それしかないだろう、すぐ、車を出してくれるかい」
件の探偵員がええ、いつでも出せます、と返すと、山藤悠一は支局の部屋にかかったぼんぼん時計が七時半を告げたのを背中で聞きながら、支局員を率いて紫雲寮の焼け跡へと向かった。やがて、周囲の明るさの中に一か所、広大な暗闇が広がっているのをヘッドライトの灯り越しに見出すと、山藤悠一は車を紫雲寮の門前に止め、拳銃と懐中電灯を携行させた支局員たちを後ろに従えて、廃墟の中へと一歩踏み出した。
「――たしか、バンのガソリンに引火して、爆発的に燃えたんでしたっけね」
角型の懐中電灯を片手に、山藤悠一と並んで進んでいた猫目が臭気の漂う焦げた柱を苦々しい顔で見つめる。暗がりには、紫雲楼にとどめを刺したらしい車の焼け残りも、かろうじてシャシーの形を保持したままに転がっている。
「つわものどもの夢のあと、というわけか……」
建物の中ほど、元は厨房だったらしい一角へとたどり着くと、猫目は熱でとろけてくっついた瀬戸の平皿や徳利を足で蹴飛ばしながら、かろうじて焼け残った座敷の障子へ懐中電灯の光を向けた。
「紫雲寮といえば、名だたる疑獄、収賄の舞台になった場所だからなあ。焼けて喜ぶやつはいないにしても、多少なりとは、秘密がウヤムヤになってほっとしている代議士は何人かいるんだろうよ――」
と、そこまで言いかけて、山藤悠一は石のように固まってしまった。数日前の長雨ですっかり破けてしまった障子の枠越しに、暗がりでなにか動いたような気がしたのである。
反射的に、山藤悠一はブレザーの下にゆわえたホルスターへ手を伸ばした。
「探偵長、どうしたんスか」
「いま、奥で何か動いた気がするんだ。みんな、いつでも銃を抜けるようにしておいてくれ」
後ろで探偵員たちが拳銃を抜いたのを耳で確認すると、山藤悠一はためらいぎみに障子戸を蹴飛ばしてから、いけっ、と号令を飛ばした。
――宥さんなら逃げはしないはずだ。となると、あれは涼に違いない。
革靴が湿気を帯びた床板を蹴り上げる音ともに、山藤悠一や猫目大作、探偵員たちはめいめい、外れかかったふすまを開き、部屋の中に誰もいないことを確かめたが、案の定どの部屋にも人の姿は見当たらない。ただ、焦げ臭い香りのする畳がいびつにはまっているきりである。
「――野良猫でもいたんじゃないすか」
コルトの安全装置を外したり、戻したりしながら、猫目が不機嫌そうにつぶやく。かくいう山藤悠一も、やや自信喪失気味になりながらも、あたりへ懐中電灯の丸い輪を向けている。と――。
「探偵長っ、あそこ見てくださいっ」
探偵員の一人が叫ぶ方向へその場の全員の目線が集中する。見ると、池を挟んだ向かいにある離れ座敷に蝋燭らしい、ゆらめく灯りがともっているではないか。
「やられた、我々がこの辺を探っている間に、渡り廊下から向こうへ行ったんだ」
「探偵長、どうします」
猫目の問いに、山藤悠一は躊躇一つせず、行くに決まってるだろう、と返し、
「続けっ、突撃だっ」
号令に続いて引き金を引くと、それを合図に探偵員ともども、山藤悠一は渡り廊下を超えて、離れの障子戸の前に躍り出た。が、そこから先の追及は突如として倒れてきた障子のせいで見事に阻まれてしまった。
「待ったっ!」
猫目と一緒になって、背後の探偵員を抑えると、山藤悠一は座敷から現れた人物を、双眸でギロリとにらんだ。
山藤悠一の眼前に立ちはだかっているのは、破れ提灯を高々と上げ、片方の手で白鞘らしい切っ先を足元へ向けている、セーラー服姿の烏丸涼であった。
「烏丸涼、だな」
猫目の問いかけに、烏丸涼は顔色一つ変えずに答える。
「――ええ。いつだったか、お汁粉屋さんで会って以来ね。あなた、何者?」
「てめえみたいな狼藉者をフン縛る、平成の岡っ引きさ。神妙にしやがれっ」
芝居がかった猫目の言い草に、どこかおかしさを覚えているらしく、烏丸涼は口元に柔らかな微笑をたたえている。
「――烏丸さん、あなたは叔父上殺しの重要参考人であると同時に、『光龍』盗難の嫌疑がかかっています。疑いを晴らすためにも、一緒に来ていただけませんか」
だが、それに対する烏丸涼の返事は辛辣だった。右手に持った提灯を派手に打ち付けると、烏丸は白鞘を横一文字に振り払う。つられて、山藤悠一らさつき探偵社の面々は後ろへ引き下がる。
「どうやら返事はノーらしいっ、かかれっ!」
「待ったっ、あれを見ろ……!」
山藤悠一の制止に、猫目は引き金にかけた指をひっこめた。そして、眼前に繰り広げられている光景に、思わず息をのんだ。烏丸がそれまで握っていた刀を、忍者よろしく背後にゆわえた鞘へしまい、代わりに抜いたもう一本の刀が、折よく雲の切れ間から顔を覗かせた月光に照らされる。
その刀身には龍のような模様がありありと浮かび上がっていた。どうやら、これが件の宝刀・光龍のようである、とわかると、山藤悠一ともども、猫目たちは一歩引き下がった。
「やいっ、光龍をどうするつもりだ」
「――いったん、預からせてもらうわ。いま、他人の手に渡っては都合が悪いのよ」
背後の鞘へ光龍を戻すと、烏丸は入れ替わりに愛刀らしい白鞘の抜き身を、ふたたび山藤悠一らに突き付ける。
「――来るなら、いつでもどうぞ」
烏丸の挑発ともとれる言葉に、山藤悠一は唇をひどく噛みしめた。ここで下手に動けば、光龍がどうなってしまうかわかったものではない。だが、
「この野郎っ、地獄へ道連れだっ」
血の気の多い猫目が、探偵員の制止を振りほどいて愛銃の引き金へ指をかけた。乾いた音と共に放たれた弾丸はまっすぐ、烏丸涼の頬めがけて飛んでいった――はずであったが、直後に烏丸が振った白鞘の刀身は、金属同士のこすれるような甲高い音を一つたてて、弾丸を見当違いの方向へ弾き飛ばしてしまった。
「猫目っ、よさないか! まともにやって、勝てる相手じゃなさそうだぞ……」
猫目の肩につかみかかると、山藤悠一は烏丸涼の顔をまじまじと覗き込む。
「しょうがない、この場は一旦、君に光龍を預けるとしよう。だが、この次は必ず取り返す。いいですね……?」
「――どうかしら、ね」
途端に、山藤悠一は切っ先を向けたまま斜めに下がった烏丸の背後に転がっているものに気づき、全身の毛が逆立つのを覚えた。そこに転がっていたのは、額を真っ赤な鮮血で濡らした烏丸宥青年であった――。
「てめえ、殺しやがったのか」
探偵員たちに羽交い絞めにされた猫目が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「――安心して頂戴、まだ息はあるわ。そもそも、襲ってきたのはそっちのほうなんだから」
「どういうことだ――わっ!」
山藤悠一への返事代わりに白鞘を振り回すと、烏丸涼は牛若丸のように飛び上がり、雑草ののびる庭の南側、崩れかけた白壁の間から夜の溜池へと逃げ去ってしまった。
その後ろ姿を、宥青年を介抱する探偵員たちの声を背に聞きながら、山藤悠一と猫目大作はいつまでもにらんでいるのであった。




